今日をひとことで表すと、どんな1日でしたか?
こんにちは、ぱんだごろごろです。
本田健さんの、「ハッピーライティングマラソン」第50回目のお題は、
『今日をひとことで表すと、どんな1日でしたか?』
です。
では、さっそく、ひとことで申しますと、
今日は、
心が軽くなった日
でした。
父から買ってもらったやかんを捨て、
息子のお下がりのカーディガンを捨てました。
【やかん】
父からそのやかんをもらったのは、何十年も前のこと。
いつも台所の火のそばに置いていたので、焼けこげがついてしまい、磨いても取れなくて、夫から、いい加減に新しいものに買い換えれば、と言われていました。
でも、使い馴れていたため、他のものに換えるのがいやだったのです。
それが、魔法瓶が壊れたため、新しくティファールに買い換えてからは、魔法瓶だけでなく、やかんの出番までなくなりました。
やかんは使われることなく、ずっと台所の隅に置かれたまま。
見ない振りをしていましたが、もういいや、と思えました。
父が亡くなってから、まる6年。
やかんにだって、引き際があるよね。
今まで私のわがままに付き合ってくれて、ありがとう。

【カーディガン】
息子のお下がりのカーディガンは、これが最後の一枚でした。
服を買うのを嫌がる息子のため、ユニクロのセールで私がまとめ買いをしました。
着るものなどどうでもいい、好みのものなどないが、嫌なものはある、嫌となったらてこでも着ない、という面倒くさい息子は、私が買ってきたものの中の数枚しか着ませんでした。
残りの服は、夫が着るには色やデザインに無理があるため、私の部屋着になりました。
10代後半だった息子が、30代半ばになった今年、ようやくあの時買った息子用の服のすべてが、その役割を終える日がやってきたのです。
服たちにしても、高校生の男の子にではなく、中年婦人に着られることになろうとは、思ってもみなかったでしょう。
この最後のカーディガンは、私がどんなに頻繁に着ようが洗おうが、びくともせず、穴ひとつ開かなかったのですが、さすがに色が褪せ、ゴミ出しの時にちょっと着るのにも問題があるレベルになってしまったため、資源ゴミ(古着)として処分することにしました。

やかんとカーディガン、この二つを捨てることになって感じたのは、思いがけない清々しさ。
ものを捨てると心が軽くなるのは、
思い入れ
を手放すからなのですね。
やかんでもカーディガンでも、
私の心の中にある場所を占めています。
夫や娘や息子たちの存在に比べれば、百分の一くらいかもしれないけれど、
それでもやかんやカーディガンが私のものである以上、責任をもって、私は心の中に彼らを置き、彼らを気にかけてきました。
物であろうと、人であろうと、私の領域の中にいる存在であることに、変わりはないから。
だから、彼らを手放すと、私の心の中には、ほんの少し、すきまが開きます。
その分、私の心は軽くなるのです。
ただ、今は私は、自分に関係するあらゆるものを覚えていて、心にかけていることができますが、そのうち少しずつ忘れてしまうのだろうな、とも思います。
悲しいことだけれど。
今、古くなった日用品や服を捨てても、代わりを買わないようにしています。
どうしても必要なもの以外は、あまりものを増やしたくないのです。
それは、義母の家の片付けをしていて思ったことがあるから。
義母の家(夫の実家)には、多くの部屋に、義母の洋服、着物、バッグ、趣味の道具、日用品の数々が溢れていました。
新しいものも古いものも、一緒にしまわれているのです。
昭和一桁生まれ、もともとものを捨てるということが苦手な上に、高齢になってからは、片付ける、ということをしなくなったからなのでしょうね。
大切なものも、古くなって、あまり使わなくなったものも、ぜんぶ一緒。
義母は、きっと、少しずつ、少しずつ、自分のものを忘れてしまい、身体も動かなくなり、ものたちを心にかけることができなくなったのでしょう。
義母に忘れられた品々は、いつの間にか、眠りについてしまったのでしょうね。
仕方のないこととはいえ、胸が痛みます。
せめて私は、自分のものを覚えていたい。
ものを心にかけて、愛していられるうちに、どんどん使い、寿命がきたものは手放し、心を軽くして、生きて行きたいと思います。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
良いお天気の日が続いています。
楽しく、さわやかな日々をお過ごしくださいね。
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