経験と情報を分ける
私は本が好きなので、本から学んだことがたくさんあります。また、最近は生成AIの発達で、「調べる」「知る」という行為のとっかかりのハードルはどんどん下がっているように思います。不安なことについて調べて心の準備ができることは、安心につながります。
一方で、誰もが簡単に調べられること状況になったことで、知らないことが許容される幅は狭くなったように思います。知らずに行動してしまうことと、知ってあえて行動することと、その間に本来知っておくべきだったにもかかわらず知らずに行動してしまったことがあるとして、その「本来知っておくべきだったにもかかわらず」に当たるものがどんどん増えているように感じます。
調べることのとっかかりのハードルが下がっているからこそ、調べようと思うか思わないか、そこも一つの分岐点になっている気がします。何かのできごとに向き合う際、調べて解決するか、そうしないかは、その人の自由であったはずなのに、簡単に調べられるにも関わらず調べなかったことを責められることが生じてしまっているように思うのです。
これは、自分の心の中でも生じます。分かっていたのに、気づいていたのに、うっすらそうではないかと感じていたのに、望ましくない選択肢をとってしまった。そういう反省が、自分自身が大人になったからというだけでなく、世の中の流れの中でも増えてきたように感じます。これはとても息苦しいことに思います。
この息苦しさを回避するために私が必要だと考えたことが、経験と情報を分けることです。調べることは簡単だとは言っても、それが正しいかどうかは、実際に起こってみるまでわかりません。厳密にいうと、自分が経験したことであっても、それがその次も、つまり条件が何かしら異なる状況で、同じように生じるかはわかりませんが、単なる情報よりは信憑性が高まります。
これまでは情報が貴重なものであったから、自分の経験を補完するものとして情報を重視し、頼りにしてきましたが、情報の貴重性が薄れた今、情報と経験は別物であり、情報に引っ張られすぎないこと、経験を補完しすぎないことを意識することが、重要なように思います。
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