南カリフォルニアで日本の暮らし
アメリカ在住23年目とはいえ、ずっとこの地にいたわけではない。
最初に留学したのはワシントン州シアトル。
イチロー選手が活躍してたマリナーズがあるところ。



次にオレゴン州(「オレゴンから愛」というドラマで有名)へ移動。


私たちが住んでいた街もこんなじゃなかった。
日本での社会人生活7年後に戻ってきた時には
同じ南カリフォルニアでもLA(ロスアンジェルス)。
大谷選手、山本選手、佐々木選手が活躍してるドジャースがあるところ。

イチロー選手が活躍していたころはシアトルでもドジャースでもイチロー選手を観戦してた。
そしてまたオレゴンへ戻り、オレゴンで5年暮らした後で
南カリフォルニアに戻ってきた。
南カリフォルニアのOC(オレンジカウンティ)に住んで13年。
OC内でも3度引っ越したけど
常にディズニーランドから車で30分以内の街に住んできた。
毎年ではないが、年によっては年パス買って毎月行ったりすることも。


西海岸しか住んだことがないが、
その中でもやっぱり南カリフォルニアが好きだし住みやすい。
和食が気軽に食べられることが大きい。
若い頃は和食が食べられなくても生きられたし
むしろ若い頃は親の目を気にせず、
ハンバーガー食べてソーダ飲んでウハウハしてた。
それで20kg太って日本に帰国した時、
母親が娘と認識してくれなかった過去は、芸人じゃなくてもネタになる。
でも年を取るとやっぱり和食が食べたい。
若い頃でも1か月、バックパック旅行でヨーロッパを回った時
数週間で和食が恋しくなって、
中国人経営のなんちゃって日本料理のレストランに助けられた。
血糖値が高いと毎年の健康診断で主治医に小言を言われるアラフィフ。
でも白米が食べたい。
今の家は1軒の日系スーパーへ車で4分、別の日系スーパーへ車で13分。
町中華のお店には徒歩で数分で行けるし、
車で13分圏内だけでも日本人経営の和食レストランは盛りだくさん。
今週のランチは3日続けておでんと納豆ご飯、キムチと梅干しだった。
在宅勤務だと面倒なので週末に作り溜めしたものを食べたり、
デリバリーでサンドウィッチ、徒歩で行ける町中華からデリバリーしたり。
手抜き三昧のアラフィフ。
更年期障害の波に勝てず、手抜きできるものはどんどん抜いていく。
今はオリンピック開催中なので、夕食食べながらオリンピック見てるけど
普段は日本のドラマを英語字幕でアマプラ、Netflix、Jmeで見ている。
若い頃はアメリカのドラマも散々見たけど、
アメリカのドラマはちょっと人気出ると何年も続くので飽きる。
その点日本のドラマは残業さえなければ1週間で見終えてしまえる!
南カリフォルニアにいながら日本の暮らしを堪能しているアラフィフ。
先日、日本の友達からエアメールが届いた。
エアメールには「さすが日本」と言わんばかりのプレゼント。

「べらぼう」の切手。
横浜流星君😍😍😍
夫婦で「べらぼう」も英語字幕で見ていたので
しばらく横浜流星君が見られなくなって淋しくなっていたところにこれが。
こんな素敵なものを送ってくれた友達は、日本で最後に勤めた会社の先輩。
しつこく質問する私に嫌な顔せず、一番辛抱強く丁寧に教えてくれた人。
あれから21年。
あっという間に時は流れたけど、
こうしてエアメールやメールで繋がっていられるのが嬉しい!
何より、時代が変わって、日本のドラマをほぼ同時に見れることで
海を越えた国で暮らしていても
同じ時期に同じドラマを見て同じ時間を過ごした感覚を楽しめること。
私はアラフィフなので若い頃に留学していた頃は、これが難しかった。
友達とのつながりは国際電話は高かったのでなかなかできず、
エアメールが唯一の連絡方法。
日本のドラマは、結構な時間が空いてから、
韓国人経営のレンタルショップで借りて見ていたので
そこでも時間のロス。
あの時代に比べたら世界は信じられないぐらいに便利になった。
その便利な時代のSNSに私は疲れてしまい、
このnoteを始めるようになった。
アラフィフだからか、同世代の友達や知り合いでも同じことを思って
メールやSNSの時代に手書きでエアメールを送ってくれる人たちは多い。
年賀状の時期には年賀状とこちらからはホリデーカードのやり取り。
ただ残念なことに日本で切手代が高くなり、
時代はSNSってことで年賀状終いをする人たちが圧倒的に多くなった。
年賀状だけで繋がっていた人たちとは必然的に音信不通。
アメリカでも切手代は高くなったがまだホリデーカードは続いている。
でも確実に減ってきている。
私は自分より高齢の友達も多いが、
定年退職をしている人たちは逆にSNSを楽しんでいる様子。
でもSNSで済ませてしまい、
年賀状とホリデーカードの文化が消えた文化って白黒の世界のようだ。
アラフィフという世代はまだ仕事で忙しい中、
アルゴリズムに踊らされる時間や心の余裕がないのかもしれない。
