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能 MUSIC, 能 LIFE.~静けさの中に、人生の音がある

「NO MUSIC, NO LIFE.」
あまりにも有名な、タワーレコードのコピーです。

「音楽のない人生なんてありえない」という思いを、
シンプルで力強く表現した名フレーズですよね。

私はこれまで、この言葉を元に、
多くの思考実験的なエッセイを書いてきました。

今回は、この「NO」「能」だったら——?
と考えてみました。

「能 MUSIC, 能 LIFE.」


能力の「能」でも、本能の「能」でもないですよ。
日本の古典芸能、能楽の「能」です。

いくらなんでも無理やりすぎだ!
——と思われるかもしれません。

でも、考えれば考えるほど、これはただの言葉遊びではない、
むしろ、生き方そのものを問い直すフレーズかもしれない、
と感じるのです。

最後までお読みいただければ、きっと、

「イエス!
 能 MUSIC, 能 LIFE.」

と言っていただける…と思います。

「能 MUSIC, 能 LIFE.」をじんわりと感じていただくため、途中で、サブリミナル…もとい参考イメージを挿入していきます(笑)。
本文とは特に関係ありません。


さて、ここでひとつ、当然のツッコミが入るでしょう。

——そもそも、能って、MUSICなのか?

たしかに、私たちはふだん、
能を「音楽ジャンル」としてはあまり捉えていません。

ロック、ジャズ、クラシック、ポップス。
そこに並べて「今日はちょっと能でも聴こうかな」と言う人は、
かなり限られていると思います。

通勤中にイヤホンで能。
ドライブのおともに能。
夏フェスの大トリが能。

……書いていて、なかなか強い絵面です。

でも、よく考えてみると、
能はかなり「音」でできた芸術です。

笛がある。
鼓がある。
謡がある。

そして何より、
「音が鳴っていない時間」まで含めて、
ひとつの世界として成立している。

これはもう、かなり本格的に、音楽です。

ただし、私たちが日ごろ親しんでいる音楽とは、
だいぶ聴き方が違う。

サビで一気に感情を持っていってくれるわけではありません。
イントロ数秒で「キタ―――(゚∀゚)――― !!」ともなりにくい。

でも、能の音は、
そういう「わかりやすい強さ」とは別のところで、
じわじわと効いてきます。

それは、耳を奪う音楽というより、
心のどこかに居残る音楽です。

大音量ではない。
派手でもない。
親切に盛り上げてもくれない。

なのに、不思議と残る。

この「残る」という感じは、
人生においても、案外とても大事なのではないでしょうか。


現代は、なにかとうるさい時代です。

情報も多い。
主張も多い。

感情も、意見も、
できるだけ大きな声で出したほうが勝ち、
みたいな空気があります。

もちろん、それが必要な場面もあるでしょう。

でも、ずっとフォルテで生きるのは、しんどい。

ずっとサビだけで押し切る曲は、派手ですが、
聴いているうちに疲れてくるでしょう。

人生もまた、常時クライマックスでは息切れしてしまいます。

その点、能は違います。

ほとんどAメロにもなりきれないような顔をしながら、
きちんと人の心を揺らしてくる。

しかも、大騒ぎせずに。

これは、なかなか高度なことです。

私たちはつい、
目立つことと、響くことを混同しがちです。

大きな声の人は、存在感があるように見える。
派手な出来事があった日は、充実していた気がする。

でも、本当にそうでしょうか。

人生のなかであとからじわじわ効いてくる出来事は、
案外、静かなものだったりします。

ふと誰かにかけられた一言。
たいした事件ではなかった、ある日の空気。
派手ではないけれど、なぜか忘れられない時間。

そういうものは、
バズらないかわりに、深く残ります。

能の音楽には、そういう種類の力があります。

耳をつかむ、というより、
気配ごと染みてくる。

だから私は、
「うるさい人生」ではなく、
「響く人生」を選びたいな、と思うのです。

大きく鳴らなくてもいい。
いつもテンション高くなくてもいい。
毎日がドラマチックでなくてもいい。

その人なりの音色で、
その人なりの余韻を残せれば、
それは十分、音楽的な人生ではないでしょうか。


そして、能の面白さは、
音だけでは終わりません。

もうひとつ、能を能たらしめている大きな要素があります。
そう、能面です。

能面というと、
無表情で怖い。
感情が読めない。
そんなイメージを持つ方も多いかもしれません。

でも、能面の魅力は、
まさに「一つに決めきらない」ところにあります。

少し角度が変わるだけで、
悲しそうにも見える。
やわらかく微笑んでいるようにも見える。
光のあたり方でも印象が変わる。

見る側の心の状態によってさえ、
表情が変わって見えることがあります。

これ、なんだか、人間の感情そのものみたいではありませんか。

人間の感情は、
能面みたいなものかもしれない。

見る角度で変わる。
時間で変わる。
こちらの心の状態でも変わる。

ひとつの感情に、決まるわけでもない。

うれしいのに、不安。
前に進みたいのに、怖い。
あきらめたはずなのに、少し未練がある。
悲しいけれど、どこかでほっとしている。

こういう複雑な感情は、
たいてい、SNS向きではありません。

短い言葉で表現できる感情ではないし、
スタンプひとつで済ませるには、ちょっと込み入っている。

でも、本当の人生は、
たぶん、そういう「一言では言えない気持ち」で
できているのだと思います。

能面は、そのことを思い出させてくれます。

感情を、
「喜・怒・哀・楽」の四択に、
きれいに整理しすぎなくていい。

人の心は、もっと曖昧で、もっと揺れていて、
だからこそ豊かなのだ、と。


さらに言えば、
能面は「変身」の道具でもあります。

面をつけることで、演者は、
ただの「その人」ではなくなります。

女になり、老人になり、鬼になり、神になる。

でも、それは見た目の話だけではありません。

顔を隠すことで、
かえって別の真実が立ち上がってくる。

これは、私たちの日常にも、
かなり当てはまる気がします。

仕事の顔。
家庭の顔。
人前の顔。
ひとりでいるときの顔。

私たちは、いくつもの面をつけて生きています。

ただ、こう書くと、
「本当の自分を隠しているみたいで嫌だな」と
感じる人もいるかもしれません。

たしかに、そういう面もあるでしょう。

——面だけに。

でも私は、
面をつけることは、必ずしも偽ることではないと思うのです。

むしろ、人は一つの顔だけでは生きられない。
だからこそ、場面によって違う面を持つ。

それは不誠実だからではなく、
人間がもともと、単純ではないからです。

能の演者が面をつけることで、
人ではないものの気配までまとえるように、
私たちもまた、
いくつもの役割を生きることで、
自分の中にあるいろいろな面を引き出しているのかもしれません。

農村ラッパー 改め 能面ラッパー

そう考えると、
能の世界は、ずいぶん遠い古典芸能のようでいて、
実はかなり現代的です。

大きな声で感情を説明しない。
でも、深く響く。

表情を過剰に動かさない。
でも、複雑な心を映し出す。

一つの顔に固定されない。
でも、その人らしさはちゃんと残る。

これって、
そのまま「どう生きるか」のヒントになっている気がします。

いつも目立たなくていい。
いつも明快でなくていい。
いつも元気でなくていい。

気持ちが整理しきれない日があってもいい。
場面ごとに違う顔を持っていてもいい。

大事なのは、
うるさく鳴ることではなく、
自分なりの響きを持つことなのだと思います。

能の音楽は、
私たちに「静かな強さ」を教えてくれます。

能面は、
私たちに「単純ではない心の豊かさ」を教えてくれます。

そしてその両方が、
人生というものは、
もっとゆっくり味わってよくて、
もっと複雑なままでよくて、
もっと余韻を大切にしていいのだと、
そっと語りかけてくるのです。

線路どこまでも能舞台トレイン

「NO MUSIC, NO LIFE.」

この言葉の魅力は、
これからも変わらないでしょう。

でも、その「MUSIC」の中には、
もっと静かで、もっと古くて、
もっと奥行きのある音楽が入っていてもいい。

耳を奪う音楽だけではなく、
心にじんわり響く音楽。
一つの感情に決めきらない音楽。
変身しながら、本当の何かに近づいていく音楽。

そんなものとして能を見てみると、
この少々むちゃな言葉遊びも、
案外あなどれません。

うるさい人生ではなく、響く人生を。
単純な顔ではなく、奥行きのある顔を。

すぐに説明しきれない感情ごと、自分のものとして生きていくために。

イエス。
能 MUSIC, 能 LIFE.


<あとがき>

冒頭でもお伝えしたように、
私は、「NO MUSIC, NO LIFE.」という言葉を元に、
多くの思考実験的なエッセイを書いてきました。

「#なんのはなしですか」への投稿作品として書いたのは、
今回で3作目。

このシリーズを振り返ると、
同じ「NO MUSIC, NO LIFE.」から始まりながら、
それぞれ少しずつ違う角度から、音楽と人生の関係を考えてきたのだと思います。

「農 MUSIC, 農 LIFE.」は、人生を育てるものとして捉えた回でした。
手をかけ、すぐに結果を求めず、暮らしのリズムを整えながら、
何かをゆっくり育てていく。
そんな“生活に近い音楽”がテーマでした。

「乗ー MUSIC, 乗ー LIFE.」は、人生を進みながら形づくられるものとして捉えた回でした。
流れに身を置き、今という時間に乗りながら、
自分なりのリズムで未来へ向かっていく。
こちらは、時間や進行感覚に寄った音楽論だったと思います。

そして今回の「能 MUSIC, 能 LIFE.」は、
人生をどう響かせるか、どう深めるかという視点から見つめた回です。

ただ大きく鳴るのではなく、静かに響き、余韻を残し、
複雑な感情をそのまま抱えたまま生きていく。
そんな人生のあり方を、「能」という言葉に重ねてみました。

3作品を一言で言い表わせば、

農=育てる
乗=進む
能=響く

ということになるのかもしれません。

<了>

#なんのはなしですか
#なんのはなしです歌


お読みいただき、ありがとうございました。

ここからは、きのころnote「1周年カウントダウン」の話です。

私がnoteを始めたのは、
2025年4月25日(金)のことでした。

4/20(月)361日目  5
4/21(火)362日目  4
4/22(水)363日目  3
4/23(木)364日目  2 ← 今ココ
4/24(金)365日目  1
4/25(土)366日目 ← 1周年

「1周年イベント」として、
今週は「なんのはなしですか」に全力投球しています。


6本目は、音楽論シリーズでした。

これまでに「#なんのはなしですか」として投稿した音楽論は、
「あとがき」でもご紹介しました。

そこで、ここでは、それ以外の作品の中から、
いくつか抜粋してご紹介します。

<「NO MUSIC, NO LIFE.」シリーズ>


本日、2本目の投稿でした。
お読みいただきまして、ありがとうございました。 




たくさんのnoteの中から、私の記事を見つけて読んでいただき、
ありがとうございました。
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