見出し画像

フランスのモネの自宅とお庭に行ってきました

朝、ロワールの街を出発して、私たちはジヴェルニーへと向かった。クロード・モネの庭園とアトリエは、まるで絵画の中に足を踏み入れたかのような光と色彩に満ちていた。風がやわらかく葉を揺らし、睡蓮の池には空が映っていた。すべてが静かに、確かな存在としてそこにあった。



母とモネ展──忘れられない秋の日

モネといえば、光と色彩の魔術師。世界中で愛され、誰しもがその絵にふと心を和らげられる画家だ。あの淡いピンク、深い緑。静けさのなかに優しさが宿る色。

ちょうど去年の秋、日本へ一時帰国した際、上野でモネ展が開催されていた。実家に立ち寄ったあと、夫と行こうとしていたそのとき、思いがけず母が「私も行きたい」と言った。

高齢の母は、年に何度かは電車で出かけていたが、体調には波があった。その母が、自分から「行きたい」と言ってくれたことが、とても嬉しかった。

展覧会では、母が絵の前に立ち、何度もうなずきながら、静かに感動していた。その姿を見ているうちに、こちらの胸まで満たされていった。モネの絵を通じて、母と過ごしたその時間は、今も鮮やかに心に残っている。

展覧会のあとは「お茶でも」と話していたのに、母は迷わずアイスクリームを選んだ。その顔が、まるで少女のように嬉しそうで、なんとも可愛らしかった。

帰り道は別々だったので、母はひとりで電車に乗って帰っていった。見送るとき、少しだけ涙がこぼれそうになった。でも数日後にはまた会えた。そのことにも、心から感謝している。

だから私にとって「モネ展」とは、絵そのもの以上に、母とのあたたかな時間の記憶なのだ。そして、その記憶をつくるきっかけをくれたモネに、あらためて感謝している。



《死にゆくカミーユ》が語るもの

モネ──光の画家、そして「睡蓮」の画家として知られる巨匠。


パリのオルセー美術館でも、モネの作品のまわりには人が群がっていた。その光と色彩に、誰もが引き寄せられていた。しかし私が最も衝撃を受けたのは、《死にゆくカミーユ》という一枚だった。

モネは、最愛の妻カミーユが死の床にある姿を描いた。

青や紫が、少しずつ彼女の顔に滲んでいく。皮膚の色が、死によってゆっくりと変化していく様子を、モネはただ見つめていた。いや、見つめていたというよりも、無意識に“捉えて”いた。悲しみに沈む中で、画家としての目が「自動的に」色を拾い、光を読み取ってしまう。

後日、友人への手紙にこう書いている──
「私は彼女の顔の上に現れる、青と黄、そして灰色の色彩を、分析していた」

いささかショッキングであり、なんて冷たい夫!と思わなくもないが、モネにとって「色彩」は人生そのものだった。喜びであり、逃れられない呪いでもあった。彼の筆は、愛と芸術の狭間で、静かに震えていた。

ゴッホの生き様もまた心を打つが、モネの人生にも、同じように深い人間性と色彩の波があった。

ふたりは同じ時代に生き、さほど遠くない場所に暮らしていた。それでも、交わることはなかった。まったく違う人生を歩みながら、芸術という一点で、それぞれの真実を描きつづけていた。



モネの家にあふれていた“日本”


ジヴェルニーに到着したとき、ちょうど雨が止んだ。駐車場もすぐに見つかった。空は明るくなり、庭に咲く花々の色が一段と映えていた。すんなりと当日チケットが手に入った。混雑する日には1時間以上並ぶことも珍しくなく、場合によっては当日券の販売が途中で止まってしまうこともあるのだとか。

家の中に入ると、そこには日本の美術作品が並んでいた。驚くほど多くの日本画が壁に飾られていた。モネがこれほどまでに日本美術を愛していたことに胸を打たれた。彼の絵があれほどまでに柔らかく、繊細な理由が、ようやくわかった気がした。




幸せなデザート、そして次の村へ

帰り際は、少し離れたレストランで食事をした。とっても美味しかった。きわめつけのデザートも超美味しかった!メレンゲがあまり得意ではない私は
、誰かのテーブルに運ばれてきたこのデザートに目を奪われ、思わずオーダーしてしまった。そしたら、とっても美味しかった!



お天気もタイミングもすべてに恵まれてラッキーな時間。モネの愛した庭園や自宅に触れて、その芸術をさらに深く理解できるようになった気がする。本当にすべてに感謝。

私たちは次なる目的地、オーヴェル=シュル=オワーズへ向かった。移動が車だったからこそ、モネとゴッホ──ふたりの印象派の巨匠の魂が息づく地を、同じ一日で巡ることができた。すべてが無理なく、自然な流れに導かれたようだった。



いいなと思ったら応援しよう!

セレナ|アメリカ生活 応援ありがとうございます♡

この記事が参加している募集