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雪残る城山で、17歳は何かをしなければならないと思った|1920(大正9)年3月17日(水)|

📙1920年。旧制中学校を卒業したばかりの17歳の祖父が書いた日記を、孫である私が2026年の同じ日に紹介しています。

小学校教員を目指して受験した師範学校は、不合格でした。
そこで翌年の再受験までの間、母の実家近くの小学校で、非正規の「代用教員」として働くことに決めます。
地元で顔の利く親戚に履歴書を託し、その小学校へ採用の口利きをお願いしました。
しかし、まだ返事はありません。


🧭 この日のあらすじ

朝は少し代数の勉強。
午後は家の手伝い。

城山へ行く。
まだ雪は溶けず、草も生えていない寂しい景色。

その中で、自分はこれから何をすべきかを考える。
気持ちを大きく持ち、軽はずみなことはしない。
悲観もしない。

生きている以上、人は何かをしなければならない。
人間の義務とは、ただ勤めること。
自分が代用教員をする理由も、そこにある。

📅 日記本文

朝、少し代数をなす。
午後、家の手伝い。
城山に行く。
未だ雪溶けず、
草生えずいと寂し。
熟々我なすべきを考うるに、
気を大に持ち、
軽挙をなさず、
悲観せざるを第一となす。
人間の義務を考うるに、
ただつとむるのみ
世に生存する以上は
必ず何らかを為さざるべからず。
而して我が代理教員をなす所以、ここにあるなり。
僧来る。

📌 背景メモ

城山

祖父の家のすぐ近く。
飛騨護国神社を通り抜けると、城山へ続く上り道があります。

僧来たる
祖父の祖母(つまり私の高祖母=ひいひいお祖母さん)の命日は5月17日。
毎月17日は「月命日」として、お坊さんが家の仏壇にお経をあげに来られていました。


💭 孫のつぶやき

3月、まだ雪が残る城山へ向かう道。祖父も、この鳥居をくぐったのでしょうか。
不合格のあと、自分の「なすべきこと」を考えながら、白い景色の中を歩いていたのかもしれません。
同じ場所に立つと、あの日の17歳が、ほんの少し近く感じられる気がします。


岡本太郎「若い夢」