「いつかのために」袖振り合うも…
・今回の音楽
今なら言えたのに
どうすれば失わずに済んだの
さあ行こう海がみえるまで
ぜんぶわからないままでいい
僕も君もいつか変わるなら
せめていま同じ夕日をみよう

なぜなら彼らの一部は、真理を冒し、悪の教えを唱えるであろう。彼らは互いに中傷し合うであろう。また、ある者たちは、アルコーンたちの勢力の中に留まり、多くの形態と情念をもつ裸の女を連れた男と呼ばれるであろう。そしてこれらのことを言う者たちは、夢について尋ねるであろう。
そしてもし、「夢が悪霊(ダイモーン※「D」)から来た』と彼らが言うなら彼らの迷いにふさわしい発言であるー、そのとき、彼らには不滅性の代りに破滅が与えられるだろう。
(中略)
この時代に属する魂はすべて、われわれにとって、死に属するものなのだから。
それ(魂)は常に奴隷であり、それが創られたのは、自身の欲望のため、そしてそれら(その欲望)の永遠の破滅のためなのである。それ(欲望)はそれ(永遠の破滅)の中にあり、またそれ(永遠の破滅)から出ているのである。
それら(魂)は、自らと一緒に出た物質的被造物を愛しているからである。
ところでプラトンの術語を使うならば、ギリシアの舞台のかの悲劇的人物たちについて例えば次のように語ることもできよう、真に実在する一人のディオニュソスが多数の人物となり、戦う主人公の仮面をつけ、いわば個別的意志の網にからみ込まれて現象するのであると。今や現象する神が語り行動するとき、彼は、迷い努め悩む個人に似ている。そして彼がそもそもこのような叙事詩的確実さと明瞭さをもって現象するということは、夢の占者アポロンの作用であり、アポロンは合唱隊に彼らのディオニュソス的な状態をかの比喩的な現象によって説き明かすのである。しかし実際は、かの主人公は密儀の悩めるディオニュソスであり、個別化の苦悩をその身に経験するあの神であって、不思議な神話はこの神について次のように語っている。彼は少年の時巨人たちによって寸断され今やこの状態のままザグレウスとして敬われていると。ここに暗示されているのは、真にディオニュソス的な苦悩たるこの寸断は地水火風への変化と等しきものであり、従ってわれわれは個別化の状態をあらゆる苦悩の源泉と根源として、それ自体忌避さるべきものとして見なければなるまいということである。このディオニュソスの笑いからオリュンポスの神々が生じ、彼の涙から人間が生じたのである。寸断された神としてのかかる存在においてディオニュソスは、残酷で狂暴な鬼神(ダイモン※「D」)にしてかつ柔和で心優しき支配者であるという二重の性質を有する。
これはアポロンの管轄であり、寸断されしディオニソスの残滓(欲動)たちが奈落から湧き出てくるのを、アポロン(理性)が個人的無意識として仮像に整えたものが夢であるといえます。
はじめは同じ場所にいた
同じものをみていた
私たちは同じだった
今だって同じものがみえていて
本当は、真実に望んでいるものは変わらずに同じなのに
けれども不思議だ
決定的に、壊滅的に、埋めようがなく
「私」と「あなた」は違っていく
ホントウはずっとずっと同じなのに
寂しくて、さみしくて、悲しくて、せつなくて
きっとそれが此処(「現実」)で生きていくということなのだろう
ニンゲンにはいくつもの設定がかけられていると、いくつかの記事でお伝えしてきました。
ここでお伝えする、「物事のホントウの価値に気がつくのはいつも失った後」というのも設定の一つです。
すでにご自身の経験則として実感している方もいれば、
此処での経験はなくとも何処かでの記憶で覚えている方も、
もしくは完全に忘却させられている方もいることかと思います。
こういった文脈で「失う」と使うと非常に重いニュアンスがあり、「喪失」、「死」、や「別離」などを想起する方もいるかもしれませんが、そもそも生きるという営みはいつもどこかの側面で失い続けることだといえます。
たとえば同窓会でも参観日でも、教師として赴任したというシチュエーションでもいいですが、いつかあなたが通っていた懐かしい小学校の校舎に入る機会があなたに訪れたとします。
あなたは単にその校舎に足を踏み入れただけで小学校に入り込めますか?
つまり、身体は同じ場所に訪れていたとしても、「あの頃」の「空間」にまた戻ることはできますか?という質問です。
誘導するような質問の仕方をしていることもありますが、多くの方が無理だと感じるかと思います。
それはあなたがそこでどのような経験をしてきて、どのようなパーソナリティで、自分自身とその経験にどのような評価をくだしているか、ということは関係なく、新しい記憶を得ることによって、ある空間にいられる資格を失ってしまっているのです。
この世界は失うことによって得て、得ることによって失うようできているのです。
無意識が感じさせないよう調整してくれているだけで、
あなたはその一瞬一瞬いつだって失い続けているのです。
あなたの隣にいるその人はいつかあなたが失う人
あなたが今いる場所(空間)は、いつかあなたが失う場所
あなたが今抱いている想いは、いつかあなたが失う想い
たとえ変わらないように神経過敏に、細心の注意を払っていたとしてもニンゲンは変わる。
あなたとその人はいつか違ってしまう
あなたとその場所はいつか違ってしまう
あなたとその想いはいつか違ってしまう
同じに見えたとしても何かがずれていく
必死に繋ぎとめようとも、知らぬ間に何かがずれてく
だからこそ、今此処で同じでいられていることは奇跡だといえるでしょう。
そして、此処でいつか同じでいられたことは奇跡だといえるのです。
同じものを見れること
同じ場所にいられること
「あなた」と「私」が同じだと思えること
同じものを見ていたこと
同じ場所にいたこと
「あなた」と「私」の気持ちが同じだと思えたこと
あなたは今奇跡の中で生きています。
あなたは奇跡の中で生きていました。
いつか失うその人を
いつか失うその景色を
あなたの内側に焼き付けるようにヒビを過ごしてください。
どうでしょう?
今あなたの中に浮かんだその景色を明日見に行ってみては
いつかその想いを取り戻せるように。

この場所で私と袖振り合ってくださったあなたへ
私の中にある大切な想い、その欠片をあなたの中に保存できてよかった
いつかあなたが私と、もしくは私があなたと、
埋めようがなく違ってしまったとしても
あなたの幸せをいつまでも、いつまでも願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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紫色のラナンキュラスの花、クローズアップ - No: 29431866|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK
