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​『記紀』を「都合のいい証拠集」にしたくない

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はじめに


前回の記事で『記紀』を旅していて思うところを書きましたが、そのあとも、もう一つ、どうしても書きたい違和感があって、今回は、そのことについて率直に書いてみようと思います。

私がどうしても見過ごせないのは――『記紀』が“都合のいい証拠集”として扱われてしまうことです。

​一つの例をあげます。

​『記紀』の最初の頃には、天つ神、国つ神、土蜘蛛といった対置が描かれています。

​高天原の神々を「天つ神」、中でも天照大神につながる子孫を「天孫」とします。対して葦原中国あしはらのなかつくににいる在地の神々のことを「国つ神」と記します。出雲の神々や猿田彦神などです。また、まつろわぬ人々に対して、土蜘蛛や朱儒しゅじゅ(小人を意味する語)といった蔑称が使われます。

​神話の解釈は様々ですが、高天原を天上の世界ではなく、日本列島以外の場所に比定する考え方もあり、そのこと自体は、私も否定しません。しかし、それを手がかりに、「天孫は外から来た人々で、渡来人が国を作ったのだ」「天孫降臨は渡来の記憶なのだ」と語り、自説へ展開していく向きがあります。たとえば、徐福だったり、ユダヤの失われた十部族だったり、いろいろあります。

​私は、その語り方に、どうしても違和感があります。

​なぜなら、もし『記紀』を引くなら、本来は、その書物が描いた全体の構図を引き受けなければならないと思うからです。

​180万年前の時間軸を、どう引き受けるか

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​『日本書紀』、神武天皇即位年は、紀元前660年という解釈があります。そして即位前紀には、天孫の降臨から神武天皇の時まで、「一百七十九萬二千四百七十餘歲」とあります。ざっくり言えば、179万2470余年。かなり乱暴に言えば、天孫・瓊瓊杵尊ににぎのみことは180万年前に天下ったことになっているのです。

もし『記紀』を用いるなら、そこに描かれる“時間のスケール”も引き受ける必要があるのではないか、と思うのです。

 天つ神が、どこかから来たと言うなら、「それはいつのことですか?」と。

​180万年前の話は、『記紀』を肯定する人も、否定する人も、あまり触れたがりません。ちょっとどう説明して良いか迷うからです。

現代の科学や考古学の物差しをあてがえば、180万年前などありえない。
初期の天皇の寿命が軒並み百歳を超えることも、同じです。
こうした点にふれはじめると、何を言っても言い訳のように聞こえてしまう。だからこそ、多くの人はそこを避けたがるのだと思います。

​そして、否定しようとする人は、それを指して、だから『記紀』は信用できないと切り捨てるわけです。

​現代の物差しだけで過去を裁けば、『記紀』の内側にある論理は見えにくくなります。

​ここで大切なのは、「そんなはずがない」と笑うことではありません。私たちが目を向けるべきは、1300年前の編纂者たちが、それほど途方もない時間軸の中に自分たちの起源を位置づけようとした、その内なる論理です。

​ここで大事なのは、それが史実かどうかではありません。

編纂者は、この国の成り立ちを、天つ神(天)と国つ神(地)という構図で語ろうとしていた。まず見るべきなのは、そうした全体の構図です。

​全体の構図や、180万年前と記されることを横に置いて、都合のいいところだけを抜き出して、「○○が来てこの国をつくった」「日本人のルーツは○○」と言うのは、あまりにも都合がよすぎる。私はそう思うのです。

そうした話が、さも真実のように語られ、信じられてしまう背景には、多くの方が『古事記』や『日本書紀』を実際に読んだことがないこと、そして学校でもほとんど教えられないことがあるのではないでしょうか。

『記紀』編纂者が込めた想いというのは、簡単に言えば、「180万年前」という数字そのものに大きな意味があるのではなく、「はるか昔」に天照大神がいて、孫である瓊瓊杵命が天下り、その子孫がこの国を治めることに定まっている、ということですね。そして『記紀』編纂者は、そのことが太古の昔から今に至るまで、皇統として連綿と続いていると言いたいわけです。

​それこそが、天皇を中心とした律令国家を目指した『記紀』の中核にある思想であり、現代において、そうした考えに否定的な人が「政治性」という言葉で、記紀を遠ざけている最大の理由でもあります。

​ですが、確かな記録が揃ってくる時代から見ても、現実に千数百年もの間、この国は皇統を繋ぎ続けているという事実があります。神話の壮大な時間軸は、単なる絵空事ではなく、その後に続く現実の「時間の長さ」を担保するための、古代なりの厳かな宣言だったのではないかと思えます。

​応神天皇の五世孫として、継体天皇が記されること


さて、「いっしょに『記紀』を旅しよう」の連載も、応神天皇紀まで書き進めてきましたが、その先を見ていくとき、『記紀』編纂者の「連続性」への意志がもっともよく表れているのが、継体天皇の扱いです。

​『古事記』『日本書紀』はいずれも、継体天皇を応神天皇の五世の子孫としています。私は、ここに『記紀』編纂者の思いを見るのです。

​継体天皇は、決して「すぐ隣」のような近さではありません。血縁としてはむしろ、遠い。けれども、それでもなお、編纂者は継体天皇を皇統の外には置かなかった。遠くても、切れてはいない。そのかたちで、応神天皇へとつないでいる。

​私は、この書き方がとても象徴的だと思っています。

​もし編纂者が「皇統の断絶」として書きたかったなら、いくらでも別の書き方もあったはずです。逆に、意図的に近く見せたければ、もっと誇張した系図を作ることもできたでしょう。

​けれど『記紀』は、そうしなかった。あえて「応神五世孫」という、遠さも含んだ位置づけをした。

これを皆さんはどう捉えるでしょうか。少なくとも、『記紀』にそう書かれているという事実があります。
その記述を演出と見るのか、それとも実際に起こったことを踏まえたものと見るか。

​私は、この問いの答えを探すとき、歴史の事実か演出かという二択を超えた「ある意志の形」を想像してしまうのです。


​「不滅の法灯」がつながれてきたように


比叡山には、延暦寺の開山以来灯り続ける「不滅の法灯」があります。この法灯は、織田信長の焼き討ちによって本山の火が一度絶えたあとも、あらかじめ山形県の立石寺に分けられていた火(分灯)によって、再び現代へとつながれたと伝えられています。

​私はこの話に、ただの宗教史以上のものを感じます。

​大切なのは、「一度も危機がなかった」ことではなく、「危機があってもなお、連続を絶やさないという人々の強い意思があった」ことではないか。

​火を守るとは、今見えている目の前の炎だけを頑なに守ることではありません。その火が絶えぬよう、たとえ遠く離れた場所にであっても、どう分け、どうつないでいくかまで含めて、「守る」ということなのだと思います。

​私は、継体天皇を応神天皇五世孫として記した『記紀』編纂者の感覚にも、どこかそれに近いものを見るのです。

​近い火ではない。けれど、別の火でもない。遠くても、たしかにつながっている火として、継体天皇を記す。そこには、ただ系図を並べているだけではない、連続を絶やすまいとする意識が感じられます。


​変わらないからこそ、価値のあるものがある


いま皇位継承をめぐって置かれている現代の状況も、私はどこかそれに似て見えます。

​今週、国会で皇位継承をめぐる取りまとめが行われました。この記事でその制度論を論じることはしません。

​現代には、現代の価値観があります。けれども、それだけでは測りきれない制度や継承のかたちも、この国にはあるのではないか。私はそう思っています。

​時代に合わせて変えていくべきものも多くあります。外から来たものを受け入れ、組み替え、より良いかたちにしていくことも大切です。でもその一方で、「変わらないからこそ価値を持つもの」もあるのです。

​少なくとも、この国は、皇統を「長く変えずに継いできたもの」として受け止めてきた。そして千数百年間、日本列島に暮らしてきた人々も、その時間を見つめ、その流れを共有してきたということです。私は、その積み重ねてきた意志(連続性)の形そのものに、価値があると思っています。

​だから、『記紀』の読み方についても、同じ違和感を覚えるのです。

​都合のよいところだけを取り、1300年前に、この国の歴史を記した人の想いをわかろうとはせず、現代の価値観で整えやすいかたちだけにしてしまう。そうやって「使いやすい歴史のエビデンス集」にしてしまうとき、私たちは本当に大事なものを、自分の手で薄めてしまっているのではないか。そんな気がしてなりません。

​私は、歴史の川を遡り続けたい


私が古代史を語るとき、少し他の語り方と違うとすれば、いきなり「何が史実か」という正解探しをしない、という点にあります。

​まずは『記紀』という書物を入口として、8世紀の編纂者たちが、自分たちより遥か前の時代をどのように捉え、見つめていたのか。その彼らの視線を、私のスタートラインにします。だからこそ、書物に記されていることを、いったんは丸ごと受け止める。その上で、「なぜ彼らはこういう描き方をしたのだろう」と、彼らに寄り添うように考えます。

​歴史を一本の大きな川の流れとして捉え、少しずつ史料が増えてくる時代から、今にどう伝わっているかという形跡をたどり、その流路を確かめながら、一方で、流れをゆっくりと川上へ遡っていく。その遡行の果てにこそ、確かな推論の光が見えてくるのだと信じています。

​天孫は180万年前に来たことになっている。

天つ神に対して、地上は国つ神として描かれている。

そして継体天皇は、応神天皇五世孫としてつながれている。

​こうした、現代の私たちにとっては少し扱いにくいもの、簡単には説明のつかないものを、先に切り捨ててしまうのではなく、いったんそのまま受け止めてみる。

​すっきりしない。簡単に結論が出ない。

だからこそ、何度も読み返したくなる。だからこそ、土地を歩きたくなる。

​私が『記紀』を旅し続けている理由のひとつは、たぶん、そこにあると思うのです。



お知らせ


先日、ユネスコ諮問機関・イコモスが登録を勧告し、「飛鳥・藤原の宮都きゅうと」は、来月、世界遺産に登録される予定です。

そのタイミングに合わせるように出版した『飛鳥の風の人』も、現在発売中です。

 

そして、水月あす薫SIRIUSさんに教えていただき、『飛鳥の風の人』を国会図書館へ寄贈するために、昨日送付しました。水月あす薫SIRIUSさん、本当にありがとうございました。



歴史ものという、決して大きな市場ではないジャンルで、しかもペーパーバックで、宣伝もせず、無名の人間が本を出したところで、そう簡単に売れるわけはありません。

最初から「これで食べていこう」と思っているわけではなくて、ただ、お金をかけずに本にできるなら、一度やってみたい――その程度の気持ちで始めました。

けれど、その本が国立国会図書館に残るなら、それはそれで価値がある。そう思うと、俄然やる気が湧いてきました(笑)。

『飛鳥の風の人』に続き、現在執筆中の、『大道(おおじ)を歩く――蘇我馬子、聖徳太子、推古天皇の飛鳥』、そして『藤原の宮都(仮)』では、持統天皇や藤原不比等を書き、「飛鳥・藤原の宮都三部作」を形にしたあと、

これまでnoteで書き続けてきた、『記紀を旅しよう』シリーズの歴史エッセイも、本としてまとめたいと考えています。

その本を、百年後の誰かがふと見つけ、「こんなことを考えていた人がいたのか」と思ってくれたら――ロマンがありますよね(笑)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回は、応神天皇の皇子・菟道稚郎子うじのわきいらつこ和珥氏わにうじをめぐる妄想話を書きます。

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