「いつかやろう」と思って、もう何年もたっていることは何ですか?
こんにちは、ぱんだごろごろです。
本田健さんの、「ハッピーライティングマラソン」第62回目のお題は、
『「いつかやろう」と思って、もう何年もたっていることは何ですか?』
です。
今回のこのお題を見たとたんに、胸がズキンと痛み、自分がそれを忘れていないことがわかりました。
それとは、私が20年以上前に書きかけて、以後そのままになっていた、未完の小説のことです。
私は、随分前から、創作を辞めています。
それは、もうその方面へ、さほどの情熱が持てないことに気が付いたからです。
以前は、機会があるごとに、あれこれ考えて、ストーリーを練ったものでした。
でも、いつからか、暮らしに根ざしたエッセイを書く方が楽しくなって、自分には小説や詩を書くよりも、日々の生活を綴っている方が向いているのでは、と思うようになりました。
それ以来、小説や物語の創作からは遠ざかっています。
ただ、今回、この「ハッピーライティングマラソン」のお題を見て、やはり自分はこの作品のことを忘れてはいなかったのだな、と思い知りました。

この作品は、今から20年以上前に書きかけたものの、クライマックスの二重構造になっている場面(表面上はこうだったが、裏ではこういう事態が進行していた)の整合性を取るのに疲れ果て、あー、私には才能がないんだわと、投げ出してあったものです。
数年前に、この下書きの一部を使って、「#才の祭」に応募したところ、思いがけず「かっちー賞」をいただき、それでもう、この未完成品には、気持ちの区切りをつけたつもりでいました。
10年ぶりに再会した穂高と遼一。偶然出会った瞬間、二人の間の空白の時間が消え、互いに強くひかれあう。刹那の感情のたかぶりの後、再びそれぞれの道へと戻っていく。
作品にあるようなきわどい関係ではないが、私にもこういう友人がいる。普段から連絡を取りあう仲ではないものの、5年おきくらいになぜかきっかけがあり、ヒョコっと会い、5年間のお互いのドラマを一晩で語り合う。そして、それだけでお互いが通じあっていると確信出来る。普段からよく会う友人よりも深い話が出来たりするから不思議だ。友情とは違う何か。愛の一種なのかもな、と思わされた作品。
ぱんだごろごろさん かっちー賞の受賞おめでとう。

でも、今回、本田健さんのお題【「いつかやろう」と思って、もう何年もたっていることは何ですか?】を見て、やはり思い出してしまいました。
この際、未完成品でもいい、プロットだけの部分もそのままさらけ出し、「メモ」「一場面のみ」「会話文だけ」の部分も、そのまま使って、何とかラストシーン(この部分は出来上がっています)まで、繋げてみよう。
その上で、書き足したい気持ちが出てきたら、その時点で手を入れればいい。
そう腹をくくることができたので、まずは書き上がっている部分から順次投稿して行きたいと思います。
棚の奥の方から、封印していたファイルを引っ張り出して見ると、当時ボールペンと鉛筆で書いたプロットの部分が、20年以上の歳月を経て、所々薄れて読みにくくなっています。
字がかすれている上に、自分の目は視力が衰えているという、負の正比例です。
不定期な更新になると思います。
海よりも広いお心をお持ちの方のみ、お読みくださいますよう、伏してお願い申し上げます。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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