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【エモさ分析①】食欲、味覚はエモいか?

──共感される言葉のために“エモさ”を考える

「エモい」とは何か?
この問いに明確な答えを出すのは、実はとても難しいことです。でも私たちは、日常の中で確かに「エモい」と感じる瞬間に出会っています。懐かしい音楽、夕暮れの風景、誰かのさりげない一言──そのすべてが心を揺さぶる「エモさ」につながっています。
そして、見落とされがちですが「味覚」もまた、とてもエモい存在です。

たとえば、給食のカレーライス。
特別な高級食材が使われているわけではない、香辛料が複雑に絡んでいるわけでもない、けれどなぜか美味しかった。教室にカレーの香りが漂うと、みんながそわそわし始め、おかわりを競ったりもしましたよね。
この体験は、世代を超えて多くの人に共通する“良いエモさ”を持っています。美味しさだけでなく、友達との会話や笑い声、子ども時代の幸福感が一体となって、記憶の中に残っているのです。

一方で、母の作ってくれたカレーライスには、まったく異なるエモさがあります。
そこには、家庭のぬくもり、日常の安らぎ、時に孤独や不安までもが混ざり込んでいます。母の味が胸に迫る瞬間は、安心感とともに、切なさや涙さえ引き起こすことがあります。
このように、「カレーライス」という同じ料理でも、エモさの方向性──つまり“エモさのベクトル”はまるで異なるのです。

言葉を選ぶうえで大切なのは、まさにこの“エモさのベクトル”に気づくことです。

エモい気持ちを表現しようとするとき、どんな方向のエモさを目指すのか、それが相手の記憶や感情と重なる可能性があるのか。そこを見極めることが、共感を呼ぶ言葉の土台になります。

給食のカレーライスのようなエモさは、“共通性”に支えられています。多くの人が体験していて、その記憶の色合いも似通っている。だからこそ、共感を得やすいのです。
一方、母のカレーライスのようなエモさは“個別性”が強く、深く刺さる一方で、相手を選ぶ場合もあります。

これは、表現の選び方にも大きく関係してきます。

たとえば、「懐かしい味」と書くのと、「アルミ皿に盛られた給食のカレーの香り」と書くのとでは、相手が感じるエモさの質は大きく異なります。後者のほうがより具体的で、共感の扉を開きやすい表現と言えるでしょう。

つまり、「味覚はエモい」とは、そのまま「味覚は感情を呼び起こす媒体になる」ということです。そしてその感情を、より多くの人と共有するためには、記憶の重なり合いを意識した“言葉選び”が欠かせません。

人によって「エモい」と感じるポイントは異なります。でも、共感される「エモさ」を表現するには、多くの人と似た記憶を呼び起こすような、言葉の“重なり”が必要なのです。

私は、これからも味覚のエモさやその背景にある感情を、丁寧に言葉にしていきたいと考えています。ただ単に美味しさを語るのではなく、それがどんな記憶と結びつき、どんな感情を連れてくるのかを見つめながら。

食欲や味覚は、確かにエモいです。ただし、それは「誰にとって、どのようにエモいのか?」という視点を持ったとき、はじめて共感へとつながります。
その共感を、言葉で届けていくこと──それこそが、表現することの喜びだと感じています。


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