小説『Snowdrop Surfer』第五話:四刀流の絶望と北の人情
(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。
前回、M&Aされた子会社ホクセイ産業に着任するも、取締役の小島や社員たちから「よそ者」として冷遇される。社長席は薄暗い会議室のパイプ椅子。四刀流の激務に加え雪かきの洗礼も重なり、想像を絶する泥沼の日々が始まる。
【前回】
【第五話:四刀流の絶望と北の人情】
大企業『来輝』の看板と、M&Aされた『ホクセイ産業』の現実。
その狭間で、俺の精神は消耗し続けていた。
本部から矢継ぎ早に降ってくる締切。
正解も分からぬまま、書類の山を右から左へ捌く。
だが、片付けたそばから、また積み上がる。
三桁に達した未読メール。
画面を埋め尽くす自分の名前。
「ポーン」
通知音が鳴るたび、胃の奥が冷たく軋む。
指先はわずかに震え、首筋には嫌な汗がにじんだ。
それはまるで、終わりのないカウントダウンのようだった。
「社長、我々こんな資料見たことないですよ!」
「社長、通常業務に支障をきたしております!」
ホクセイ産業の社員たちが放つ、当惑と憤りの気配。
キーボードを叩く音が、背後から棘のように鋭く響く。
俺にできるのは、頭を下げることしかなかった。
「すみません、すぐに確認します!」
常に喉の奥はカラカラに乾いていた。
事務員たちの冷め切った視線が背中に刺さる。
『何もできない社長』─── 。
その重い烙印が全身にのしかかった。
「アイツ、社長って言ったって何も知らないんだろ」
「決算の話、全然分かってなかったらしいぞ!」
パーテーションの向こうから、隠す気のない嘲笑。
「夜はすすきので飲み歩き。昼はコンビニで寝てるってよ!!」
寝てるか。
─── そう見えるのか。
本当は、まぶたの裏にこびりついた数字と戦い、
ほとんど眠れていなかった。
不安を酒で薄め、数時間だけ意識を無くす。
営業マン。所長。社長。
そして、人事も、総務も、経理も。
すべて一人だった。
ただただ、溺れないよう必死で手足を動かしているだけ…
それでも、朝は来る。
逃げ場なんてどこにもない。
重い体を引きずり、氷点下の駐車場へ向かう。
車のドアを開けると、昨夜の安酒と冷えたゴムのような匂いが混じって鼻を突いた。
ブラックコーヒーを流し込む。
苦味が残るだけで、焦りは消えない。
営業リストをめくる。
知らない会社、知らない名前。
全てが自分を拒絶する、呪文の羅列に見えた。
それでも、力なくハンドルを握る。
バックミラーに映る自分の顔は青白く、目は血走っていた。
顔の筋肉が強張り、鉛でもぶら下げたように口角が上がらない。
(俺は……人を笑わせるプロだったんじゃないのか?)
『笑え』
まず、自分が笑わなきゃ、誰も扉を開かない…
鏡に向かって作ってみたひきつった笑顔。
頬と耳の付け根が『ピキッ』という音を立てた。

マンションに戻ると、駐車スペースは雪に埋もれていた。
小さなスコップを幾度も雪に突き刺す。
「ガリッ、ドサッ」
慣れない動作の連続に、腰が重たく悲鳴を上げる。
その時、
一階の住人のドアが開いた。
白髪の、六十代後半の男。
エントランスを煙草の匂いで充満させる
俺が苦手としていた男だ。
だが、
『人は自分を映す鏡』と、
かつて何かの本で読んだ気がして
俺は無理やり笑顔を作った。
「こんにちはー」
「こんにちは。ずいぶん降ったな」
「慣れてないんで大変で……」
「頑張れよ」
男はそれだけ言って、雪道へと消えていった。
既に体力は限界だった…
俺は、雪かきをあきらめ、
雪を車で押しつぶして停めようとゆっくりアクセルを踏んだ。
車体は半分ほど、スムーズに収まった。
だが。
グーーーーン。
虚しく空転するタイヤ。
「嘘だろ……」
バック、一速、前後に揺さぶる。
グーーーン!
グーーーーーーン!!
焦りが、状況を悪化させる。
スタック。
雪の恐ろしさを知った。
全身から力が抜けていく……
その時だった。
「おーー、押そうか?」
さっきの住人だった。
「すみません…お願いしてもいいですか…」
「この駐車場はスタックしやすいんだよ。
ま、安いからしゃーないんだけどな」
男は手慣れた様子で、車の後方に回った。
「俺、板持ってるから。タイヤの前に挟めば、これぐらいすぐ出るよ。四駆だろ?」
「助かります……」
冷たい雪の上に膝をつき、必死に板を差し込んでくれている男の姿に胸が詰まり、視界がにじんだ。
「よし、これで、一速で前出してみ」
グーー、
グングングン、ブロロロッ!
車体が大きく揺れ、
タイヤが地面を噛む確かな感触が、足の裏から伝わってきた。
「本当に…ありがとうございました」
「なーに、気にすんな。お兄ちゃん北海道じゃないんだろ?
何かあったらまた言えよ」
男は軽く手を挙げ、背中を向けた。
「スタック板と、もっと良いスコップ買います。すみませんでした」
「気にしない、気にしない」
男の姿が再び雪の中に消えていく。
凍えきった指先に残った感触は、
紙コップのコーヒーよりもずっと暖かかった。
ぎこちなくてもいい。
笑って、挨拶してよかった。
心の底から、そう思った。
もしかしたら、この街で自分も、生きていけるかもしれない。

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