見返り鬼譚《耳あり芳一外伝》【第六夜】角一と彦七の忠義(連作短編)
清閑寺の女が語る、夜ごとの鬼譚。
語られるのは、祇園に生きた誰かの結末――
けれどその結末は、ひとつではない。
同じ怪異、異なる結末。
読み手の耳に委ねられた真実。
『耳あり芳一』外伝 “見返り鬼譚”、ここに開帳。
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第六夜 角一と彦七の忠義 其の一
◇
──さて、さて。
今宵お語りいたしますは、ひとつの忠義の話。
されどその忠義、果たして幸か不幸か──それは誰にも言えませぬ。
人はいつも、選びながら生きております。
進む道を、言葉を、そして……命の使いどころを。
けれど、まれにございます。
選ぶ余地などないように思える道。
ただ、ひとつを信じて、進むしかなかった道。
──それでも。
もし、どこかで立ち止まり、別の一歩を踏み出していたならば。
その先にあったものは、果たして──。
ふふ、それは、語り終えてからのことにいたしましょう。
名をば、角一と彦七。
武蔵国に仕えし下知役のふたり。
この者たちの忠義の道、どうか皆さまの耳にてお確かめくだされ。
……どうぞ、長き旅路の一節を、お付き合いくださいませ。
まずは春まだ浅き武蔵の山里より──
ポロン。
◇
まだ土に霜が宿る、春の兆しの朝。
武蔵国の山里では、風がやけに静かであった。
ある農夫が畑の縁で鍬を入れると、べちり、と異様な手応え。
掘り返された土の中から現れたのは、腹の膨れた死人の姿。
顔も服も凍りつき、まるで石仏のようでありながら──
その腹だけが、膨張して今にも弾けそうであった。
噂はすぐに広がった。
「今月で三人目じゃ」
「夜になると犬が吠えん。鴉の鳴き声も聞かんぞ」
「……風が、西から吹いとる」
村には、目に見えぬ気配が漂い始めていた。
その頃、山間の街道を一騎の馬が進んでいた。
騎乗していたのは、陰陽師・土御門晴々(つちみかど はればれ)。
白磁の肌、涼やかな目元、年若くも、静かな気を纏う法の人。
彼は馬を止めると、山風を受けて静かに目を閉じた。
懐の中、折り紙の鶴がかすかに震えていた。
それは、人に見せるためのものではない。常に己の傍に在る、密かな式。
「……西の遥かなる地、かの封印が……解けたか」
かつて、百本の矢にて封じられた地がある。
忌まわしき呪いの源。
それが、いま再び、瘴気を風に乗せて東へと流し始めていた。
晴々は口を結ぶと、馬に軽く拍車をかけた。
向かうは、武蔵国の館──北条義信のもとである。
◇
館の広間にて、北条義信が待っていた。
晴々が着座するなり、義信は問うた。
「やはり……封印が?」
「はい。西の地より、断続的に呪気が漏れ出ております。
それが風に運ばれ、この地へも届き始めた。
近頃の異変──腹の膨れた死体、犬の沈黙、鳥の消失。すべてその兆しです」
義信は膝に拳を置き、黙した。
「……京の八坂神社、その周囲には八つの社がございます。
そこに残る古き護符を、すべて集め、武蔵の地にて封じ直すしかありません」
「封じの場は──」
「大國魂神社がよろしいでしょう。地の力も、結界の交わりもございます」
「間に合うのか? 祭までに、すべての護符を揃え、ここまで戻るとなると……」
「容易ではありません。ですが、日数を区切らず、走れる者が動けば、可能はございます」
義信はうなずき、奥へ声を放った。
「角一、彦七──入れ」
畳の奥、障子が開いてふたりの男が姿を現す。
ひとりは、角一。
長身で背筋を正し、鋭い眼差しを持つ。
腰に打刀を携え、静かに立つだけで場の空気が引き締まるような男。
言葉少なにして忠実、けれどその沈黙の奥には、揺るがぬ信念が宿っている。
もうひとりは、彦七。
角一よりも小柄で、肩の力の抜けた立ち姿。
背には短槍、口元には常に笑みが浮かび、
武士の礼を守りつつも、言葉にはどこか軽やかさがあった。
堅苦しさを嫌う風だが、その目は常に周囲をよく見ていた。
「ふたりとも、北条家の下知役にして、最も信を置ける者たち。
足も速く、心も強い。馬の扱いも心得ておりましょう。
晴々殿、いかがか?」
晴々はふたりを見やり、静かに微笑んだ。
「この命、託すに値するおふたりとお見受けいたします。
旅の先に待つのは、鬼火と瘴気に満ちた闇。ですが、あなた方なら──」
角一が深く一礼し、静かに答える。
「命に代えても、果たしてみせましょう」
彦七もにやりと笑い、
「なんの、鬼より怖い女房をもらっておりやす。
……行きますとも。護符、八枚。きっちり拾って戻ってきますぜ」
晴々は懐からふたつの布包みを取り出した。
「これは、祓い札。夜の川辺、風の止まる道には、とくにお気をつけください」
角一と彦七は、包みを丁寧に受け取り、腰に収めた。
北条義信は、静かにふたりを見やりながら、こう言った。
「この旅、祇園祭までに間に合えば良い。
だが──無理をするな。……いや、無理をする使命だな」
彦七が小さく笑い、角一がうなずく。
そして、ふたりは館をあとにした。
用意された馬の背にまたがり、無言で手綱をとる。
春まだ遠き山風が吹き、背には梅の香がかすかに流れていく。
彼らが見据えるのは、東ではない。
西──呪いの源へと続く道であった。
◇
──さて。
忠義とは、与えられるものではなく、選ぶもの。
誰のために命を使うか、それを決めるのは自らの心でございます。
このふたり、角一と彦七。
これより始まる旅路が、どんな道であったかは──
......ポロン。
また次の語りにて、お目にかかりましょう。
◇
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