蟹男|第一章|第一話「夜明け前の呼び出し」
※本作には流血・残虐表現、猟奇的描写が含まれます。
苦手な方や心臓の弱い方はご注意ください。
※本作は全五章の連載小説です。毎日21時に1話ずつ更新予定です。
──この港町には、潮と血が混ざる夜がある。
潮の匂いと血の匂いは、よく似ている。
そのことを、海堂真は今さら思い出していた。
夜明け前の漁港は、まだ星が瞬くほど暗く、潮溜まりから立ち上る生臭い匂いが鼻腔を刺す。
午前四時五十分。
冷えた空気の中、真は桟橋に立ち、波の音と遠くで軋む船の音を聞いていた。
携帯電話の着信音で叩き起こされ、慌てて駆けつけた現場。
頭の奥がまだぼんやりとして、現実感が希薄だった。
しかし鼻腔を突く血の匂いが、一気に意識を覚醒させる。
また殺人事件か
地方新聞記者として三年。
この小さな海辺の町で、これほど猟奇的な事件に遭遇するとは思わなかった。
胃の奥で何かが重く沈む。
不安なのか、それとも──予感?
警察車両の赤色灯が海面を不規則に染めている。
その光に照らされて、足音を殺しながら一人の男が近づいてくる
「また来たのか、海堂」
古賀刑事。
四十五歳のベテラン刑事は、いつもより顔色が悪い。
煙草を持つ手が小刻みに震えているのを、海堂は見逃さなかった。
古賀さんがこんな顔をするなんて胸の奥で警鐘が鳴る。
何かが決定的に違う。
「古賀さんがそんな顔をする事件なら、記事にしないわけにはいきません」
海堂は軽口を叩いたが、声が上ずっていた。
喉の奥が乾いて、唾を飲み込む音が妙に大きく響く。
「今回ばかりは」古賀刑事が煙草を震える手で咥える。
マッチの炎が風に煽られて、三度目でようやく火がついた。
「記事にするのを躊躇するかもしれんぞ」
その言葉に、海堂の背筋を氷の刃が駆け上がった。
心臓の鼓動が早くなり、なぜか婚約者の彩花の笑顔が脳裏をよぎる。
なぜ今、彼女を思い出すんだ
手の平に汗が滲む。
潮風が二人の間を吹き抜けていく。
夜明け前の静寂に、不穏な予感だけが漂っていた。
次回:第ニ話「それは人間だったのか」
現場に待っていたものは、海堂の想像を絶するものだった──。
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