見出し画像

キセキの町〜雪に刻まれた約束とスノーボードが繋ぐ才能たち〜      19 スタンスの決め方とスケーティングの重要性 

 ロッジ前の斜面は、他の子どもたちが散っていったことで、不思議な静けさに包まれていた。遠くでは古賀の笑い声や、リフトの滑車音が小さく響いているが、この場所だけはぽっかりと時間がゆっくり流れているようだった。

 朱里は紗良の正面に立ち、穏やかに声をかけた。

 「じゃあ紗良、私たちもレッスンを始めようか」

 紗良はブーツの先を揃え、少しだけ緊張した面持ちでコクンと頷き、「……よろしくお願いします」と紗良は言った。

 前回よりもしっかりした紗良の受け答えに、朱里の方が少し戸惑う。

 「こないだ習ったこと、覚えてる? まずは“おさらい”からやろうね」

 紗良が頷くと、朱里は指を折りながら、ゆっくり確認するように続けた。

 「前回は──まず、板を履いて“立ち上がる”練習。それから、前と後ろの“転び方”。それと荷重ね。右足と左足に重心を乗せる練習。焦らなくていいよ。今日も一つずつ確認して、できることを増やしていこう」

 朱里は微笑んだ。

 紗良は照れくさそうに目線を落としながらも、頷く。

 「……はい」

 返ってきた声は、想像以上に真っ直ぐだった。

 「じゃあまず、立ち上がるところからおさらいね。お尻から立つやり方、あとで紗良もやってみて」

 朱里の合図で、紗良は、しゃがんだ姿勢から立ち上がろうとした。
 前回より迷いがない。両手で雪を押し、体を引き上げ──すっと膝が伸びる。

 「立てたね。じゃあ次、前に転ぶよ」

 朱里の指示に合わせ、紗良は小さく息を吐き、膝を折って“低い姿勢”を作る。
 顎を引き、前腕で雪面を受け──ぽふっ、と柔らかく雪へ倒れ込む。

 「うん、いい! 後ろ!」

 今度は背中を丸め、おへそを見るようにしながら、お尻から雪へ。
 雪が舞い上がり、柔らかく沈む。

 その一連の流れを見ていた朱里は、思わず目を丸くした。

 「……すごい、紗良。全部覚えてるじゃない」

 紗良は照れたように目線をそらし、頷く。

 「じゃあ最後、“荷重”。右、左、右──」

 朱里の声に合わせ、紗良は静かに重心を移動する。
 肩のラインもほとんどブレず、雪に立つ板が素直に応えている。

 朱里は感嘆を隠せなかった。

 「本当にすごいよ紗良……こんなにできるようになってるなんて」

 すると紗良が、ぽつりと小さく言葉を落とした。

 「……家で……ちょっと……やってたから」

 朱里は一瞬きょとんとし、次の瞬間ふっと笑った。

 「家で? 練習してたの?」 

 紗良はゴーグルの縁を指で触りながら、照れくさそうに続ける。

 「ボード……あるのが嬉しくて。
 それに……朱里先生の教え方、わかりやすかった。優しいし……もっとやってみたいって……思って」

 その声は小さいのに、まっすぐだった。

 一瞬、朱里の目がまん丸になる。
 次の瞬間──朱里はパッと笑顔になり、声のトーンまで跳ねた。

 「……嬉しすぎる!
 紗良、ありがとう! 私、そんなふうに思ってもらえてたなんて……
 いやもう、ほんと嬉しい!!」

 両手を握りしめ、子どものように弾んだ声音。
 紗良は不意を突かれて目をパチパチさせ、少し照れながらも微笑んだ。

 「……そんなに?」

 「そんなにだよ! めちゃくちゃ嬉しい!」

 雪面の上で、“素直な喜び”が弾けた瞬間だった。

 ーーその時

 朱里の喜びが弾んだ空気の中で、紗良はふと視線を下げ、ぽつりと呟いた。

 「……朱里先生。私って……変じゃない?」

 「え?」

 あまりに突然の言葉に、朱里は声を失う。
 表情は笑顔のままだったが、その奥が一瞬だけ凍った。

 「どういうこと、紗良?」

 紗良は唇を噛んだまま、雪面を見つめた。

 「学校でね……みんな言うの。
 『変だ』って……。なんか、違うって。
 私が何もしてなくても、そう言われるんだ」

 その声は震えも怒りもなかった。ただただ、疲れたように静かだった。

 朱里の胸がきゅっと締めつけられた。

 ――わかる。
 初めて会ったときから薄々感じていた。

 陽を含んだ栗色の髪が、ところどころ蜂蜜色に透ける。
 白い光に縁取られた横顔は、鼻筋がすっと伸びていて、笑うと頬のラインが柔らかく浮かぶ。
 瞳はグレーと淡いグリーンが溶け合い、光の角度で静かに色を変える。

 紗良はきっと、ずっと見られてきたのだ。
 好奇の目で。
 無理解の目で。
 同じ子どもであるはずの存在から。

 (……こんな小さな子に、そんなものを背負わせるなんて)

 怒りとも悲しみともつかない感情が胸の奥で熱を帯びる。
 だが朱里はそれを飲み込み、静かに、はっきりとした声で言った。

 「紗良。あなたは──変なんかじゃないよ」

 紗良が顔を上げる。
 瞳が揺れていた。

 「変なんかじゃない。
 ただ、人と“違う”だけ。
 だけどね、人と違うことは、恥ずかしいことじゃないよ」

 朱里の言葉は、押しつけではなく、祈るように静かだった。

 朱里は、まっすぐに紗良の瞳を見つめた。

 「紗良──“違う”っていうのはね、弱さじゃない。それは“あなたが持って生まれた強さ”なんだよ。」

 紗良は小さく瞬きをしたまま、言葉を失っている。
 朱里は続ける。声に迷いはなかった。

 「紗良だけじゃない。他の人だって、同じように見えてみんな違う。“違い”は持って生まれるけど、その“違いに価値を与えるのは、自分自身。
まわりの言葉じゃなく、自分で育てていくもの。紗良がこれから価値にしていく”個性”なんだよ。」

 朱里は優しく微笑んだ。

 「だから、卑屈になることはない。みんなと同じになる必要もない。
紗良のままでいいの。
そのままの紗良が、私はすごく素敵だと思う。」

 紗良はうつむいて、指先でグローブの端をぎゅっとつまんでいた。
 それでも、逃げずに言葉を探すように、そっと口を開く。

 「……朱里先生。ありがとう。
難しいこと言われた気がするけど……でも、なんか……ちょっとほっとした。
ちゃんとはわからないけど……でも……ありがとう。」

 言葉にするのが少しぎこちなくて、でも嘘がひとつもない素直さ。
 その幼さと精一杯さが、白い空気にふっと溶けていく。

 朱里は目を瞬かせ、そして表情をやわらかくほころばせた。

 「そっか。うん、そっか。
なんか難しく言っちゃったよね……ごめん。」

 紗良はぶんぶんと慌てて首を振る。

 「ちがうの。……ありがとうって言いたかったの。」

 不意に視線が重なり、
 照れと安心が混じった笑みが、同時にふっとこぼれる。

朱里・紗良
「「……えへへ」」

――心の距離が、静かに近づいた瞬間だった。

 あかりは紗良の頭をそっと撫でると、気持ちを切り替えるように笑顔で言った。

 「よし、じゃあ――レッスンを続けようか。次は“スケーティング”の練習をするよ」

 紗良も小さくうなずく。
 あかりは紗良の前に立ち、分かりやすいようにゆっくり言葉を続けた。

 「その前にね。まず、スノーボードの“スタンス”っていうものを説明するね。スタンスには大きく分けて、レギュラースタンスとグーフィースタンスの2種類があるの」

 あかりは自分のボードを指差しながら、片方の足をポンポンと叩いて見せる。

 「紗良のボードのセッティングはレギュラースタンスに設定されている。左足が前、右足が後ろで滑るスタイルのことね。もう一つのグーフィースタンスというのは右足が前、左足が後ろになるよ」

 紗良は説明を聞き自分のボードを見てスタンスを確認している。

 「人によっては“利き足”をヒントにスタンスを決めるって考え方もあるの」

 紗良が首をかしげると、あかりは地面に指で円を描きながらゆっくり説明した。

 「例えば――サッカーボールを蹴る時のことを考えてみて。
蹴る方の足って“動く足”でしょう? でも、反対の足は身体を支える軸足になるよね」

 紗良は少し考えてから、ぽつりと「あ……たしかに」と声を出した。

 「その考え方をスノーボードに当てはめると、軸足=前足、蹴る足=後ろ足って考える人がいるの。だからボールを右で蹴る人はレギュラー、左で蹴る人はグーフィー……っていう判断の仕方もあるんだ」

 するとあかりは肩をすくめ、苦笑まじりに続けた。

 「でもね、それが“絶対”ってわけじゃない。真島監督も私も、正直そこまで気にしていないよ。結局は滑り始めた方向がその人のスタンスになっちゃうことがほとんどじゃないかな。私もはじめて滑った板が既にレギュラースタンスにセッティングされていたから、その流れで……みたいな感じ」

 そこであかりは人差し指を立てて見せる。

 「ただ一つだけ言えるのは――
レギュラーは多数派で、ほとんどの人はレギュラースタンスなの。だから上手な人の見本を見たり、真似したりするにはレギュラーの方が覚えやすいっていうのもあるんだ。そしてグーフィースタンスは少数派で珍しいってことかな。何も違いはないのに少数派のグーフィースタンスっていうだけで、見ている人は、『あの人グーフィーだ』なんて勝手に思っちゃたりしてる」

 その言葉に、紗良は目を瞬かせた。

 「今日の体験会にいる人達でグーフィースタンスは……綾乃だけかな」

 あかりは微笑みながら問いかける。

 「さて――紗良はどっちがいいと思う?
このままレギュラースタンスで行く?
それともグーフィーにも興味ある?」

 紗良は一度だけ空を見上げ、胸の前で手をぎゅっと握った。

 「……わたし、レギュラーでやりたい。朱里先生と同じ」

 その返事を聞いて、あかりは嬉しそうに頷いた。

 「うん。じゃあレギュラーでいこう。紗良が自分で決めたなら、それがいちばんだよ」

 冷たい雪の上に立ちながら、紗良は「うん」と返した。

 紗良がそう返答した時、ロッジの方から、ギシッ、ギシッと雪を踏む音が近づいてくる。

 見るとと、スノーボードウェアに着替え、左手に板を持った少年が歩いてきた。
 首から下げていたカメラはもう外されている。さっきまでの“写真に夢中な少年”から、しっかり“スノーボーダーの顔”に変わっていた。

 彼は二人の前に立ち、丁寧に一礼する。

 「すみません、遅くなりました。よろしくお願いします。
久城遙真です」

 その真っ直ぐな声に、紗良が少し驚いたように瞳を瞬かせる。

 あかりは穏やかに頷いて返した。

「久城くん、
今日のレッスンだけど──久城くんは真島監督の組になるの。
今はもう一人の参加者、高嶺香織さんと一本フリーで滑っているから、あとで合流してもらうね。
それまで、ここで一緒に待ちながら準備していこう」

 「わかりました」

 遥真が返事をし、手に持っていた板をそっと雪の上に置いた。
 そのバインディングを見たあかりが、すぐ紗良に声を向ける。

「紗良、見て。久城くんのボードの向き──さっき話したグーフィースタンスになってるでしょ?」

 紗良は板と自分の板を交互に見比べ、こくんと頷いた。

 遥真は少し照れたように笑って言う。

 「僕、左利きなんです。だからグーフィーのほうがしっくりきて」

 あかりは二人に向き直り、明るく言う。

 「ね、二人とも違うスタンス。
こうやって決め方も人それぞれ。“人によって正解が違う”のがスノーボードの面白さ。
どちらも間違いじゃないし、自分で選んだ方を信じてやればいい」

 遥真はにこやかに、紗良は真剣な眼差しであかりの言葉を受け止めていた。

 そして──あかりは手をパンと鳴らす。

 「じゃあせっかくだから、真島監督が戻るまで一緒にスケーティングの練習をしよう。
ここは片足だけ固定して滑る、スノーボードの“歩き方”。
二人とも一緒にやってみようね」

 遥真は笑顔で即答する。

 「はい、お願いします!」

 紗良がこくりと頷き、遙真も静かに耳を傾けている。

 「スノーボードには、滑りの基本になる大事な“3つの要素”があるって、前に話したよね。覚えてる? 角づけ・荷重・ひねり。このスケーティングも、その中の荷重とすごく深く関係しているの」

 朱里は自分のボードの前足のビンディングをトン、と指先で叩いた。

 「スケーティングはね、前側の足──軸足に“しっかり重心を乗せて”滑る技術のこと。後ろ足はバインディングから外して、片足だけで板をコントロールするんだよ」

 紗良は「片足で……」と小さく呟き、遙真は興味深そうに前のめりになる。

 「この動きは、リフトに乗るとき、降りるとき、移動するとき……とにかく使う場面が多い超・重要スキル。ここができるかどうかで、その後の上達スピードが全然違ってくるんだ」

 朱里は立ち上がり、軽く前足に体重を預けた姿勢を見せる。

「まずは私がやってみせるね」

 二人がこくりと頷くのを確認すると、朱里はゆっくりと説明を重ねながら動き始めた。

 「まず大事なのは姿勢。膝は突っ張らないように──ほら、こうやって少し腰を落として、膝を曲げておくの」

 朱里は柔らかく膝を沈め、自然なフォームを見せる。
 遙真が真剣な眼差しでうなずき、紗良は両手を胸の前でぎゅっと揃えながら見つめている。

 「次は後ろ足の位置。蹴り出す足はね──絶対に“前足のつま先のライン”まで持ってくること」

 朱里は片足を外し、前足のつま先横までストン、と足を運んで見せた。

 「ここが中途半端だと、板だけ前に進んで、体が置いていかれちゃう。股が裂けそうになるし、怖いよね。だから、“しっかり前まで”」

  遙真と紗良は真剣に話を聞いている。

 「そしてポイントその2。蹴り出して前に進み始めたら──」

 朱里は後ろ足で軽く雪面を蹴り、板を滑らせた。
 片足だけでスーッと進みながら、身体はまっすぐ安定している。

 「すぐに後ろ足をつかないこと。軸は前足。前足に重心を乗せて、なるべく長く片足でバランスをとること。これがすごく大事なの」

 遙真が思わず感嘆の息を漏らす。 

 朱里は板が止まり始めると、再び後ろ足を大きく前へ運び、クロスするように足を雪面に置いた。

 「そして最後。スピードが落ちてきたら、今と同じように後ろ足を“ノーズのラインまで持ってくるつもり”でついて──」

 再び雪を蹴る。
 スッ──と音がして、朱里は再びきれいな片足の滑走姿勢に入る。

 「この繰り返しがスケーティング。リフトの乗り降りでも、どんな場面でも使うから、絶対に身につけようね」

 説明を終えて戻ってくる朱里に、二人は自然と拍手をしていた。 

 朱里はにこりと笑って言う。

 「じゃあ、次は紗良からやってみようか。遙真くんはそのあとね」

 紗良は一度深呼吸をして、前足だけをビンディングに固定したまま、そっと雪を踏みしめた。
 ほんの少しだけ強ばった表情──緊張しているのが朱里にもよくわかる。

 「じゃあ紗良。さっきのイメージのまま、まずは後ろ足を“ここ”までついてみよう」

 朱里は紗良の前足のつま先横を指先で軽くトントンと示す。

 紗良はうなずき、ぎこちない動作で後ろ足を運ぶ。
 だがその足は前足のつま先のところまでもってくることはできず、板のセンターあたりのところで後ろ足を雪面についてしまいう。

 紗良はもう一度深呼吸をした。
 紗良は再度試みる。
 膝をしっかり曲げ、後ろ足を前足のつま先の位置まで持っていく──
 朱里に教わった通りの形を、丁寧にひとつずつ再現していく。

 「うん、その位置でいいよ。じゃあ、そこから後ろ足で蹴ってみて」

 朱里の声に、紗良は小さく頷く。

 ぎゅっ── 小さく雪を蹴ると、ボードがすっと前に滑り出した。

 しかし──

 まるで板だけが先に行くように、 紗良の体は後ろに置いていかれた。

 「わっ……!」

 あわてて後ろ足を雪面に下ろす。
 重心が前に乗らず、身体が遅れている。

 朱里は急がず、静かに見守っていた。

 紗良はもう一度挑戦する。

 後ろ足を前に置き、蹴り出す。
 だがまた同じ──
 板は走り、身体はついていけず、後ろ足がすぐ雪面に落ちた。

 何度、やっても同じ。

 紗良は唇を噛んだ。

 朱里は優しく笑う。

 「うん、いいよ。最初はそうなるのが普通。」

 紗良が顔を上げる。
 
 朱里は続けた。

 「スケーティングってね、実は“ただ進む技術”じゃないの。
蹴り出して、前足に重心を乗せて、片足で長く乗り続けること。
これがちゃんとできる人はね、どれだけ滑れるようになっても意外と少ないの。」

 紗良の瞳が少し揺れる。

 「スノーボードって、慣れてくるとどんどん滑れるようになる。
でも──意識しなければ、片足で乗る技術は身につかないまま終わっちゃう人が本当に多いの。
どんなに上手に見えても、ここができないと、その先で必ず壁にぶつかる。」

 朱里は紗良の肩に軽く手を置き、言葉を丁寧に落とす。

 「だから今は“できるかどうか”じゃなくて、
前足に乗り続けようとする意識があるかどうかが大事。
ここを大事にできた人だけが、本当に上手くなっていくんだよ。」

 紗良は真剣な目で聞いていた。

 朱里は微笑みながら締めくくる。

 「無理に一気にできなくていい。
でも意識だけは絶対に忘れないで。
紗良なら、ちゃんとできるようになるから。」

 そう言うと朱里は屈み込み、紗良の視線と同じ高さに目線を合わせた。

 「紗良、覚えてる? 前回やった“荷重”。
右・左って重心を動かしたときの“左足に乗った形”──あれを思い出して」

 紗良は真剣な眼差しで小さくうなずく。

 朱里はそっと紗良の腰に手を添えた。
肩でも膝でもなく──重心の核となる骨盤の位置を支える。

 「ポイントは上半身じゃないよ。大事なのは“ここ”──腰の位置。
前足の真上に、この骨盤を乗せること。足だけじゃなくて、腰で立つの」

 紗良は片足で構え、朱里に形を整えてもらいながら静止する。
 雪が鳴り、風が流れる。紗良の呼吸だけがはっきり聞こえた。

 「じゃあ、今度はほんの少しだけ蹴ってみよう。進まなくてもいい。形をつくることが先ね」

 紗良は軽く雪を蹴り──

 すこし進み、止まる。
 でも今度は、すぐには足をつかなかった。

 ぐらりと揺れる体。
 それでも紗良は 膝ではなく、腰で踏ん張っていた。

 朱里はその動きを見逃さない。

 「……いいよ紗良。そう、それ!」

 紗良が指定ラインへ向けてスケーティングを続けている。
 何度も蹴り、何度もぐらつき、何度も後ろ足が雪を踏んだ。それでも——

 「……できた……!」

 ほんの1メートル。ほんの数秒。
それでも確かに片足で“乗れた”。

 朱里は胸が熱くなる。 「紗良、そこで待っててね! いいよ、できてる!」

 紗良は小さく息を弾ませながら、こくりと頷き、ボードを止めた。

 朱里が振り返ると——

 「……重心をこうして……タイミングは……なるほど……」

 遙真は、空を見上げながら考察していた。 まるでグローブで空に“見えない線”でも引いているように。

(何をやってるの……?)

 朱里は思った。

 「久城くん、準備はいい? まずは姿勢から作ってみよう」

 呼びかけると、遙真はすっとこちらを向いた。 そして朱里が示した姿勢を、一瞬で正確に再現する。

 「じゃあ——蹴り出してみて」

 蹴り。進む。すぐに後ろ足が着く。

 遙真は転びも焦りもせず、ただ一言。

 「……なるほど。もう一回」

二回目。
三回目。
四回目——

 挑戦するたび、体の使い方が洗練されていく。 骨盤の位置、荷重の乗り方、前足の軸。
 まるで「正解を身体で探し当てていく」ようだった。

そして——

 「よし……!」

 遙真は一気に雪を蹴り、紗良と同じラインまで滑り込んだ。

 朱里は目を丸くする。

 「……久城くん、すごい……! できてるよ、それ!」

 遙真は照れも得意げもなく、淡々と微笑んだ。

 「スケーティングって、こういうことなんですね。いつも適当にやってました。前足に長くのるのか……なるほど」

 その言葉に、朱里は思わず苦笑する。

 「いやいや、それを数回で形にできるのは、普通じゃないからね!? 私なんて、真島監督に教えてもらってから、何日も練習してようやくこうやって見せれるぐらいになってきたとこだよ?」

 久城は首をかしげ、さらりと言った。

 「僕、スノーボードは今シーズンからだけど、小さい頃からスキーをやってたんです。体が“板の上に乗る感覚”は覚えてるのかもしれません」

 「なるほど。スキーか……それなら確かに……いや、それにしても……」

 そのときだった。

 ――ザァッ

 雪煙を切り裂いて滑り込んでくる影が二つ。
 真島涼介と、高嶺香織だった。
 二人は朱里の前でスッとスピードを落とし、静かに停止する。

 真島が板を外しながら声をかける。

 「朱里さん、ありがとうございます。久城くんは準備できているようですね」

 「はい。あとはよろしくお願いします」

 真島は久城に向き直る。

 「久城くん。リフト乗ってターンで降りてくることができるかな?」

 久城は迷いのない目で頷く。

 「はい、出来ます」

 「では、行こうか」

 久城は去り際、朱里に丁寧に頭を下げた。

 「朱里先生、ありがとうございました。行ってきます!」

 「うん。がんばって!」

 真島と香織、久城の三人は再びリフト乗り場へと歩き出した。

 そして朱里は紗良へ向き直り、優しく微笑む。

 「さ、続きやろっか。まだまだ大事なことがたくさんあるからね」

 再び二人のレッスンの時間へ戻っていく。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
前のページ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜次のページ

この物語はフィクションです。
登場する人物、団体、名称、場所などは架空のものであり、
実在のものとは一切関係ありません

いいなと思ったら応援しよう!