クリエイターとして、生きていく~夜空ノもっとムコウ
ある日、noteのおすすめに出てきた、
コロコロ作ってみた【ミコミココミック】
という記事を読んで、電撃⚡が走りました。
その、あまりの面白さに。あまりの熱量に。
<勝手に紹介文>
イラスト系専門学校の授業で「自由に作品集を作っていいよ」と言われた倉箸なーこ先生が、小学生の頃からの作品(マンガだけでなく、小説やイラスト、演劇台本まで!)を集大成して「ミコミココミック」(自分のオリジナル「コロコロコミック」)全750ページを制作するドキュメンタリーです。
小学校時代からの集大成……!
私も、クリエイターの端くれとして、
この記事は、いろいろ刺さるもの⚡がありました。
倉箸先生は、将来ある専門学生。
こちらは、50も近い人生折り返しランナー。
※実際は50過ぎていますが、
“60よりは50に近い”ということで……(^^;
その差、約30年——‼
30年か……(遠い目)
私が遠い目をするとき、頭の中に流れ出す曲があります。
それは、SMAPの『夜空ノムコウ』。
「あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…」
で始まるアノ名曲です。
この曲、とにかく、エモい!
まぁ、昔から。
“聞いた瞬間”からエモい曲なんですが。
実際に「あのころの未来」に立ってから聴くと、
また、エモさ100倍(当人比)なんですよ。
今日は、改めて『夜空ノムコウ』に浸りながら、
「クリエイターとして生きていく」思いを語る話です。
ぼくの心のやわらかい場所を 今でもまだしめつける
「ぼくの心のやわらかい場所」ってなんでしょう?
原曲の歌詞としては、人それぞれ解釈があると思いますが、
今回の文脈としては、クリエイターの魂(タマシイ)。
それも、遠い昔の、原点に近いような——。
自分の胸をしめつける、遠い記憶。
思えば、物心ついたときから、何かを作っていました。
小っちゃな頃から、クリエイター。
物書きで、マンガ家で、編集者でした。
<創作の思い出>
・落書きレベルを超えて、
最初に何かを創り上げた記憶は、
挿絵付きで作った「昆虫図鑑」。
昆虫に限らず、
小学館や学研の図鑑が大好きだった。
・小学校の頃は、よくマンガを描いていた。
藤子不二雄先生を崇拝していた(今も)私は、
自分でもマンガを描いて、単行本もどきを作る。
(完全オリジナルの他、「ドラえもん」の作中に
数コマだけ出てくるマンガの続きを描いたり…)
・自分のオリジナルマンガを題材に、
「〇〇全(オール)百科」や「●●大百科」を
作る。(今も昔も「設定」好き)
・小学校の授業で、壁新聞を作ったときは、
一人せっせと4コママンガを描きまくる。
・そして、ついには、自作のマンガを集めて、
My「コロコロコミック」を作ったりする。
・そうそう、迷路を書くのも好きだった。
クラスでノートに迷路を書くのが流行った時は、
今思うと、自分でも引くほどの超大作を作る。
(やり始めたら止まらない。筋金入りの凝り性)
・絵を描くのは大好きだったが、
色をぬるとどんな絵もたちまち台無しに(^^;
・そんなこんなで、マンガは殆ど描かなくなった。
(約15年後、デジカメで撮った写真をもとに、
実写4コマの制作に目覚めるのは、また別の話)
・代わりに、書き始めたのが文章。
宮沢賢治を読んでは、宮沢賢治風の童話を書き、
夏目漱石を読んでは、夏目漱石風の小説を書き、
谷川俊太郎を読んでは、谷川俊太郎風の詩を書く。
・中学生になると、雑誌っぽい何かを作り始める。
身の回りのできごと。
お気に入りの本や音楽、映画の話。
好きだったオールナイトニッポンをパロって、
読者投稿のページをでっちあげたりもした。
友人に協力してもらって、ネタを集める毎日。
SNSのない時代によくやったもんだ。
・高校時代は、先生の口癖や授業のエピソードをネタに、
おかしな参考書を自作していた。
・「文章を仕事にしたい」となんとなく思っていたが、
清水義範氏のパスティーシュ(模倣小説)を読み、
「私が書きたかったのはこういう作品だ!」
と震える、と同時に
「私はプロにはなれない」と打ちのめされる。
・大学に入ると、ワープロ(死語)を購入した。
文章フェチにワープロ。
これはもはや、水と餌を大量に得た魚、である。
もう、どこから書き始めてもOK、
加筆も削除も切り貼りも、思うがまま。
いくらでも編集し放題。
この面白さにハマり、創作意欲は最高潮に到達。
・目につく様々なものを素材にパロディにして、
独自のパスティーシュ作品を大量に生み出す。
・社会人になった頃、インターネット時代が到来。
個人が「ホームページ」を作れるようになると、
私もいち早く創作系のホームページを立ち上げ、
言葉遊びなどテキスト中心のコンテンツに加え、
写真、動画、音楽などにも創作の枠を広げる。
「ホームページ=個人雑誌」との認識から、
「有益な情報発信?なにそれおいしいの?」状態。
・その後、結婚してからは、
家族のアルバムや旅行記等に興味が移っていく。
・絵本や木のおもちゃに熱を上げていたときには、
近所の「絵本とおもちゃの店」の会報誌に、
絵本やおもちゃの紹介記事を連載してみたり……。
——ここぞとばかりに、思い出すまま、
いろいろ書いてみました。
個人の、超個人的な思い出話をお読みいただき、
本当にありがとうございました。
こうしてみると、遠い昔の、
クリエイターの卵としてのタマシイは、
その後の未来につながっていたといえそうです。
それなのに、なぜ、私の胸はしめつけられるのか。
悲しみっていつかは 消えてしまうものなのかなぁ…
悲しみが消えるかどうかの前に——。
作品って「いつかは消える」じゃなくて、
「気づいたら消えてた」ってことが多いんですよね。
捨てたり。捨てられたり。
引っ越しのときに整理したり。
フロッピーが読めなくなったり。
Webの無料サービスが終了したり。
ハードディスクがクラッシュしたり。
ハードディスクがクラッシュしたり。
ハードディスクがクラッシュしたり。
(何回クラッシュしとんねん…)
いつなくなったのかもわからない、過去の作品たち。
あー、あの作品、もう二度と読めないんだな…。
と思うと、たまらなくせつないです(涙)。
結論。
(作品を失った)悲しみは、いつか消えたりしない。
時々思い出しては、そのたびに悲しくなる。
そして、私に、これまでの著作を集大成した
「大全集」を作ることはできない……(慟哭)。
ぼくの心のいちばん奥で から回りしつづける
過去の作品が残っていない、
もう二度と読めない、と思うと、
なおさら、輝いて見えてくるものです。
残っていれば、
本の形でまとめることができたのかなぁ……
「きのころコミック」とか。(語感がいい)
「きのころ文庫」もいいね。(語感が)
釣り逃した魚は、無駄に大きい。
失われた作品は、常に、世紀の大傑作(だったかもしれない)。
デジタルネイティブの人たちは、
すべての作品が、クラウドに保存されたりするのかも。
いいなぁ。
でも、それはそれで、
デジタルタトゥーの問題が発生しそうではありますね。
消えてほしいのに消えない黒歴史——。
それはイヤかも。
——ところで、唐突ですが、私のツレは、
高校の美術の教員免許を持った、ガチ絵描きです。
イラストもマンガも描けますし、
コミケに出店したこともあるというツワモノ。
そんなツレにも、
倉箸なーこ先生のnoteを読んでもらいました。
感想は……
「面白かった!」(だよね、だよーね⁉)
そこで、続けて、
「自分のコロコロ、作ってみたい?」と聞いてみたら、
「絶対イヤ‼」
という、力強い拒絶反応が返ってきました。
(おそるおそる)
「もし、自分が死んだ後、誰かが勝手に、
コロコロコミック作ったらどうする?」
って聞いたところ、食い気味に、
「化けて出て、出版やめさせる‼‼‼」——
結構な剣幕でした。
そんなにイヤなのか……。
あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ…
自分の著作をまとめるにしても、
過去も含めて、まとめたい人と、
過去は黒歴史として、封印しておきたい人、がいるらしい。
我が家には、ちょうど2種類いました。
片や、
マンガ家に憧れて、挫折し、
物書きに憧れて、紆余曲折し、
それでも、自分が面白いと思うことを探しながら、
あらゆる機会に、自分の創作の場を見出す。
ちなみに、会社員時代も、商品企画や研修資料の作成など、
遊べる余地がある限り、全力で遊んできた。
遊びも仕事も真剣に。(キリッ)
片や、
高校美術の教員免許を持っているのに、
美術教師にはならなかった。
油絵が専門なのに、絵描きにはならなかった。
PCでイラストも描けるのに、イラストレーターにならなかった。
コミケに出展するほどのガチ勢でありながら、執筆は封印した。
ついでに言うと、
書道●段の腕前を持ちながら、いまや筆ペンで年賀状すら書かない。
……どちらも、なんだか根っこが少し似ている気がします。
漫画家になろうというわけでもなく、
小説家になろうというわけでもなく、
マンガや小説をせっせと書いていた小学生の私たち。
——あれから約40年後の、「あのころの未来」。
将来は文章で食べていければいいなと淡い期待をしていた私。
教員免許取得のため教育実習に勤しんでいた大学時代のツレ。
——あれから約30年後の、「あのころの未来」。
思えば遠くへ来たもんだ。
夜空のむこうには 明日がもう待っている
このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…
雲のない星空が マドのむこうにつづいてる
私たちの夜空は、小学生の頃から続いている夜空の、
その先の、もっと向こうに続いている。
人生の折り返し地点を超えて、
さらに広がっていく未来。
このまま書き(描き)続けていけば、
過去40年間の積み重ねすら超えるような、
新しい作品たちが生まれてくるかもしれない。
もちろん、超えたいのは「量」だけじゃなく「質」。
ここで、私が40年来敬愛する中島みゆきさんの
『みんな去ってしまった』というアルバムに
手書きで収録されているお言葉を紹介します。
変わりたくない、と思いながら 変わってゆく人
変わってやろうと思いながら、 あんまり変わんない人
きっと どちらも 似たような事をしているんだろう。
どうせ変わるなら、変わるぞと思って 変わりたいし、
変わらないなら、変わってたまるかと思って、 変わらずにいてみたい。
ところが、 私は どんな顔をしていたというのか…
それが いつでも わからない。
今日、改めて読み返してドキッとしました。
私も、変わっているようで、あんまり変わらない。
変わっていないことに安心している自分もいたりして……
そんなところも、案外、
「自分らしさ」、「自分の良さ」、なのかもしれません。
でも、やっぱり、こう思います。
どうせなら、進化していくぞと思って進化していきたい、と。
いくつになっても、何かを創り続けていたい。
そんな思いから、今、私は「マルチ・ポテンシャライター」(※)
と名乗り、物書きとしての創作活動を続けています。
(※)「多様な可能性(マルチ・ポテンシャル)を持つ人」という意味の「マルチ・ポテンシャライト」(multi-potentialite)と「ライター」(writer)をカタカナ英語のマジックで無理やりくっつけた私の造語です。
過去の作品はなくなっても、これから作品を生み出し続ける限り、
「大全集」の作成は可能なんじゃないか。
そう妄想することは、自分にとって、もの凄く楽しいことです。
今はまだ50代。
晩年まで「もっとうまくなりたい!」と描き続けた葛飾北斎のように!
晩年に至るまで「あなたの最高傑作は」という質問に
「ネクストワン(次の作品)」と答え続けたチャップリンのように!
いくつになっても、クリエイターとして、創作していきたい。
いくつになっても、クリエイターとして、成長していきたい。
きっと私は、「創作が好きな自分」が好きなんだと思います。
だからこれからも、「自分を好きになれる作品」を作り続けていきたい。
あのころ(昔)もいいけど、
「あのころの未来」もいいよね。
そんな風に、自分自身が胸を張れる作品に出会うために。
クリエイターとして、生きていく。
それが、私、「きのころの未来」です🍄
たくさんのnoteの中から、私の記事を見つけて読んでいただき、
ありがとうございました。
「なんかいいかも」と感じていただけたら、
スキやフォローで合図を送ってもらえると、とても励みになります。
どうぞ、よろしくお願いします。
【追伸】
この記事の舞台裏(ライナーノーツ)的な記事を書きました。
あわせてお読みいただけますと幸いです🍄
