円谷はウルトラマンの「熱量不足」をどう見ているのか
先日、ウルトラマンファンとしては気になる、円谷フィールズホールディングス(以下、円谷FHD)の発表記事がありました。
円谷FHDが公表した中期経営計画の記事を読んで、まず印象的だったのは、その自己認識の率直さでした。
大人ファンへの関心度においては、2022年公開の『シン・ウルトラマン』で一時的に関心度が高まったものの、その後は横ばいに転じGoogleトレンド検索量で「有名特撮の関心度水準」と比較すると低水準にあると紹介した。
また、主要ターゲットである3〜6歳の「子どもへのリーチ」も十分に確保できていないことが指摘されており、引き合いに出されたTV世帯視聴率推移において、直近の同作は0.4%だったのに対し、「小児向け裏番組」は1.8%と乖離しているとも言及。
ウルトラマンは“母国”日本で、ファン獲得と熱量の維持が十分にできていない。大人ファンの関心は『シン・ウルトラマン』で一時的に高まったが、その後は横ばいに転じ、主要ターゲットである3〜6歳へのリーチも弱い。海外、とりわけ中国市場では一定の成功がある一方、日本ではシリーズの土台が揺らいでいる。円谷側は、かなりはっきりそう認めたわけです。
この認識は重いと思います。
ウルトラマンは、本来「日本の子どもが毎週見て、その親が付き合い、やがてその子どもが成長して大人になり、また次の世代へ受け継ぐ」という循環の中で成立してきたシリーズです。その“母国”で熱量を維持できていないということは、単なる視聴率や検索数の問題ではなく、IPとしての再生産装置そのものが弱っているということでもあります。
実際、2025年度初めには32億円の営業利益目標を立てていたものの、実績は9億円にとどまった。計画未達などを受け同社は「真摯に受け止める」としつつ「実行性のある現実的な打ち手で”母国”である日本からアジア起点のグローバルIP企業を目指す」との新たな中計基本方針を定めた。

だからこそ、今回の発表は単なる事業計画としてではなく、いまのウルトラマンが何を失い、何を取り戻そうとしているのかを考えるうえで、重要な材料になるはずです。
そしてこの問題を考えるとき、避けて通れないのが、『シン・ウルトラマン』の位置づけであり、現行シリーズが抱える構造的な弱点であり、さらに新作『ウルトラマンテオ』がどのような意図をもって制作されているのか、という点でしょう。
◾️円谷は「熱量不足」をどう見ているのか
今回の発表から見えてくる円谷の考えは、かなり明快です。彼らは今、ウルトラマンの国内展開における問題を、「露出の絶対量」ではなく、「熱量の維持と習慣化の失敗」と捉えているように見えます。
記事によれば、円谷FHDは日本市場において、「TVシリーズ最新作を毎年投入し続けている一方で、“母国”でありながら、ファン獲得・熱量の維持がしきれていない」と自己評価している。この受け止めは真摯だと思います。

つまり、毎年新作を出していること自体が問題なのではない。問題は、それを継続してもなお、国内の観客とのあいだに、作品を待ち、語り、継続的に関わりたくなる関係が十分に築けていない、という認識なのでしょう。
だから彼らが打ち出した対策は、「毎週・毎夏ウルトラマンに戻ってくる習慣」を作ることでした。

TVシリーズを継続し、TV劇場版を挟み、さらに毎夏映画を公開する。そこに配信、ODS(応援上映等の特別興行)やサイドストーリーのデジタル配信、過去作の配信プラットフォーム展開、TVとデジタルマーケティングが連動した総集編放映などを連動させる。要するに円谷は、テレビ・映画・デジタルを横断しながら、ウルトラマンを一年中動き続けるIPとして再設計しようとしているわけです。
この発想自体は、経営判断として理解できます。いまの子どもたちの生活には、テレビだけでなく、YouTube、ゲーム、短尺動画、サブスク配信など、無数の競合がある。子ども向けIPが強くあるためには、「気が向いた時に見る」だけでは弱く、毎週、毎季節、毎年の行事として生活に入り込んでいく必要がある。その意味で、「夏映画の導入」「通年展開」「習慣化」という方針は、決して間違っていません。
ただし、ここで気になるのは、円谷の処方箋がかなり運用面に寄っていることです。本数を増やし、導線を増やし、年間の接触頻度を高めることは確かに必要です。
けれど、それだけで熱量は生まれません。視聴者が戻ってくるのは、接触機会があるからではなく、そこに「好きでい続けたいもの」があるからです。経営者目線で言えば、接触機会はあくまで器であり、その中に執着したくなるキャラクター、語りたくなる物語、推したくなる関係性が入っていなければ、習慣化は惰性に終わります。
つまり今回の発表は、問題認識としてはかなり正しい一方で、まだ「どう見せ続けるか」の比重が大きく、「何を好きにさせるのか」という核心への答えは十分に見えていません。
この空白を埋められるかどうかが、今後の国内再生の鍵になるのだと思います。
◾️『シン・ウルトラマン』はなぜ広く支持を得られなかったのか
この問題を考えるうえで象徴的なのが、『シン・ウルトラマン』です。記事でも、「大人ファンへの関心度は2022年公開の『シン・ウルトラマン』で一時的に高まったものの、その後は横ばいに転じた」とされています。ここには、今のウルトラマンが抱えている難しさがよく表れていると思います。
『シン・ウルトラマン』は、たしかに話題になりました。長年のファンにとっては、初代への愛情、庵野秀明的な再構築、台詞回し、画作り、ネタの拾い方、怪獣や宇宙人の再解釈など、見るべきところの多い作品でした。特撮文化の文脈を共有している人間にとっては、いくらでも語りたくなる映画だったでしょう。
しかし、その“語りたさ”は、そのまま「広い支持」にはつながらなかった。ここが決定的です。
なぜか。
それは、『シン・ウルトラマン』が、広く開かれた入口というより、「分かる人にはたまらない再構築」に留まっていたからだと思います。
もちろん、再構築そのものが悪いわけではありません。問題は、それが結果として、子どもや女性、ライトな観客にとって「ここからウルトラマンを好きになりたい」と思える導線になっていたかどうかです。私は、そこにかなり疑問が残ります。
特に大きいのは、感情移入の設計です。いま広く支持される作品は、設定やアイデアが面白いだけでは足りません。観客が誰かを好きになり、誰かの傷や成長に気持ちを預け、関係性に執着できることが重要です。
その点で『シン・ウルトラマン』は、構造や発想の映画としては刺激的でも、「この人物をもっと見たい」「この関係に心を動かされた」という意味での広い感情の入口は、決して強くなかったように思います。
私は特に、女性目線で見た時の長澤まさみ演じる浅見弘子の描かれ方に違和感が残りました。巨大化シーンの演出やジェンダー観をめぐって公開当時から賛否が分かれたこと自体、作品が女性観客にとってどこまで感情移入しやすいものになっていたのか、という問題を示していたように思います。
『シン・ウルトラマン』は、メフィラス構文に熱狂するオタクを大量に生んだ一方で、長澤まさみという大きなネームバリューを持つ俳優を起用しながらも、浅見弘子に憧れたり感情移入したりする女性観客を十分に生み出せなかった。私は、それがこの作品の届き方の偏りを象徴していたように感じます。
つまりこの作品は、特撮マニアの中高年男性の快楽にはかなり応えていた。しかし、子どもや女性、家族全体が継続的に愛着を持てるような設計になっていたかと言えば、そこには大きな疑問が残りました。
経営者目線で言えば、『シン・ウルトラマン』は話題化には成功しても、新規顧客を定着させる決定打にはなれなかった。つまり、一時的な関心の山は作れても、シリーズ全体の裾野を広げることにはつながらなかったのです。
円谷FHDが『シン・ウルトラマン』による関心上昇を認めつつ、その後を「横ばい」と自己評価しているのも、その現実を示しているのでしょう。
◾️怪獣中心構造と関係性消費の相性の悪さ
では、なぜ現行ウルトラマンは国内で広く熱量を維持しにくいのでしょうか。私はその大きな理由の一つとして、従来の「怪獣中心」構造と、現代のヒットコンテンツに不可欠な「関係性消費」との食い合わせの悪さを挙げたいと思います。
典型的なウルトラマンマニア側の要望として、よく聞かれるのが
「新規怪獣を毎週出せ」
「ウルトラマンの主役は怪獣だ」
というものです。
この感覚自体はよく分かります。怪獣の造形、能力、出自、寓意。そこにウルトラマンの魅力があるのは事実です。毎週新しい怪獣が現れ、その回ならではの物語があり、最後に撃退のカタルシスがある。その反復には、特撮ならではの快楽があります。
ただ、この構造は現代のヒットコンテンツの条件とは相性があまりよくありません。なぜなら怪獣の多くは、基本的に1話完結で消費される存在だからです。毎週新しい怪獣が現れ、毎週退場する。その回ごとの見どころにはなっても、視聴者が継続的に感情移入し、「推す」「語る」「見守る」対象にはなりにくい。要するに、長期的なエンゲージメントが育ちにくいのです。
いまの日本で強いコンテンツは、男女向けを問わず、結局のところキャラクター同士の関係の蓄積によって支持を広げています。『名探偵コナン』や、『鬼滅の刃』らに代表されるジャンプアニメ、かって隆盛を極めた『MCU』らも、単体の事件や敵そのものより、キャラクター同士の関係が更新され、変化し、積み上がっていくから強い。主人公と相棒、師匠、ライバル、仲間、家族、敵との因縁。複数の関係線が同時に走り、視聴者はその中から自分の好きな軸を見つけられる。
この点が、現行ウルトラマンは弱いと思います。(※ウルトラマン同士の関係性構築はあるとは思うのですが、ここでは「人間キャラ主体の」という意味で)
ですので、近年のシリーズ、たとえば『アーク』や『オメガ』が、人間とウルトラマンの関係を描く方向へ舵を切ってきたのは、必然的な変化だったと思います。
この変化によって、「ウルトラマンはなぜ地球人のために戦うのか」というテーマは、従来以上に深く掘り下げられるようになりました。単なる怪獣退治ではなく、人間とウルトラマンの信頼、葛藤、相互理解が物語の芯になる。そこには確かに、これまでとは違うドラマが生まれました。
ただし、ここにも限界があります。
1対1の関係だけでは、まだ弱い。
人間とウルトラマンの絆を深く描くことはできても、視聴者が“選べる感情の入口”の選択肢がまだ少ないからです。大ヒットコンテンツが強いのは、複数の関係線が並行して走り、視聴者がそれぞれの立場から入り込めるからでしょう。その点で現行ウルトラマンは、テーマは深くなっても、感情の受け皿がまだ狭い。
つまり問題は、怪獣中心か、人間関係中心かの二択ではありません。
本当に必要なのは、怪獣を単なる毎週の使い捨て素材ではなく、人間関係を揺さぶる事件装置として活かしながら、人間同士、人間とウルトラマン、場合によっては怪獣や宇宙人も含めた複数の関係線を縦に積み上げていくことだと思います。
例えば同じ「怪獣」中心の作品でも、漫画『大怪獣ゲァーチマ』のように、人間同士のドラマをしっかり縦に積み重ねる例はあります。怪獣がただ倒される対象ではなく、人間の葛藤や変化を映し出す触媒になれば、怪獣中心構造と関係性ドラマは両立できるはずです。
経営者目線で言えば、今のウルトラマンが支持を広げにくい理由は、露出不足ではなく、キャラクターへの執着と感情の蓄積を生みにくい物語構造にあります。円谷が今回「複数年展開」や「毎夏映画」を打ち出したのも、その弱点を少しでも補おうとしているからなのでしょう。
◾️『ウルトラマンテオ』のキャスティングから感じる期待
そう考えた時、私は『ウルトラマンテオ』にはかなり期待しています。
なぜなら、ここまで述べてきた課題に対して、設定面でもキャスティング面でも、かなり意識的な設計が見えるからです。
最初に情報が出た時、私は主人公以外のレギュラー演者の発表が比較的遅かったこともあり、今回は本当に「孤独な異星人」としてのウルトラマンを描くために、主人公以外のレギュラーをほとんど置かない異例の構成なのかとも想像していました。しかし、どうやらそうではなかった。
むしろ注目すべきなのは、発表されたレギュラー陣の設定そのものです。
メインキャスト4人が全員、主人公と同じ明心大学の学内サークル「天文研究会」のメンバーで、しかも同じ獣医学部3年生という、かなり狭い人間関係の中に置かれている。この人物設定には、はっきりした意図を感じます。
従来のウルトラシリーズでは、各キャラクターが「博士キャラ」「エースパイロット」「怪力担当」といった具合に、それぞれ異なる専門性や属性を持つ編成が半ば、お約束として存在しました。
それに対して『テオ』は、いわば同じ「獣医」を目指すクラスメートたちで固められている。これは、防衛チーム的な機能性よりも、登場人物同士の距離感や感情の揺れを丁寧に描くことを優先した布陣だと見るべきでしょう。
このキャスティングを見て、個人的に思い出したのは、『ウルトラマンギンガ』です。
主人公、礼堂ヒカルの故郷・降星町を舞台に、ヒカル、美鈴、ケンタ、千草らの狭い人間関係の中で展開した、あの青春群像劇です。放送当時は、防衛隊が登場しないこともあって、「スケールダウンした」と批判されることもありました。
けれど私は、あの狭い世界観だからこそ描けたドラマがあったと思っています。登場人物同士の関係から生まれる「若者たちの成長」や「未来の可能性」、そしてテーマである「夢を持つことの大切さ」が、非常にストレートに伝わってくる爽やかな快作でした。
今回の『テオ』もまた、『ギンガ』と同じように、狭い人間関係の中だからこそ生まれるドラマを重視しているのではないでしょうか。しかも今回は、そこに「故郷を失った異星人」「異なる者との共生」「トラウマとの対決」という、はるかに現代的で切実な主題が重なっている。
つまり『テオ』は、単なる設定の目新しさではなく、今の国内市場で熱量を取り戻すために必要な、喪失、孤独、共生、ケア、勇気といった感情のドラマを、最初から強く意識しているように見えるのです。
特に重要なのは、主人公が最初から“完成された守る者”ではなく、むしろ守られるべき側に近いところから始まることです。故郷を失い、地球の常識に馴染めず、それでも静かに生きようとしている存在が、やがて誰かを守る側へ成長していく。これは、異なる背景を持つ者と共に生きることが日常になった令和の社会において、子どもたちに向けてこそ語られるべきヒーロー像だと思います。
円谷FHDの発表から見えてくるのは、国内で熱量を維持できていないという危機感と、それを立て直そうとする強い意志です。その問題認識は正しいと思います。けれど、本当に必要なのは「毎週・毎夏見せること」だけではなく、「毎週・毎夏、会いたくなるキャラクターと物語」を作ることでしょう。
『シン・ウルトラマン』は、その点で大人ファンの一時的興奮には成功しても、子どもや女性、家族を含む広い支持の土台にはなり切れませんでした。
現行ウルトラマンシリーズもまた、怪獣中心構造の伝統と、現代に必要な関係性消費の間で揺れてきた。だからこそ、最近のシリーズは人間とウルトラマンの関係へ軸足を移し、さらに『テオ』はその先へ進もうとしているように見えます。
狭い人間関係をあえて選んだキャスティング。故郷を失った異星人という主人公像。トラウマと勇気、孤独と共生をめぐるテーマ。
これらはすべて、単なる作風の違いではなく、いまの日本でウルトラマンを再び“好きでい続けたくなる存在”にするための意図的な設計なのではないでしょうか。
もし『ウルトラマンテオ』が、関係性のドラマと故郷を失った異星人という切実な主題をしっかり結びつけられるなら、それは単なる新作ではなく、円谷がいま最も必要としている「国内の熱量」を取り戻すための正しい更新になるはずです。私は、その可能性に期待しています。
7月4日の放送開始が、今からとても楽しみです。
※こちらのブログの続編として、今の子供達にウルトラマンを広める為の提言文を書きました、↓ 届け!この思い、円谷プロに!
