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「わかることは悲しい 」― 『マイ・ディア・ミスター』と父の孤独


①「真面目な無期懲役囚みたい」と父の面影

 『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』の第四話で、若い派遣社員のジアン(IU)は、部長ドンフン(イ・ソンギュン)「真面目な無期懲役囚みたい」と言う。
 その言葉が、私の心に深く響いた。なぜなら、その言葉の中に亡くなった父の面影を見たからだ。 
 その言葉は、残酷なほど本質を突いていた。ドンフンは、責任感が強く、周囲のために生きる。そんな人ほど、自分の人生を後回しにしてしまう。
 父にもそういうところがあった。自分の幸福は常に後回しにして、他人や周囲の人には優しく、家族のため働きに働いた。
 それゆえ誰からも「いい人」と言われた。

②なぜ、このドラマに入り込めなかったのか

 韓国ドラマには復讐劇や格差社会を描いた作品が多い。不条理な現実に苦しむ主人公が、格差社会の中で逆転していく。その物語構造は強い没入感を生む。最初、このドラマもそのタイプのドラマだと思った。
 2018年のドラマだが、見終わったのは最近だ。なぜなら私は以前、3話まで観たものの入り込めず、途中で視聴をやめていたからだ。
 建設会社での次期社長を巡る内部抗争にも、ジアンへの借金取りの暴力的な行為も、彼女のお金を得るための犯罪的な行動も、全部共感できずに視聴をやめた。ただあまりの評価の高さに気になり続けていた。それでやっと視聴を再開した。

③第5話「いい子だな」で心を掴まれた

 ドラマの印象が大きく変わったのは5話からだった。
 5話で、祖母が、窓際に寝床を変え、その理由をジアンに手話で語る。
「月が見えるかと思って」。ジアンはスーパーのカートを押したまま夜道を駆け出す。それをドンフンが目撃し、追いかける。
 ジアンは祖母をカートに乗せ、階段を一段ずつ下っていた。
 ドンフンは理由も聞かず、一緒に祖母の乗ったカートを道まで運ぶ。
 そしてジアンはカートを高台の道路に運び、祖母と満月を見る。
祖母がドンフンの事を「優しい人」だと手話で語る。ジアンは「裕福な人たちがいい人になるのは簡単」とそっけなく答える。
 月を見終えたジアンと祖母は、再び階段のある坂道へ戻る。
 そこにドンフンが待っていた。そしてドンフンは祖母を背負い、急な石段を登り、家まで運ぶ。
 ドンフンは祖母を布団に降ろし、何も言わず部屋を出る。するとジアンも出てきてうつむいている。彼女はお礼も言えないまま黙っている。
 長い沈黙の後、ドンフンがジアンに言う「いい子だな」。ジアンは動けないまま、彼の後ろ姿を見つめ立ち尽くす。
 この一言で、ジアンの心を覆っていた硬い殻に初めて亀裂を入れる。

④「わかることは悲しい」と父の孤独

 なぜドンフンはジアンにやさしくしてしまうのか。
 ジアンの心の奥が「わかる」とドンフンは語り「わかることは悲しい」とつぶやく。
 父は養子だった。そのせいか、母の両親と同居する家ではどこか居心地の悪い他所の人のような感じだった。狭いキッチンテーブルでは、祖父と父は別々に食事をした。
 居間で家族はドラマやバラエティを見て、父は深酒をして、隣の部屋で野球中継や映画を見た。私はよく父と一緒にテレビを見た。
 母の実家で同居の原因を作ったのは自分だった。父がダム勤務をしていた場所は山奥で人里から離れた場所が多い。それゆえ学校に通うのがバス通学になる。幼稚園の時、バス通学で途中乗り換えもあり、乗り換え時に私が交通事故に遭った。それで、ダムの社宅から学校に歩いて通える母の田舎に転居した。
 父は42年間、家族のために働き続けた。定年を迎えたら「うどん屋」をやりたいと言っていた。しかし最後まで勤めきる前にうつ病になり、回復することなく、病気で亡くなった。
 私も年を重ね、今になって、父の心の空白や虚無感が「わかる」
そして「わかる」ことが、たまらなく「悲しい」。 

⑤「ファイティン」人は理解されることで救われる

 ドンフンはその後、妻が大嫌いな後輩社長と不倫関係にあることを知る。兄弟は失業し清掃業を始めるが、母は彼だけを頼りにする。彼は部下からも信頼を失いバラバラになりそうになる。精神的な窮地に追い込まれ、彼は雪の降る踏切の前で倒れ、死ぬことさえ考える。
 常に心の声を聞いていたジアンは、そんな彼にそっと「ファイティン」と声をかける。
 この言葉で、ドンフンが固く閉ざしていた心の堤防が崩れる。
「いい子だな」「ファイティン」この二つだけのセリフで、二人の心の奥の何かにひびが入り、壊れ、それを解放し、良い方向に向かおうと決意する。
 ドンフンが「幸せになろう」と決意し、ジアンも「幸せになる」決意をする。それは単純に二人が結ばれるという恋愛物語ではない。
 一人の人間と一人の人間が出会い、心の奥に触れ、共感し、決意し、新しい行動へとつながる。
『マイ・ディア・ミスター』は、人と人が深く共感することで再び生きる力を取り戻していく救済の物語だった。人は理解されることで救われる。

⑥父に言えなかった「ファイティン」

 若い頃の私は、父の深い気持ちなど何も考えもしなかった。時にやさしく、時に不機嫌で、深酒をする父しか知らなかった。
 父は、戦争中に小学生で、ただ兵隊になって死ぬことばかりを考えた。
子供の頃に芋ばかり食べていたためか、父は芋をほとんど口にしなかった。
 いつも無口でただ周囲の人には優しかった。雪が降れば、周囲の家の前まで雪かきをした。中学の途中で、叔父に勧められ電力会社に就職した。
 父は自分の幸せのために、自分の稼いだお金を使わずに亡くなった。
 父と酒を飲みかわし、深く理解し、父と母に出来る限りの親孝行がしたかった。
 ドラマの中で、ドンフンがジアンとビールを飲みかわし「幸せになろう」と言った時、涙が止まらなかった。
 父にも長生きをして、父と母、二人で「幸せ」になってほしかった。
心の病気になる前に「ファイティン」と声をかけたかった。
 今なら、父が時々見せていた沈黙の意味が少しわかる。
 真面目に働き、人に優しく、自分のことを後回しにして生きた父。
 私は、あの頃、父の孤独を理解しようとはしなかった。
 『マイ・ディア・ミスター』を観て初めて、父もまた「真面目な無期懲役囚」のような人生を生きた人だと知った。
 わかることは悲しい。
 ただ、わからないまま終わるよりはよかったのかもしれない。

IU(アイ・ユー)作詞で、本人歌唱のドラマ挿入歌「Dear Moon」

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