小説『Snowdrop Surfer』第十四話:【視界不良の四時間半と、最新鋭の絶望】
(簡単なあらすじ)
理不尽な左遷により、北海道の赤字企業で四刀流の過酷な新社長業に奮闘する元芸人、トップセールス・佐々木真二郎。
前回、海へと導かれた道中、雪でスタックした車を救出し北の大地の一員になれたと感じた真二郎。だが週明けの朝、ホクセイ産業に「異物混入」を知らせる一本の電話が鳴り響く。会社にとって死刑宣告にも等しい最悪の事態の発生に、事務所は恐怖と絶望の静寂に包まれた。(第十三話)
【前回】
第十四話:【視界不良の四時間半と、最新鋭の絶望】
悪夢のような異物混入を知らせる電話が終わった後、
俺は担当の横田を連れて事務所を飛び出した。
目的地は、オホーツク海にほど近い北見市。
北山乳業のヨーグルト工場。
片道、およそ4時間半。
途中何度もホワイトアウトで視界が存在しなくなる中、
俺たちはただ黙々と北東へと車を走らせた。
車内には暖房の音だけが虚しく響き、
会話はほぼなかった。
窓の外の延々と続く雪原の白さと太陽を遮るぶ厚い雲が、
俺の視界を、そして思考を『白い闇』に葬り去っていく。
(─── 何も考えるな、
辿り着くことだけに集中しろ)
『北山乳業・北見工場』
出迎えたのは、工場長の明田と、管理部長の諸岡だった。
「ホクセイさん、
わざわざ遠いところまで来ていただいて、すみませんね」
工場長の明田は、努めたように穏やかな声でそう言うと、
テーブルの上にひとつのケースを置いた。
シャーレのようなその透明の器の中に、
それは存在していた。
小指の爪よりも小さな、白い樹脂片。
純白のヨーグルトの中に紛れ込んだかもしれない、異物。
「これなんですけどね……
異物検査機に引っかかったんですよ」
その瞬間、喉の奥が石を飲み込んだように硬く締まった。
(もし、これが検査機をすり抜け、消費者の口に入っていたら......)
想像の刃が、一瞬で背筋を切り裂く。
俺は椅子から立ち上がり、腰が折れるほど深く頭を下げた。
「この度は大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません!」
どこで混入したかは、まだ分からない。
でも、まずは謝罪が必要だ。
異物の発見に時間と労力を使い、緊急事態に対応している顧客。
そのことに対して相手に寄り添い誠意を持って謝罪をする。
それが、俺が営業の前線で学んだ、お客様に対する最低限の礼儀だった。
「いや、まだホクセイさんの責任と決まったわけではありませんよ」
明田はそう前置きし、
窓の外に広がる巨大なタンクを見つめながら続けた。
「うちはほら、学校給食向けが多いでしょ。
コロナ禍で給食が少なくなって、
正直、工場の稼働もガクッと落ちましてね」
俺は黙って頷く。
「そのタイミングで、
思い切って機械を新しく入れ替えたばかりなんです。」
─── 新しい機械。
「最新の設備を入れたからこそ、
センサーがこいつを見つけてくれた。
……逆に言えば、昔の機械のままだったら、
見逃していたかもしれませんね」
その言葉が、熱を帯びたナイフのように喉の奥へ突き刺さった。
ホクセイ産業の工場は、老朽化の極致にある。
補修に補修を重ね、現場の「目」だけでなんとか品質を保っている薄氷の体制だ。
『いつか起きる』
─── 赴任したあの日から感じていた予感が、
最悪の形で現実になろうとしていた。
怒鳴られるよりも、一方的に責められるよりも、
この「最新鋭の静寂」の方が、より残酷だった。
「佐々木社長、
せっかくですからラインを見ていかれませんか?」
案内された工場内を見て、俺は息を呑んだ。
金属検出機、X線、赤外線、画像検査 ─── 。
ホクセイ産業の設備はおろか、
親会社である「来輝」の主要工場すら凌駕する鉄壁の防衛網がそこにはあった。
「白いプラスチックが混入する工程は、
うちのラインには、まず見当たりません」
明田の、穏やかだが力強い指摘が、俺たちを再び『白い闇』に葬った。
その通りだ。
この清潔な自動化ラインのどこからも、
あんな不純物が生まれる余地はない。
原因は、十中八九、俺の守るべき「ホクセイ」にある。
「……承知いたしました。工場内を徹底的に調査し、
原因を洗い出し、大至急ご報告いたします」
頭を下げたまま、俺は自分の声が震えているのを感じていた。
喉の奥に刺さった鋭い『骨』。
それは、これから始まる『権田』への報告、
そして『小島』をはじめとする現場社員との、
逃げ場のない対峙を予感させていた。

帰りの道中も、車内を支配していたのは重苦しい沈黙だった。
ワイパーがフロントガラスの雪を弾く乾いた音だけが、
メトロノームのように淡々と時を刻む。
ハンドルを握る横田が、
前方を見つめたままポツリと漏らした。
「……西田前社長も、ずっと危惧していたんですよ。
この設備じゃ、いずれは取り返しのつかないことが起きるって」
俺は何も答えず、
ただ流れていくモノクロームの景色を見つめていた。
「でも、うちにはもう、
新しい機械を入れる余力なんてなかったんです……」
彼はそこで言葉を切り、喉の奥で何かを飲み込むようにして続けた。
「だから、みんな心の中では思ってたんです。
来輝さんと一緒になれば、
新しい機械が入って、なんとかなるんじゃないかって……」
─── 冗談じゃない。
その言葉が、熱い塊となって喉元までせり上がった。
救済? 再建?
そんなものは、本社の連中の頭には一ミリも存在しない。
やつらにとってのM&Aは、
ただの『数字の整理』か『死に体の吸収』に過ぎないのだ。
期待という名の呪いに縛られた現場の純朴さが、
今の俺には、どんな吹雪よりも冷たく感じられた。
暗くなったスマートフォンの画面。
そこに映る、最も見たくない名前
─── 「権田」。
その文字を目にするだけで、
胃の奥が雑巾を絞られるように収縮する。
俺は一度、冷たい外気を肺いっぱいに吸い込み、通話ボタンを押した。
「権田部長、お疲れ様です。北山乳業の件ですが……」
『おー、メール見たわ。難儀なこっちゃな』
スピーカーから流れてくるのは、
緊張感のカケラもない、やけに軽い声だった。
こちらは視界ゼロの雪道を何時間も走り、
命を削るような思いで謝罪を終えてきたばかりだというのに。
『これ、うちのせいちゃうやろ?
どこに責任があるんや?』
「現時点では断定できません。
ただ、先方の異物検査機には ─── 」
『北山の工場で混入した可能性かてあるやろ。
自分、ちゃんと追求したんか?』
案の定、最初に飛んできたのは「責任の所在」だった。
顧客が抱える不安でも、製品の欠陥でもない。
「自分が火の粉を被らないためにはどうするか」
権田の関心は、常にその一点にしか置かれていない。
「……まずは事が大きくならないよう、
スピードを優先して謝罪に伺いました」
『謝罪? なんでや!
こっちが悪くないかもしれへんやろ、
先に頭下げたら認めたことにならんか?
ほんま営業の基本も分かっとらんのやな』
言葉が、喉の奥で凍りついた。
謝るのは、非を認めるためではない。
船底の浸水が全体に回るのを防ぎ、
かろうじて海面に踏みとどまるための、命がけの応急処置だ。
その作業を、現場を知らぬ男の「正論」という名の暴力が、
受話器越しに俺を殴りつける。
『まー、もっと徹底的に調べえ。
北山側の過失やって証拠、きっちり掴んで報告やな。
それ以外の電話はいらんで』
一方的に通話が切れた。
画面に残る「通話終了」の文字。
俺は、投げつけたくなる気持ちを堪えてスマートフォンをポケットにねじ込んだ。
(……これが、本社の判断か)
顧客との信頼、現場の不安、往復九時間の雪道。
そのすべてが、たった数分の電話で、
ゴミ箱に捨てられた気がした。
心配そうな表情の横田が俺を見つめる。
(俺はまた、一人でこの地獄を抱え込むことになる ─── )
暗い車窓に映った俺の目は、あの北の海と同じ、深い灰色をしていた。

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