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備忘録 葬儀のあとさき

こんにちは、ぱんだごろごろです。

まず最初に、義母が亡くなったことで、親しくさせていただいている皆様から、お悔やみのお言葉や、暖かい励ましのお言葉を頂戴しましたことを、ここに記して、改めて感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

無事に故人のお通夜と葬儀を終えることができました。

先週一週間は、まさしくいかだに乗って、急流を流されて行くようなもので、行く手に現れる岩のかたまりを次々にクリアしては、たまに岩にぶつかって水しぶきをたっぷり浴びる、というものでした。

亡くなった日には、まず葬儀社に連絡。
葬儀社の担当者より、ただちにお寺に電話して、都合のつく日を挙げてもらうように言われました。
ところがお寺に電話しても、誰も出ません。
葬儀社に電話してそう言うと、たとえ夜遅くなってもいいからお寺さんの都合を訊いて欲しい、それがわからないと前に進まないから、と言われました。

数回お寺に電話した後、やっと通じたので、その旨を尋ねると、お寺さんが、比較的時間の自由が利くからと提示してきた日は、約1週間後でした。

火葬場が混んでいると言うのは聞いていましたが、お寺さんの都合も大きいものでした。

二日目は葬儀社へ出向き、さっそく打ち合わせです。

お寺さんの提示した日で、火葬場も葬儀社も支障なかったため、いよいよ本式にお葬式の段取りを細かいところまで詰めて行きました。

前日から、親戚に連絡を回したところ、兵庫県から参列したいという親戚が数人現れ、その晩は、私は駅前のホテルの予約係になりました。

何とかツインを二部屋押さえて、さあ終わりかと思いきや、また電話がかかってきて、誰それさんも夫婦で来ると言っている、◯◯くんは一人だそうだ、などと。

もうツインは取れないので、二人でもシングルふたつになるわよ、と夫に言いながら、ホテルに電話して、
『先ほどお電話したパンダと申しますが、もう二人分、追加できませんでしょうか?』
『ちょうどキャンセルが出たので、ツイン取れますよ』
『お願いします!』
『では、禁煙、朝食付きの部屋で、一泊の料金は・・・』

などという会話を、フロントの予約係と繰り返し、しまいにはぐったりしました。

3日目は、湯灌ゆかんの日でした。
前日に打ち合わせをしたベテランの女性担当者から、なるべく早く湯灌をして、白装束に着替えをし、お棺に入っていただきたいので、お忙しいのもお疲れなのも承知ではあるが、翌日また二人そろって来てもらいたい、と言われました。

『死後硬直があるからですか』と尋ねると、ベテラン担当者は深く頷きながら、『その通りです』と。

湯灌は、遺族の見ている前で行うそうで、男性の納棺師が義母の髪をシャンプーで洗い、女性の納棺師が、こちらには見えないように、シートをかざして義母の身体を洗ってくれます。

清拭が終わったのち、夫と私の順で、故人の口唇をしめらせ、シートの上から身体に一筋、途切らせないように細く水を流し掛けました。

退室して、しばらく待ったのち、再び入室すると、故人が白装束に着替え、きれいにお化粧してもらった姿で現れました。

旅立ちの支度の済んだ故人を、棺に移し、脚絆と手甲の紐を、左右に立った夫と私がそれぞれしっかりと玉結びにします。

わらじと杖に、頭陀袋、よく幽霊が頭に付けている三角の布(天冠)は、あの世に行くための通行証なのだそうで、たたんで入れます。
三途の川を渡るための渡し賃、六文銭は、金属はお棺に入れることができないため(火葬にするから)、紙に印刷したものです。

これからお通夜の日まで、故人はドライアイスに守られて、安置室で過ごします。

他の葬儀客と鉢合わせしないで済む午後1時過ぎなら、お母様とお会いできますよ、と言われ、次の日とその次の日のニ日間、二人で葬儀場に通いました。

その傍ら、お寺さんにお渡しするお布施、お車代、お膳料と、参列者に渡すためのお車代(新幹線の往復代とホテルの宿泊費)の袋を用意し、名前と人数を照らし合わせ、間違いのないようにチェックをしました。

今回、故人の住んでいた家に寄ってもらって、ゆっくり形見分けをする、という時間が取れないため、形見分けの品もこちらで用意しました。

もともと義母は手仕事が好きで、特に刺繍と裁縫が得意でした。

実家にある、刺繍の額(小さい作品は主に花、大きい作品は風景を刺したものが多くありました)のなかから、新幹線で帰る参列者の負担にならないよう、なるべく小さなものを選びました。

晩年、義母は吊るし雛を数多く作っては、知り合いのひとたちに差し上げていました。
まだつなげていないパーツがいくつか残っていたので、二つずつ袋に入れて、刺繍の額と一緒にしました。

義母が、自分で作った手提げ袋に刺繍をしたものもいくつかあったので、その袋の中に、刺繍の額と吊るし雛のお飾りを入れ、参列者分、作りました。

それにも、どれを誰に渡すのか、間違えないように、お名前を付けておきました。

一方、故人が最晩年の5ヶ月半を過ごした、介護付き有料老人ホーム。

この老人ホームの部屋も引き払わねばなりません。

お世話になったスタッフの皆様にご挨拶をしたのち、故人の衣類と生活雑貨を持ち帰りました。

日を改めて、テレビと椅子を車に乗せて運びます。

良いホームだったなぁ。
もう少し、ここでの生活を、お義母さんに楽しんでもらいたかった。
しみじみと思います。

そして、ついにその日はやって来ました。
お通夜の日は、午後4時半に集合。
6時から始まって、7時からは通夜振る舞いに移ります。
久し振りに会う親戚同士、話に花が咲きました。

翌朝の葬儀は9時半集合だったため、9時には家を出ました。
12時過ぎに葬儀場を出て、1時過ぎに火葬場に到着。
待っている間に、精進落としのお食事をして、2時過ぎにはお骨上げをしました。
ふたたびマイクロバスに乗って、葬儀場へ。
最後に着替え終わった参列者を見送ったあとは、葬儀場の担当者さんが呼んでくれたタクシーに乗り、故人の骨壷、遺影、位牌とともに、家へ帰り着きました。

この一週間、自宅と葬儀社、お寺とお墓、実家と老人ホームを行き来する日々でした。

ようやくお通夜と葬儀が終わりましたが、まだまだこれは序章に過ぎません。

四十九日はあっという間にやって来るため、その手配に加え、同時に納骨もするので、仏壇屋さんにお位牌も頼まねばなりません。
霊園を介して、石屋さんへの連絡は済みました。
墓石の下に骨壷を入れるため、石屋さんに手前の石をどけてもらうのです。
墓碑に戒名を刻むため、ファックスでのやり取りもしました。
やれやれ。

娘が手伝いに来てくれたので、お香典を数えてもらいました。
それを夫がパソコンに打ち込んでいきます。

私はと言えば、脂漏性湿疹による頭皮のおできが再発し、新たに顔におできが現れ始めています。

葬儀を終えて、
私に残ったのは、一群のおできでした。
深刻ではないものの、これもやはり悲劇なのでしょうか?


今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
『葬儀を終えて』は、アガサ・クリスティのミステリー小説の題名です。
ここではイギリス風のお葬式風景を見ることができます。
そして、中山七里のデビュー作、『さよならドビュッシー』のある一場面に既視感を覚え、トリックの内容がわかってしまった、原因の作品でもあります。


葬儀を終えて


さよならドビュッシー


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