考察「フロロ兄弟」の対話――織られた歴史、現れた図像: Ⅱ ランス編
※本稿は「フロロ兄弟」考察連載の一部として、次回記事の公開まで無料公開としています。 次回記事公開後、本稿は有料設定に移行します。
前回のサンス編に続き、クロードはジャンに寄せられた苦情を持ち出し、兄として彼を戒めている。この何気ない兄弟のやり取りの背後に、どのような象徴的物語が織り込まれているのか、読み解いていきたいと思う。
兄クロード:
— Qu’est-ce que c’est, reprit l’archidiacre, que ce Mahiet Fargel, dont vous avez déchiré la robe ? Tunicam dechiraverunt, dit la plainte.
(で、そのマイエ・ファルジェルというのは何者だと、助祭長はなおも問いつめた。おまえがそいつの衣を引き裂いたと。――訴えには、”Tunicam dechiraverunt 彼らはその衣を引き裂いた” とあるぞ)
弟ジャン:
— Ah bah ! une mauvaise cappette de Montaigu ! voilà-t-il pas !
(へっ、なんてことない! モンテギュの、安っぽい短外套(カペット)じゃないですか!)
兄クロード:
— La plainte dit tunicam et non cappettam. Savez-vous le latin ?
Jehan ne répondit pas.
(訴えには tunicam とある。cappettam ではない。おまえはラテン語を知っているのか?)
ジャンは答えなかった。
AI翻訳
第1部 洗礼の糸━ランスに織り込まれた王統の始源
フルカネリが秘密を解く糸口として記した二番目の地名ランスには、兄弟の対話に織り込まれた象徴を読み解く鍵が残されている。そしてその鍵は、一つではなく、ランスに現れる二つの大聖堂の図像を通して姿を現す。
第一景 ランス――王権を聖別する都市

ランスは、クローヴィスの洗礼と歴代王の戴冠という二つの儀礼が折り重なる都市である。 前者は王権の誕生を、後者はその正統性を保証する。
この重層的な記憶の上に、ランスという都市は、王権の始源・歴史の継承・神聖な承認という糸が緊密に織り込まれた象徴的なタペストリーとして現れる。
第二景 二つの大聖堂と二人の国王
ランスには、二つの大聖堂が存在する。
一つはクローヴィスの洗礼を記憶するサン=レミ聖堂、
もう一つは歴代フランス王戴冠の舞台となったノートルダム大聖堂である。そして、それぞれの大聖堂の背後には、一人の王の姿が浮かび上がる。
クローヴィスとルイ9世――この二人を結ぶ糸をたどるとき、ランスの象徴的な構造が見えてくる。
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①サン=レミ大聖堂とクローヴィス1世
サン=レミ大聖堂は、クローヴィスの洗礼を記憶することで、フランス王権の起点を示す聖堂となった。まずは、この最初の大聖堂が語る象徴を見てみたい。

クローヴィスはサリ・フランクの王キルデリク1世の子として、現在のベルギー南西部トゥールネに生まれた。
時はローマ帝国末期であり、父王はガリアでローマ軍と協力して戦う軍司令官という立場でもあった。クローヴィスは481年頃に父の地位を継承した。

彼は周辺勢力を次々と征服し、最終的にはプロヴァンスを除く現在のフランスの大部分とドイツ西部を支配下に収めた。その拡大の過程で重要だったのが、ブルグント王女クロティルドとの結婚である。熱心なカトリック信者だった彼女の影響を受け、クローヴィスは496年頃にランスで洗礼を受けた。

当時のゲルマン諸王国の多くはアリウス派キリスト教を信仰していたが、クローヴィスはローマ教会と同じカトリック信仰を選択した。この決断によって、フランク王国はガリアの司教たちやローマ系住民の支持を獲得することになる。
さらに507年のヴイエの戦いでは、アリウス派を信奉する西ゴート王国を破り、アキテーヌ地方を併合した。
こうしてクローヴィスとクロティルドの結婚は、王族同士の婚姻を超え、「フランク・ゲルマンの武力による統合」と「ローマ・カトリック教会の権威」が結びつく契機となった。
※アリウス派は、神(父)とキリスト(子)は本質的に同一ではなく、子は父によって創造された存在であると主張した。
これに対しカトリックは、父と子は同一の神性を共有し、分裂しえない唯一の神であると理解する。
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②ランス大聖堂とルイ9世聖王
クローヴィスの洗礼の際、一羽の白い鳩が天から舞い降り、聖油の入った小さな壺(アンポラ)をくわえて持ってきたという逸話がある…
その約300年後、カロリング朝のルートヴィヒ1世がランスで「奇跡の聖油」による塗油を望んだことを契機として、「フランスの正統な国王は、ランスでクローヴィスの聖油を受けて戴冠する」という強力な王権の伝統が形成されていった。
もっとも、当時のランス大聖堂は、現在私たちが目にする壮麗なゴシックの聖堂ではない。現存するランス・ノートルダム大聖堂は、1211年の大火後に再建が始まった建物である。
この新しい大聖堂で最初に戴冠したのはルイ8世と王妃ブランシュ・ド・カスティーユであり、そのわずか三年後、父の急逝によって12歳で王位を継いだルイ9世もまた、建設途中の聖堂で戴冠式を行った。着工からまだ15年ほどしか経っておらず、式は礼拝が可能な唯一の空間だった聖歌隊席で、足場に囲まれたまま執り行われたという。そして少年王ルイ9世もまた、「奇跡の聖油」による塗油を受けたのである。

ルイ9世は、クローヴィスの洗礼によって始まった「神に選ばれた王」の系譜に正式に連なった王である。その生涯には、どこかクローヴィスを想起させる図柄が見られる。
クローヴィスが王妃クロティルドとの結婚を契機にカトリック王となったように、ルイ9世もまたマルグリット・ド・プロヴァンスを妃に迎え、正統信仰の擁護者として王権を確立していった。さらに、アリウス派とカタリ派、アキテーヌ征服と南フランスの統合という対応関係を重ねると、異端との対決と南方への王権の伸長という共通の構図が浮かび上がる。
このように、クローヴィス的な図柄が再構成されている点において、ランスで戴冠した少年王ルイ9世は、再び織り直されたクローヴィスの姿として現れているのである。
※カタリ派は、物質世界は悪であり、霊的世界のみが真の善であると考える二元論的な教えを中心に据えていた。
さて、ここまで「ランスの街」というタペストリーに織り込まれた象徴を眺めてきた。しかし、それらはまだ一枚の風景にすぎない。では、この模様は兄弟の対話とどこで結び合うのだろうか。
第2部 裂断の織物 ━ マイエ・ファルジェルの名が示す二つの図像
「で、そのマイエ・ファルジェルというのは何者だ」
兄クロードは、物語に登場しないこの奇妙な名を再び持ち出す。
前回のアルベール・ド・ラモンシャン伯と同じく、 この名もまた、物語の背後に置かれた“糸”のひとつなのだろう。マイエ・ファルジェルの名前そのものが、対話の奥に潜む「裂断」の図像を呼び出す。
その図像がどのように織り上がるのか、
── まずは、この名が秘める構造を見てみたい。
*Mahiet Fargel マイエ・ファルジェルの構造*
Mahiet マイエ⇒
● Mathieu(マチュー)の愛称形。
●Matityahu : 聖マタイのヘブライ語名 “神の贈り物”の意。
● Mathilde(マチルド)
英語形 Matilda
「戦い」と「力」という二つの意味を宿す
一方、“Fargel” (ファルジェル) は語感として fragel(断片)を思わせる。
・far(分ける)
・gel(裂け目・断片)
・fragmentum(断片)
・fragmen(破片)
これらの語群を踏まえると、Fargel=“裂かれたもの”という象徴的意味が浮かび上がる。
Mahiet Fargel=「マタイ or マチルダ+ 裂かれたもの」
すなわちこの名前は、
・聖書的な“裂かれた衣”(聖マタイ)
・王家血統の“裂断”(マチルダ)
という二つの図像を同時に呼び出す、
ランス編の中心となる“象徴名” である。
第一景 マイエ=聖マタイの図像
まずは、マタイの名前が示す、マタイ福音書の「衣」についてみてみよう。
①マタイ福音書の衣:2つの場面
クロード:「訴えには、Tunicam dechiraverunt(彼らはその衣を引き裂いた)とあるぞ」
この表現自体は直引用ではないが、マタイ福音書の「衣」に関する場面を連想させる。マタイ福音書には、衣に関する象徴的な場面が二つある。
A.大祭司が衣を引き裂く場面(マタイ 26:65)
Tunc princeps sacerdotum scidit vestimenta sua, dicens: Blasphemavit: quid adhuc egemus testibus? ecce nunc audistis blasphemiam:
すると大祭司は衣を引き裂いて言った。「彼は神を冒涜した。これ以上証人は必要ない。見よ、今、あなた方は神を冒涜する言葉を聞いたのだ。」

「人の子が力ある方の右に座す」というイエスの宣言を聞いた大祭司カイアファは、これを冒瀆と断じ、レビ記21:10では、 「大祭司は衣を裂いてはならない」 と明確に規定されているにもかかわらず、怒りのうちに自ら祭服を裂いた(マタイ26:64-65)。この行為は、旧い祭司制度の亀裂を象徴する場面としてもしばしば読まれてきた。
この「引き裂かれた衣」の場面には、サンス編で見た、アベラールを断罪する聖ベルナールの図像が重ねられている。どちらも正統性の側が「分裂」や「逸脱」を裁こうとする場面である。しかし、マタイ福音書では、その裁きを行う大祭司自身が禁を破って祭服を裂くことによって、裁く側に生じた亀裂までもが暗示されている。
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B.兵士たちがイエスの衣を分け合う場面(マタイ 27:35)
postquam autem crucifixerunt eum diviserunt vestimenta eius sortem mittentes
そして彼らはイエスを十字架につけた後、くじを引いてイエスの衣服を分け合った。

磔刑の場面では、兵士たちがイエスの衣を分け合う。「衣を分ける」という主題は、「引き裂かれた衣」だけでなく、ランスにおいてはクローヴィスの有名なソワソンの壺の逸話をも想起させる。
ソワソンの壺の逸話
当時のフランク族では、戦利品はくじ引きによって分配される慣習があった。クローヴィスは司教へ返還するため壺を譲るよう求めたが、一人の兵士がこれを拒み、戦斧で壺を叩き割った。王はその場では怒りを抑えたものの、一年後、その兵士を自らの手で討ったと伝えられている。
サンス編では、クロードの人物像に聖ベルナールの面影が重ねられていた。しかしランス編では、その上にクローヴィスやマタイ福音書の糸がさらに重ねられていく。
このような象徴の重なりは、一人の人物を複数の図像へ接続する。衣を引き裂いたジャンを責めるクロードの姿には、異端を退けたクローヴィスやマタイの面影がある。
聖書の兄弟関係に従うなら、ジャンの兄は本来ヤコブ(ジャック)である。にもかかわらず「クローヴィス」に近い音の「クロード」という名が与えられていること自体、この物語が単純な対応関係を拒んでいることを示しているのかもしれない。
②ヨハネ福音書の衣:誤解と象徴の分岐
ジャンは聖書的な言い回しのクロードのセリフに対し、このように返す。
ジャン:「へっ、なんてことない! モンテギュの、安っぽい短外套(カペット)じゃないですか!」
ジャンは世俗的な衣 cappettam へ話題を逸らそうとする。
しかしクロードは tunicam にこだわり続ける。
「訴えには tunicam とある。cappettam ではない。
マタイ福音書には「衣」に対する場面が二つあったが、ヨハネ福音書では一つの場面に二種類の衣――「分けられた衣」と「ひと繋ぎの衣」が現れる。

キリストが十字架刑へ引き渡される直前、兵士たちが衣を剥ぎ取る場面。
*ヨハネ福音書の二種類の衣*
兵士たちはイエスを十字架につけると、その衣を取り、四つに分け、兵士一人一人に分け与えた。そして、上着も分け与えた。上着は継ぎ目のない、上から下まで一枚一枚織り合わされた布であった。
実は兄弟の対話の中には、マタイとヨハネ、二つの福音書の「衣」が織り込まれている。クロードは一貫してひと繋ぎの衣” tunicam” を問題にしているが、ジャンは兵士たちによって分配された衣”cappettam”の側へ話をずらしている。そのため二人は同じ「衣」を語っているようでいて、実際には異なる福音書が描く、異なる衣の象徴を見ているのである。
つまり、ジャンはクロードの告発を真正面から受け止めず、別の福音書の「衣」を持ち出すことで論点をずらし、罪を逃れようとしているように見える。
◎マイエが守ろうとする tunicam は「裂かれない衣」であり、ジャンが持ち出すcappettamは「分けられる衣」である。 この対立を踏まえるなら、二人のやり取りは、一つと思われていたマタイ福音書の衣を、ヨハネ福音書の2種類の衣の構図へと“裂き直す”象徴的な場面として読むことができる。
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ヨハネ福音書が言及する衣の「4分割」の象徴をユゴーの物語の側へ接続してみると、さらに別の糸が見えてくる。
ノートルダム・ド・パリに登場する割れた壺の象徴ははっきりと4分割される。

興味深いことに、グランゴワールもまた聖ヨハネの属性を帯びた人物として読むことができる。ジャンはランス編において聖ヨハネの図像を負っているので、この対応は偶然ではないだろう。ヨハネ福音書においても、兵士たちはイエスの衣を四つに分けている。
一方、クローヴィスの「ソワソンの壺」は割られるものの、その破片の数については語られない。クロード=クローヴィス=マタイの側では、象徴はむしろ分割を拒んでいるように見える。
しかし歴史に目を向けると、クローヴィス自身は死後、その王国をテウデリク、クロドメール、キルデベルト、クロタールの四人の息子に分けている。
フランク王国こそ、クロードの言う「裂いてはならないチュニック」だったはずである。にもかかわらず、実際にそれを四つに分けたのはクローヴィス自身であった。
そう考えるなら、グランゴワールが結婚の壺割りを「素朴」と評した言葉も、どこか皮肉に聞こえてくる。ジャンが兄の問いに沈黙したのも、この矛盾を知っていたからかもしれない。
また壺を割ったのはグランゴワールであり、ジャンはその分まで叱責を受けていることになる。そこには形式的とはいえ、グランゴワールとエスメラルダの結婚に対するクロードの不満も仄めかされているようだ。
こんな風にキャラクターはいくつもの属性を付され、象徴的に読んでいくと面白いが、キリがない。何年やっても終わらないので、ジャンが開いたもう一つの分岐――王家の血統に生じた〈裂け目〉へ目を向けたい。
第二景 マイエ=マチルドの図像
Mahiet(マイエ)と Matilda(マチルダ)、そして Mahaut(マオー)は、語源的には同一の名ではないが、中世フランス語における音韻上の近接性を考慮すると、象徴的な連想の連鎖として結び付けて読むことは可能である。
すなわち、
Mahiet(マイエ) ⇄ Mahaut(マオー) ⇄ Matilda(マチルダ)
という語形連鎖が、象徴的連関を形成する。
さらに、「兄弟の対話」が前景に置かれていることを踏まえるならば、この連鎖は、前記事サンス編で登場した「ラモンシャン伯の若い息子」を起点として、アルトワ家の系譜へと接続できるだろう。
そこに浮かび上がるのは、フィリップ四世治世下の政治的対立の渦中に置かれたロベール二世・ダルトワ伯をめぐる女性たちである。
マチルド・ド・ブラバン(ロベール二世の母)
マオー・ダルトワ(ロベール二世の娘、アルトワ女伯)
以下では、この「マイエ」という名の周囲に形成される象徴的連鎖を手がかりとして、彼女たちに結び付けられた「引き裂かれた物語」を順に見ていきたい。
① マチルド・ブラバン
(Mathilde de Brabant: 1224- 1288)
マチルドはブラバント公家の王女として生まれた。ブラバント公国は現在のベルギー中部からオランダ南部に広がる神聖ローマ帝国の有力諸侯領で、彼女は、帝国貴族とホーエンシュタウフェン家の血を引く姫君であった。

1237年6月14日(13歳の誕生日)、マチルドは フランス国王ルイ9世聖王の実弟、アルトワ伯ロベール1世 と結婚する。彼女の婚姻は、帝国と王国という二つの領域を結び合わせる。さらにその両端には、フランドルを含む北方の織物世界が広がっている。一本の糸が異なる布を縫い合わせるように、マチルドの系譜をたどることで、ブラバント、フランドル、アルトワという北方の世界が一つの織物として姿を現す。
アルトワ伯領の位置

マチルドは結婚によりアルトワ伯妃となる。
ロベール1世との間には 2人の子が生まれた。
◎ブランシュ(1248–1302)
◎ロベール2世(1250–1302)
しかし、ロベール2世の生まれた年、ロベール1世は 第7回十字軍に参加し、 1250年2月8日、マンスーラで戦死した。マチルドは 26歳で未亡人となる。
1255年マチルドは サン=ポル伯ギー3世(Guy III de Châtillon-Saint-Pol) と再婚する。
ギー3世との間には 6人の子が生まれた。
・ユーグ2世(1258–1307)
・ギー4世(1254–1317)
◎ジャック(1256–1302) – ルーズ領主、フランドル総督
・ベアトリス(1304没)
・ジャンヌ
・ジェルトルード
1302年、金拍車の戦いでロベール2世とジャックを失い、同年には娘ブランシュも死去した。
マチルドはその年、3人の子を相次いで喪った。
② マオー・ダルトワ
(Mahaut d’Artois: c.1268–1329)
マオーは、アルトワ伯ロベール2世とアミシー・ド・クルトネーの娘として伯領内に生まれた。彼女は、父方にフランス王家カペー家の血を、母方に十字軍国家ラテン帝国の皇帝家クルトネー家の血を、そして祖母方に神聖ローマ帝国の有力諸侯であるブラバント公家の血を受け継いでいた。すなわち、王家・皇帝家・帝国諸侯という三つの高貴な系譜が一点に交わる、当時としてもきわめて稀有な出自を持つ女性であった。

1285年、マオーは20歳年の離れたブルゴーニュ伯オトン4世と結婚した。
オトン4世(Otton IV de Bourgogne 1248–1303)は、神聖ローマ帝国側のブルゴーニュ伯領、 現在のフランス東部、スイス国境に近い(フランシュ=コンテ)を治めていた。 フランス王国のブルゴーニュ公(Duc)とは別の家系で、帝国に属する“東のブルゴーニュ”の領主である。

ここはフランス王国ではなく、 神聖ローマ帝国の領域(帝国伯領)だった。
つまり、マオーは結婚によって 、
フランス王家(アルトワ) × 皇帝領(ブルゴーニュ伯領)
という国境戦略上の巨大な結節 を結びつける存在になった。
1302年、父ロベール2世・ダルトワ伯が金拍車の戦いで戦死する。
本来ならば、すでに没していた長男フィリップの子ロベール3世が継承者となる可能性があった。しかしフランスの慣習法では、死者の子よりも、生存する近親者を優先する「血縁の近さ(proximité de sang)」の原則が働き、マオーがアルトワ伯領の継承者となった。
子女:
◎ジャンヌ2世(のちフランス王妃)夫の死後アルトワ伯を継ぐ
◎ブランシュ(のちフランス王妃)離婚され、幽閉のまま没
・ロベール(夭折)
娘2人がフランス王妃になるという異例の成功だったが、
ネール塔事件で二人の娘が嫌疑を受け、家系の正統性が揺らいだ。
※ネール塔事件:
1314年、フランス王フィリップ4世の3人の王子(ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4世)の妻たち(マルグリット、ブランシュ、ジャンヌ)のうち2人が、騎士ゴーティエ、フィリップ・ダネー兄弟との不倫を疑われ、監視・逮捕され、兄弟は拷問の末に処刑、王妃たちは投獄された事件。
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このように、マチルド・ブラバン、マオー・ダルトワのどちらも、“象徴的に衣を裂かれた(=血統を断たれた)女性”として読むことができる。
しかし、「兄弟の対話」において衣を裂く役割を担う人物はジャンであるはずであり、ここで一つの問題が生じる。果たしてジャンは、この二人の「マチルド」とどのように結び付くのだろうか。
第三景 ジャンの誤解と象徴の分岐
どちらの「マチルド」が「マイエ」を指しているのかを探るため、再びヨハネ福音書によって分岐したジャンの台詞へ戻り、その象徴的意味を読み解いていく。
ジャン:「へっ、なんてことない! モンテギュの、安っぽい短外套(カペット)じゃないですか!」
ジャンは衣を「モンテギュの、安っぽい短外套(カペット)」と嘲笑する。
ここで重要なのは、単なる貧者への侮辱ではない。『ノートルダム・ド・パリ』では、固有名詞の音や綴りが変換され、別の象徴へ導く仕掛けとして用いられることがある。
Montaigu モンテギュ という語にも、別の読みの可能性がある。
中世・近世パリで知られたモンテギュ学寮は、貧困と厳格な規律の象徴であり、「粗末な衣」を連想させる場所であった。しかし、この名を音としてたどると、モンテギュという語は、学寮の意味からさらに別の象徴へ分岐する。
montaigu 綴りと音を変えて⇒ monte gui = Guy
という分解が可能になる。
ここで現れる Gui(ギイ) は、マチルド・ド・ブラバンの再婚相手、サン=ポル伯ギイ3世(Guy III de Châtillon-Saint-Pol)を想起させる。
もしジャンの言葉がこの象徴変換を含んでいるならば、彼が裂いた「衣」は、マチルド・ド・ブラバンの系譜に結び付くことになる。
しかし、彼女の子供たちを金拍車戦で裂いたのはアルベール・ド・ラモンシャン伯の若い息子――フィリップ美王だったはずだ。
それが原因で、前回サンス編では、ジャンはフィリップ美王を殴っている。
マチルドの糸は一度途切れたように見える。
またしても、アリアドネの糸を手繰り寄せなくてはならないようだ。
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では、ジャンが裂く「衣」は、マオー・ダルトワ女伯のものなのだろうか。
ここで新たな糸が現れる。
マオーにはジャンヌという娘がいる。後のフランス王妃ジャンヌ・ド・ブルゴーニュである。そしてマオー自身は、マチルド・ド・ブラバンの孫、ロベール2世・ダルトワ伯の長女にあたる。
ここで思い出されるのは、ロベール2世の誕生が死後懐胎であり、その血統の正統性をめぐる問題を抱えていたことである。
もしジャンがギイ伯を「安物」と嘲り、その言葉によってマオーの「衣」を裂いているのだとすれば、その裂け目は彼女だけに留まらない。
それは、ロベール2世からマオー、さらにその娘ジャンヌ王妃へと連なるアルトワ家の系譜全体へと及ぶ。
ここでユゴーが描いているのは、単なる家系の断絶ではなく、血統という織物に刻まれた裂け目なのではないか。
◎ここまでの考察から、ジャンが裂いた「衣」はマオー・ダルトワ女伯の衣であり、さらにジャンの正体は、その娘であるジャンヌ2世へと重ねられている図像が見えてくる。
これはまさに、アラクネーによって織られ、同時に引き裂かれた運命の血統の布である。
ジャンヌは母の領地を継いでジャンヌ2世女伯となったが、男子を産まず、フランス国王はフィリップ5世の弟シャルル4世が継ぐこととなった。
しかし、ここでジャンがたどり着いた「裂け目」は、クロードが指し示していたものではなかった。ジャンは血統の布に刻まれた別の断絶を読み取っていたのである。
クロードが指していたのは、別の切り裂き事件の話だったのだ。
第四景 クロードの訂正:衣の種類
ジャンが「モンテギュの安っぽいカペットですよ」と矮小化した直後、 兄クロードは、冷ややかに、しかし決定的な一言を返す。
クロード:「訴えには tunicam とある。cappettam ではない」
再び、ヨハネ福音書における衣の種類が呼び戻される。
それは粗末な外套ではなく、身体を覆うチュニック――すなわち、高貴な血統を象徴する衣である。
ここで、マチルド・ド・ブラバンには、もう一人の重要な子供がいたことを思い出さなければならない。ロベール2世の姉、同じ年に亡くなったブランシュだ。彼女こそ、ロベール1世アルトワ伯とマチルド・ブラバンの「正統」な継承の糸である。
彼女はナヴァラ王エンリケ1世の王妃となり、その娘フアナはフランス王フィリップ4世美王の王妃となる。
フアナは父王を継ぎ、ナヴァラ女王フアナ1世となり、美王との間に4人の子供を持ったが、カペー朝は断絶した。
ここで重要なのは、フアナという名である。
スペイン語の Juana(フアナ) は、フランス語では Jeanne(ジャンヌ) となる。ジャンの女性形の名前だ。すなわち、「ジャン」という名の背後には、フランス王妃であり、ナヴァラ女王のフアナ1世の図像が重ねられている。

◎フアナ1世こそが、「ジャン」の正体であり、クロードの言う「マイエ・ファルジェル」ことマチルド・ブラバンの正統な娘(衣)であるブランシュの高貴な血統を断ってしまった存在である。
これでようやく、
「ジャンは、仲間に対して、馬で泥はねさせ嫌がらせしていたラモンシャンの若い息子を殴り、マイエ・ファルジェルの衣を裂いた」
という象徴的文章を、
「フィリップ4世美王(ラモンシャンの若い息子)は、叔父のロベール2世を戦死に追いやった。
だから、マチルダ・ブラバンの血統であるフアナ1世(ジャン)は、カペー家を断絶させ、美王に衝撃を与えた(殴った)」
と読み解くことができるだろう。
さらに、この血統の物語には、ヨハネの衣、クローヴィスの分配などで示された「4」という象徴が重なる。
レイモン・ベランジェ4世とその4人の娘、マオー・ダルトワの夫オトン4世、フィリップ4世、そしてその4人の子供たち。
これらの名前は、ユゴーの物語にも、フルカネリの解釈にも直接記されてはいない。象徴の糸をたどり、複数の場面に現れる共通の構造を重ね合わせたとき、隠れていた人物たちは一つの図像として浮かび上がるのだ。
第3部 塔の図像━ランスに立ち上がる三つの原理
フルカネリのヒントをもとに、ランスの街と兄弟の対話を対応させながら、その象徴の糸を読み解いてきた。最後に、この都市全体を一つの錬金術的図像として読むことを試みたい。
これまで眺めてきた、サンス大聖堂、サン=レミ大聖堂、そしてランスのノートルダム大聖堂という三つの聖堂。しかし改めて見ると、それぞれの姿は大きく異なっている。
フルカネリの言うように、建築もまた一つの象徴言語であるならば、そこにもまた、人物や系譜と同じように象徴の糸が織り込まれているはずである。その形の違いは、異なる図像を示しているのではないだろうか。
そこで、三つの大聖堂の形をタペストリーの図案として、錬金術的に読み解いてみたい。
第一景 一塔の大聖堂――始源と継承の柱
サンス編では、サンス大聖堂の「一塔」という姿を、聖ベルナール、ルイ9世、十字軍へと連なる「一なるものを保持する象徴」として読んだ。
一方で、アベラールは三位一体を分析し、分割する知の力を象徴していた。さらにマルグリット・ド・プロヴァンスとの婚姻は、この一なる王統に別の糸を導き入れる契機となった。
ランス編ではマタイ(マイエ)に話題が移り、新たな対立が現れる。マタイとヨハネである。マタイ福音書の冒頭を思い出すとき、サンスにあった「柱の家」の象徴を読み解くことが可能となる。
「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
……このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」
ここで語られているのは、父から子へ、名から名へと受け渡される系譜である。それは裂かれることなく続く一本の糸であり、アナンケーのタペストリーに織り込まれた継承の模様とも読めるだろう。
そのとき、一塔の聖堂という図像が新たな意味を帯び始める。
聖マタイに捧げられたサレルノ大聖堂である。

サンスという場所で象徴としてみた時、一塔という形には新たな象徴系が重ねられる。それは、父から子へ、名から名へと受け渡される血統の連続である。マタイ福音書の系譜が示すように、それは裂かれることなく次代へ運ばれる一本の糸であり、アナンケーのタペストリーに織り込まれた継承の模様なのである。
しかし、錬金術において第一質料がそれにふさわしい器を必要とするように、継承される糸もまた、それだけではタペストリーにならない。糸が織機を必要とするように、聖なる記憶と血統もまた、それを保存し、受け渡す場を必要とするのである。
第二景 三つの頂を持つ聖堂――神殿と聖なる容器
古いサン=レミ大聖堂の形は何だろうか。
正面から見ると、三角屋根の本堂を二本の尖塔が挟み込んでいる。その姿は、ランスのノートルダムとも、先に見た一塔の聖堂とも異なっている。

しばらく眺めているうちに、大聖堂ではなく、別の宗教施設が思い浮かんだ。それはモーセの幕屋である。
サン=レミのファサードは、この幕屋の図像と不思議とよく似ている。

さらに両脇の二本の塔は、ソロモン神殿の正面に立つヤキンとボワズの柱を思わせる。

そして興味深いことに、ルイ9世が建設したサント・シャペルもまた、同じ象徴的構図を備えている。これはランスを考察する中で気づいたことだ。
サント・シャペルはキリスト受難の聖遺物を納めるために建設された聖遺物庫である。

サレルノ大聖堂が聖マタイの遺骨を宿す場所であったように、
サン=レミ大聖堂もまた聖レミギウスの聖骸を祀る聖遺物の容器である。
しかし、ここで重要なのは聖遺物そのものではない。
モーセの幕屋は、単なる保管庫ではなかった。そこは神の臨在が現れ、人間と神が出会う場所であった。そして契約の箱が安置されたその空間は、神の意志がイスラエルの民へ伝えられる場でもあった。
やがて幕屋の思想はソロモン神殿へ受け継がれ、神と王権を結びつける聖なる中心となる。
その視点から見れば、サン=レミ大聖堂もまた単なる聖遺物置き場ではない。
ここは聖レミギウスがクローヴィスに洗礼を授けた記憶と結びつき、神の権威が王権へと受け渡される場所として現れる。
もし一塔の聖堂が血統という一本の糸を示していたのだとすれば、サン=レミ大聖堂は、その糸に聖性を織り込むための神殿なのである。
第三景 双塔の大聖堂――二つの原理の坩堝
新しいランスのノートルダム大聖堂は、パリのノートルダムと同じく本堂と双塔が一体になっている。

ここでは、その「二」という数に注目したい。
第一景では一塔の聖堂を、継承される一本の糸として読んだ。
第二景では三つの頂を持つ聖堂を、神と王を結ぶ神殿として読んだ。
しかしノートルダムに至ると、その構造は再び二つへと分かれる。
神と人間。旧約と新約。あるいは天と地。
双塔は、向かい合う二つの原理を象徴しているように見える。
私は音楽を専門としているため、この二分割構造から十四世紀の音楽理論「アルス・ノヴァ」を連想した。それまで完全性の象徴とされた三分割のリズムに対し、アルス・ノヴァは二分割のリズムを積極的に導入した。

フィリップ・ド・ヴィトリがこれを著したのが1322年。彼はフィリップ4世亡き後の王室に仕えており、その作品「フォーベル物語」では2分割された細かいリズムの歌によって、美王を批判している。
「3」の時代は神殿騎士団を解散させたフィリップ美王の時代で転換期を迎えたのかもしれない。
三から二へ。
その転換は、どこかサン=レミからノートルダムへの変化を思わせる。
フルカネリの解釈に従うなら、ノートルダム大聖堂は二つの異なる第一質料が出会う錬金術の坩堝である。
一なる糸が現れ、神殿の中で保存され、そして最後に二つの原理が向かい合う。
サンス大聖堂(一塔)からサン=レミ大聖堂(三頂)を経て、ランスのノートルダム大聖堂(双塔)へ至る流れは、まるで一つの錬金術的作業の進行を描いているかのようである。
まとめ。そして残った疑問
兄弟の対話にランスの街の象徴的タペストリーを重ねたとき、一つの対話の中から二つの図像が浮かび上がった。
ひとつはマタイとヨハネの図像。
もうひとつは、クローヴィスからルイ九世、さらにフィリップ美王へと連なる王統の図像である。
それらは別々の場面から導かれたのではない。何一つ書き換えられていない同じ兄弟の対話が、読む角度によって二つの象徴的構図を映し出していた。
どちらにも共通しているのは、「分割」の主題である。三から二へ。あるいは三から四へ。ユゴーは兄弟の対話の背後に、そのような分割と継承の構造を織り込んでいるように見える。
そして、大聖堂の形を追うなかで、新たな象徴も浮かび上がった。マタイ福音書冒頭のキリストの系譜である。
それによって、「マイエ(マタイ)の衣をジャン(ヨハネ)が裂いた」という言葉の意味も変わってくる。
ヨハネ福音書では兵士たちはキリストの衣(カペット)を分け合うが、継ぎ目のない下着(チュニック)だけは裂かなかった。
一方、マタイ福音書はアブラハムからキリストへ至る系譜を語る。
これまで兄弟は衣について争っているように見えた。しかしマタイ福音書の系譜を重ねたとき、クロードが見ていたのは衣そのものではなく、その背後にあるイエスの血統だったことがわかる。
すなわち、「マイエの衣をジャンが裂いた」とは、ヨハネ福音書の衣とマタイ福音書の系譜を重ね合わせる比喩なのである。
ジャンが裂いたのは単なる布ではない。マタイが冒頭で織り上げる、アブラハムからイエスへ至る系譜の織物だったのである。
ヨハネがイエスの系譜を裂くなど、いかにも都市伝説的な話である。もちろんそれを史実として語るつもりはない。しかし象徴の配置だけを見るならば、そのような図像が浮かび上がってくること自体は避けがたい。
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そして、このセリフには、なお一つ疑問が残る。
クロード「訴えには tunicam とある。cappettam ではない。おまえはラテン語を知っているのか?」
ジャンは答えなかった。
これまでの考察では、その正統性の象徴性から、tunicam をナヴァラ女王フアナ一世(ジャン)が断絶させたカペー王朝の血統として読んできた。
しかし、ここで別の読み方も可能になる。
もし cappettam を「カペット」、すなわちカペー家の象徴として捉え、逆に tunicam をそれ以前の系譜を指す言葉として読んだならどうだろうか。
その場合、ジャンが「安物」として語った衣は、サン=ポル伯家の衣ではなく、むしろフランス国王カペー家そのものだったことになる。
実際、ナヴァラ女王フアナ一世によって断絶したのも、カペー朝である。
もし tunicam がヨハネ福音書の継ぎ目のない衣であり、同時にマタイ福音書が織り上げる系譜の布でもあるならば、それは単なる王朝ではなく、さらに古い血統の記憶を指しているのかもしれない。
それはクロティルドへと遡るブルグント=チュートン人の血統なのだろうか。
あるいは、さらに別の系譜なのだろうか。
ジャンは黙っている。
考察を続けよう。
