奇蹟の療法、とくと御覧あれ!本日実演、喜多座にて|1920(大正9)年8月1日(日)|8月2日(月)|
📗1920年、旧制中学校を卒業した祖父。小学校の先生になろうと師範学校を受けたものの、まさかの不合格。
師範学校リベンジを狙いつつ、仕方なく(?)田舎の親戚の家に下宿しながら、非正規の代用教員として小学校の教壇に立つことに。
そんな代用教員生活、初めての夏休みがやってきました。
この日記を、孫である私が106年後の2026年、同じ日付で紹介しています。
🧭 この日のあらすじ
8月1日(日)
病気を治すという人が、芝居小屋の北座に来ているので観に行く。
母乳が出なかった人が出るようになったのには驚いた。
8月2日(月)
夏休みの課題を決めた。
午前中は勉強、午後は近所の城山で散歩。
📅 日記本文
8月1日(日)
朝、病気を治すという人を北座へ見に行く。
乳の出なかったのを出るようになったのは驚いた。
午後、昼寝す。
8月2日(月)
休暇中の課業を決める。
午前中、勉強をなす。
午後、城山に行く。
📌 背景メモ
北座(喜多座)
芝居小屋(劇場)。1912(明治45)年に改修オープンした時は、大阪歌舞伎の嵐三五郎一座を招いてこけら落としをしたそう。
あれ?なんだか既視感。7月31日の日記でご紹介した、同じく芝居小屋の「国伎館」のこけら落とし公演も大阪歌舞伎でした(こちらは片岡長太夫一座)。ライバル劇場として張り合っていたのかな。
歌舞伎の他、演劇、政治家の演説会、女相撲、活動写真(映画)など興行していたみたい。
他にも高山座、第二高山座という劇場もあったようです。
テレビもラジオも、もちろんインターネットも無かった時代。
映画「ニューシネマパラダイス」の「パラダイス座」のような光景が、ここにもあったのでは。
乳の出なかったのをでるようになった(母乳が出るようになったという「奇跡」について)
当時の田舎はまだ江戸のノリを引きずっていて、授乳を恥ずかしがる文化がそもそもなかった。
「乳房を隠すべし」という西洋仕込みの恥じらいは、明治後期あたりから都会の美術界や婦人雑誌でぼちぼち広まり始めたばかりで、高山まで届くにはまだ時間がかかったのかも。
それより重要なのは、当時「母乳が出ない」は今と比べ物にならないくらいの一大事だったということ。
日本初の育児用粉ミルクが発売されたのはこの日記のわずか3年前。
それまで母乳が出ないというのは、赤ん坊の命に関わるガチの非常事態だった。
つまり祖父が見た「奇跡」は、今で言うなら「好きなだけ食べても痩せる薬」くらいのインパクトがあった可能性がある。
優等生の祖父が思わず素直に「驚いた」と書いてしまうのも、まあ無理はない。
💭 孫のつぶやき
大正時代は「霊術」というオカルトが大ブームだったみたい。
喜多座は歌舞伎や映画、女相撲までやっていた劇場。
この日は奇跡の治療ショーが演目だったようです。
祖父が書いている「母乳が出なかった人が出るようになった」が、実際どんな実演だったのかはわからないけど、
…もしかして、衆人環視の中、授乳したんでしょうか。
現代人の私にはめっっっっっちゃ抵抗ありますが、当時は授乳に対する感覚も今とはかなり違っていたので、それほど珍しい光景ではなかったよう。


