日本沈没に備えるということ――円預金だけに頼らない生活防衛
はじめに ~破綻のカウントダウンに入ったかにみえる日本経済
最近の円安のさらなる進行と固定化を見ていて、私はいよいよ日本という国の危うさが、数字として表に出てきたのではないかと感じています。
日銀が利上げをしても、円は戻らない。むしろ円安に振れる。これは単なる為替の一時的な動きではなく、市場が日本という国に対して、かなり厳しい評価を下し始めているということではないでしょうか。
もちろん、明日すぐに日本が破綻するなどと言うつもりはありません。
しかし、円安、物価高、財政悪化、人口減少、政治の無責任、企業の先送り体質。これらが積み重なっているところへ、巨大地震や富士山噴火のような自然災害が重なったらどうなるのか。
私は、そのことをかなり真剣に考えています。
私は金融の専門家ではないが、流れは見てきた
もちろん、私は金融経済の専門家ではありません。
株や債券や為替を専門に分析してきた人間ではありませんし、投資家として成功してきたわけでもありません。むしろ、お金はあまりありませんでしたから、せっかく見えていた流れに対して、自分では大きく手を打てなかった。そこは少し笑うしかありません。
しかし私は、バブル崩壊前後から長く、高校教師として政治経済や世界史を教え続けてきました。
その中で、世界経済の大きな流れ、日本経済の変化、国家の興亡、産業構造の転換、覇権国家の交代、通貨と権力の関係を、授業の中でずっと考え続けてきました。
だから、いまの危機感は、突然思いついたものではありません。
バブル崩壊以降、日本経済は少しずつ硬直化していきました。企業は守りに入り、政治は先送りを続け、行政は前例と制度にしがみつき、社会全体が失敗を恐れて動けなくなっていった。
その結果として、日本はいずれ弱体化していくだろうという感覚は、かなり前から持っていました。
たとえば、2000年前後、中国が本格的に台頭し始める直前、私は友人たちに「中国へ投資した方がいい」と言っていました。まだ多くの日本人が、中国をどこか見下すように見ていた時代です。しかし私は、人口、労働力、国家意思、世界市場への接続を考えれば、中国が大きく伸びるのはかなり自然な流れだと見ていました。
結果として、それは完全に当たりました。
もちろん、私はそこで大儲けしたわけではありません。お金がなかったからです。笑
今回の円安についても、私にはかなり前から予測できることだったように思います。長年の低成長、国力の低下、金融緩和への依存、円安による見せかけの企業収益、政府と大企業の先送り。そういうものが積み重なれば、いずれ円の価値が切り下がっていくのは、むしろ当然でした。
今回の為替の動きは、その答えがすでに出てしまいつつあるということではないでしょうか。
私は金融の専門家ではありません。
しかし、世界史と政治経済の両方を教えてきた人間として、国家の力が通貨に表れることはよくわかります。(※実は両方を受験レベルまで教える教員は高校では珍しいのです。世界史は人文科学、政治経済は社会科学として扱われ、ずいぶん前から免許も別々ですしね。少し自慢してしまいました(笑))
通貨とは、単なる紙幣や数字ではありません。
その国の生産力、財政、政治、社会の安定、将来への期待を映す鏡です。
その鏡に、いま日本の姿がかなり厳しく映り始めている。
私の予測は、意外と当たっているのです。また自慢というか実は負け惜しみです。
お金がなかった。それどころか借金まみれで手を打てなかっただけなのです(苦笑)。
円預金は本当に安全なのか
日本人の多くは、銀行預金を安全資産だと思っています。
たしかに、平時であれば銀行預金は便利です。数字として残り、ATMで引き出せ、振込もできる。普通に暮らしている限り、それで困ることはありません。
しかし、経済や金融が本当に混乱したとき、銀行預金の数字はどこまで当てになるのでしょうか。
金融システムが混乱すれば、預金はあっても引き出せないかもしれない。送金もできないかもしれない。海外に預金を持っていたとしても、日本側の規制や通信障害、国際送金の停止によって、自分では動かせなくなる可能性もある。
つまり問題は、預金が「ある」かどうかではありません。
それを本当に使えるのか。
自分で動かせるのか。
国家や銀行の都合に左右されずに、自分の資産として保持できるのか。
そこが問題なのです。
金融危機は、災害と重なって起きるかもしれない
私が恐れているのは、円安だけで日本が一直線に破綻するという単純な構図ではありません。
むしろ、じわじわと日本の耐久力が落ちていく。
そこへ、巨大地震、首都直下地震、南海トラフ地震、富士山噴火のような大きな自然災害が重なる。
この構図です。
経済が強く、財政に余力があり、人口にも活力があり、政治が機能していれば、大災害が起きても復興する力があります。
しかし今の日本はどうでしょうか。
すでに財政は苦しい。
円は弱い。
政治は現実を直視しない。
企業は長年、円安の猶予を本当の成長に使ってこなかった。
国民もまた、何となく現実を先送りしてきた。
そこへ巨大災害が重なれば、それは単なる自然災害では済まないでしょう。物流、金融、保険、行政、医療、電力、通信、通貨。あらゆるシステムが連鎖的にきしむ可能性があります。
極端にSF的に言えば、いよいよ「日本沈没」です。
もちろん、列島が物理的に沈むという意味ではありません。
円が沈む。
国債が沈む。
行政能力が沈む。
金融システムへの信認が沈む。
そして最後に、国民生活そのものが静かに沈んでいく。
そういう意味での「日本沈没」です。
土地も、預金も、証券も、危機時には動かせない
国家的危機になったとき、不動産は必ずしも強い資産ではありません。
平時なら土地や家は大きな財産です。しかし、危機時には売れない。買い手がいない。登記制度や金融機関が正常に動かなければ、換金もできない。しかも土地は持ち出せません。
株や投資信託も、証券会社と市場が正常に動いているからこそ意味があります。
外貨預金も、銀行と国際送金網が動いているからこそ意味があります。
銀行預金も、結局は金融システムの中にある数字です。
では、最後に何が残るのか。
私は、やはり現物の金だと思っています。
金は利息を生みません。
配当もありません。
日常の買い物には不便です。
しかし、国家の負債ではありません。誰かの約束でもありません。紙幣のように、政府と中央銀行の信用だけで成り立っているものでもありません。
金は、金そのものとして存在している。
ここが大きいのです。
現物金は、投資ではなく保険である
私は、手元にある資産のうち、決して大した金額ではありませんが、かなりの部分を外貨と金に振り分けようと考えています。
そして金については、ETFや証券口座内の金ではなく、現物で持つつもりです。
なぜなら、私が想定しているのは、通常の投資環境ではないからです。金融パニック、預金封鎖、送金制限、国家的混乱。そのような状況では、証券口座の中にある金では十分ではないかもしれません。
もちろん、現物金にもリスクはあります。
盗難のリスク。
紛失のリスク。
保管の問題。
売却時の問題。
持ち出しや申告の問題。
それでも、国家や銀行の帳簿の外にある実物資産を持つことには意味があります。
私にとって金は、値上がりを期待する投資商品ではありません。
日本円が壊れたとき、国家や銀行の信用が崩れたとき、最後に残る保険です。
平時の200万円で買った金は、破綻時にも200万円の価値しかないわけではありません。もし円の価値が大きく落ちれば、同じ金は円建てで数倍、あるいはそれ以上の価値を持つ可能性があります。
正確に言えば、金が上がるというより、紙幣の方が下がるのです。
金は大きな塊と小さな塊に分けて持つ
現物金を持つなら、単位も考えなければなりません。
100gの金地金は、資産保存には向いています。まとまった価値を比較的効率よく保管できます。私も、半年ほどかけて、100g単位を中心に少しずつ買っていくことを考えています。
ただし、非常時にすべてを100g単位で持っていると、機動性には欠けます。
本当に混乱した局面では、少しずつ換金する必要があるかもしれない。移動資金として使う必要があるかもしれない。場合によっては、国外脱出の資金になるかもしれない。
冗談半分、本気半分で言えば、ボートピープル資金です。
その意味では、100gの金地金だけでなく、10g、20g、50g、あるいは金貨のような小口の金も持っておく意味があるでしょう。
大きな金は、再建資金。
小さな金は、移動資金。
外貨現金は、初動資金。
このように分けて考える必要があると思います。
本当の備えは、金だけではない
ただし、金を持てばそれで安心ということではありません。
巨大災害や金融混乱の直後に必要なのは、まず水、食料、医薬品、燃料、電源、通信手段です。金があっても、発災直後にコンビニで金を出して水を買うわけにはいきません。
幸い、私の家では非常時の備蓄はすでに1か月以上あります。
太陽光パネルもあります。
畑では、季節にもよりますが、野菜の7、8割程度は自給できています。
これらはかなり大きな安心材料です。
金は、国家や通貨が壊れたときの保険です。
しかし、日々を生き延びる力は、食べ物、水、電気、健康、生活技術にあります。
金融資産だけを見ていても、本当の危機管理にはなりません。
むしろ、これからの時代には、生活そのものを自分で組み立てる力が重要になるのだと思います。
ただし、ここで一つ注意しておくべきことがあります。
外貨や英語、インバウンド観光による世界とのつながりも、万能ではありません。
それらは、国際交通、通信、決済網、外国人の移動がある程度機能していることを前提にしています。もし富士山噴火や巨大地震によって首都圏の空港や港湾、道路、通信網が長期間麻痺すれば、外貨を持っていてもすぐには使えないかもしれません。英語で発信する力があっても、海外との接続そのものが一時的に遮断されるかもしれません。インバウンド観光も、そのような局面では当然止まります。
つまり、グローバルな備えは、世界との回路がまだ生きている場合の備えです。
その回路まで途切れたとき、最後に残るのは、もっとローカルな生活力です。
畑で食べ物を作ること。
水や食料を備蓄しておくこと。
最低限の電力を自分で確保すること。
近くにいる人たちと助け合える関係を持つこと。
自分の身体と手を使って、日々をつなぐこと。
金や外貨や英語は、外へ開くための備えです。
畑や備蓄や地域の関係は、内側で踏みとどまるための備えです。
本当の危機管理とは、この二つを対立させることではなく、両方を持つことなのだと思います。
英語で世界とつながる
もう一つ、私が重視しているのは、英語です。
私は来年から、英語で世界に向けて発信し、インバウンドのガイドをするつもりです。
これは単なる副収入の話ではありません。
日本の中だけで生きるのではなく、外の世界と直接つながるための回路です。
日本が弱っていく時代に、日本国内の評価、日本国内の制度、日本国内の通貨だけに依存するのは危険です。
英語で発信する。
外国人と直接つながる。
日本の歴史、文化、政治、暮らしを自分の言葉で語る。
インバウンド観光で稼ぐ力を持つ。
その中で、海外の人脈もできる。
もちろん、それも国際交通や通信が生きている限りの話です。しかし、だからといって無意味ではありません。世界との回路が開いている間に、外とつながっておくことには大きな意味があります。
金は持ち出せる資産です。
英語と知識と人脈は、持ち歩ける資本です。
生活力は、奪われにくい基礎体力です。
これらを組み合わせて初めて、国家が揺らいだ時代を生き延びる準備になるのだと思います。
66歳からの「日本沈没」対策
もっとも、こんなことを書いている私は、もうすぐ66歳です。
66歳になって、いまさら現物金だ、外貨だ、英語発信だ、インバウンド観光だ、海外人脈だと言い出すのも、自分でも少し笑ってしまいます。
普通なら、もう少し穏やかに老後を過ごすことを考える年齢なのかもしれません。
しかし、そうとも言い切れません。
ひょっとすると、私はあと30年生きるかもしれない。
そうなれば、96歳です。
30年という時間は、決して短くありません。
日本という国が大きく変わるには、十分すぎる時間です。
円の価値も、国家財政も、社会保障も、災害リスクも、国際情勢も、AIの進化も、いまの延長でそのまま安定しているとは、とても思えません。
だから、66歳だからもう遅い、とは思わないことにしました。
これは、若者の起業計画ではありません。
66歳からの、かなり変わった生活防衛です。
それでも、あと20歳若ければ、私は間違いなく海外に脱出しているでしょう。
実は、2011年の3.11のときにも、私はかなり真剣に海外脱出を考えたことがありました。あのときも、日本という国の危うさを強く感じました。原発事故、政府の混乱、情報の不透明さ、そして人々の「大丈夫だと思いたい」という空気。あのとき私は、日本という国にこのまま身を預けていてよいのかと、本気で考えました。
しかし、当時は身動きができませんでした。
仕事もあり、生活もあり、さまざまなしがらみもありました。考えはしても、実際に動くことはできなかった。
ところが今は、ある意味ではその頃より身軽です。
定年を迎え、組織に縛られているわけでもありません。
動こうと思えば、動けないことはない。
それでも、私は年齢を考えて、いま本格的に海外へ移住する道は取らないことにしています。
ただし、事態そのものは、2011年当時よりもさらに切迫していると私は見ています。
あのときは、巨大災害と原発事故が突然襲ってきた危機でした。
今は、それに加えて、円安、財政悪化、人口減少、政治の劣化、金融システムへの不安、そして世界全体の不安定化があります。さらに、超知能の到来によって、人間社会そのものがどう変わるのかも見通せません。
つまり、日本だけでなく、世界そのものがかなり危うい局面に入っている。
にもかかわらず、ほとんどの人は、こういう近未来の現実を想定しようとしません。
巨大地震が起きても、富士山が噴火しても、金融が混乱しても、円がさらに下落しても、おそらく多くの人は、そのときになって「想定外だった」と言うのでしょう。そして、みんなでうなずき合い、「仕方がなかった」と言い合う。
私は、そういう構図に付き合いたくないのです。
馬鹿馬鹿しいと思います。
想定できることを想定しない。
考えればわかることを考えない。
都合の悪い現実を見ない。
そして、いざ起きたら「想定外」と言って責任を溶かす。
そんな社会の中で、ただ流されて老いていくのはごめんです。
円預金だけに頼る時代は終わった
私は、過剰に恐怖を煽りたいわけではありません。
しかし、円預金だけを安全だと思い込む時代は、もう終わりつつあるのではないでしょうか。
円は弱くなっている。
日本の財政は厳しい。
政治は現実を直視していない。
大企業も、長年の猶予を本当の成長に使ってこなかった。
国民もまた、先送りを黙認してきた。
そこへ巨大地震や富士山噴火が重なれば、何が起きるかわかりません。
だから私は、円預金だけに頼るのではなく、金融資産、生活基盤、外の世界との接続を、それぞれ少しずつ整えておきたいと考えています。
これは、悲観ではありません。
むしろ、現実を直視したうえで、自分にできる準備をするということです。
国家が守ってくれる。
銀行が守ってくれる。
円が守ってくれる。
政府が何とかしてくれる。
そういう発想から、少しずつ離れる必要があるのだと思います。
これからの時代に必要なのは、国家に依存しきらない生活防衛です。
現物金。
外貨。
備蓄。
畑。
太陽光。
英語。
人脈。
稼ぐ力。
これらは、ばらばらの備えではありません。国家に依存しきらず、自分の人生を最後まで自分の手元に置くための、小さな道具なのです。
66歳からでも、まだ遅くはない。
あと30年あるかもしれないのだから。
そして、たとえ30年なくても、今日を自分の納得できる形で生きるために、備えることには意味がある。
沈むかもしれない船の中で、ただ文句を言っているだけではつまらない。
せめて、自分で荷物を選び、自分の足で甲板に立ち、外の海を見ていたい。
それが、66歳からの私なりの「日本沈没」対策なのです。
追記 それでも、資産は自分一人のものではない
ここまで書いてきて、最後に少し恥ずかしい現実も書いておきます。
私が「資産を動かす」と言っても、実際には資産の大半は妻名義の預金です。
私自身に十分な資産があれば、おそらくもっと前に、外貨や金に移していたと思います。今回のような円安がここまで進む前に、もっと早く手を打っていたでしょう。
しかし現実には、そう簡単には動かせませんでした。
妻は慎重です。腰も重い。老後のために持っている預金を、外貨や金に移すことには当然不安もあるでしょう。しかも、それは妻名義の資産です。私が勝手に動かすわけにはいきません。
だから、見えていても動けなかった。
このことを通じて、私は改めて、お金がない人間は何もできないのだなと痛感しました。
どれだけ先が見えていても、どれだけ構造が読めていても、動かせる資産がなければ、大きな手は打てません。資本主義というのは、結局、そういうものなのでしょう。
予測が当たる人間が勝つのではない。
動かせるお金を持っている人間が勝つ。
ここには、かなり身もふたもない現実があります。
ただ、それでも何もしないよりはいい。
妻にも無理のない形で話し、円預金のすべてを動かすのではなく、一部を外貨と現物金に分ける。これは投資ではなく、金融版の非常食だと考える。
金も外貨も英語も、私にとっては投資というより、非常食や畑と同じ生活防衛の一部なのです。
できることは限られています。
しかし、限られているからこそ、できることから始めるしかない。
これが、いまの私にできる、ささやかな生活防衛なのです。
しかし、それにしても悔しいなぁ…。私が若い頃、多少でもお金を持っていたらなぁ…。
くどい?(笑)
でもおそらくお金があったら、目が曇ってクリアにはみえなかったでしょうね。
そう考えて納得しておくことにします(苦笑)。
ま、こんなこと書いてるけど、今、次の瞬間に突然死してるかもしれないですしね…。
