「つなぐ」という行為の、目に見えない責任 |宮古島の橋が教えてくれた「境界線」の理(ことわり)
宮古島の海を貫いて伸びる橋を走るのは、えも言われぬ心地よさがあります。エメラルドブルーの海に囲まれ、まるで車のCMの中にいるような開放感。
しかし、3万人以上の身体を診てきた「身体感覚」の視点からその景色を眺めると、そこには単なる観光地の美しさとは別の、ある「危うさ」が見えてきます。
物理的に道が繋がるということは、同時に「目に見えない境界線」が失われることでもある。
今回は、私が宮古島で実際に体験したエピソードをもとに、現代の私たちが忘れかけている「つなぐことのリスク」と、自分を整えるための「境界線」についてお話しします。
景色は美しい、けれど身体は「拒絶」していた
1990年代以降、宮古島は周辺の伊良部島や来間島(くりまじま)、池間島と大きな橋で次々と結ばれました。さらに下地島には新たな空港もでき、人や物の流れは劇的にスムーズになりました。
一見、便利で素晴らしい進化に思えます。しかし、私が実際にその橋を渡ろうとしたとき、身体は予期せぬ反応を示しました。
橋のちょうど真ん中あたりに差し掛かったときです。 急に胸が締め付けられるように苦しくなり、心臓に刺すような痛みを感じたのです。「なんだ、これは」と。
私の身体が、「この先にあるエネルギーは異質だ」と強烈な警告を発していました。
「橋」がもたらす、異質なエネルギーの流入
古来、橋というものは「あの世とこの世」を繋ぐ象徴でもありました。 物理的に島が繋がるということは、その島が長い年月をかけて守ってきた固有の風習や、あえて封印してきたエネルギーまでもが、境界を越えて混ざり合ってしまうことを意味します。
宮古島周辺の各島には、それぞれ独特の文化や、あるいは「海賊」に象徴されるような外から来るエネルギーをブロックする独自の仕組みがありました。
しかし、橋がかかり、さらに巨大な飛行機が頻繁に行き来するようになったことで、そのバランスが崩れ始めています。巨大なエネルギーが動く場所には、それを「燃料」として利用しようとする、ある種の「歪み」が引き寄せられてしまうのです。
土地の風習と「澱(よど)み」の正体
私が違和感を覚えた島を調べてみると、やはりそこには他の島とは異なる、独特な風習が残っていました。
専門的な言葉を使えば、それは「澱(よど)み」のようなエネルギーを集積させてしまう構造です。かつては島の中に留まっていたその重い感覚が、橋という経路を通って全島へと波及し、身体の不調として現れる場所が増えていたのです。
私はその時、何もない場所に車を止め、懸命にその場の浄化を行いました。 何も食べず、ただその場所を「整える」ことに集中し、ようやく宮古島へと戻ることができたのです。
私たちの日常に潜む「不自然な橋」
これは、島や橋だけの話ではありません。 現代の私たちは、インターネットやSNSを通じて、24時間誰かと、あるいは膨大な情報と「繋がって」います。
便利さの裏側で、私たちは自分を守るための「境界線」を、あまりにも簡単に取り払ってはいないでしょうか。
相手側のものを、準備ができないまま受け入れていないか
便利さと引き換えに、自分の「内側の感覚」を麻痺させていないか
「鍛える」よりも「整える」ことが大切な今、最も必要なのは、何と繋がり、何と距離を置くかを見極める力です。
「整える」とは、境界線を守ること
身体の不調は、多くの場合、自分ではない「外側のエネルギー」を抱え込みすぎた結果として起こります。
もしあなたが、原因のわからない重だるさや、心のざわつきを感じているのなら、一度、自分の中に架かっている「不自然な橋」を点検してみてください。
適切な境界線があるからこそ、私たちは自分本来の健やかさを保つことができます。 10年後も健やかな身体でいるために。 まずは自分の感覚を信じ、自分にとって心地よい「距離感」を取り戻すことから始めてみましょう。
