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ユカとまいこ、それぞれの短大生活 その1

私は、2時間近い通学時間を使って、短大に通うことになりました。
ユカは、隣の区?隣の隣の区かも?の近い短大にバスで通うことになったみたいです。

時はベルばらブームだったのか、ユカも私もそれぞれ進んだ短大で、ヅカファンに出会っていました。

わたしのほうの、アミーゴは、強烈なキャラすぎて、彼女とのお付き合いはご遠慮したいタイプでした。(笑)
アミーゴは、古参の大ファンらしく、最初は彼女のヅカファンのルールとかを目を輝かせて聞いていたのですが、深く知るといろいろと大変そうでした。
それ以上にもう、アミーゴの圧がスゴ過ぎて、親しくなったH子が隣で、もう引きまくって、タカラヅカにアレルギーを起こしそうになったので(笑)私は、短大ではタカラヅカについて、語るのは、やめました。(笑)

ユカのほうのヅカファンの方は、節度を守りながらも、しっかりいろんな情報を持ってらしたので、ユカから教えてもらい、2人で、
タカラヅカ情報を蓄えていきました。

ユカとの電話は、相変わらず頻繁で、会う時は日曜日で、一緒にランチを食べて、服を買って、お茶してまたウロウロして帰ってくる感じでした。

ユカに変化が現れました。
バッグや、傘がブランド品に変わりました。
と、言ってもむちゃくちゃお高いブランドではなかったけど、会うたび、バッグが違ったりします。

「いつも、違うブランドを持ってて、すごいね」
ある日、意を決して、聞いてみました。

「親戚がくれるねん。短大の入学祝いに」

親戚は、父方も母方も両方からで、いとこレベルに至るまでくれたみたいでした。

スゴっ!うちじゃあ、あり得ない。
だぁれもくれなかったわ。

ユカは、なんなら、高校の合格祝いも親かすごい大きさのCDコンポをもらっていました。私なんて、高校は行くのが当たり前だったから、世間がお祝いをもらっているなんてことすら、知りませんでした。

ちょっと羨ましかったです。

お互い男の子とは、無縁で(笑)タカラヅカ一筋になりました。
その頃の宝塚大劇場は、宝塚ファミリーランド(遊園地プラス動物園)の入場券を買って、大劇場のほうは、3階席なら1000円でお釣りがくる値段でタカラヅカが見れました。

私たちは、大好きな雪組の公演は、1回はS席でみて、2回目は、3階席に見ることにしました。

私は、ユカと遊びながらも、中学校からのてんちゃんや、小学校からのT美と遊んだり、あつことも、ミュージカルに行ったりしました。

もう、親から
「勉強せぇ!」
とか、
「遊びに行くな!」
とも言われません。
(「遊びに行くな!」と言われて、「では勉強しときます」には、ならないのにね。
ほんと、うちの親は口うるさかったな(笑))

短大は、登校日3日目ぐらいに駅で見かけた2回生の後に付いて行き(笑)、住宅を抜けていく近道を知り、歩く距離を減らすことができました。
登下校も友達になったH子が一緒なので、楽しいです。

専門分野の勉強はもちろん、一般教養の授業も、とても楽しかったです。
生物は、生き物の特徴の話だし、文学は、萩原朔太郎だけについて学びます。かなり、マニアックな先生でした(笑)

心理学は、先生がちょっと苦手でした(笑)
けど、あのしんどい高校生活を考えたら、毎日が楽しくて、勉強がこんなにたのしくて、知識を得る喜びを知れるなんて思ってもなかったので、とても新鮮でした!

6月のある日、あの地獄だった(笑)高校の文化祭に、高3の時の担任の先生(先生は違う高校に転勤)とみんなで行くことになりました。
先生からみんなに声をかけもらって、みんなと久しぶりの再会でした。
先生に声をかけていただかなかったら、2度とあの高校には、足を運んでなかったと思います。

先生は、私たちをみると、
「みんな、お姉さんになってる!
新しい学校は、授業のチャイムがなったら『座りなさい!』
っていう声かけから始めないといけないのよ。
あなたたちはみんなお行儀がよかったわ!」
と、教えてくれました。
あら?私たちお利口さんだったのね!
怒られている記憶しかなかったのに…。

シャオリンにも久しぶりに会いました。
シャオリンがいよいよ、ドイツに旅立つ日が近づいていました。
本当に行っちゃうんだね…。
寂しい気持ちと、私が絶対出来ないことを挑戦するシャオリンの強さに対する憧れを、シャオリンに抱きながら、
「頑張ってきてねぇ」
を伝えました。
直接会えて、言えてよかったです。

他のみんなもそれぞれの新しい場所で頑張っているみたいだったので、
「私も頑張ろう」
と励みになりました。

大嫌いな場所にいい思い出が出来ました。
(しかし、私は2度とこの場所には行っていません。制服も変わって、校則も変わっているだろうけど、自分の息子たちは、通わしたくなかった(笑)ので、特に長男には気合いを入れて勉強させました)

そしてほどなくして、シャオリンはドイツへと旅立ちました。

ドイツからエアメールが3度ぐらい来たときに、(シャオリンから「返事をちょうだい」と言われましたが、ドイツ語で書かれた住所をどう書いていいのかわからず、書きたい気持ちは十分あるのですよ、シャオリン。
けどそのまま書けずにいました)
「住所は、このまんま写せば、ちゃんと私に届くから、手紙をちょうだい」
と言うメッセージと共に、住所サンプルをいれてくれていました。

さすが、シャオリン!!
こういうのをしてくれると普段はあまり気にしてないのに、「お姉さんだなぁ」と、思います。(シャオリン4月生まれ。私5月生まれ)

シャオリンの優しさのおかげでようやく、私のシャオリンへの思いが、日本を飛び出し、国境をいくつも飛び越えて、ドイツのシャオリンの元に届きました!!

ありがとう、シャオリン。


短大にも慣れて来たので、H子と私たちの地元のデパートにバイトに行くことにしました。
もう、小さなとこには行きません。
大きなしっかりとしたとこで働きます。

バイトは、夕方のちょっとの時間や、日曜日に入りました。

バイト先は毎回違います。
催し会場だったり、どこかのフロアーの片隅に何日かだけ用意されている小さな売り場だったりします。
バイトに入る前に人事に行って、今日の売り場を言われて向かいます。
白いブラウスに黒いスカート、パンストに黒い靴、それが指定された服装でした。
その服を着ていたら、パートのおばちゃんか学生アルバイトだと一目でわかります。

一番しんどかったのは、スリッパ売り場でした(笑)
お客様は平気で、バラバラにしていきます。
(くっついていなかったんですよね。なんでだったんだろう?)
そして、違うお客様に
「これと同じやつを探してちょうだい」
と言われたら、山のように積まれたスリッパの中からペアを探さないといけなくて、早く見つけないといけないプレッシャーをひしひしと感じながら、スリッパと格闘しました。

お金を稼いで、服も欲しいし、タカラヅカにも行かなければいけない!

私の短大は、一応制服というか、学校指定の黒いスーツを買わされましたが、入学式と次の日ぐらいしか着なくて、みんな私服になりました。

服なんてあまり持っていなかったので、すぐ服のバリエーションは底をつきました。
誰かが買ってくれるわけではないので、自分でなんとかしなければ服は手に入りません。なんとかしないと!でした。

最初の1、2回は1人で買いに行ったのですが、(昔、服を買うときは、姉(次女)についてきてもらいました、母の命令で)そのうち、ユカと買いに行くことになりました。

ユカの学校は、制服の黒いスーツ。
タイトスカートに上のジャケットは必須。
ジャケットの下は、白なら自由になっていたので、夏場はポロシャツを着ていたみたいです。
そんなに私服は、必要なさそうなのに、一緒に出かけては、おんなじぐらいユカも買いました。
ユカはバイトしていないのに、羽振りが良さそうでした。

私はバイトをしていたので、毎週、ユカと会うわけではなく、電話は、まぁわりとしていましたが、程よい距離感でした。

ユカも私もお互い知らない友達が増えました。
私をユカとニコイチのキリだと思わない友達との付き合いは、私自身を見て付き合ってくれているので、居心地が良かったです。

友達にユカの話をすることがあっても、
ただ仲良しの友達のテイで話せるので、気楽でした。
(依存関係では、気づかれていないから)

ユカも新しい友達ができたみたいで、彼女らは、ユカを呼び捨てで、「ユカ」と呼ぶそうです。
ユカはずっと、小学校から「さなさん」と呼ばれていて、ニコイチの私でさえも、「さなさん」と呼んでいたから、ユカにとっては、新鮮だったのかも、しれませんね。

そして、私が人生で1番楽しかった短大生活は、通学時間1時45分かかることも苦になりませんでした。最初の40分ぐらいは1人で、後の乗り換えからは、H子と一緒でしたし。
(自宅通いの仲間内で私が1番短い通学時間でした。
あとの子は、宇治と堺で、同じ市からきているH子は、山を超えてくるから(笑)時間かかりますしね。
まぁ、下宿や、ひとり暮らしの子は、通学ラクですが、私以上の苦労がありました)
毎日穏やかに過ぎていき、あっという間に、夏休みになりました。

夏休みのバイト先は、デパートの大食堂になりました。
人事のお兄さんに、私とH子は
「いっぱい入りたいやろ?」と言われて、ここに決められました。
同い年の子があともう2人(そちらも友達同士)も一緒でした。

仕事は、なんと、お冷のお水を入れるだけのバイトです。(笑)

時はかろうじてまだバブルな世界だったので、大食堂にある水置き場3箇所にそれぞれが立って、(1人は厨房)ただただ、コップに水を入れ続けるだけのバイトでした。

けれど侮ることなかれ!
11時半ぐらいから、14時30分ぐらいまでは、めっちゃくちゃ、忙しいのです。
水が間に合わないぐらいに。
大食堂は、ウェイトレスさんだらけの女の世界なので、怖い人もチラホラいます。
さっさとしないと、横から仕事を横取りされます。

けど、15時ぐらいからはヒマになるので、残り2時間は、お客様におかわりをつぎにいったりして、時間をつぶしましたが(笑)、こころやすいウェイトレスのお姉さんやおばちゃんもいて、その人たちと少しだけ立ち話が出来ました。

最初は、大食堂のバイトの後、ブランドエリアのひまなところにもいれてやる!と言われましたが、1度そのエリアに当たったことのあるH子が、
「ヒマすぎて、時間がたたへん。
社員さんともきまずい」
と言ったので、私たちはご辞退しました。
人事のお兄さんは、
「せっかく、優遇してやったのに」
と言いましたが、私たちは、知っていました!
本当に優遇されている女の子がいることを!

最初の頃に知り合った学生バイトの女の子2人がいます。
彼女らも友達同士でバイトに来ていました。
そのうちの1人がたまたま同じ小学校だったこともあり、H子も入れて、4人でワイワイ喋りました。

お互い、何度かバイト先で会えば、挨拶していたのですが、私と同じ小学校の子じゃないほうの女の子は、可愛い子で、その子は、イベントの受け付けとかに回されていることが多くて、H子と、
「あの子、仕事らくそうじゃない?」
と、気にするようになりました。

で、私たちにとって、徹底的に感じたのは、その子が「世界のねこ展」のイベントの窓口にいたのを見た時でした。

「人事のお兄さん、絶対ひいきしてやがる!!」
H子と怒りながら帰りました。
けど、一緒に怒れてよかったです。
もし、H子だけが、「世界のねこ展」に座っていたら、私、悲しすぎたから。(笑)

可愛いのも1つの才能なんでしょうが、涼しい場所で、座って仕事をしている彼女と、怖〜い女の世界でひたすら水を入れ続ける私たち。
ねこ展の前を通らず、彼女の笑顔を見なかったら、自分たちのバイトも、わりとおいしかったのに、世の中のいろいろを知ってしまった気がしたH子と、まいこでした。(笑)

そして、タカラヅカ熱は、冷めることなく、ユカと見に行っては、入待ち、出待ちまでするようになりましたが、あくまで一般人のファンのままでいました。
いや、一般人だからこそ、自由で楽しめました。

生徒さん(演者さん)とお近づきになれる方法はありましたが、個人のファンクラブに入るといろんなルールがあるし、お金もかかるので、私たちはそこには、絶対踏み入れませんでした。
好きな人も違いましたしね!

ちょっと長めの夏休みは、ほとんどバイト
で明け暮れましたが、たまの休みには、
ユカや、てんちゃんと遊びました。

てんちゃんとは、COMPLEXのコンサートに行ったり、映画に行ったりしてましたが、ユカがやきもち?を焼くので、めんどくさくなった私は、てんちゃんの気持ちも聞かないで3人で遊ぶようになりました。
はい、私が気楽になりたいがために、です。
夏休みも3人でプールに行きました。
(その前にてんちゃんとふたりで船に乗って島に泳ぎに行ったのを、ユカが快く思ってなかった気がしたので…。)

今思えば、てんちゃんは一歩ひく性格なので、ほとんどユカと私の時間でした。

なので結局ほとんどユカとすごしている感じでした。

まぁ、毎日ではなかったので、自分の中では、よし!としていました。

ユカは、私に一切きつくあたることもなく、
依存されてはいるけど、私と同じことをしてくれるので、たまに会うのなら、本当に楽ちんでした…。





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