おかあさんはひとりでいいのかも
唐突に、何の脈絡もなく
心の中で何かつぶやき始めるときがある。
今、それが始まってPCの前に。
タイトルは後でいいと思ったけれど
カモの画像を選んだので
このタイトル確定。
離婚はしたけれど、心の中で
義理の母として思い続けている
もう一人のお母さんという存在がいるけれど(故人)
自然界ではおかあさんの代わりは
特殊な状況に限られるし
かつての母系社会はとても自然だと思う。
おかあさんは唯一無二だという価値を
もっと大切にしたい。
母は甘やかされた人だった。
私は長女で、母に甘えず
父も忙しかった人だったから
甘えられる人はいなかった。
祖父母はいた。
甘えたかというとそうではなくて
甘えさせてくれる懐というよりは
子ども同士みたいな
…というのが、たった今
現在の私として思いがけない
祖父母の存在感の的確な表現。
夫である私の父が早く逝ったあと
母の老後の心配の解消要員は
娘の私一人しかいない…と
早い時期からその前提でいたと考えられる。
私が
母ひとりしかいないと思えば
もっと本気でぶつかって
うすうす感じていた母の老後の心づもりに
じわじわとのまれていくのでなく
母が自分の老年期をどう生きるか
本気の体当たりぐらいで
(でないと伝わらないので…)
対話や提案ができた方がよかったのではないかと
打ち始めた時はこんなこと考えていなかった。
さて、この先どうなるやら?
義母とのかかわりが居心地よく
同郷で双方の実家が徒歩10分という近さでも
帰省してもなかなか実家に足を運ばなくなった娘の私
離婚したので
やった、私のもの…みたいだったのではと
推測してしまった…。
というのは、私には弟たちがいるけれど
それぞれに結婚しており
ある時「息子は嫁のものだから」
…という言葉を
誰かとの雑談を小耳にはさむ形で
母の口から聞いていて…
弟のひとりは婿入り、一人は海外
実質母が世話になる対象ではないけれど
「嫁のもの」というのは
「自分のもの」を嫁にやった、という
感覚だったんでしょうね、多分。
おかあさんはひとりでいい、というのは
義理の母という立場から言うなら
実の親子が年を重ねながら
関係を成長させるのを助ける立場に立つこと
それを、息子側の母からでも娘の側の母からでも
おたがいにしあえるなら
世の中の人間関係がもっとよくなるのではと。
実の親子兄弟姉妹の不仲がよくあること
と容認されているのが悲しくて
これは私が長年、サルやリス、ツバメとかの
野生動物の親子の自然な愛情の絆に
近くで触れた機会に恵まれているからと思う。
これは幸せなことだけれど
今の時代の現実の中では生きづらさの理由にもなる。
何が自然で、何がそうでなくて…
そんなことをよく考える。
夫だった人のお母さんを
義理のおかあさんというのでなく
○○子さん、と自然に呼べて
離婚した後も
自然にお付き合いしたかった。
そんなことも考えてしまった。
マイクロキメリズムという
臍帯を介して行き来する母子間の細胞の共有を知り
その働きの解明の可能性が楽しみでいる。
全2回の記事で、2回目のほうが
具体的で興味深いトピックが、私の印象としては多い。
実の母とのことでは
苦しむことが少なくなかった私だったけれど
その苦しみは
お互いの細胞が呼び合って何か
大切なことを教えようとしていたのでは?
このnoteには介護家族時代の記事がたくさんあって
そこでの私は苦しそうには全然見えないと思う。
何かに突き動かされるように
やるしかない、という思いだったし
だんだんと「これは母のためじゃない
自分のためにやっているんだ」
という認識が強まっていった。
よくゲストハウスをに滞在していたころ
ゲストハウスで数日一緒に過ごした
海外からの女の子に
おかあさんといっしょってこんなかな
おかあさんみたい、うれしいな
…と言われ、私は嬉しくない
とても強い違和感が込み上げてきた…。
彼女がお母さんとうまくいっておらず
その時に、私は
彼女の話ばかりでよく知らないおかあさんと
目の前の無邪気な方との
どちらかの味方になる気にならず…
「あなたのお母さんはたった一人
おかあさんの喜怒哀楽の奥にあるものに
寄り添ってみたら
きっと
お母さんを知ることが
自分をもっと深く知ることにもつながって
ふたりともが豊かに年を重ねていけると思うよ。」
あの時の彼女にこんな言葉をかけられたら
…と
1時間前に始まった心のつぶやきが
思いがけない展開。
そして、続きが浮かんでいるけど
もう眠いので…。
あ!
かもさん、ありがとう。
言葉の流れを、あなたたちに助けられたかも。
・・・・・・
この投稿もそこそこ長いのですが
もっと長い続編を翌日に続けてしまいました。
お時間がございましたら
読んでやってくださいませ。
