見出し画像

「生き方のコツ」というマガジンを読んで学んだことまとめ


この方のマガジンに「生き方のコツ」と題して10本の記事がまとめられている。

最初はこの「子供と過ごすということ【生き方のコツ】」という記事を読んだのだが、情報量の多さに圧倒されるとともに、項目ごとにきちんと整理されてるのが凄くて、かなりの分量だったけど一気に読んでしまった。

こういう情報のまとめ方は自分が好きなタイプなので、そのマガジンに収録されている他の記事も一気に読んでしまった。

ただ読むだけでは自分の身にならないので、気になったところはスクショしてつぶやきという形で発信した。記事の中にある大量の情報の中から自分のフィルターを通じて必要だなと思ったのが、全部で73個あった。

つぶやきという形でただ垂れ流すのは良くないので、厳選したうえで自分も記事にしてまとめていきたいと思う。




・自信を奪う人がこの世で一番悪い人なんやで。



これは結構なるほどと思ったし、TEDで有名な植松さんを思い出した。


【名言】がんばれないとうばうようになる

がんばれないとうばうようになる


それを思うと、個人的にはやはり小6の時の担任の先生であるH先生からたくさんの自信をつけてもらったなと思う。

そして、登園降園と食事以外が子ども達の主体的な遊びによって作られている森の幼稚園ってのは、子ども達の自信をつけるのにピッタリな教育方法だと思う。木の上でバランスが取れた、昨日より木登りが高くなった、昨日より大きな石を運んだ、遠くまで石を投げた、たくさん走った、昨日より長く隠れることが出来る場所を見つけた…などなどなど。子ども達が自信を持つ機会を森という環境が構成し、自由と主体性を尊重した先生達が安全性を担保していると思う。

親や先生が自身を奪ってしまうような人だったら、それは地獄のようなもん☟


こういう思考が出来てれば、相手にマイナスなことを言われても折れないメンタルが持てると思う。


いじめが自殺の原因になりやすいが、この「自殺の恐ろしさ」を読んだら、自殺そのものに恐怖を持てると思う。自殺を希望の光として見てしまうとそっちに行ってしまうので、この文章みたく、「身体を投げ出した時に人生の大切さに気付いても、時すでに遅し状態で、悔いを持って死んでしまう」のは避けるのが賢いと思う。


・声掛け1つで人生に多大な影響を及ぼす


自身を奪わない為にも、この鉄則はちゃんと実践で使っていきたい。結構真逆の時があったかもしれない。例えば、褒める時は「この絵凄いなあ」と言ってモノを褒めて、叱る時は「〇〇、ちゃんとしろよ」みたいに人を叱ってたかも…


自分が発した何気ない一言がその子にとって一生残る言葉になることがあるので、子どもを相手に話す時は慎重にならないといけないし、普段からきちんとした言葉を使っていればそこまで大きく外すことは無いと思う。



良い言葉かけは良い気分から生まれると思う。悪い気分の時に、相手に対して良い言葉をかけれるわけがない。子どもと接する際は常に良い気分で入れるように自己コントロールできる能力が必要。


「真に笑がおの人でなくては幼児の友になれぬ」ということを終始忘れないでおります。・・・不平ということを聞いたことがありません。不機嫌な
顔色を見たことがありません。
どんな寒い日でも暑い日でも、風邪の日も雨の日も、どんな忙しい疲れた日でも、この幼稚園の子どもは先生方の額に八の字のよっているのを見ることはありません。・・・健康の具合とか、特別な事情とかで、どうしても心のさえざえすることの出来ないような時は、ここでは遠慮なく休んでいいことに先生からいい渡されてあります。その代わりに子供に接している以上は、機嫌の悪い、活気のない、いやいやながらというような顔付は固く禁物になっております。(幼稚園雑草(上)p98~99)

②倉橋惣三流!「子どもと遊んでるだけ」と言われた時の言い返し(幼稚園雑草を参考に)


子どもの頃のトラウマは大人になってからも影響は大きいが、逆を言えば、良い影響も大人になっても続くということ。良い影響を与えられる先生として生きたいのは当然。

悪い影響☟

良い影響☟


ただ、子どもによって受け取り方は様々なので、全ての子どもにとって良い声かけは難しい。その子の持っている『色』に合った声かけをして、素敵な色になるように対応していきたい。


「ほうれんそう」は知ってたけど、「おひたし」は知らなかった。


「なぜ(why)」よりも「何(What)」の方が分かりやすいのは、サイモンシネックがTEDで説明してた。子どもの頃はこれで良いと思うけど、成長していくにつれて、しっかりとWhyを認識して、伝えられるようになって欲しいなとは思う。


・違う世界に思いを馳せる



個人的にはこういう「外を見る」のが大事だなと思う。

で、なんか美徳として「置かれた場所で咲きなさい」って言われるのは、昔から全然好きではなかった。その理由は以下の通り☟


そうやって、苦しいことのおかげで「外の世界を探検する行動力」を身につけることが出来て、その結果としてその力が仕事に生かされるのだと思う。エスカレーター式に何も考えず、主体的に行動してこなかった人達と比べて強くなるのは当然の結果だと思う。


・結局は人間関係



「苦手な人は必ずいる」ってのは、自分もそう学んだ。

「皆違ってみんなキモい」って思うしかないか…?笑


人生の最後に話すことは「人間同士の絆」らしいので、まぁ、自分が納得する形を選んでいくしかないかなと思う。


夫婦になるから良い人間関係が保証されるのではなくて、夫婦になるのがスタートラインで、その後は互いが努力しながら良い関係を維持していかなければならない。夫婦だけじゃなくて、全ての人間関係に当てはまることだと思う。


・体罰は脳に影響を与える


「殴れば考え方や行動を変えられるっていうなら、僕、それを言ってる人を殴って考え方が変わるか試してみたいです」っていう切り返しはごもっともすぎる。


泣いた時に放っておくってのも結構ヤバそう…


・学校では自分の価値観を作れ


相手ばっかり見て自分のことを見てないから、自分のことが分からなくなる。自分はそのことを高1の頃に思って、自分を殺して他人の目を気にしながら形式的にはグループに所属するか、それとも自分を守って他人の目を気にせずに生きるかを考えて、後者を決断した。個人的にはあの時に前者を選んで他人の目を気にしながら生きていたら、その生き方が染みついていたと思うから、今の自分は存在していなかったように思う。

というか、小学生の頃に日体大の歩行のやつを見て、なんか違和感を感じる自分だったし、「一人一人違うハズなのになぜ同じことをしなければならないのだ?」と思っていたので、そういう下地があって良かったなと思う。

他人と同じでないと不安(画一化神経症)ってよりかは、個人的には、「他人と一緒である」ということに不安を覚える。その意味では「他人と差をつけて優越感を感じたい」という差別化神経症になるんだろうけど、個人的には、差別化して優位に立とうではなくて、「元々が差別化されてるでしょ」っていう感覚なので、優越感のへったくれも無い。元々が差別化されている状態が0なんだから、そこから優越感が生まれるはずがない。


この研究について個人的に思うのは、「妻の主張を間違っていると思おうが不満を言うことは許されない」のであれば、そりゃあ幸福感はダダ下がりでしょうよということ。自分の意に反したことをやっているのだから当然の結果。従順かそうじゃないかという夫のタイプは関係なくて、「自分の信念に背いたことをやっている」というのが一番の不幸の元だと思う。

違うことには違うと言える関係が良いというだけの話では?


上記で書いたグループの話も、一度グループに入ってしまえばそこにしがみついて生きていくことになり、グループ内の人の気持ちを損ねない為にも自分に嘘をついて、自分のホンネとは違うことを言って場を保つことになるだろうと予測できた。だから自分は、それが嫌でグループで群れるのは拒否した。

『学校のいちばんいいところは「興味がないこともむりやり勉強させられる」ことだ。独学でいちばん難しいことがそれだからだ。』という文章には納得。それが出来るからこそ、自分の価値観がより明確化することが出来る。好きな事ばっかりやってて「これが好きです」って言うよりも、「これを体験して自分は好きだということが分かって、あれを体験して自分は嫌いだということが分かりました」の方が結構強いと思う。


・育児の最大の敵は「こだわり・完璧主義・神経質」


「子どもは学校に行かなければならない」というこだわりを持っていたら、「休んじゃおっか」という言葉は出ないだろう…


・魔法の話し方:否定しない、命令しない、気持ちに共感、大人の気持ちを伝える



いいなと思ったら応援しよう!