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小説『Snowdrop Surfer』第九話:四面楚歌と、北極星の誓い

(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。

前回、次期社長の座を奪われると焦る小島は、西田社長に直談判するも逆に引導を渡される。自尊心を砕かれた彼は新体制への妨害を決意し、最重要顧客の雪明グループに嘘を吹き込み、会社を沈めてでも己の保身を図ろうと暗躍するのだった。

【前回】


【第九話:四面楚歌と、北極星の誓い】

週末。浜厚真海岸の氷点下の波に叩きつけられ、
ジンギスカンの極上の熱気に身も心も燃やしたあの夜。
俺の胸の奥には、不条理に負けない情熱が宿っていた。

だが、週が明けてホクセイ産業の冷たく重い鉄扉を開けると、
何ひとつ変わらぬ現実が待っていた。

原因は、もちろん取締役の小島だった。

ホクセイ産業が来輝にM&Aされ、
次は自分だと思っていた社長の席に、俺が座ってしまったものだから、
事あるごとに皮肉を浴びせてくる。

『こんな簡単なこともわからないのに、社長をされているんですか?』

社員たちもどこかよそよそしい。
客先への同行のアポイントも取らせてもらえない。
それどころか、雪明グループや他の取引先にまで、
俺の悪い噂を流しているような気さえした。

ホクセイ産業の売上は15億円。
そのうちの7億円 ─── ほぼ半分を雪明グループが占めていた。

かつては年商25億円に届いたこともある。
しかし、それは西田が働き盛りだった15年前の話だ。

その後、市況の変化、原料高、競争激化。
理由はいくつもあるが、会社はなだらかに沈んでいく舟になっていた。

「うちは、雪明さんに生かされてるだけだ」
「切られないギリギリのラインで、細々とやらされてるのさ」

社員たちも、そう口にしていた。

このままでは、この会社は確実に沈む。

頼みの綱である特許技術『海洋生分解性プラスチック』も、
一般的なプラスチックの倍以上の価格まで出して採用してくれるのは、
ごく一握りの取引先に限られる。

このままでは、いずれどこかの資本に特許と使える設備だけ吸い取られて、本体は切り捨てられる。

そんな感覚が頭をよぎった。

(俺が社長を任された。
俺が変えなければ、誰がここを変える?
今ならまだ間に合うはずだ。
全員が北の海に沈む前に。俺が変えるしかない)

その決意を胸に、現状からの脱却を図るため、
少しずつでも改善の提案に動いていた。

しかし、すぐに上手くはいかなかった。

言い方が悪かったのかもしれない。
言葉が強く聞こえたのかもしれない。

それでも、この船が沈む未来だけは避けたかった。

そんな俺の言葉尻を捉え、真っ先に突っかかってくるのは決まって小島だった。

「ほら見ろよ。やっぱり大企業の人間なんて、現場のこと何もわかっちゃいない」
「できもしないことを、偉そうに言うだけだ」

その言葉に、なぜか顧問の西田までもが加わる。

(……どうして、西田さんまで?)

俺には訳が分からなかった。

M&Aのとき、西田は社員にこう言ったと聞いた。

「大丈夫だ。今までと何も変わらない。私が保証する。」

その言葉は、社員に安心を与えるための『優しい嘘』だということは理解できた。

だが ─── 今の西田は、その『優しい嘘の償い』でもするかのように、
小島の後ろに立ち、むしろ率先して俺を牽制し妨害する側に回っていた。

「佐々木社長、そんなの無理に決まってる!」
「そんな改革、ウチには合わんよ!」
「来輝本社がどう言っても、ここは北海道だ!」

若い俺をたしなめるかのように、
「キミのやり方じゃ、ここは守れない」
そう言っているようにも見えた。

─── 俺だってここを守るためにやってるんだ ───

そう思った時だった。
小島が社員数人を集め、いつもの調子で声を張り上げた。

「な? 言ったろ。
やっぱダメだよ。あの人、経営のケの字もわかってねぇべ!」

笑う社員もいれば、気まずそうに目をそらす社員もいた。

小島は社員から『慕われている』わけではなさそうだったが、
今までの『慣れ親しんだ習慣』を知っている存在ではある。
そして社員たちは今、変化よりも『現状維持』の方を選んでいる ───

ここは、完全に『アウェイ』だ。

四面楚歌。

以前の俺なら、その空気に押し潰され、
卑屈な笑みを浮かべて逃げ場を探していただろう。

それでも、極寒の北の海での試練が、
俺に少しだけ力を与えてくれた。

「今に見てろ。この無機質で濁った空気、
全て俺がひっくり返してみせる!」



そして俺は、もっと「笑顔」を作ることを始めた。
皆に素っ気なくされても、どんなに嫌味を言われても、
会社にいる間は徹底的に明るく振る舞うよう心がけた。

夜になれば、終わりのない残務処理。
皆が帰った後の静まり返った社内で、
時折鳴る石油ストーブのボーっという音だけを聞きながら、
パソコンのモニターを凝視する。

帰宅後も、ソファに倒れ込みながらスマホでニュースや日経新聞の情報を集める。

心身ともに限界を迎えている俺の眼球をも、
青白いデジタルの光が昼夜を問わず容赦なく焼き付け続けた。

次第に目の奥にズキズキと痛みが走り、
やがてカーテン越しの朝日でさえ、まともに見られないほどになっていた。

翌朝、俺は重たい身体を持ち上げ、
いつものようにマンションの雪かきを終わらせて出社した。

ホクセイ産業の冷たく重い鉄扉を開ける。
意識的に口角を限界まで引き上げ、一番大きい声を出す。

「おはようございます!!」

だが、俺の『元気な挨拶』に返ってきたのは、予想外の反応だった。

「ど、どうしたんですか!
佐々木社長!!」

事務の小山さんが、パソコンから弾かれたように顔を上げた。

「目……!
目が真っ赤ですよ!!」

慌ててトイレの鏡を覗くと、
まるで血の海のように、真っ赤に染まった自分の両目が映っていた。

そして、無理矢理作った笑顔が、
まるでホラー映画かのように猟奇的に見えた。

(万が一ウイルス性の結膜炎だったら、社員にうつしてしまう。 )

俺は慌てて近くの眼科へ駆け込んだ。
だが、告げられた結果は別の意味で残酷なものだった。

『視力、0.2』

去年の人間ドックでは、たしか 0.7 あったはずだ。

疲労、ストレス、そして異常なまでのブルーライトの浴びすぎ。
眼球が、これ以上の酷使を物理的に拒絶していた。

(……デジタルから、強制的に離れなければ)

そんな危機感に駆られた。

でも、どうやって...
否が応でもパソコンとは格闘せざるを得ない。

痛む目を押さえながら帰宅したその夜、
普段は気にならないリビングの書棚が目についた。

まるで何かに導かれるように、心がざわつき始める。

かつて転勤先の大阪の水が合わず、苦しんでいた時、
神へ祈る思いで必死でしがみついた、三百冊のビジネス書。

その中から『いつか読み直すため』に大切に取っておいた五十冊。

その本たちが、まるで
『今だぞ』
と、自分に語りかけているようだった。

一日に十五分だけでもいい、デジタルから離れるため、活字を追おう。
俺が手に取ったのは、
パナソニックの創業者・松下幸之助の名著『道をひらく』だった。

十五年前、若かった俺は、
その言葉の本当の意味など何ひとつ分かっておらず、
ただの他人事のように、字面だけを目で追っていた。

でも、今は違った。
気がつけば、あっという間に一時間が過ぎていた。

本を閉じると、
ふと、昼間に見た、あの西田顧問の丸まった背中が脳裏をかすめた。

昨日まで単なる『敵の牽制』にしか見えなかったものが、
今は、言葉にできない重圧と後悔を背負った男の悲哀にも見える。

(……果たして、この会社で何が起きていたのか。
あの人は、何を背負っていたのか)

(俺はこのホクセイ産業を、敗れて終わる五稜郭にはしない。
必ず立ち直らせて、北極星のように輝かせる)

『道をひらく』

その言葉たちを嚙みしめるたび、
俺の目は少しずつ、パソコンの無機質な数字や、人の表面的な部分ではなく

『人』が持つ内面や背景を追い始めていた。

それから、毎日の30分の読書は俺のルーティンとなった。

─── 視力は0.2に落ちた。

だが、俺の『心の解像度』は、かつてないほどに研ぎ澄まされようとしていた。

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