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キセキの町〜雪に刻まれた約束と、スノーボードが繋ぐ才能たち〜    20 平地で行う「角付け」と「ひねり」の練習、そしてリフトの乗り降り

 

 久城遥真が真島グループに合流した後、朱里と
紗良は、何度も何度もスケーティングを繰り返していた。

 朱里は少し離れた位置で見守りながら声をかける。
 「うん、いいよ、いまの腰の位置すごくいい。もう少し長く乗ってみようか。」

 紗良は息を弾ませながら頷き、もう一度構えた。
 蹴り出して、重心を前足に乗せて……バランスを取る。
 板の上で静止できる時間が少しずつ長くなっていく。

 その様子を見て、朱里は軽く手を叩いた。
 「じゃあ次はね、もうひとつやってみようか。
  今度は“かかと側”――ヒールエッジ側で蹴ってみよう。」

 朱里は自ら雪面に立ち、ゆっくりと動作を見せる。
 「後ろ足はね、さっきと同じ。前足の位置までしっかり持ってきて。
  今度は、基本は板をフラットだけど、ヒールエッジ側に後ろ足を持ってくる分、前足の“かかと側”に重心が少し移るよ。そこから後ろに蹴り出す感じ。」

 彼女はそう言いながら、前足の上に腰をまっすぐ乗せて、軽く後ろ足で蹴り出す。板がスッと雪の上を進む。

 「このやり方のほうがね、少し楽なんだよ。
 つま先側よりも後ろ足を前に持ってきやすいから、蹴り出す前の姿勢は取りやすいと感じるかもしれない。」

 紗良はうなずいて、慎重に構える。
 トゥエッジのときよりも落ち着いた動きで、後ろ足を前に出し――
 「えいっ」と軽く蹴る。

 その瞬間、板がなめらかに前へ進み、
 紗良の体は自然と前足の上に重心を乗せていた。

 「そう、それ!」
 あかりの声が弾んだ。
 「今の、すごくいい! ちゃんと前足に乗れてるよ!」

 紗良は嬉しそうに息を吐き、頬を赤らめながら言った。
 「なんか……こっちのほうがやりやすいかも。」

 あかりは笑って頷く。
 「そうだね、ヒールエッジのほうがやりやすい人も多いの。
 でもね、両方できたほうがいいんだよ。
 平らな場所ではどっちでもいいけど、
 斜面に行くと――“両方できること”がすごく大事になってくるの。スキー場は平らな場所が圧倒的に少ない。
 スノーボードをするそのほとんどの場所は斜面。このスケーティングはスノーボードのどちらかのエッジが効いた状態で行うことになるの。」

 紗良は少し考え込んでから、真っすぐあかりを見上げた。
 「じゃあ……両方できるように練習する。」

 「うん、そうしよう。
 言葉だと伝わりにくいかもしれないけど、斜面に行ったら、『こういうことか』ってきっとわかるよ」

 朱里は微笑む。

 紗良は黙々とスケーティングを続けていた。
 何度も蹴って、乗って、また蹴って。

 前足にしっかり重心を乗せようとするたび、
 太ももが張り、息が上がる。

 「はぁ……っ、はぁ……っ」
 
 紗良の肩が上下し、グローブの先が小刻みに震える。
 けれど、その目はまっすぐだった。

 朱里は少し離れた場所でその姿を見守りながら、静かに声をかける。
 「紗良、焦らなくていいよ。ゆっくりでいいから。」

 紗良は短く「うん」とだけ答え、もう一度前足に体を乗せた。
 足元の雪がキュッと鳴り、白い粉がふわりと舞う。
 その一つひとつの動作に、あかりは自然と頬を緩めていた。

 しばらくして、朱里が声をかける。
 「よし……紗良、スケーティングはそのくらいにしよう。」
 紗良は顔を上げ、肩で息をしながらも満足そうに笑った。

 「もうだいぶ、前足に重心が乗るようになってる。
 ちゃんと“蹴る力”もできてきたし、
 今の時点でここまでできれば十分だよ。」

 朱里は次の課題に移るよう促した。

 「スケーティングはね、スノーボードの三つの要素――
 角づけ、荷重、ひねりの中の“荷重”を練習するためのもの。
 今の練習で“重心を感じる”っていう感覚が、
 きっと体に少しずつ入ってきたと思う。
 じゃあ、次のステップに進もう。
  覚えてるよね? スノーボードの三つの要素の残り、
  “角付け”と“ひねり”。」

 紗良は少し息を弾ませたまま、まっすぐ頷いた。
 「うん、覚えてる。」

 「そう、それ。それを次に練習していくよ。
 この二つを一緒に練習できる方法があるの。
 これができるようになると、スノーボードを動かすことに必要な三つの要素が備わり、板を“動かす”ってことができるようになる。
 つまり自分の意思で操作して滑走する土台が出来上がるということ」

 朱里は、雪の上に板を置き前足を履きながら紗良の方を見やった。
 「じゃあ、次は“角付け”と“ひねり”の練習をしていくよ。」

 紗良が小さく頷くと、朱里は板の側面を指で示した。
 「スノーボードって、一枚の板に見えるけど、実はすごく細かい機能があるんだよ。
 この、ここ――板のふちの“金属の部分”。これを“エッジ”っていうの。」

 紗良がしゃがみ込み、興味深そうにその部分を見つめる。
 「このエッジを雪の面に立てて、食い込ませることで、スピードをコントロールしたり、止まったり、方向を変えたりできるんだ。
 この“エッジを立てる動き”を“角付け”って言うの。」

 朱里は、自分の板を軽く傾けてみせる。
 雪面に金属のエッジがわずかに食い込み、キュッと小さな音がした。
 「ね、こうやって雪に角度をつけて立てることで、板が雪をつかむの。
  角付けがしっかりできるようになると、滑るスピードも方向も自由にコントロールできるようになるんだ。」

 次に、板の上に片足を乗せ、
 今度はその場で軽く上体をひねって見せた。
 「そしてもうひとつ、“ひねり”。
  これは、板を地面に水平にしたまま、横に回転させる動きのこと。」

 彼女は手を広げ、空中に円を描くように腕を回した。身体をひねることで、連動し板もわずかに回りだす。
 「身体又は板がぐるっと回る動き――それが“ひねり”なの。」

 紗良はうなずいた。
 「角付けは雪に立てること、ひねりは回すこと……。」

 朱里は微笑んで言う。
 「そう。角付けは“板を雪に立てる力”。
  ひねりは“板を回す力”。
  この二つを組み合わせて使えるようになると、いよいよ“滑り”の入り口が見えてくるよ。」

 朱里は靴のかかと側(ヒール側)に後ろ足を雪面にそっと置き、

 紗良はうなずきながら、自分の足元を見つめる。

 「見てね。後ろ足はヒールエッジ側に置くよ。状態だと、身体の軸が少しヒールエッジ側に傾く。
 それでいいの。そうすることで、つま先が軽くなってかかと側のヒールエッジに力が自然に立ちやすくなるからね。」

 朱里はそっと重心を前足に乗せつつ、ヒールエッジに柔らかく圧をかける。
 雪が、ほんの少しだけ「キュッ」と鳴いた。

 「ここで大事なのは、エッジを強く立てすぎないこと。
 ぎゅっと刺すんじゃなくて……」

 朱里はゆっくり前足をひねり、左回りに円を描くように見本を見せながら「……雪面を食パンに見立て、スノーボードをバターナイフだと思って……そこにバターを塗るみたいに。
 エッジに軽く体重を乗せ、上から板に圧力を少しかけながら、静かに動かすの。」と伝えた。

 おおよそ、朱里の左足は最初の位置からは動かず、それを中心に一回転した。ヒールエッジがわずかに立っているので、雪面に円状に薄い跡が残る。

 紗良は、かすかに笑う。
 「パンにバター……」

 「そう。パンにバターを塗るように。じゃあ、紗良やってみようか」
 朱里は紗良に促す。 

 紗良は慎重に動きをまねる。最初上半身を回すが板は全く回らない。回らないから、今度は板に装着されている前足にを無理にねじるような動作をするが、わずかに板が動くだけで回り出すまでには程遠かった。

 「上半身をただ回してもダメ。力で回すだけでもダメ。まず意識は板に一番近い足元から。つま先を左方向、かかとを右方向に回す力をかけていく。足首のひねりを意識して。そこから足首、膝、股関節を連動させていく感じ、
 重心が乗った前足から股関節まで一本軸が通ってるつもりで――
 その軸を意識して、足首、膝を左にひねりながら……股関節を開くように。そうすれば板は反時計回りに回り出す」

 紗良は慎重に動きをまねる。なかなか動かない。板に力が加わっていなかったり、エッジが雪面に引っ掛かったりとしていた。
 それでもぎこちなさは残るが、少しずつ円が描けるようになっていく。

 「そうそう!
 無理にエッジを立てすぎなくていいよ。
 軽く立てて、パンにナイフでバターを塗る感じ」
 応えるように、後ろ足をヒール側に置き、体重をそっと前足にかける。
 断続的でぎこちなく円が崩れかけるも、エッジが雪面を優しくとらえ、
小さな円が少しづつ描かれるようになってきた。

 「そう、その感じ!
 エッジにちゃんと雪の感触があるよね?大丈夫、合ってるよ。」

 朱里の声は柔らかく、紗良の小さな変化を都度ほめながら見守る。

 紗良は小さく息を吐き、ぐるり……もう一度。
さっきよりもなめらかに板が雪をなぞった。

 ヒール側の動きに一区切りがつくと、あかりは呼吸を整えて紗良に向き直った。

 「じゃあ次は、つま先側――トゥエッジでやるよ。さっきの反対回り、今度は時計回りね」

紗良は真剣に頷く。
朱里は後ろ足の位置を示しながら説明を続けた。

 「まず後ろ足を、前足のつま先側の雪にそっと置いて……そう。
つま先が少し沈んで、かかとが浮く感じになるよね?」

紗良は足元をちらっと見て、小さく「うん」と答えた。

朱里は自分のブーツを指しながら、

「ここから、足首を使って――つま先を右へ、かかとを左へ。」

つま先→右
かかと→左
その動きに合わせて膝も内側へ絞る。

「膝も一緒にね。内側へきゅっと入れて。
股関節も、一緒に内へ。
ひとつだけじゃなくて、足首→膝→股関節の順番で、全部が連動してひねられると板が回るの」

 朱里は見本を見せる。
 板が雪の上で時計回りに円を描く。

紗良も真似してみるが――動かない。動かないから紗良は足を少し持ち上げ、板を雪面から離してまた力で回そうとする。

 「回らないからって、板を雪面から離して回そうとしてはダメ。いい、さっきと同じようにパンにバターを塗るように」

 板は紗良は朱里の言葉を真摯に受け止め、言葉通りに挑戦するがなかなか思うように板は回らない。

「むずかしい……」

 「うん、トゥ側はエッジが噛みやすい分、動きが硬くなるんだよ。足も内側にひねる、つまり閉じる動きで窮屈にしていく方向だから余計にかな」

 朱里はしゃがみ込み、紗良の板にそっと手を添えた。

 「じゃあ、私がちょっと手伝うね。
 この感じ……見るだけじゃなくて“足で感じる”んだよ」

 朱里が板をゆっくり回す。
 紗良の足と膝が自然と内へ誘導される。

 それを何回も紗良の身体に動きを染み込ませるように、回す誘導をしていく。

「はい、もう一回……今度はなるべく自分で回して。
足首→膝→股関節、内に“ぎゅ”ってまとめる感じで」

 「そう。自分の力で回す。」
 まだ、朱里のサポートが必要だが、少しづつ紗良は自身の力で回せるようになってきた。

 朱里が目を見開き、ふわっと笑う。

 「そう、それ!今の!今の動き、ちゃんとできてる」

 紗良の口元がゆるみ、
 悔しさと嬉しさが混ざったような照れ笑いが浮かぶ。

 「もう一回やる」

 「うん、何回でもやろう。ゆっくりでいいからね。出来ないのは当然。何でもすぐ出来る神様みたいな人だったら、この世の中つまらなくなっちゃうよ。 
 大事なのは、感じること。
 自分の身体の動かしかたってわかっているようでわかっていないことが多いの。スノーボードは非日常の動きが本当に多い。そういった意味でもスノーボードって本当に色々なこと気付かせてくれる」

 つま先側の回転練習を続けるうちに、紗良の板はぎこちないながらも、確かに円を描くようになってきた。

 朱里はそれを見て、柔らかく声をかけた。

 「うん、いいよ。今の感じ、しっかりできてる。
 紗良、これでね──角付け、荷重、ひねり。
スノーボードの大事な“三つ”の土台が、もう体に入ったよ」

 紗良は息を荒くしながら、

 「……ほんとに?」

 「ほんと。ここまでできたら、十分すごいよ」

 あかりは白く光るゲレンデの斜面を見つめ、続ける。

 「じゃあ、次はいよいよ“斜面”に行こう。
 今までは平らなところだったけど、これからは滑りながら動きを使うよ」

 「……リフト、のるの?」

 「うん。紗良はスケーティングできたから、大丈夫。リフトもきっと上手に乗れるよ」

 二人は歩き出す。

 ロッジの前から右へ、
ゆっくりと雪の上を踏みしめながら、
リフト乗り場へと向かう。

 ゲレンデには、いつのまにか人の流れが生まれていた。

 スキーヤーもスノーボーダーも、だんだんと増え始めている。

 小さな子どもの笑い声。
 若者グループのはしゃぐ声。
 シニアスキーヤーの落ち着いた滑り。
 板が雪を切る音が、そこら中で生まれては消えていく。

 リフトの搬器が規則的にカタン、カタンと回り続け、その周りには数人の待機列が短くのびている。

 朱里は紗良にやさしく微笑んだ。

 「行こっ、紗良。」

 二人は並んでリフトの方へ向かっていった。

 リフト乗り場の手前まで来ると、
 朱里は紗良にそっと声をかけながら、前足のビンディングを締めた。

 「よし、ここからは片足で進むよ。ゆっくりで大丈夫。自分のペースでね」

 紗良も小さく頷き、ぎこちない動きでスケーティングを始める。
 そのとき、二人の少し離れた前に、古賀コーチと、蓮・悠・綾乃がいた。

 古賀が手を軽く上げる。

 「お、朱里。これからリフトか?」

 綾乃が紗良を見つけ、目を輝かせる。

 「紗良ちゃん、リフト乗るの?すごい!いよいよだね!」

 紗良はきゅっと口を結び、頬を赤くしながら頷いた。

 朱里は少し安心した笑みを浮かべ、古賀へ向き直る。

 「ちょうどよかったです。
紗良、今日が初めてのリフトで……
私ひとりだと、もしもの時にフォローしきれないかもしれなくて。
サポートお願いできますか?」

 古賀はにやりと笑い、頷く。

 「もちろん。こういうときは前後で挟むのが定石だ」

 朱里もうなずく。

 「助かります」

 ガタン、とリフトの搬器が音を立てて流れていく。

 古賀が一歩前へ。

 「じゃあ、俺が先頭に乗る。蓮も俺と一緒だ。
次のリフトで朱里と紗良」

 「じゃあ次は私と悠だね!」
 綾乃が元気よく手を上げ、悠も嬉しそうに頷く。

 紗良は不安そうに前足の板を見つめる。
 指先が、グローブ越しにぎゅっと縮こまっている。

 朱里はそっと紗良の肩に手を置いた。

 「大丈夫。紗良は今日すごく上手に練習できてた。安心してね。一緒に乗るから」

 「……うん」

 朱里は少し紗良に説明を加える。
「リフトに乗る時、必ず板のノーズは――」

 朱里は指先で紗良のボードの先を示す。

 「山のほう、つまり上に向けて“まっすぐ”にしておくの。
横にしちゃうと、エッジが雪に引っかかっちゃうからね」

 紗良は自分の板の角度を確認しながら、小さく息をのみ込む。

 「それから、少し体を横にして椅子が来るのを待って、腰をかけるように座るよ。紗良はレギュラースタンスだから、右のお尻からちょこんと座るイメージ」

 朱里は実際に腰を少し傾け、腰かける仕草をして見せた。
 紗良も同じ動きを真似しようとするが、ちょっとぎこちない。その様子に朱里はふっと微笑んだ。

 「大丈夫。うまく腰かけられたら、あとは板をまっすぐのままね。
リフトが動き出して板が雪面から離れるまで、ノーズはずっと上向き」

 紗良は、グローブ越しにぎゅっと拳を握る。

 「……わかった」

 「よし、バッチリ」

 朱里は紗良のヘルメットを軽くトントンと叩き、優しく背中を押す。

 リフト乗り場へ近づくと、朱里は係員に声をかけた。

 「この子、今日が初めてリフトに乗るんです。
 すみません、少しゆっくりにしてもらえますか?」

 「もちろんです。ゆっくり流しますね」

 係員は優しく答え、操作盤に手を添える。

 その間、サラはじっとリフトの動きを見つめていた。
 椅子が来ては去り、来ては去る。

 やがて、古賀と蓮が前の搬器に向かい、古賀達が乗る搬器が朱里達の目の前を通り過ぎる。

 それを見送った直後──

 「よし、紗良。私たちの番だよ」

 朱里は静かに言い、紗良の背中にそっと手を添える。
 紗良は深呼吸を一つし、ぎこちないながらもスケーティングで前に進む。

 「大丈夫。ゆっくり前に進もう」

 朱里は紗良の背中にそっと手を添え、支
紗良はまだぎこちない足運びで、一歩一歩、慎重に、リフト乗り場の白線へと近づいていく。

 椅子が去り、次の搬器がゆっくりと近づいてくる。
 ワイヤーの低い唸り、滑車が回る機械の音が周囲に響く。

 紗良は緊張で喉を鳴らす。

 「……先生」

 「大丈夫」朱里は優しく応える。「ノーズは前。うん、そう。まっすぐ。少し横向きに右側のお尻から腰掛けるよ」

 紗良は教わったとおり、ボードの先をしっかり山の方向へ向ける。
 視線は搬器へ向けつつ、膝を少し曲げ、右のお尻にそっと力を入れ始める。

 「来るよ。そっと腰を預ける感じ」

 椅子が背中に触れる瞬間、朱里は紗良の体を優しく支えながら、わずかに押し添える。
 ゆっくり、ふわりと、椅子が二人の体を受け止めた。

 「……!」

 紗良の体がわずかに浮く。
 次の瞬間、足元の雪が、ゆっくりと遠ざかっていった。

 リフトは確かにゆっくりと、優しく雪面を離れていく。
 紗良は息を止めたまま前を見つめ──
 そして朱里の声が、そっとその肩の力を溶かす。

 「できたよ、紗良。すごいよ。ちゃんと乗れた」

 紗良は、きゅっと唇を結んだまま、でも目だけがほんのり輝いていた。
 緊張と、安堵と、ちいさな誇り。その全部が混ざった光。

 朱里も笑う。

 「このまま、上まで空の散歩ね」

 二人を乗せた椅子は、静かに登っていく。

 最初はぎゅっとこわばっていた手が、
 少しずつ、指先まで力が抜けていく。

 「……のれた……」

 小さな呟きが、冷たい空気に震えた。
 でもその声は、どこか自信に満ちている。

 朱里が優しく笑う。

 「うん。ちゃんとできたよ。すごいね、紗良」

 紗良はこくりと頷いた。
 頬はほんのり赤く、胸は小さく上下している。

 そのとき。

 前の搬器から、大きな声が振ってきた。

 「さらーっ!! やったなー! のれたぞー!」

 前に目を向くと、古賀が体をひねり、
 雪の白に映える手袋を大きく振っていた。

 その声に、紗良の目がまんまるになる。

 次の瞬間。

 今度は後ろの搬器から、弾む声が飛んでくる。

 「さらー! やったじゃん! すごいよー!」

 綾乃だ。
 乗り出すように手を振っている。

 その横では悠が、
 渾身のガッツポーズを見せながら、

 「さらー! かっこいいー!!」

 と声を張った。

 顔を伏せ気味にしながらも、
 こぼれる笑みは隠せない。

 「……えへへ……」

 その照れくさそうな声に、朱里も笑う。

 「嬉しいね。みんな見てくれてるんだ」

 リフトが静かに高さを増していく。

 しばらく二人は無言のまま揺られていたが、
 朱里が肩越しにそっと声をかけた。

 「ねえ、紗良。後ろ、見てごらん」

 ゆっくりと背後を振り返る。

 「……わぁ……」

 そこに広がっていたのは――
 白銀に染まる旗咲町の広大な景色。

 雪に覆われた畑。
 冬を耐えるぶどう棚。
 規則正しい玉ねぎ畑。
 その奥に連なる森と遠くの山影。

 全てが白く穏やかで、どこまでも広がっていた。

 「すごい……ひろい……きれい……」

 紗良の言葉は、雪みたいに、ゆっくり空に溶けていった。

 朱里も同じ方向を見て、肩を緩めて笑う。

 「いいよね、この景色。私も、ここ好きなんだ」

 紗良はこくりと頷く。

 やがて、前方にリフト降り場が近づいてくる。
 朱里は姿勢を正し、真剣な声に切り替えた。

 「紗良、ここから大事なお話ね。
まずは私がしっかり支えるから、紗良は一つだけ――
板をまっすぐ、ノーズを進行方向に向ける。
座る時と一緒。右のお尻に体重を寄せて、まっすぐ」

 紗良は言われた通りに、横向きに座る。
 朱里の手がそっと紗良の脇の部分を支えた。

 「後ろ足は、ビンディングのあいだ。
私は押さえてるから、紗良は立つだけでいい。
大丈夫。私がいるから」

 リフトが最終スロープに差しかかり、足元に雪の斜面が迫る。

 「いくよ」

 朱里がそっと押し上げるように立ち、紗良も必死で立ち上がった。

 「紗良立って、真っ直ぐ、そのまま」

 リフト降り場は若干の下り坂になっている。朱里は紗良の身体を脇に手を添えて支え、二人はその斜面を滑り出した。

 しかし紗良は初めてスノーボードで斜面を滑り降りる感覚に怖がり、下へとへたり込もうとする。それを必死に朱里は脇に添えた手ですくい上げようとするが、

 「あっ——!」

 朱里も支えながら踏ん張るが、
 バランスが崩れ、二人は前のめりに倒れかけた。

 その瞬間。

 すっと影が差し込む。

 「っと、危ない」

 古賀がすでに手を伸ばしていた。
 迷いのない動作で紗良の身体を抱き止め、
 リフト降り場の先の安全地帯へ滑らせるように移動させる。

 その動きは、何十年とスノーボードに向き合い、何千回、何万回と繰り返されてきた者の熟練の滑らかさと温かさだった。

 「よし……もう大丈夫だな」

 紗良は肩で息をしながら、目を瞬く。
 朱里も近づき、胸に手を当てて笑った。

 「びっくりした……でも、ちゃんとできたよ。紗良、立てたもんね」

 紗良はまだ鼓動の余韻で声が少し震えていた。

 「……うん。立てたけど、こわくて……ごめんなさい……」

 古賀はそれを聞き、柔らかい目で二人を見守る。

 「最初は誰だって怖いさ。でも、自分の足で立とうとした。それが一番だ」

 そこへ、すぐ後ろのリフトで降りてきた綾乃と悠がサッと滑り込んでくる。

 「紗良、すごーい!ちゃんと降りれたじゃん!」

 「やったね、紗良ー!」

 二人の声は弾んでいて、雪の空気の中で澄んで響く。
 彼女たちは自然と周りを明るくする――
 すでにチームのムードメーカーそのものだ。

 紗良は照れたように俯きながらも、目元は嬉しくてほころんでいる。

 そこへ今度は蓮が、静かに近づいてくる。

 「やったな、紗良」

 手袋をした手を、そっと差し出した。
 ハイタッチの合図。

 紗良は一瞬、戸惑って固まる。
 だけど蓮のさりげない優しさに、
 ゆっくり手を伸ばし、ぱんと優しく触れ合う。

 小さな音が、雪に吸い込まれた。

 その瞬間、紗良の表情は
 ほんの少し誇らしい笑顔に変わった。

 朱里はその光景を見て、胸の奥がじんと温かくなる。
 「この子たちは、これからもっと強く、優しくなっていくんだ」
そんな確信が静かに湧き上がる。

 風が頬を撫で、雪面がきらきら光る。

 紗良の“初めて”のリフト乗り降りが終わった瞬間、気付けばそこには、まるで自然に集まったように仲間の輪ができていた。
 嬉しさを分け合い、失敗を支え合い、名前を呼び合って笑う声。
 まだ始まったばかりの小さなチーム――それでも、誰かの成長を心から願い、力を合わせて一歩を後押しする、確かな絆がそこにあった。

 この景色、この瞬間。
 旗咲スキー場に、確かに刻まれた。

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この物語はフィクションです。
登場する人物、団体、名称、場所などは架空のものであり、
実在のものとは一切関係ありません

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