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小説『Snowdrop Surfer』第二部・三話【便利な歯車と仕組まれた泥船】

(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。

前回、ホクセイ産業の工場の老朽化を、本社の資産査定が見落とした謎を追う真二郎。
深夜のオフィスで、減価償却の終わった設備が帳簿上は「利益を生む魔法の箱」に見えるからくりに気づく。
本社は現場の血の滲むような努力を「高効率」とすり替え、最初から『特許』だけを奪って工場を解体する計画だったのだ。
己も社員も切り捨てられる「捨て駒」に過ぎないと知り、
真二郎は深夜の絶望に震える。(第二部・二話)

【前回】



第二部・三話【便利な歯車と仕組まれた泥船】


翌朝、事務所へ出社すると、
コーヒーを片手にした松原さんが会議室のドアから俺に手招きをした。

「サーさん、おはよ。
……いやぁ、昨日は結構飲みすぎちゃったよ」

松原さんの目は少し赤いが、その奥には真剣な色が混じっていた。

 「お疲れ様でした。
杉山さんの愚痴のお相手、ありがとうございます」

「いやいや。……お杉ちゃんもだいぶ溜まってる感じやったわ。
彼が言うにはさ、やっぱり来輝ライキの一部の人間の目は欺けなかったみたいや。
なんぼ言うても、三千億のエリートさんやからな。
この『かわいいポンコツくん』たちの正体には気づいてた」

松原さんは一口コーヒーを啜り、声を低めた。

「ただな、彼らはこう言ったそうや。
『設備は古いが、過去の故障率は極めて低い。
よっぽど工場の管理体制が良いんですね』……とな」

俺の背筋に、冷たいものが走った。

「きっと、こう思ったんちゃうかな。
買収後も現場の連中をそのまま働かせれば、
追加の設備投資なしで利益を吸い上げられる……と。
彼らにとってホクセイは、なーんもせんと利益を出すだけの『安くて便利な道具』に過ぎんのや」

安くて、便利な、道具 ─── 。

そして、それはつまり、

いつでも取り替えのきく『歯車』ということだ。

そこには、杉山たちの家族の生活も、
職人としての誇りも、一ミリも含まれていない。 

その事実を突きつけられた瞬間、目の前の景色から色が消えた。

(……ああ、そういうことか)

点と点が繋がり、
来輝という巨大な怪物の正体が、
完全な輪郭を持って俺の目の前に現れた。 

そのあまりの冷酷さと、自分自身の無力さ。

「……サーさん? 
顔色悪いな、大丈夫か」

松原さんの声が、遠くの霧の向こうから聞こえるようだった。 

俺は返事もできず、ただ、頭の中で急速に組み上がっていく「真実」の絵図を凝視していた。

(……ようやく、全てを理解した)

来輝がなぜ、この泥船(ホクセイ)の浸水を見逃したのか。

DDの際、彼らは現場の油の匂いを嗅ごうともしなかった。

帳簿上の『減価償却済み』という数字だけを見て、

杉山たちが針金とガムテープで繋ぎ止めてきた血の滲むようなリカバリーを、
『安い賃金で動かせる高効率な運用』と定義した。

それだけではない。

来輝の本質は、
この工場が明日止まろうが、
そこで働く人間が路頭に迷おうが、
知ったことではなかったのだ。

狙いは『特許』を奪い、
雪明やその他大手企業へ「正当化された独占販売」を行うこと。

そして ─── 

そのためにロボットのように動く馬鹿な汚れ役をあてがい、

用が済めば時間とともにこの雪の中に埋める。

(最初から、この舟は沈むように設計されていたんだ……)

三千億円の大企業から俺が掴まされたのは、
再生という名の希望ではない。 

体よく処分するための『ガラクタ』と、自分自身の墓標だった。

その確信に辿り着いた瞬間、

品川駅のホームで感じた、あの線路の引力が、
また静かに俺を引き寄せようとしていた。

そして、視界がぐらりと歪み、
会議室の床が遠のいていく感覚に襲われた。

 



会議室を後にした俺は、
目の前がブラックアウトしそうな感覚に捉われながら、
もつれる足取りで自分のデスクにたどり着いた。 

視界の端で取締役の小島が何かを囁き、笑った気がしたが、
それを突き止める気力すら湧かない。
俺は、逃げ込むようにデスクに身を沈めた。

「……社長。佐々木社長」

遠くから、穏やかな声が聞こえる。 
まぶたを開けると、薄明かりの中に西田顧問の顔があった。

「社長。……随分とお疲れのようで」

ぼんやりと時計に目をやると、針は十一時三十分を指していた。 
どうやら一時間以上、デスクで意識を失うように眠り込んでいたらしい。

「お蕎麦でも、食べに行きませんか?」

西田のその一言で、ここ数日、まともに食事を喉に通していなかったことを思い出した。
胃のあたりが、急に空っぽな音を立てる。

「……お蕎麦、いいですね」

「少し離れた場所なんですけどね。まあ、私の車に乗ってください」

西田の車に揺られながら、俺は窓の外を流れる景色を眺めていた。

以前の吹雪が嘘のように、アスファルトが顔を出した路面は黒々と光り、走りやすくなっている。

街路樹の枝先には、ほんの少しだけ芽吹きの気配があった。
北海道にも、確実に春が近づいている。

季節は確実に進んでいた。


だが、俺の心だけが、あの凍り付いた会議室の中に置き去りにされたままだ。


「北山乳業さんの件なんですけどね……」

俺の浮かない表情を察してか、
西田が静かに話を切り出した。

「先方の諸岡部長と話してきたんですよ。佐々木社長が東京出張の間に」

「……そうだったんですか。ありがとうございます」

俺が本社で「スクラップ」の宣告を受けていた間、
西田は泥臭く動いてくれていたのだ。

「北山さんも、今回は事を大きくしたくないようでしてね。
最低限の対応で済みそうなんです。

……ただ、先方は全ライン検査のために工場を三日間、
うちも一週間の作業停止をして全ライン検品。

その間は、繋がりのある工場に助けてもらう形で進めています」

「一週間……」

「ええ。ですが、これで最悪の事態は免れました」

西田の言葉は、氷のように冷え切っていた俺の心に、少しずつ体温を戻していくようだった。 

来輝のエリートたちが「使い捨ての道具」と見なしたこの工場を、
西田は自らの足と人間関係で守ろうとしていた。

窓の外の景色に、ほんの少しだけ色が戻ったような気がした。

首の皮は、まだかろうじて繋がっている。

西田の横顔を見ながら、
俺は自分が抱えていた「孤独なプライド」が、
とてもちっぽけなものだったかを思い知った。

そして、

消えかけていた心の火が、
ほんの少しだけ、また灯り始めた。





今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

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