二人で今日も、生きていく~「絶望」と「希望」のあいだに
夢枕獏『大江戸恐龍伝』(小学館)は、
江戸の奇才・平賀源内が、生きている恐竜に出会うという、
奇想天外かつ壮大なスケールの小説です。
その中で、いちばん印象に残っているのはこんな場面——
江戸の海で、アンモナイトを思わせる不思議な生き物が獲れる。
これを、「解体新書」で有名な杉田玄白が腑分け(解剖)をし、
「これは貝ではなく、イカやタコの仲間だ」
と学術的に結論づける。
一方、平賀源内も同じ結論に達するが、その理由は——
焼いて醤油をつけて食べたら、イカやタコと同じ味がしたから。
理詰めで結論に至る玄白。
直感と経験で見抜く源内。
アプローチはまったく違っても、たどり着いた答えは同じ。
——このエピソードは、私にとって特別な記憶と重なるのです。
突然、突きつけられた現実
今となっては、もうかなり昔のことになります
ある日、私のツレに、病気が見つかりました。
病名は控えますが、それは決して軽くはない、
むしろ、かなり厄介なもの。
最初に検査入院をした地元の病院では、こう言われました。
「患部が大きな血管に近すぎて、手術は難しいかもしれません」
その意味を理解するに、時間はかかりませんでした。
要するに、手術ができないということは——
いや、考えたくもありませんが、
最悪の想像をしないといけない状態。
「なぜこんなことに……」と考えるのも虚しく、
二人して涙にくれるばかりでした。
一難去って、また一難
それからしばらくして、私の知り合いのツテで、
ある病院の専門医を紹介してもらうことができました。
その先生は、その病に関して数多くの手術実績を持っている、
いわば「プロ中のプロ」。
少しだけ希望が見えてきた……
とはいえ、けっして安心、というほどではありません。
そんな中、手術の日程が決まりました。
8月8日。
カレンダーを見て、愕然としました。
——その日は、「仏滅」だったのです。
「仏滅」と聞いて、
気分が良くなる日本人はあまりいないのではないでしょうか。
万事に凶。
縁起が悪い日。
何をするにも良くない日。
何も、「仏滅」に、命をかけた手術をしなくても……
としか思えません。
だけど、手術日はこちらで選べるものではなく、
手術をしないという選択も、またありえないのでした。
だけど、よりによって「仏滅」とは……。(無限ループ)
どうしても、悪い方にばかり考えてしまいます。
それは、当の本人も同じのようでした。
仏滅の、もうひとつの意味
縁起でもないことばかり浮かんでくる日々。
こうなると、逆転の発想で、
「仏滅」をポジティブに解釈するしかありません。
どんな風に解釈しようと自由なんですが、
まずは、この道の権威(Google先生)を頼り、
言葉のそもそもの意味を確認します。
ちょっと調べるとすぐにわかりました。
仏滅というのは、
「悪い縁や古いものを手放し、新たに生まれ変わる日」。
つまり、
「もっとも悪い、ドン底から巻き返す!」
とも考えられるわけです。
——なんのことはない。
新しい解釈も何も、「仏滅」という言葉自体に、
元々、ポジティブな意味合いも含まれているのでした。
ついさっきまで、あんなに不安だったのが、
ちょっと不思議にさえ思えてきます。
こうなると、むしろ、
「これほど、手術にふさわしい日はないのでは?」
なんて思えてきたり……。
——状況は何も変わっていないのに。
カツ丼と、最強の結論
手術のために入院する当日。
「これからしばらく、病院食が続くだろうから、
おいしいものを食べに行こう」と、
ちょっとした店(カツ丼屋)に立ち寄りました。
どうしてもカツ丼が食べたかったから……
というわけではなく、
「手術に勝つ」という、精一杯のゲン担ぎ。
そこで、私は切り出しました。
「手術の日なんだけど……」
ツレは、
「ん?」
とだけ言って、こっちを見ています。
私は、あの大発見を劇的に伝えようと、
「仏滅って、考えようによっては、縁起がいい日らしいよ。
悪いものを断ち切って、新しい自分に生まれ変わるんだって!」
ことさら明るく言うと、
「あー、その話?」
拍子抜けしたような顔になって、こう言います。
「それ、私も、考えたんだけど。」
なになに?
「8月8日。末広がりで、いいかなって。
ダブルだし。」
……なるほど。
単純だけど、これは強い!
二人で、顔を見合わせて笑いました。
——まったく違うルートでたどり着いた、同じ結論。
私たちは、視点も、考え方も違う。
性格も、得意なことも違う。
だけど、だからこそ、お互いを補い合える。
二人合わせたら、最強だ——
心の中に、そんな言葉が自然と浮かんできました。
そして。
——これからも、一緒に生きていきたい。
そんなことを考えながら、
残りのカツ丼を、二人で黙って食べたのでした。
そして、8月8日。
手術当日です。
生きた心地もしない中、ただただ長い長い時間が過ぎて、
ようやく、手術中のランプが消えました。
——無事に終わった……らしい。
安堵とともに、ただ、力が抜けていきます。
手術室から運ばれてきたツレの顔を見て、
「ああ、無事に終わったんだな……」
と実感し、こみ上げてくるものがありました。
一度は、「無理」と言われた難しい手術。
絶望と希望のあいだを行ったり来たりしながら、
たどりついたのは「これ以上ない、最高の結果」でした。
——8月8日は、最高に縁起がいい日。
ご尽力いただいた方々に、感謝あるのみです。
これからも「最強の二人」で
それから数年が経ち、術後の経過も良好。
おかげさまで、無事、過ごしています。
私たちにとって、8月8日は、
「命を助けてもらった日」。
今も、8月になると、
あのときの出来事を思い出します。
でも、不思議なことに、脳裏に蘇るのは、
手術中、不安な気持ちで待っていたあの時間よりも、
二人で同じ結論に笑い合った、あのカツ丼屋の光景。
「最高の日」そのものではなく、
「最悪の日」を、二人で「最高の日」に変えたあの日。
それが、何より忘れたくない、
大切な記憶として残っています。
助けてもらった命を大切に生きること。
そして、「いつか」ではなく、「今」を楽しむこと。
私たちは、手術のあと、そう誓いました。
これからも、二人合わせたら最強だ、という気持ちと
あの日のカツ丼の思い出を胸に。
二人で、一生、
死ぬまで、長生きしたいと思っています。
<関連note>
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