アメリカ移民制度体験記:オペアで働いていた、あの頃
こんにちは。大阪外国語大学英語科卒業のKinnyです。
こんな動画を見ました。これは私の若いころの経験をシェアする意味があるかもしれません…
私は、シングルマザー、三人兄弟の長女。進学率100%の高校に進んだものの…どうやったら大学を出れるのかわかりませんでした(汗)。
それで、人生2度目の鬱に…。高校一年生の時です。地元の小中学校では、常にトップ争いにいたものの、のんびりとしたものでした…小学校お受験も何がお受験なのか分からないうちに終わっていたし、まじめに頑張ったのは中学受験だけ。高校では本当は進みたい道がありましたが、成績にゆとりがあり、進学校へ。当時から海外留学にあこがれていました。
母は団塊1世で、アメリカかぶれ。ビートルズを子守唄にして育ち、マドンナとマイケルジャクソンが青春です。松田聖子とタノキントリオの時代で。
それで大学は夜学に進み、自腹で学費を払う日々だったのですが、3年の時に、大学の先輩のつてで、海外でのオペアという仕事が舞い込み、飛びつきました。
留学なんて夢のまた夢と思っていた時に、海外で働く機会を得れるなら、つかまない手はないからです。
それで、サンフランシスコ郊外で、オペアとして働くことになったのですが、これはアングロサクソンの伝統です。教養がある若い女性に、子供の面倒を見させる。アメリカは、女性の社会進出が進んでいますが、子どもにしわ寄せが行かないように、法律で、子どもだけで留守番するとかできないんです。
オペアというのは、住み込みのベビーシッターです。それで、行ったんですが、一年のビザを取っていきました。雇い主は、その家の人です。行ってみたら、大学教授の奥様と内科医の旦那様のカップルの家でした。つまり、お金持ち。周囲はバスケットボール選手の家などで、『ビバリーヒルズ青春白書』みたいな家でしたけど…。周囲には、私のようなオペアが多く、多くは東欧の人で、チェコやポーランド、ドイツの人などでした。東西ドイツが併合になってすぐのころだったからです。
私は、当時20歳でしたが、アジア人オペアは一人だけでした。ほかはみな、東欧か、中南米の人。そして、私のお給料は、コロンビアから来ている人の半分でした。当時アメリカのベビーシッターは自給が15ドルくらい。計算してみたら、住み込みなので負担感がないといえど、私の時給は、2.45ドルくらいでした。いやー。
結局アメリカ経済の発展は、安い移民たちの労働力に支えられているのだ、ということが分かったのでした。
奴隷制度廃止になっても、お金を介してやっていることは同じなのでは?と感じたアメリカ史の学徒であった若き日の私。
やはり、アメリカは、というか、WASP社会、アングロサクソンの人々は、誰か弱い人から搾取することで得た富により支えられている…という世界のリアルを自分を当事者化しながら実感。
そんな体験が私のアメリカでの2年でした…。
当時アメリカでは6年暮らせば、グリーンカードがもらえるようになっていましたが、不法移民として6年暮らすのは結構大変です。以後、厳格化され、そうしたことができなくなっていったと記憶していますが、そうではなく、法制度の改正が遅れていただけみたいですね。
でも、欧州各国でも移民制度は破綻し、オーストラリアやカナダでも同じみたいです。
一体、これが、人種差別や搾取ではなくて何なんでしょう?
皆が自分の国をよくするために仕事をすれば、その国はあっという間にアメリカ並みに豊かになるのではないのでしょうか?
例えば、日本みたいに?
