新米先生、初の懇談会でフリーズ。|1920(大正9)年7月18日(日)|7月19日(月)|
📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は、不合格でした。
来年こそ!と思いながら、親戚の家に居候しつつ田舎の小学校で非正規の代用教員をしていたころの話です。
🧭 この日のあらすじ
7月18日(日)
2時間授業の後、学芸会があった。
その流れで保護者懇談会も開かれた。
しかし、何も話すことが思いつかず、完全に言葉に詰まってしまう。
帰りに饅頭を10個もらった。
7月19日(月)
子ども達に通知表を渡す。
2時、下宿先の石松家に戻り、
夜、手紙を書く。
📅 日記本文
7月18日(日)
2時間の授業の後、学芸会あり。
後、父兄懇談会をなす。
なんもさべる(原文ママ)こと無くて、困ってしまった。
帰りに饅頭を10つもらう。
7月19日(月)
通知表を渡す。
2時石松にかえり○○に行く。
夜、手紙を書く。
💭 孫のつぶやき
祖父はスピーチ下手だったと、母から聞いています。
前日の日記にも「明日の懇談会が心配」とありましたが、その予感は見事に的中。
保護者に囲まれ、何も話せず沈黙が流れる……かなり気まずい。
頭の中は真っ白。汗びっしょり。絶体絶命四面楚歌。
…バルス!
(しかし なにも おこらなかった!)
今なら、下手をするとクレーム案件かも。
それでも帰りにおまんじゅうを10個!
村の気さくな母ちゃんが、「先生、がんばれ」って持ってきてくれたのかも。
100年後の孫からも「ありがとう」と言いたい。

そして悪夢の保護者懇談会は何とか終わり、翌日は子供たちに通知表を渡しました。
いよいよ夏休みです。

