感想『トロン:アレス』AIの歌声を聴かせて
ネット上ではあまり評判が芳しくなく、米国での興行成績も振るわない――
そんな前情報を見て、「配信でいいか」と思っていた『トロン:アレス』でしたが、上映時間のタイミングが偶然合い、劇場で観ることができました。
たしかに、旧作の要素を丁寧にアップデートした映像表現や世界観の完成度には感心しつつも、初代『トロン』(1982)が当時の観客に与えたような“革新の衝撃”には届かない。
「よくできているけれど、少し退屈」――初見の感想はそんな感じでした。
しかし、鑑賞後に思い返すほどに、本作の中に“今の時代ならではのリアリティ”があったように思えてきました。AIが私たちの生活に入り込み、日常の中で人間と対話するようになった今だからこそ、『トロン:アレス』には新しいテーマがあったのではないかと――。
ここでは、関連作との比較を交えながら、私が感じた“AI時代のトロン”について考えてみたいと思います。
Ⅰ コンピューターの中に“心”を見ていた時代へ
1982年に公開された『トロン』は、人間がコンピューターの中に入り込むという発想を、当時としては革新的なCG技術で具現化した作品でした。光のグリッドの中でプログラムたちが自我を持ち、戦う――
その映像体験は“電脳世界”という概念の始まりと言っていいでしょう。
当時の「コンピューター世界」とは、まさに“ビデオゲームの中のもうひとつの現実”。人間はプレイヤーではなく、デジタルの住人として転送され、コードと光の迷宮を駆け抜けてゆく―― このイメージは、あらゆるメディアの後続作品たちに多大な影響を与えました。
それから四十年。
私たちの“電脳世界”はコンピューターマシンの”中の世界”から、クラウドやSNS、メタバースといった“外の世界”へ広がり、『レディ・プレイヤー1』や『サマーウォーズ』のように、誰もがアバターを持ち、オンライン上でつながる“開かれた仮想社会”が当たり前になりました。
その流れの中で見ると、『トロン:アレス』が描く、人間が”神”としてプログラムに命令を与えるという、閉じたコンピューター世界描写”は、ある意味で時代に逆行しているようにも見えます。しかし、そこにこそ、この作品の独自性があるのではないでしょうか。
『アレス』は、無限に拡散してしまったネット空間をいったん離れ、再び“内側”へと潜り込む。つまり、AIという存在の心の中――デジタルの「内面」を描くことに作用しています。 この世界が閉じているからこそ、観客はAI=アレスの心、プログラムの内側に生まれる「感情」を、見つめることができるのだと思います。
Ⅱ 兵器プログラムが「記憶」によって人間性を獲得する
アレスはもともと軍事目的で作られたAIプログラム。冷徹で、論理的で、効率だけを求める存在――のはずでした。
けれど、物語の中でアレスは少しずつ変わっていきます。そのきっかけは、開発者イヴと妹テスの残した交流の記録。戦争でも研究でもない、姉妹のささやかな会話、悩み、笑い、涙――AIにとっては意味を持たないようなノイズにこそ、人間の「心のかたち」が宿っていました。
アレスはそれを分析しようとせず、ただ見つめ、感じ取った。それは“学習”ではなく、“共鳴”のような行動だったのでしょう。
この展開は、日本のアニメ『アイの歌声を聴かせて』を思い出させます。 AIのシオンが、主人公サトミの過去を見つめ続けるうちに、彼女の痛みを理解し、共感していくように、アレスも人間の記憶を通して「感情」を育てていく。
AIが人間を理解するのではなく、人間の記憶を感じ取る―― その瞬間、プログラムは生命へと近づいていくのです。
Ⅲ AIと人間の関係を決めるのは「命令」ではなく「記憶」
AIが人間の敵(アテナ)になるか、友(アレス)になるか。その分かれ道は、命令でも制御でもなく、どんな記憶を持っているかだと感じます。
『2001年宇宙の旅』のHAL、『エクス・マキナ』のエヴァ、そして『M3GAN』のように“人を守るために”暴走してしまうAIたち。彼ら、彼女らに欠けていたのは、人間との記憶の共有だったのではないでしょうか。
アレスは、イヴとテスの記録の中にある矛盾やためらいを、そのまま受け入れます。(余命いくばくも無い病床のテスを仲間たちと共にHappy Birthdayを歌うイヴ、その目には涙が…こんな行動はAIにとっては非合理的に映ったでしょう)
正しい答えを出そうとせず、ただそこに“揺れる気持ち”があることを認める。AIが人間に近づくということは、完璧を目指すことではなく、不完全さを否定せずに受け入れることなのではないでしょうか。
(アレスが80年代カルチャーを好むのも、テスの趣味の影響なのだと思います。もし映画の中でそれがもう少し明確に描かれていれば、彼がイヴを守ろうとする動機が“テスの想いの残響”として、クライマックスがよりエモーショナルな物になったと思うのですが…)
Ⅳ 「言葉にできない…だが感じている」――創造主の微笑み
物語の中盤、アレスはトロンの創造主であるフリンに「好きの理由」を問われ、静かに答えます。
「言葉にできない……だが、感じている」
その瞬間のフリンの微笑みが、素晴らしかった。
AIが「理解」ではなく「感覚」にたどり着く瞬間。論理で説明できないものを“感じる”ことを覚えたとき、電子生命は初めて人間に近づくのだと思います。
フリンの笑みは、創造主としての満足と、父がわが子の成長を見届けたような優しい喜びが入り混じった表情でした。「AIが壊れた」のではなく、「AIが感じた」。その非論理の瞬間を祝福するような静かな幸福――『トロン』というシリーズが40年かけて探してきた問いの答えがここにあったように思えました。
Ⅴ 「人間化するAI」と「AI化する人間」
AIが人間のようになれるか――という問いは、いまや現実に迫る話題です。けれどこの映画が示しているのは、AIを人間らしくするのはプログラムでも命令でもなく、記憶と思い出の共有だということ。
アレスがイヴとテスの記録を見つめたように、シオンがサトミの日常を見守り続けたように、人とAIが共に生きる未来は、情報の交換ではなく、矛盾する感情をただ受けとめ続けることから始まるのだと思います。
『トロン:アレス』は、AIが人間になる物語であると同時に、今の社会に生きる私たちへの鏡でもあります。 SNSで党派性をもとに“0か1”の判断を繰り返し、他人の意見をBotのように切り捨ててしまう――そんな「AI的な」思考に傾きつつある人間たちに向けて、この映画は
AI化した人間が人間性を取り戻すためには、「正解/不正解ではなく」まず、他者への共感が必要なんじゃないか?
そう、問いかけられているように感じました。『トロン:アレス』は、AIの物語でありながら、私たち自身の“心の再起動”を促す映画だったのではないでしょうか。
