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HSPの私が、支援職を辞めなかった理由

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辞めようと思ったことは、一度や二度ではない。

むしろ、続けてきた理由よりも、辞めようとした理由の方が、ずっとたくさんある。


社会人1年目、私は限界を知らなかった

退社時刻は17時だった。でも現実は違った。

毎日23時まで罵倒され続け、監査が近づくと深夜1時まで書類作業をさせられた。社会経験がなかった私は、これが普通なのだと思っていた。比べる基準が、そこにしかなかったから。

その職場でさせられたことは、カルテ入力、翌日のリハビリ一覧表の作成。監査が近づくと、今思えば到底納得できないような業務まで、一人でやらされた。夏頃にはリハビリ科30人のキャンプの幹事を丸ごと押し付けられた。キャンプ地の選定、買い出し、ロケーションの確認。社会人1年目で、何もわからないまま、誰も助けてくれないまま。

昼休みは3分でスティックパンをかき込んで、すぐ横になった。疲労困憊だったから、それだけが唯一の回復時間だった。すると「危機感がないのね。そんなんで国家試験合格すると思ってるの?」と大声で言われた。

夜はしんどい。昼間は眠い。朝もしんどい。

休まずに仕事に行くだけで、精一杯だった。


国家試験に落ちた悔しさと、同期への複雑な感情

私には、小学校から大学までずっと一緒だった唯一のOTの同期がいた。

彼は国家試験に合格し、私は落ちた。それだけでも、個人的なプライドはズタズタだった。学力は大学内でも上位5本の指に入るくらいだったのに。一方、合格した彼は平均的な点数だった。

国家試験に落ちた理由は、メンタルの弱さだと思っている。初回受験の年に試験内容が変わった。それに対応できなかった。すべての答えに自信が持てなくなって、ボロボロだった。自己採点の時点で、合格できないことを悟った。

それでも病院は、私をアシスタントとして雇い続けてくれた。そのありがたさが、簡単に辞めることを躊躇わせた。世間体的にも、入ってすぐ辞めるような人間はどこも採用してくれないと、本気で思っていた。

全国模試も1度しか受けられなかった。結果は合格ラインぎりぎり。元々持っていた知識だけで届いたような点数だった。

「これで落ちたら、きれいさっぱり辞めよう」

そう決めたのが、1月頃のことだ。


過去最低合格率の年に、合格した

国家試験は合格した。当時、過去最低の合格率だった年に。

でも、合格を報告しても、何も言ってもらえなかった。

それで決めた。この職場を辞めようと。

3月末に退職を伝え、5月末で退職した。退職が決まってからの3ヶ月間、一切患者様のリハビリをさせてもらえなかった。何も教えてもらえない。ひたすら納得のいかない業務だけをさせられた。

7月に、大阪のリハビリ病院へ移った。


仲間が、私を続けさせてくれた

新しい職場でも、1年目の傷ついた心は完全には癒えていなかった。

中途採用で7月入職という3ヶ月の出遅れ。症例報告会もこなさなければならない。ハードだった。

でも、そこには人がいた。

指導についてくれた先輩は、4年目のOTだった。少し厳しかったけど、罵倒はしなかった。ちゃんと指導してくれた。それが嬉しかった。何より勉強熱心な先輩で、私を導いてくれた。

同い年のPTの同期とも仲良くなれた。性格は全然違う。でも自分にないものを持っていて、引っ張っていってくれた。

優しく支えてくれた先輩もいた。

仲間に支えられて、私は4年間続けた。

3年目になる頃には、本部から転勤してきた大学の同期と出会った。年はかなり上だったけど、たくさんの技術を教えてもらえた。勉強会にも参加できた。

OTの仲間に、数えきれないくらい助けてもらった。


デイケアのリストラ、精神科の上司、そして特養へ

その後の転職も、決して平坦ではなかった。

デイケアでのリストラは、採算が合わなかったのだろうと割り切れた。自分たちの努力が足りなかった部分もあった。でもその病院でダイエットに成功して、結婚もできた。結婚式には院長も参加してくれた。あの時間があってよかったと、今は思っている。

精神科では、また苦しくなった。高圧的な男性上司に、できないことを指摘され続けた。指摘されると言葉が出なくなる。夜には言われたことが頭の中でぐるぐる回り続ける。社会人1年目のトラウマがよみがえった。

逃げるように転職した。

でも今は思う。逃げたことは正解だった。


続けてこられた根っこにあるもの

なぜ作業療法士を続けてきたのか。

正直に言えば、お金を稼ぐためというのは間違いない。

でもそれだけじゃない。

人と関わるのが好きだ。悩みに共感できる繊細さは、自分にとっての最大の武器だと、精神科にいた頃から感じていた。アドラー心理学を知る以前から、相手の思いを汲み取ることに長けているのが自分の長所だと気づいていた。

治療技術よりも、心が大事だと思っている。他者が嬉しい気持ちになると、自分も嬉しい。やりがいって、そういうところにある。

HSPであることは、支援職において弱さではなく強みだった。感じすぎるから消耗する。でも感じすぎるから、誰かの小さな変化に気づける。その両面を抱えながら、16年続けてきた。

天職だと思っている。


辞めようと思っているあなたへ

辞めることを、否定しない。

逃げることも、もちろんいい。課題の分離という考え方があるように、合わない環境から離れることは、弱さではなく自分を守る選択だ。

私は今、こうして自分のことを世に発信できている。それがすごくありがたいと思っている。支援職だけが仕事ではないし、あなたに合ったことは必ずある。

疲れたら、立ち止まっていい。ゆっくり考えていい。

生きているだけで、素晴らしいのだから。


作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ


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