「運動会の準備の日、私はザ・ファントムギフトに取り憑かれた」第1回:運動会の準備 VS. ザ・ファントムギフト(エッセイ)
あなたは、ザ・ファントムギフトのことをご存じだろうか。
1980年代後半のネオGSムーブメントの雄と言われたバンドです。
ネオGSは、「のちの渋谷系シーンにもつながった」などとも言われますが、このエッセイでは、難しい音楽論や歴史的なことは抜きにして、私の個人的なファントムギフトとの思い出を綴っています。
1987年・秋
1987年9月21日、その日は月曜日。当時高校生だった私は、運動会の準備期間中だった。私の通っていた高校は「運動会」にやたらと力を入れていて、この時期の放課後は、その装飾の製作に毎日取り組んでいた。しかし、この日ばかりはそんなことはしていられない。
友人一人を誘って、市の主要駅近くにあるレコード店に行き、ザ・ファントムギフトのメジャーデビューシングル「ハートにOK!/太陽とベロニカ」を購入した。ちなみに、私に付き合わされた友人は、同じ月に発売されていたレピッシュの「パヤパヤ」を買っていた。
1987年といえば、私のような静岡県の高校生にも「インディーズ」というものの存在が認識され始めた頃だった。
インディーズチャートには、ザ・ブルーハーツの「人にやさしく」、筋肉少女帯の「高木ブー伝説」、BUCK-TICKのアルバム『HURRY UP MODE』などが名を連ねていた。
私がザ・ファントムギフトの名を知ったのも、やはりこの年。3月に自主制作のサードシングル「魔法のタンバリン」を発売しており、「9月にはいよいよメジャーデビュー!」という記事が、いくつかの雑誌に紹介されていた。
地方の高校生だった私は、東京(三多摩界隈)に思いを馳せながら、この日を待ちわびていたのだ。
ザ・ファントムギフトとは
ここで、ザ・ファントムギフトについて紹介しておきたい。
メンバーは、
ボーカルのピンキー青木、
ギターのナポレオン山岸、
ベースのサリー久保田、
ドラムのチャーリー森田。
1984年に結成。60年代後半の国内外のサイケ、ガレージパンクのカヴァーなどをレパートリーとしていた。
自主制作で、1985年には「ジェニーは嘘つき」、1986年には「夜空に消えたシンデレラ」をいずれもPLAYMATE RECORDSからリリースした。翌1987年には、インディーズのソリッドレコードより4曲入りのコンパクト盤「魔法のタンバリン」をリリース。ザ・コレクターズ、ザ・ストライクスと共に、当時一世を風靡した「ネオGSムーブメント」の代表的なバンドだった。
そして、いよいよ同年秋には、MIDIよりメジャーデビューシングルが発売されることとなったのである。
衝撃の「ハートにOK!」
と、いうことで、私が運動会の準備を抜け出して買いに行った「ハートにOK!」は、メジャーデビューシングルであり、翌10月に控えたメジャーデビューアルバムに先行して発売されたものだった。
その日の夜、自分の部屋でレコードプレーヤーの針を落とした瞬間、「あ、もうこれは、やられてしまった」と思った。理屈ではなく、あのときの自分には、もうこれ以上の格好良さは考えられなかった。B面の「太陽とベロニカ」も心をつかんで離さない。カセットテープに録音し、この2曲をひたすらに聴き続けた。
この「ハートにOK!」のレコードだが、その歌詞カードには、当時のアイドルのシングル盤などによくあったように、「リクエスト・ハガキを書いてね!」と、当時の人気歌番組「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」の宛先が記載されていた。
今思えば、この表記自体が本気なのかシャレなのか分からない。
しかし当時の私は、「これはまずい。ファントムギフトがみんなに知れ渡ってしまう」と本気で思ってしまった。
(第2回へ続く)
次回は、静岡という地方都市でひとりファントムギフトを聴き続けた高校時代から、“ファントムギフト不在の世界”のはじまりまでを振り返ります。
第2回はこちらです↓
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