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田植え休み。先生はなにしてる?|1920(大正9)年6月3日(木)|6月4日(金)|6月5日(土)|

📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
小学校の教員を目指して受験した師範学校に落ちて、来年こそ!と思いながら、親戚の家に居候しつつ田舎の小学校で代用教員をしていた、初夏のころの話です。


🧭 この日のあらすじ

出張から戻った木曜日の夜、妹と活動写真を見に行った。
金曜日の午後には下宿先の石松家へ。
そして土曜日の朝には高山の実家へ帰宅。

映画を見た以外は、ほぼ移動記録である。


📅 日記本文

6月3日木曜日
夜、妹と活動写真を見に行く。

6月4日金曜日
午後、石松に行く。

6月5日土曜日
朝、石松より帰る。

📌 背景メモ

当時の高山町には、高山座・第二高山座・喜多座・国技館などの劇場がありました。
活動写真(映画)だけでなく、歌舞伎や芝居、寄席なども上演されていました。
参考:長尾量平『明治大正俗聞史』芸社、1978年

ところが現在の高山市には映画館がありません。
劇場も市の施設があるくらいです。
街のエンタメは1920年のほうが今より賑やかだったみたい。


💭 孫のつぶやき

今週の祖父

日:授業
月:高山の実家へ
火:国府の小学校見学
水:古川の小学校見学
木:活動写真
金:下宿へ移動
土:実家へ移動
日:実家でのんびり

あれ?今週ほとんど授業してなくない?

祖父の日記にその文字はないですが、これはどう考えても「田植え休み」ではないかと。
映画「となりのトトロ」でサツキが言ってた、アレです。

当時の農村では、田植えは家族総出の一大イベントでした。
小学生も戦力です。
やんちゃ坊主だからといって免除はありません。

『目で見る飛騨の100年 : 写真が語る激動のふるさと一世紀』
岐阜郷土出版社 1989年

学校も「授業より田植え優先」ということで、堂々とお休みになります。
祖父たち教員は、その休みを利用して他校の授業を見学していたようです。
実際、先週の日記には、祖父の算術の授業を他校の先生が見学に来た記録もあります。

ちなみに元教員の私の母によると、田植え休みは農村部の小学校限定だったそうです。
先生たちにとっても嬉しい休みで、旅行に出かける人もいたとか。
ただし高山の小学校には田植え休みは無かったようです。

ちなみに3年前の同じ6月3日。
祖父は日記に「今日は田植えのさおりであった」と書いています。
さおりって何?という方はこちら↓