ある男の話12
母の葬儀はとても小こじんまりと、ささやかに終わった。
死んだ、という事実がウソのようだった。
あの日、沙彩から「お母さん、死んじゃったらしい」と連絡をもらって、
夜遅くだったから、タクシーで地元まで急いで帰った。(タクシー代はかなりの高額になった)
「敦くんは喪主だけど、久々すぎてこっち(地元)のことよくわからないと思うから、私を手伝ってくれたらいいよ」と、近所に住む叔母さんが、メインで葬儀を進行してくれた。
僕は来賓に会釈をするくらいで、特にすることがなかった。
それもあって、余計に母の死に実感がわかないのかもしれない。
母の死因はガンだったそうだ。僕たちに気を使わせまいと、そのことを隠していたのか、そもそも本人が病気の進行に気づいていなかったのかはわからない。
いずれにせよ、僕たちを振り回す、母らしい最期だった。
葬儀はあっという間に終わって、僕たち兄妹は、喪服のまま、ファミレスで夕食をとることになった。
「お父さん、こなかったね」
沙彩が退屈な子供みたいに、たらこパスタをフォークでこねながら言った。
「連絡もしてないしな。来たって顔もわからないし」
僕は言った。正直、葬儀でバタバタしていたので、父の存在すら忘れていた。
この町は小さいせいか、ファミレスが町内にこの店しかない。
ちらほら、ちょうど僕たちの葬儀に来てくれた家族が2、3組くらい、ハンバーグやドリアなんかを食べていた。
ふと、店の外を見ると、青や赤、オレンジ色がマーブル状に入り混じった、鮮やかな夕日が広がっていた。とても、とても綺麗だった。
なぜだか涙が出そうになったが、沙彩の前なのでぐっとこらえた。
「お兄ちゃん、その傷のことお母さんから聞いてない?」
「聞いてない」僕は言った。
「そうなんだ。じゃあ今の聞かなかったことにして」沙彩が言った。
「いや、気になるから。俺がまだ赤ちゃんで、寝ているときに、母さんが料理中に酔っぱらって、誤って俺に突き刺したんだろ?」
「うーん、ちょっと違う」沙彩が鼻の頭をポリポリと搔きながら言った。
「どう違うの?」僕は言った。
と同時に、ズキズキと傷がうずくような感覚があった。
「お父さん、どうも仕事がうまくいってなかったらしいのね。それで、みんな巻き込んで、死んじゃおうと思いつめちゃったらしくて」
昔、父さんは自分で商売をやっていた、ということだけは、(酔っぱらった)母から聞いたことがある。それだけは、母の自慢だったようだから。
でも母はあまり父のことを話したがらなかったし、僕たちもあえて聞こうとは思わなかった。
「一家心中ってこと?それで、俺を刺したと?」
「どうもそうらしいの。母さんが必至で止めて、なんとか浅い傷でおさまったらしいんだけど。だから、母さんも手に包丁の傷、あるでしょ」
確かに、母の右手には大きく皮膚が避けたような切り傷があった。料理下手だったので、てっきり料理中に自分でつけた傷だと思っていた。
「本当はお兄ちゃんに黙っておこうと思ったんだけど。お母さん死んじゃったから、もういいかなって」
この傷は、ずっと、母につけられたものだと思っていた。
だから母を憎んでいた。
でも事実は真逆で、母は守ってくれていた。父から、死の危険から。
自分では深いと思っていた傷。でも、なんとか浅くおさまった傷。
これは死を近づけるための傷ではなく、死から遠ざけるためにできた傷だった。
いろんな感情が入り混じって、まるで世界がひっくり返るような気がした。
そして。
―――父は、どんな人物だったのだろうか。
それを確かめずにはいられなかった。
