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映画『HOW TO BLOW UP』に見るトランプとグレタ・トゥーンベリの影響

「地球温暖化はデタラメだ」――ドナルド・トランプ大統領はそう言い続けている。だが、科学的にはそれは完全に誤りだ。

CO₂濃度の上昇、気温の上昇、氷床の融解、海面上昇――そのすべてが、人間の活動による温室効果ガスの排出に起因していることは、国連IPCCをはじめ世界中の研究機関で確認されている。


■NASA(アメリカ航空宇宙局)公式サイト

出典: NASA Global Climate Change: Evidence
NASAは、「地球の温暖化は明確に進行しており、その主因は人間活動によるCO₂などの温室効果ガスである」と断言しています。
主な根拠は次の通りです。

  • 産業革命以降、CO₂濃度が280ppm → 420ppm超に上昇。

  • この上昇と地球平均気温の上昇が時間的に一致

  • 人為的なCO₂排出量を除外した気候モデルでは、現在の気温上昇は再現できない。


■NOAA(アメリカ海洋大気庁)

出典: NOAA Climate.gov – Climate Change: Atmospheric Carbon Dioxide
NOAAは、CO₂がどのように熱を閉じ込めるかを図解で解説しています。

  • CO₂は赤外線(熱エネルギー)を吸収し、大気中に熱を滞留させる。

  • これは19世紀の物理実験(スヴァンテ・アレニウスによる)以来、確立した物理現象。

  • 現在の大気中CO₂濃度の上昇は人間活動(燃料燃焼・森林破壊)が原因であることが同位体比分析で確認されている。


■IPCC 第6次評価報告書(2021年)

出典: IPCC AR6 Summary for Policymakers (2021)

“It is unequivocal that human influence has warmed the atmosphere, ocean and land.”
「人間の影響が大気・海洋・陸地を温暖化させていることに疑いの余地はない。」

https://www.un.org/en/global-issues/climate-change

IPCCは195カ国が参加する国際的科学評価機関で、数千本の論文を分析したうえで上記を結論づけています。つまり、世界の科学者コミュニティの97%以上が「人為的温暖化」を支持しているという統計も、ここから生まれました。



…それでもアメリカでは、気候変動を否定する声が一定の支持を得ている。
その理由は単なる“無知”ではなく、司法や政治が機能しない現実への諦念と、巨大な産業構造がもたらす倫理の麻痺にある。

アメリカ南部の油田地帯や精製施設周辺では、いまも環境汚染によって健康被害を受ける住民が数多く存在する。だが、企業ロビーの圧力によって、訴訟はことごとく握りつぶされる。司法が機能せず、健康被害者たちの助けを求める声に政治は沈黙している。

この不条理こそが、『HOW TO BLOW UP』が生まれた土壌である


本作に登場する若者たちは、感情に任せて爆破を企てるテロリストではない。彼女らはこの“機能しない正義”の中で、最後に残された手段としてパイプライン爆破という倫理的アナーキズムを選ぶ。
彼女らの計画は緻密で、「誰も殺さず」「環境を汚さず」「システムだけに打撃を与える」。その冷静さと計算の裏には、司法に裏切られた者の切実さがにじみ出ている。

ーーーーここからはネタバレーーーー













この映画が驚くべきなのは、彼らのテロ計画が「成功する」ことだ。暴力が倫理的に肯定されるテロ映画は、これまでほとんど存在しない。
かつて映画で描かれる若者たちが企てるテロは、常に暴力と悲劇へと回収された。 破壊は“悪”であり、怒りは“自滅”を招くものだった。

だが『HOW TO BLOW UP』では、爆破が社会に連鎖してゆく影響を残して終わる。それは破壊の成功ではなく、「倫理的抵抗の成功」として描かれている、それはなぜだろう?


■ 映画史的背景:70年代の怒りが失敗に終わった理由

この映画の真価を理解するには、1970年代に作られた“怒りの映画”たちを思い出す必要がある。『Z』(1969/コスタ=ガブラス)や『The Revolutionary』(1970/ポール・ウィリアムズ)、日本では『天使の恍惚』(1972/若松孝二)、『青春の殺人者』(1976/長谷川和彦)など――
いずれも社会への怒りを抱えた若者たちが、暴力へ向かい、そして敗北していく物語だった。

当時の世界はベトナム戦争、学生運動、公民権闘争といった社会変革のうねりの中にあった。だがその理想は、国家権力の強大さと内部分裂によって崩壊していく。怒りは爆発するが、どこにも届かない。
その結末はほとんどが“悲劇”か“虚無”であり、暴力は「何も変えられなかった」という冷たい余韻を残して終わった。

特に『ドイツの秋』(1978/ファスビンダーほか)は、赤軍(RAF)の実在事件を題材にし、理想が体制に吸収され、怒りが孤立と恐怖に変わっていく様を描いている。70年代のテロ映画とは、つまり怒りと自壊の映画だったのだ。

発表年は後になるが、同様に「環境テロリズム」を扱ったポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』に登場する活動家パーフィディア・ビバリーヒルズは、自己の情動のままにテロを繰り返す“70年代的ステレオタイプの活動家”として描かれている。

『HOW TO BLOW UP』の若者たちの冷静で戦略的な行動と比較すると、アンダーソンの描く活動家像がいかに「怒りのアップデート」に失敗しているかがよくわかる。同じ“環境テロ”を扱いながら、ひとつは過去の亡霊に取り憑かれ、もうひとつは未来への倫理を模索している――その差は象徴的だ。

それに対して『HOW TO BLOW UP』は、半世紀を経て「怒り」を感情から戦略へと進化させた映画である。彼らは情熱のままに拳を振り上げるのではなく、「誰も殺さない」「環境を守る」「倫理を壊さない」ために行動する。
この冷静さは、かつての世代が持てなかったものだ。

怒りを制御し、設計し、戦術として練り上げる――そこに、この映画の“Z世代的革命描写”の新しさがある。


■ グレタ以後の怒りは「理性のデザイン」へ

この構図の背後には、明らかに活動家グレタ・トゥーンベリの存在がある。
2018年、彼女がスウェーデン議会前で始めた「気候のための学校ストライキ」は、SNSを通じて瞬く間に全世界へ広がった。
「私たちの家は燃えている」という彼女の言葉は、Z世代の合言葉になった。グレタは暴力に訴えず、可視化と連帯によって社会を動かした。
その姿勢は、『HOW TO BLOW UP』の登場人物たちにも通じる。
主人公ソチトルが女性であることにも、グレタの姿の投影が感じられる。

ソチトルたちはSNSの力を借りて情報を共有し、行動を設計し、仲間と繋がる。彼らの爆破計画は、まるでグレタ世代の活動が極限まで先鋭化した姿のようだ。怒りを世界へ向けて“拡散”する代わりに、怒りを“設計”し、“実行”する。

この冷静さは、過去のテロ映画が描いた激情とは対照的だ。
70年代の過激派は理想に殉じて自滅し、
90年代の反体制映画は消費社会の虚無に飲み込まれた。だが『HOW TO BLOW UP』の若者たちは、理想を「戦略」に変える。

彼らは怒りのままに動くのではなく、“誰も殺さずに社会を止める”という倫理を徹底して守る。その冷徹さには、グレタ以後の世代が育んだ新しい社会正義の感覚が宿っていると感じる。


■ 暴力の代わりに倫理が残る時代へ

この映画を観ていると、私はふと恐ろしくなる。
それは「暴力を肯定する映画なのか?」という単純な問いではなく、「なぜ、暴力以外の手段がここまで無力になってしまったのか?」という疑問が胸に迫るからだ。

そこには、トランプ的な“否認の政治”が作り出した深い絶望が横たわっている。 温暖化を否定し続けることで、現実の問題は先送りされ、焦りだけが社会の地層に沈殿していく。その堆積が、今、映画の中で“爆破”という形を取って噴き出したのだ。

『HOW TO BLOW UP』は、テロを礼賛しているわけではない。むしろ、「ここまで追い詰められたら、爆破するしかない」という倫理的臨界点を示している。そして、その臨界点を作り出したのは、政治の不在であり、司法の沈黙である。誰も動かないから、爆破だけが動かせる――それがこの映画の示した冷たい現実だ。

結局のところ、映画の中で爆破されているのは石油パイプラインではなく、機能不全に陥った民主主義そのものなのかもしれない。 そしてフィクションではあっても、その爆破を成し遂げたのが、怒りを理性に変えた若者たちだった。

『HOW TO BLOW UP』は、グレタ以後の世代の「怒り」が成熟した時代のテロ映画であり、同時に、“政治が不在の世界で倫理を取り戻すための寓話”として記憶されるべき一本である。


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