クライミング:ランディングの重要性を教えない九州の外ボルダー講習
こんにちは。九州に来てクライミングをやめた、Kinnyです。
なんか、いろいろ複雑なことが起こっているんだろう…とずっと以前にコメントしていた内容に返信がついて、久しぶりに読み返し、なんだかなーって気持ちを言語化しておくことにした。
SNSを漁っていると、どうも様子がおかしい。岩とジムをそもそも勘違いしてる輩が多い。
少なくとも関東のクライマーには認知度が高いので例にあげると、御嶽の忍者返しの岩が、もうなんていうか、下手くそしかいない。虫をやってる奴も、カニをやってるやつも、中級者の仲間入りしたい忍者返しをやってるやつらも例外なく。
何が下手かって、着地とマットの使い方。
JohnQさんの記事。九州では小山田大さんは、鹿児島出身であることもあって、人気だが、この記事の扱いでは、微妙な感じのようである。SNSというのはどこのことなんだろうか?
私は小山田さんがまだクライマーになる前に、小山田さんにクライミングを教えた米澤さんと言う老クライマーのご近所に住んでいる。九州ではよく知られた人だ。それで、しばらくご一緒していた…。
九州に来て、ボルダーが良いらしいから…というので、ボルダリングにデビューしてもいいかもしれないと一時は考えたが、長崎の展海峰で開催された初心者向けのボルダリングフェス、鹿児島の岸良海岸で開かれたボルダリングフェスの両方に参加してみての感想は「こりゃだめだ…」だった。
何がダメだったのか?
ちなみに、これらのフェスに出る前に、私は、山梨でカラファテの中根穂高さん主催のボルダー講習、故・吉田和正さんとのプライベートクライミングでの外ボルダーが経験済みだった。
まず、外ボルダーでのリスクは何だろうか?
あのね、登ったら降りないといけないんですよ?
岸良海岸でのことだ、2級を登り切った男子が降りれない。そのボルダーは真ん丸でどこにも歩いて下れる弱点がなく、降りる方法はジャンプだけ。
5分ほどうろうろした結果、その男性は思い切ってジャンプ。下地は海岸の岩。それにクライミングシューズのうすーい靴底で着地できないといけないわけだ。
これは、2級であっても、5級であっても、おなじで、ボルダーは登る前に降りることが可能な岩かどうかを見てから登らないといけない。
中根さんの講習では、10級や9級をまず登らせる。そしてそこから降りさせる。すると次に、より高い難度の課題を登った人はそこを普通に使って降りるようになる。一つの岩を360度ぐるりの眺めて、どこから降りるか?吟味してから、登るのだ。
クライムダウンとなると、クライムアップよりも体の使い方が難しいのだ。
私は普段からジムでもクライムダウンを練習していたので、そこまで大変ではなかったが…。
岸良でも、展海峰でも、それが全くなかった。
展海峰では、フェスは初心者向けと銘打ってあり、しかも、長崎フリークライミング協会の主催だった。
すると、トポに5級以下はぜんぶ5級と書いているという説明。そして、リスクの説明が、外には蜂がいるから気を付けましょう、というそれだけ。何とも頓珍漢なリスク管理だ。この人たちは本当にクライマーなのだろうか?
登り始めたら、スタッフが巡回するとのことだったので、そのスタッフの様子を見ていたら、登り方は教えるが、マットの使い方、マットをランディングに合わせて移動しないといけないこと、スポットなどの指導はゼロ。
ただもう烏合の衆のようなクライマーが好き勝手に自分の登りたい課題を目指すだけの活動だった…。
現場では「自己責任」と言う言葉は、「何が起きても自分のせい(あるいは死んでも文句を言うな)」という、放任主義の免罪符として使われている。
ので、これは、”こんなのにつき合っていたらこっちが殺される!”と思って、途中で自分のマットは回収し、散策に切り替えて、後は全部登っているクライマーを見学する方に切り替えた。
岸良と変わらず、ジャンプで降りるようだった。ほんと危険。これは冒険なんかじゃない。ただのリスク管理不在の野放図な子供が保護者不在で遊んでいるだけだ。5歳児と変わらん。
これじゃ、早晩、登り切って降りるジャンプで、足首やらないかが核心だな。登る方より。それなら、ジムと変わらん。むしろ、クラッシュパッドのほうが薄いわけなので、まったく危険極まりない、と言う感想になった。
つきあってられない。
これが私が九州ではボルダリングもヤル気に慣れない理由だ。
ああ、山梨のころは楽しかったなぁ…。ロープクライミング、アイスクライミング三昧していたが…。
アイスクライミングの出身の私に、故・吉田和正さんは、初登を作ってくれようとしていた。しかし、そこ、すごいマントルが一か所出てきて、私はマントルがかなり苦手だった。なんせマントルって、ジムで出てこないし、アイスではマントルのムーブは、フリーの時と少し違う。だいたいはフラッギングでこなすのだ。
それを察した吉田さんが、ボルダーを用意してくれたことがあったが、案の定お腹をついてへばりつき、みっともないマントル。これが、完璧に制御できるようになるまで、たった1.2mくらいのそのボルダーを登りこんだのだった。
その岩を見繕ってくれたのは、世界のトップまで上り詰めた吉田さんなのだから、クライミングが楽しくないわけがないのである。
ああ、あの頃に戻りたい。
中根さんの講習にせよ、ピラニアでのクライムダウンの習慣にせよ、吉田さんとのクライミングにせよ、何か特別なことをしたわけではない。
ごく普通の流れのクライミングだと思っていた。ところが、九州に来たら、その普通がどこにもないことに気が付いた。
普通がない代わり、あるのは、無責任、無謀、無知のようで、肝心の主催者本人たちが、そのクライミングの何が悪いのか?まったくをもって無自覚なようだったのだ…。
いやー危険すぎて、一緒に登れない!と相成った。
私は43歳からクライミングをスタートした女性クライマーであるので、この業界を世直ししたり、リーダーシップを発揮したりする立場にはないと思うが…。
その責任を担うのは、いったい誰なんだろうか?
小山田さんは、未だにFBで、開拓期をアップしているし、開拓を続けるのがトップクライマーの生き方の一部であるのは、まぁそうだろうと思う。
一方の、米澤先生も、老開拓者で、2020年においてカットアンカーで開拓し続けるという時代遅れはさておいても、地道に山を歩き、見つけた岩場にルートを引くというのは、古典的山ヤの終末期の活動としては、まぁそんなもんだろうと思う。御年74歳、現在は80歳だろう。
故・吉田さんも、中根穂高さんも、同様に、自分が見つけてきた未発表の岩を登らせてくれたわけだし、その行為に何の差もない。
しかし、なんとも違う影響度。
この差は何なのだろうか?
余談だが、九州ではロープを出すクライミングのほうも、残置に直接ロープをかけてローワーダウンするというローカルルールだったようで、おったまげた。そんなことをしたら、小川山では非難の嵐になること必至だからだ。
そして、ある時、灰色にペイントされた怪しげなボルトのルートを良いところだからと言われて登ることになったんだが…ペイントの奥からさび色が見えており、これは何か怪しいなと思い、核心部では、クライムダウンで処理。つまり、いきなり落ちて、そのボルトに衝撃加重2はかけないで、核心ムーブがこなせなかったら、そろっと降りることにしたのだ。2度、3度、それをやっていたら、ムーブが出てきたので、無事、ボルトにぶら下がることなく、登れた。
すると、このクライミングを見た人たちは、「チキンだ」と言うのだ。
え?!である。こういうのは、ヨーヨー登りに似ているので、クラシックな登り方かもしれないが、あのボルトにいきなり体重を預ける方がどうかしている、というのが、まぁ、山梨界隈での常識的な登り方だったのだ。
というので、リードのほうでも驚いた。
そして、その課題はほんの数か月後にJFAがリボルトした。
リボルトを担当した人から、「替えてあげましたよ」と連絡がきたが…もう、この件で、「リボルトしなくてはいけない課題に私を登らせたら、JFAが動いてくれる」実績を作ったのではないか、と思ったので、そんな迷惑なことはできないと、もうクライミング自体をやめることにした。
なにその出汁に使うやり方…。私は利用されていたのではないだろうか?
自分たちが登る岩場の自分の命がかかるボルトのメンテナンスが、いやなら、クラックを登ればいいだけだと思う。
ちなみに、吉田さんと登っていた課題には、終了点すらなかった。
まぁ、話が飛んだが、自己責任、ということがどこにも見当たらなかったというのが私が言いたいことだ。
以上終わり。
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