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  柳田邦男『空白の天気図』を読む

   奈良市在住の定年退職教員で、やぶき ひでお と申します。
 

 1945年9月、原爆投下から間もない広島を襲った枕崎台風。観測史上に残る巨大台風による死者・行方不明者は全国で計3756人に上り、その半数以上が広島県に集中した。原爆を生き延びた人々に加え、被爆者の診療や調査で訪れていた京都帝国大学の教官や学生ら11人も犠牲になるなど、廃虚と化した広島に追い打ちをかけるように甚大な被害をもたらした。
 台風は45年9月17日、鹿児島県枕崎市付近に上陸し、その日の夜に中国地方を横断した。広島では最大瞬間風速45.3メートルの暴風に加え、激しい雨によって各地で土砂崩れや洪水が発生し、死者・行方不明者は2012人を数えた。
 

初版1975年文庫複数

昭和二十年九月十七日 枕崎測候所では
最大瞬間風速六十二・七米の暴風を
最低気圧九一六・六ミリバールという記録的な気圧示度を観測した

原爆被害下の広島管区気象台は未だに天気予報を出すに至っていなかった
一般住民の意識も日々の食料を確保することに精一杯だった
台風接近に備えて夕刻から三〇分おきの観測体制に入った
九時から十時までの一時間雨量は五十三・五粍 総雨量は二百粍を越えた
「外は水びたしですよ。山の上でこんなぐあいでは、街は洪水だなあ。
何しろ身体が痛いような雨ですよ」と台員の一人が言った
太田川の水位が上がり 河口では高潮の逆流とぶつかって氾濫した
市街地は床上一米も浸水するほどの洪水となった

暴風雨と洪水は 原爆で廃墟と化した街を骨の髄まで洗い流す感があった
原爆と台風の二重災害
この記録を残さねば世界に例のない体験が忘れられる
台員たちの思いは一致した
ピカの熱線を受けた壁や橋に影が残っている
遮蔽物と影の位置から熱線の入射角を測量すれば
爆心の方位と仰角がわかる
これを数カ所でやり 地図上に方位を記入し
各方位の延長線が交差したところが爆心地
爆心地がわかれば仰角から爆心の高度を計算できる
爆心地の周辺の風の変化
爆発後の黒い雨の正体
爆心からの距離による破壊状況 等々
気象台が行うべき調査として欠かすことのできないものだった
台員たちは芋弁当を下げて被爆当日の状況を調査した
また被害住民の生の声の聞き取り調査もコツコツと根気よく行った

十月十四日になって台風災害に関する新しい情報がもたらされた
中国地方では風害より水害がひどかった
特にひどいのは広島県で それは山津波によるものだった
厳島神社の裏山が物凄い山津波を起こし 
神社にもかなりの被害をもたらした
大野村では山という山はすべて抜けて 山津波は海岸まで達した
この山津波と水害によって
京都帝国大学原爆災害綜合研究調査班は大打撃を受けた
死者行方不明者十一名 医学上および物理学上の多大の調査成果を残して

(以上はノンフィクション文学作品としての本書の後半についての読後略述です。前半には原爆被害と被害下での困難な気象観測の様子が事細かく書かれている。気象観測に命をかけた台員たちの熱意が伝わってくる。一晩で二千余の人命を奪った枕崎台風の被害という角度から原爆の惨禍の深奥に迫ったのが本書の特徴である。)

[歩く 聞く 考える] 「空白の天気図」といま 被害の全体 迫り学ぶ姿勢を ノンフィクション作家 柳田邦男さん | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

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