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ユカとの高校生活 その7

ユカとの高校生活も、最後の三学期となりました。

私は、1/4からアルバイトを始めて、弁当ガールになっておりましたが、バイト初日の日まで、なんならバイト先に向かう瞬間まで、バイトに行くのを、父に打ち明けられずにいました。
バイト時間は、夕方の5時から10時まででした。

「アルバイト、行ってきます」
さらっと言いました。
私は、店から外出することがほとんどだったので、店にいる両親に必ず、声をかけて出掛けます。
すると、父が怒りだしました。

「アルバイト?そんなん行かんでええ。
アルバイトするくらいなら、家の手伝いしろ。小遣いやるから」
と。
いやいや、そもそも働けって言ったのは、お母さんですよ。
あなたの妻ですよ。
夫婦間で話し合ってくださいよぉ。
私、好きで働きに行くわけではございませんです。

確かに高2の夏休みに、ご飯をよく作ったので、一万円くれたことがありました。
期待していなかったので、もらった時は、テンション上がりましたけどもぉ、です。

「5時からやから、もう時間ないから行くね」
と、逃げるようにバイト先に行きました。

人生初のバイトでしたが、まぁ、いい社会勉強になりましたわ。(イヤミです)

なんと時給が安すぎた!
500円です。
ワンコインランチかいな!!
けど、近所ですし(と言っても知り合いが経営しているわけではなく)
姉(次女)も初アルバイトは、長ぐつ履いて、お弁当屋さん(違う店)に行ってたので、最初のとっかかりとしては、どれだけ私の働きが素晴らしいかもわからん(笑)ので、まぁ、こんなもんなんでしょう。

そして驚いたことに、大人がいなかった!
私の1個上の女の子と1個下の女の子、中学まで一緒の学校だった同級生の女の子、そして、夕方まで料理屋さんで働いていてたまにバイトに入る、22歳ぐらいの男の人でした。
一緒に入るのは、自分を入れて最大3人でした。

大人な人は、私と入れ替わりで帰るおばちゃんと、交代で朝まで入るおばちゃんだけ。
面接した店長のおばちゃんは、いったいいずこへ?みたいな環境でした。
はい、ヤバいとこでした。
そのヤバさも、おいおい(書くかな?書いたら)お伝えします。


三学期が始まりました。
この年は、センター試験元年で、私立大学もセンター試験参加してもいいですよ!な感じでした。
もう、短大が決まっていた私は、ほとんど世間の大学名を知らずに、レベルも知らなかったので、誰が何処を受けると言う話も、興味がなく、のほほ~んぶりにも拍車がかかっておりました。

(のちにモンスターマミーになった私は、長男の通ったチョー進学私立高校のおかげて、いろいろと勉強し、大学名を知っていくことになります(笑))

教室もピリピリしていたのかも知れませんが、仲間内はあんまりピリピリしていませんでした。
毎日学校に行くのも、1月いっぱいまでなので、とりあえず、最後までちゃんと行こうみたいな軽い感じでした。

そう言えば、毎回、予習していかないと行けない授業形態でしたが、3年生の二学期ぐらいに、元は誰かもわかりませんが、学年の誰かの親御さんに、高校の英語の先生をされている方がいたらしく、リーダーとグラマーの先生用の教科書のコピーが出回りました。
先生の教科書、素晴らしいです。
全部、和訳がついています。
私の手元までどーやって、たどり着いたのかわかりませんが、みんなでそのコピーをさらにコピーし、それをノートに写すだけで、英語の予習はめっちゃラクになりました。(笑)
それは、予習とは言えないけど。(笑)

担当の先生も、みんながスムーズかつ完璧に答えるので、すごく不思議そうでした。
先生、あの頃言えませんでしたが、ごめんなさい(笑)

数学は、教科書のほうは、教科書ガイドで対応してましたが、問題集の方は手が出なくて、いっとき、中学校まで仲良かった、高専に行った男の子に、問題を解いてもらってました。(中2の時、テストを競い合ってましたが、定期テストは勝てても、実力テストは負けていました。
そこで男女の差を勝手にヒシヒシと感じておりました。
中3の夏から一緒の塾で、その男の子が高専に受からなければ、一緒の高校になってたかも、でした。
残念!いやその男の子にとってはいい進路になりました)
けど、そんなにしょっちゅう、その男の子に会えるわけがなくて、解いてもらえなくなりました。

「これからどーしよう…」
悩んでいた時に、ユカが、同じ駅の、文理両方するクラス?いや、なんせ、バリバリ理系のクラスではなく、少し数学に力を入れている、うちのクラスより同じ問題集を早く進めているクラスの女の子と仲良くなり、
(元々、私が1年の時、同じクラスだった女の子が、引っ越して、ユカと同じ駅になっていました。
ユカが私のクラスに通いつめていた賜物かな(笑)ユカも顔見知りになっていました)
その女の子から、問題を解き終わったノートを見せてもらえるようになり、なんとかこちらも、授業をやり過ごせることになりました(笑)

人間困ったらなんとか、出来るもんなんですね(笑)。
学校に行く辛さも少し半減していました。 


そして、進路が決まっていないユカでしたが、私と憧れの
「タカラヅカを見に行こう」
と言う話になり、浮かれて2人で、2月の雪組公演のチケットを買いに行きました。
初のタカラヅカ、運がいいことにお正月から始まっている公演がなんと、前から6列目の席が買えました。
(ビギナーズラックでした(笑))

「これを楽しみに受験がんばるわ」
と言うユカに
「そうやん、頑張ってなぁ」
と、気楽に返事しました。

今考えると、ユカの母親がよくチケット買いに行くの、許したなぁ…と思います。
私が母親なら、まだ進路が決まっていない子供には、行かせません。
勉強しないと!
そして、出歩いて風邪ひいても困るし。
と言うか、私がそう言う考えを持った両親に育てられたから、私もそんな風な子育てしかできませんでした。
(あ、今もです。
心配性すぎて息子たちにウザがられます。(笑))

そしてわりと切羽詰まっていたはずのユカと、お気楽にショッピングセンターでご飯も食べて帰っていました。

今まで何気に食べていたうどん定食も、
「うわぁ、これ食べる為に私1時間半働かなあかんのか…」
と、考えるようになりました。

いや、考えたのは一瞬で、例え少ないバイト代でも親から貰えるお金に比べたら多くてありがたいもんで、今までとは違い、いろんな物が買える幸せを噛み締めておりました。

アルバイトを頑張りまして、記念すべき高校最後の期末テストの間も、バイト先に教科書持ち込みましたが、テストには気休めにもなりませんでした。(笑)

一般入試で私立大学を受ける友達がほとんどでしたが、中には、近所の大学をわざわざ違う地方まで行って受験する友達がいたりして、世間は、私には理解不能な世界になりつつありました。

そして、ユカなのですが、いったいどれだけの短大や大学を受けたのかわかりませんが、なかなか合格がいただけなくて、そばにいるのがつらいほどになってきました。

タカラヅカなんて、見に行ってる場合ちゃうやん。
私もそう思ってましたし、違う友達からも
「さなさん、タカラヅカ行ってる場合ちゃうで。きりきり考えたらな」
と、言われました。
いや、考えてるわ。
チケット、ユカから買い取って母とでも、行こう。
そう思って、ユカに言いましたが、
「1日ぐらい、大丈夫。
息抜きしたいし」
と、言いました。

私は絶対しない発言でした。

嫌だなぁ、私ユカの親にどう思われてるんだろう。

でも、結局、ユカと2人で初タカラヅカに行きました。
タカラヅカ一色の街にテンションが上がりました。
私は、バイト代を使って、CDやら、ビデオやら、グッズをいっぱい買いました。


2月の登校日は、2/27と卒業式の2/28だけでした。
2/27は、卒業式の予行練習をするための登校でした。
卒業式の練習を終えた後、先生から3年生にお言葉がありました。
内容は、覚えていないのですが、
「後悔しないように生きなさい」
だったような?
なぜ、それを覚えているかと言うと、
その先生が言った後すぐに、ユカが、
「後悔だらけやわ」
と、つぶやいたからです。

え!
あ、そうか。まだユカは大学決まってないからなぁ。 
勉強もっとちゃんとすればよかったとか、悔やんでいるんだろう…。
他人事ながらも、なかなかヘビーです。
私が受かった短大も、一般入試が残っていたので、一応、ユカに
「受けてみる?」
って言ってみたことがあります。
もう、数撃ちゃ当たる状態だったので、言わないといけないかなぁ?と、いう心境にかられて…。
ほんとは、もうユカとずっと一緒にいることに疲れていたのですが、ね。
しかしユカは、
「私文章書くの得意じゃないから、受けないわ」
と言ってくれて、ホッとしたのを覚えています。

いったい、どれほど試験を受けに行ったんだろう?
そして、学部、学科は何だったんだろう?
もう怖くて詳細は一切聞けませんでした。


きっと卒業までに合格欲しかっただろうに。
         ↑
(周りがほとんど私立大学だったからこう思ってました。
みんな合格、決めていってましたからね。
けど、国公立めざしていたら、卒業前に決まってなくても、普通ですよね。
私は、恥ずかしながら、自分の長男の入試でその事実を知りました。
私、国公立大学とは無縁の世界の住人でしたから)

と、私は勝手にユカの気持ちを想像していましたが、ユカが続けていった言葉に驚きました。

「もっと早くタカラヅカを知っていたらタカラヅカを目指したのに」
と。
おいおい、あんたバレエも声楽も習ってないじゃん。
タカラヅカハマって、何ヶ月なん?
3ヶ月ぐらいやん。
それより、今の自分の立場わかってますか?

冗談のつもり?

私は、何にも突っ込めませんでした。

そして、ユカは、
「絶対お金持ちと結婚して、可愛い娘を産んで、いろんな習い事をさせて、我が子をタカラヅカに入れる!!」
まで言っています。

現実逃避も甚だしいわよ、ユカ。
冗談にしても、笑えません。
ちゃんと現実を見てくれ!!


そして、翌日、私たちは無事卒業式を迎えました。
私の心境は、まさしく、尾崎豊の
「この支配からの卒業!!」
でした。

最初の頃のnoteに、中学時代から高校時代について、さらっと書いたことがありました。

中学時代、私はある先生から、360人ぐらい生徒のいる学年で、
「5本の指に入るぐらい授業態度の良い生徒」
と、褒めてもらっていました。
姉2人と比較されて育っていたので、
「姉と同じ高校に行かなくては」
とずっと思っていてなんとか姉(長女)と同じ高校を受けてもよいことになっていました。
しかし、
「ちゃんと受からなければ」
と言う強迫観念に駆られて、必要以上に担任に
「私、受かりますか?」
を聞きすぎて、学年の先生の総意のもと、受ける高校のランクを、1個下げられてしまいました。
姉(長女)は、公立で4番目のレベルの高校で、姉(次女)は2番目のレベルの高校でした。
5番目になろうとしている妹に、姉(次女)は、
「そんなとこ高校ちゃう。(自由がない新設校)」
と言っていたので、担任にそれを言うと、生意気にうつったのでしょう、放課後のまだまばらに生徒がいる教室で、出席簿で頭を叩かれました。
ショックでした。
ショックで泣いているのに、別室に連れて行かれました。
長い沈黙だったのですが、バカな中学校だったので(笑)3年生と2年生のヤンキーたちがその同じ時間に抗争を始め
「どっちが強いか、試そう。
負けたほうがこれから言うことを聞くんだ」
と、公園で殴り合っている連絡が入り、担任もそこに行くことになり、私は、解放されました。
この時ほど、ヤンキーたちに感謝した日はありません。(笑)
で、後日担任がうちに来て、親と話し合って、私は5番目の高校になりました。

違うクラスのユカは、5番目と6番目の瀬戸際の子がいっぱいいたらしく、何人かは涙を飲んで6番目になったらしいけど、ユカはなんとか5番目でオッケーになったみたいでした。

そんな感じで少々ひねくれ気味に、私は高校に入学したのですが、愛読書は少女漫画の夢見る少女だったので、ちょっとは高校生活に期待もしておりました。
可愛い冬の制服に、大きなショッピングセンターもあったしね!!

しかし、その夢は、入学してすぐのオリエンテーリング合宿から破れていきました。

担任が、みんなに、
「高校は、隣の高校までや!アホなお前らに自由はやれない。
お前らに自由を与えたら、次の日からアロハ着てくるアホが出てくる」
と、言い放ちました。

私は、めっちゃくちゃショックでした。
そんな言い方されるの?
普通科の公立高校が、11校ぐらいある中での5番目です。
数ある工業高校と商業高校含めたら、上の下か、中の上にはランクするはずなのに。

私たちで10回生の新しい高校でした。
歴史ある周りの高校は、賢い2校は全く自由で制服は式典以外着なくてよくて、3番目4番目もカバンや冬の上着は自由でした。
そして、歴史ある下から2番目の高校ですら、カバンや冬の上着は自由でした。

しかしうちを含む何校かの高校は、歴史が浅く、校則がとても厳しかったのです。
はい、ここでもう、私は情報を持っていなくて、この高校にたどり着いてしまっていました。
姉(次女)の
「そんなとこ高校ちゃうわ」
が頭の中でリフレインしました。(涙)

そして校則が厳しくて、自由がなくがんじがらめにされていたのに
「お前らは個性がない!」
と、言われることがよくありました。
いや、理不尽だろう。
自由を認めてないくせに何が個性だ!!
個性を出したら怒るくせに。
数学が出来ないだけで、人格否定も甚だしかったし。
そんな思いを3年間、ずっとずっと持っていました。
ただでさえ、自己肯定感低いのに、さらにこの学校で低くなった気がします。
勉強してこなかった自分が悪いのですが、成績が悪いだけで、私自身を認めてもらえてない気がすごくしました。

(のちに、ここで植え付けられたコンプレックスがモンスターマミー誕生のきっかけになった1つだと思います。我が子には「こんな思いをさせたくない」と強く思いました)

でも、そんなぐちゃぐちゃな感情とも、今日でオサラバです。

この学校で得たものは理不尽さと個性あふれた友達たちの出会いです。
先生たちには、映らなかったみたいですが、私たちにはそれぞれしっかり個性があって、お互い刺激し合って日々すごしておりましたよ、ちゃんとね!

私もこの環境のストレスで、思いをしたためる楽しさを知りました。
いろいろあったけど、いっぱいの友達に出会えたことは感謝して、写真を撮りまくり、この日私は、高校を卒業しました。

はい、ユカとの高校生活も、ジ・エンドとなりました。


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