小説『Snowdrop Surfer』第十五話:【生真面目という名の防壁と、西田の覚悟】
(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。
前回、北山乳業より異物混入の報せを受け、猛吹雪の中、謝罪に向かった真二郎。しかし、相手先の最新鋭の設備を前に、老朽化した自社工場に原因があることを悟る。
真二郎から報告を受けた権田はホクセイ産業側の非を認めず、
「必ず相手の過失の証拠を掴め」と真二郎の謝罪を全否定する。
全てを一人で抱え込み、真二郎は深い孤独と絶望に陥る。(第十四話)
【前回】
第十五話:【生真面目という名の防壁と、西田の覚悟】
北山乳業のある北見から戻り、
ホクセイ産業の重い扉を開けた瞬間、
社内の空気が凍りつくのを感じた。
そして、俺の足音に合わせるように、
薄氷が解けるような低いささやき声が再開された。
「……かなりヤバいらしいな」
「回収騒ぎになったら、うちは終わりだろ」
「あいつが来なけりゃ、こんなことには……」
「疫病神……」
心ない声が、氷のつぶてとなって背中に突き刺さる。
クレームを収めてきたのか、
それとも火に油を注いできたのか。
彼らの疑念と不安が、
澱んだ空気となって俺を包み込む。
俺は真っ直ぐに、工場の責任者である杉山のデスクへと向かった。
「杉山工場長。……少し、よろしいでしょうか」
杉山は顔を上げず、震える声で口を開いた。
「……我々は、何重もの検品を行っております。
見落としたことなど、これまで一度もありません」
「ええ、承知しております。ですが ─── 」
「社長は、我々のせいだ、とおっしゃるのですか?」
杉山が顔を上げた。
その目は、疲弊と恐怖、
そして「自分たちの存在価値」を守ろうとする悲痛な訴えにも似た苦悩が現れていた。
「いえ、そうは思っておりません。ただ……」
「ただ、何でしょうか」
「……私も本社への報告義務があります。
正確な事実を把握しなければならないんです」
「……そうですか」
杉山が低い声で頷いた。
「我々も、北山乳業さんの設備が最新式だということは存じております。
社長は、本社へこう報告されるおつもりですか?
『ホクセイ産業には、工場を管理する能力はない』と。
……そういう烙印を、私に押すつもりですか?」
それを聞き、俺は言葉を失った。
俺が求めていたのは「問題解決のための調査」だった。
だが、彼らはそれを、
自分たちの居場所を奪う「最終宣告」
だと感じ取っていたのだ。
杉山は、真面目な男だ。
いい加減な人間なら、適当な言い訳で逃げるかもしれない。
だが彼は、どこにぶつけていいか分からない憤りを、
その生真面目さゆえに、
俺という「余所から来た権力」に対して剥き出すしかなかった。
「……調査です、杉山工場長。現場を咎めるつもりはありません」
「どちらも同じです。私にとっては」
杉山の語気が、知らず知らずのうちに強まっていく。
その背後で、小島が微かに口角を上げているのが見えた。
真面目な人間が、その真面目さゆえに孤立し、
組織がさらにバラバラになっていく。
権田が仕掛けた「無理ゲー」のパズルは、
俺の想像以上に、複雑で、しかし完璧な形で作り上げられていた。
「……でもさ、うちの機械って、もう二十年以上使ってるやつばっかりだよな」
「本当は、もっと早く変えなきゃいけなかったんじゃないの?」
事務所の隅から漏れる声は、
残酷なまでに真実を突いていた。
毎週の工場チェックで見る老朽化した設備。
悲鳴に近い声を出しながら動くその機械たちを、
杉山をはじめとした工場のメンバーが、
まるで我が子を護るかのような、
執念にも似たツギハギで動かし続けてきたのだ。
俺自身、健気に動くその姿に
「よく頑張ってくれている」と感じていた。
デスクの横で、松原さんが低く囁いた。
「サーさん……杉ちゃんを責めたらあかんよ。
あいつらは、このボロ船を必死に漕いできたんやから」
松原さんと杉山工場長。
同い年の二人は、俺の知らない間に交流を深めていたらしい。
「分かっているつもりです。
……ご忠告ありがとうございます」
俺も、薄々は感じていた。
これは現場の責任なんかじゃない。
機械設備の入れ替えという
未来への投資を後回しにしてきた「過去のツケ」が、
今、最悪の形で回ってきたのだ。
そのツケを、誰かが引き受けなければ、
この会社は深い海の底に沈んでしまう。
(俺が引き受けるしかないだろう……)

「でもさー、社長はよく現場見てるよなー
小島さんなんて任せっきりだったもんなー」
応接室のドアが開き、小島が営業部に近づく
「おかしいなあ、今まで、こんなトラブルなんて一度もなかったんですけどねぇ。
疫病神でも連れてきたんですかねえ、誰かさんが」
小島が聞こえよがしに嫌味を言う。
その時、前社長の西田がゆっくりと俺のデスクへと歩み寄ってきた。
「佐々木社長。
……本社は何と言っていますか?」
来輝に経営を譲渡し、肩の荷を下ろした西田の表情は、
どこか他人事のようにも見えた。
「とにかく調査しろと。
ただ......」
「ただ?」
「調査をしたところで、本社は本質を理解しようとはしません。
そして必ず『犯人探し』が始まり、誰かが吊し上げられます」
西田の背後から、小島がニヤリと嫌味な笑みを浮かべながら口を挟む。
「佐々木社長は、毎週工場を視察されてましたよねぇ?
責任者として、ねぇ」
(……くそっ、今まで散々見て見ぬふりしやがったくせに)
「……佐々木社長、少し場所を変えましょうか」
そう促され、西田と俺は会議室へと移動した。
会議室の扉を閉めたあと、俺は深く頭を下げた。
「顧問、申し訳ありません。
……力を貸してください」
絞り出すような俺の言葉に、西田は静かに頷いた。
「分かっていますよ。
あなたのせいにするつもりなんて、
私は一切考えていません。
私は、
あなたの『心』が見たかった。
このホクセイ産業は、
来輝さんから見ればとても小さい会社だ。
けれど、この会社を、社員たちを
あなたは
『自分の家族』として引き受ける覚悟があるのか。
私は、それを見たかったのです。
試すようなことをして申し訳ありません。」
俺は、思わず顔を覆った。
「あのじいさん他人事みたいな顔しやがって」
と少しでも思った自分を恥じた。
西田は続けた。
「あなたは、あの日すぐに北山乳業へ飛んで行った。
普通だったら横田君に任せて報告を待てばいい。
だが、あなたは自ら動き、
原因も分からぬうちから、ただひたすらに頭を下げた。
……北山乳業さんとは長い付き合いです。
先方の諸岡部長から、電話がありましたよ。
『ホクセイの新しい社長は、逃げない男だ』と。
視界が、急激に滲み始めた。
鼻の奥が熱くなり、必死にこらえていた孤独と不安が、
決壊したダムのように溢れ出す。
「佐々木社長、顔を上げてください」
西田の温かい声に、俺は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
西田は、若者を励ますような悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「さあ、これから忙しくなりますよ!
何をそんなに泣いているんですか。
リーダーが笑顔でいなくては、収まるものも収まりませんよ!」
俺の顔は、目の前が見えないほど、涙でぐしゃぐしゃだった。
だが、心の奥底で凍りついていた何かが、
北の大地の長い冬が明けるように、
静かに溶け始めたような気がした。

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