セルバンテス『ドン・キホーテ』感想
牛島信明 訳、岩波文庫(全6巻)
およそ3年前に『ドン・キホーテ 前篇』を読んでから、あいだをあけてようやく『後篇』も読み終えたので、感想メモをまとめて載せます。(作品全体のまとまった感想はあまり書いていません。)
前篇
1巻
岩波文庫の『ドン・キホーテ 前篇』第1巻を読んだ。序文と第1部〜第3部が収録されている。
京都文フリへ行く阪急電車のなかで読み始めた。
まだ序文の途中だが、訳注によると「序文の書き方について書いた序文」とのことで、当時の他の作家たちへの皮肉・風刺で構成されている。嫉妬と虚栄心という主題は、SNS全盛期たる現代でも通用するどころかますます切迫している。数百年前に書かれた小説とは思えない、と紋切り型を言うべきか、人間なんて根本の愚かさはずっと変わっていないことの表れだとシニカルに受け止めるべきか。
「序文」読み終えた。実在する騎士道物語の主人公たちから、今からカタランとする騎士道物語の主人公ドン・キホーテへのソネット(14行詩)を羅列するくだりとか、かなり前衛的なことをやっている・・・。
・第一部
第1章〜第4章まで読んだ(〜p.100)
ドン・キホーテの出発から安宿での騎士叙任式、雇い主に鞭打たれる少年の救助(してない)、そして商人たちに返り討ちにされるまで。
おもろい。文章が古風で読みづらいかと心配したが、そうでもなく、普通に読みやすい。
ドン・キホーテがめっちゃ良いキャラ。やっぱり狂ったキャラクターが主人公の小説が最強なんだよな、と思わせられる。
馬鹿げた振る舞いを淡々と語るユーモア小説。旅先で出会う人々が彼を狂人だと察してそれぞれに対応しようとするのもおもろい。てか50歳の老人というのがまたエグい。現代と中世では年齢の価値観も異なるだろうけど、それにしたってヨボヨボの爺さんが息巻いて栄光の騎士だと自称しているところに遭遇したらドン引きするわ。
騎士道物語を読みすぎて、自分も騎士だと思い込み、彼らが辿った道筋を追走したくなり、装備を整える。聖地巡礼やコスプレを熱心に行うオタクに近い。「自ジャンル」が騎士道物語のおっさん。どうしても、こうしたオタク的な観点で読んでしまう。現実とフィクションの関係をどう捉えるのか。
自分の置かれた状況に似ている、これまで読んだ物語の1シーンをすぐさま思い出して、その虚構に自ら入り込む。(局所座標系を張り合わせて多様体をつくるみたいな)
入り込んだことさえ意識しない。厨二病レベル100みたいな筋金入りのオタク。一度も我に返らなければ、狂気も平気になる。
おお、この稀代なるわが伝記の作者たる運命をになう賢明な魔法使いよ、そなたが誰であろうと、拙者はそなたにお頼み申す。 p.57
ドン・キホーテは自分が後世に物語化されることを意識している。騎士道物語というフィクションを現実と思い込み、それを模倣=現実化することで、自らがフィクションとなることを疑いもしないという逆説。現実↔虚構 の転倒あるいは相互作用
第6章おもろい。ドン・キホーテの蔵書を友人の司祭が焼却処分するか否か選り分ける。司祭もめっちゃ本に詳しくて草
高評価が下されている本は読みたくなる。『ティランテ・エル・ブランコ』って『ティラン・ロ・ブラン』か! 岩波文庫で最近出たやつ!
最後にはセルバンテスのデビュー作『ラ・ガラテーア』まで出てきてやりたい放題
第7章
サンチョ・パンサ出てきた! 同じ村の住人かよ・・・しかも妻子持ちの貧乏なおっさん!!
口約束に乗せられてドン・キホーテに付いていくなんて、サンチョのほうがヤバくないか?? 「ちょっとばかり脳みその足りない」どころじゃないだろ
第8章
いちばん有名な「風車に突撃」のシーンだ! 意外と最初のほうなんだな
1回突撃して跳ね返されただけで諦めた。思ってたよりあっさり終わった。
サンチョもめちゃくちゃマイペースというか、変わったやつだなぁ。主人の現実認識がおかしいことは指摘するものの、何やかんやでなぁなぁに受け入れているようだ。ある意味で世渡り上手とも言える。
ビスカヤ人との決闘。ドン・キホーテ、50歳のお爺ちゃんなのに結構腕っぷしは強いんだよな・・・
道を歩いていたら突然槍で襲われるなんて、通り魔でしかないけど。その狂った頭でもなんとか死なずにやっていける程度には「騎士」としての力がある。
第一部おわり!!(〜p.160)
ええ・・・そんな「続きはCMのあとで!」みたいな次の部への移り方ある!?
なぜここで部を区切ったし
第二部
第9章〜第11章(〜p.200)
ここで、セルバンテスが自身を『ドン・キホーテ』の「第二の作者」に規定し、もとはアラビア語で書かれた原典をスペイン語に翻訳して編集したもの(p.12の注)だという設定を生かしてきた。つまり、ビスカヤ人との決闘のめっちゃ良いところで話が終わり、続きが欠落していることを認められず、「わたし」=セルバンテスがトレードのアルカナ商店街で、運命的にも、続きが書かれたアラビア語のノートを発見し、モーロ人に翻訳してもらったいきさつが語られている。
現代の小説からすれば、作者が話の続きを探す様子まで小説のなかに織り込まれるなんて、かなりメタフィクショナルで前衛的な仕掛けに思えるが、重要なのは、自身を「第二の作者」と規定して、「第一の作者」として架空の作者を設定する手法は、むしろ当時の騎士道物語においては頻繁に用いられていた、という点だ。つまり、「騎士道物語のパロディ」であることは『ドン・キホーテ』独自の趣向であるが、それ以外の諸々は、何も前衛性や実験性を志向してはおらず、パロディとして忠実に当時のスタンダードに従った結果である。それが、四百年後の我々からすれば、かなりヘンテコでアクロバティックに思えるというだけ。
そもそも「前衛」とか「実験」といったものは、その補集合たるスタンダードが確立されていなければもとよりそれを目指すことはできないわけで、今の我々の思う「小説」の在り方と、当時の「小説」(とも呼ばれていなかった)の共通認識がかけ離れているために起こる認識の齟齬であろう。
また、こうしてドン・キホーテの遍歴を記したアラビア語原典を見つけたというエピソードによって、ドン・キホーテが実在の人物であるという「嘘」を読者に巧みに信じさせようとしている。仮に機知に富んだ読者がこの記述をそのまま信じたとしたら、彼こそ、フィクションを現実だと思い込むドン・キホーテである。つまり、本書は明らかに、読者をドン・キホーテ側に引きずり込もうとする身ぶり=パフォーマンスが通底している。そして、なにも本作に限らず、あらゆる小説の読者はドン・キホーテ的態度を持たなければ読者たり得ない。すなわち、『ドン・キホーテ』は「良い読者(=フィクションの良き消費者=オタク)」像についてのフィクションでもある。
第10章の表題が内容と合致しないのも面白い。昔の小説にありがちな、内容の要約を章題とすることによってネタバレをかましていくやつを逆手に取っている感。「第二の作者」の手に渡るまでの編纂過程、『ドン・キホーテ』が辿ってきた歴史の奥行きをも感じさせるギミックで上手い。
第11章。羊飼いの皆さんご飯おすそ分けして歓待してくれて優しい。ドン・キホーテがこんなにヤバくても旅ができるのは、何やかんやで旅先の出会いに恵まれてるからだよな。そこはフィクション的な都合の良さともいえるが、たしかに狂人に相対したら誰でも優しくするのが最適解かもしれない。
「黄金時代」を懐古する。典型的な「昔は良かった」論だけど、あなたその頃から生きてるの? 騎士道物語で描かれた年代だから、あたかも自分も経験したかのように思い込んでるということかな。
どうでもいいけど、ふと調べてみたら、セルバンテスとシェイクスピアの没年が同じ(1616年)だと初めて知った・・・(日付も同じ4月23日だけど暦が違うから正確には違う日らしい)
『ドン・キホーテ(前篇)』が発表された1605年には、『リア王』も書かれている。『オセロー』は前年の1604年。『マクベス』は1606年。
へ〜〜〜 なんとなくシェイクスピアは1700年代かと思ってた。めちゃくちゃ同時期だとは・・・。これはシェイクスピアも一緒に読むチャンスでは?
第12章。絶世の美女マルセーラに惚れて焦がれ死に?した学士グリソストモの話
「さあ、先を続けてもらいたい。とても面白い話だし、それに友のペドロよ、そなたの話しぶりがまたなかなか興趣に富んでいるのでな。」 p.208
とドン・キホーテが褒める通り、村人ペドロ、マジで話が上手すぎる。大げさな比喩が心地よくグルーヴとなってスラスラと淀みなく読めてしまう語り口
マルセーラの後見人の司祭さん、「親が子の意に反して身を固めさせるのはよくない」って当時としてはかなりリベラルな持論を持ってるなぁ。
第二部おわり!(〜p.256)
第13章での、旅人とドン・キホーテの議論は、フィクションの「お決まり」にツッコミを入れる側と擁護する側の一種のディベートとして面白い。
さらに言えば、遍歴の騎士のすべてに、おのれの加護を祈るべき思い姫がいたとは信じられませんね。だって、皆がみな必ずしも恋をしているわけではないでしょうから。 p.223
(今思うに、これは次の章でのマルセーラの主張にも繋がるな)
スーパー戦隊でのリーダーが必ずレッドであることにツッコミを入れているような感じ。(最近は違うらしいけど)
ドン・キホーテの反論がけっこう苦し紛れでごまかしごまかしやってるのも笑える。
にしても、わりとみんな騎士道物語をちゃんと読んでるんだな・・・当時それだけ人気を博していたってことか。
第14章、グリソストモの《絶望の歌》はなかなか読みづらいし割と長いしで大変だったが、なんとなく意味は伝わってきた。要するに、自分を振った女への逆恨みと格好つけが入り混じった歌ってことよね。ところどころでカッコいい箇所はあった。
しかし、その後に登場したマルセーラの語りが痛快すぎてびびった。ルッキズムとかアロマンティックとかウーマンリブ的な観点でもかなり良い。なんでこんなにリベラルなんだ
わたしは自由な性格に生まれついていますから、人に従属することを望みません。わたしは誰をも愛しませんが、そのかわり人を憎むこともありません。 p252
さらに言えば、今のわたしにそなわっているこの美しさは、別にわたしが選んだものではないんです。つまり、わたしが望んだわけでもお願いしたわけでもないのに、神様が無償でこのような美しさをお与えくださったのだ、ということをご理解ください。 p.248
マルセーラの信念が素晴らしいのは、自分が美しいことをまったく謙遜もごまかしもしないところだ。なぜなら、自分の美しさは神に与えられたものであって、自分が選んで勝ち取ったものではないと認識しているから。自慢できるのは自らの意志で選び取ったものだけ、という極めて高潔な自律心を持っている。
ルッキズム的に恵まれている者であっても、その構造によって抑圧されていることを主張し、それを越えていこうと高らかに宣言する。
そうやって、自分の思想を理路整然とわかりやすく長広舌でスピーチできるのもすごい。
第三部
第15章〜第17章(〜p.313)
第16章の、旅籠の屋根裏部屋での女中の夜這い→大勢でのもみくちゃの殴り合いのシーンがめっちゃ好き。互いに相手を誤認したまま抱き合うのは『ヴァインランド』を思い出したし、その後の真っ暗な中での敵味方入り乱れてのカオスなドタバタ劇はそれこそピンチョンっぽい。マンガだったらモクモク煙から星が飛び出てくるあれ
宿代を払わずに去ろうとしたドン・キホーテに宿の主人が「うちは城じゃなくて旅宿です」と言ったのをわりとすんなり聞き入れたのは意外。
どうやら、拙者は今まで思い違いをしていたようじゃ」 p.305
普通に支払わずに逃げたのは笑った。
ところで「騎士」というのが当時実際にどのような存在だったのかイマイチわからん。騎士道物語のフィクション中にのみ存在するファンタジーな役職ではなくて、実在したんだよね?
ドン・キホーテがここで主張するように「騎士は旅先でいっさい宿代などを払わない」というのが、実在の騎士の習慣なのか、それとも彼の愛読する騎士道物語の中の決まりなのかがわからない。フィクションのキャラクター・ヒーローがいちいち費用を支払っていたら格好がつかないので省略されているのかな。「アニメの美少女キャラクターはトイレに行かない」みたいに。
第18章〜第19章
羊の群れの衝突を合戦だとおもって、その場の妄想で各陣営の騎士をことこまかに説明するくだりすごい。風車突撃とかよりよっぽど派手だしドン・キホーテらしさが出ている。
ドン・キホーテ、50過ぎのおじさんなのに単純にフィジカルというか耐久が強いの草
歯をほとんど折られ、肋骨も折られているのにちょっと嘆くくらいで、また平然と通り魔に勤しむ・・・いやこれメンタルの問題か?
第20章
ドン・キホーテの仰々しい名乗り口上、サンシャイン池崎を思い出す。(彼の参照元の源流に「騎士」があるということだろう)
くり返すが、拙者こそかの円卓の騎士たち、フランスの十二英傑、そして令名高き九勇士をよみがえらせるべき人間であり、さらに、プラティール、タブランテ、オリバンテ、ティランテ、フェーボ、ペリアニスらをはじめとする、過ぎし時代にその名を馳せた一群の遍歴の騎士たちがなしとげた赫々たる事績の輝きを曇らせるがごとき、偉大にして稀有なる武勲をこの鉄の世に打ち立て、そうすることによって、かの騎士たちを忘却の淵に追いやるべき人間なのじゃ。 p.356
この辺の口上を、このあと不気味な音の正体が分かって拍子抜けしたあとで、サンチョ・パンサが真似して主人をいじるのも面白い。サンチョがまたなかなかに強かというか、ドン・キホーテを煽ったり、皮肉ったりする発言が増えてきている。しかし、性根が腐っておらず、主人に懐いてきたからこその変容であるともわかるので微笑ましい。まぁドン・キホーテに「お前もうちょい私を敬って口を慎んでくれ」と注意されるけどw (それに表面上はあっさり従うふりをしているが、内心はどうなのかわからない。相変わらず主にばれないように煽ってるし)
怪しい音が鳴り響く森で一夜を過ごすにあたって、暇つぶしにサンチョがドン・キホーテに物語るくだりが面白い。
いいですかい、旦那様、この漁師が渡していく山羊の数をちゃんと数えておいてくださいましよ。たった一頭でも数え間違えると、その場でこの話がおしまいになっちまって、あとを続けることができなくなるからね。 p.368
これで実際にドン・キホーテが山羊の数を答えられず、その場でサンチョの話は終わる。
「普通」の人にとっては話の本質に関わらないからと省略するようなところまで、一頭ずつ数えなければ気が済まないさまはASDっぽさもある。しかし、答えられなかった瞬間に、サンチョの頭から「これから喋ろうと思っていたことがそっくり消えちまった」というのは面白い。こんな独創的なアイデアを「暇つぶし」の一挿話に充ててしまうってのがまた風格を感じる。
サンチョ、馬にまたがるドン・キホーテにピタッとくっつきながら便意を催してそのまま致すのやべえな
ドン・キホーテもまたサンチョを見やったが、従士のほうは両方の頬を大きくふくらませ、口のなかを笑いで一杯にしていた。つまり、すぐにも吹き出したいといった様子だったので、サンチョのそんな顔を見ると、恥じ入り、しょげかえっていた主人も、思わず笑い出さずにはいられなかったのである。こうして主人のほうが先に笑い出したものだから、サンチョは文字どおり堰を切ったように、それまで押さえこんでいたものを思い切り発散した。笑う勢いで腹が裂けたりしないようにと、両手で脇腹をおさえていなければならないほどであった。 pp.378-379
ここすき。2人のあいだの雰囲気がよく表現されていて平和
このあとすぐに、いつまでも笑ってるサンチョにムカついたドン・キホーテが従士を槍で殴るところまでおもろい
にしても、不気味な音の元凶の「毛織物を縮絨するための六つの大きな木槌」って、無人で動く仕組みなのか? いっさい人の描写がないのがかえって不気味に感じるが、当時からそういうハイテクなものがあったのか
→次章によると、水車小屋らしい。つまり、水車を動力とした機械(縮絨機)だ。
ところで、ドン・キホーテがこの縮絨機・木槌を、何か別の悪魔やら化け物やらと認識せず、素直にありのままの姿を認めたのは意外だった。不気味な音の正体は木槌なんかじゃない!と言い張りそうなものなのに。だが、それが逆に、彼が意図的に物事を騎士道物語風に誤認しているのではないことの証拠にもなっている。
第21章おわり。第3部(および第1巻)完! おなかすいた!
相変わらずの通り魔・強盗。
『ティラン・ロ・ブラン』ってそんなテンプレなお話なのか・・・
サンチョの性格がなかなか掴めない。リアリストの側面もあるが、主人が自分にいつか島をくれると素朴に信じているような「脳味噌の足りない」一面もある。そもそも現実主義者なら妻子を捨ててドン・キホーテについてこない。教養無さげだけど、諺を頻繁に引用してきたりもする。
第1巻の感想
ふつうに読みやすくて面白かった。
「風車に突撃」が意外と序盤で驚いたが、あれが本作の代名詞として選ばれるのはよくわかる。『ドン・キホーテ』を読んだことのない人に『ドン・キホーテ』をいちばんわかりやすく象徴しているのがあのシーン。
しかし、実際に読んでみると、あれ自体はあっさり終わるし、意外と印象に残らない。ドン・キホーテの狂気妄想が炸裂する印象深い章は他にもっとある。でも未読者向けには、たしかにいちばんキャッチーなシーンではある。
2巻
1巻でまだ第3部終わってなかった!普通に続いてた
第22章。遂に国家権力に歯向かってて草
王様にかしずくのが騎士だとか言ってるのに・・・
ガレー船へ引きたれられる最中の囚人たちの罪状は一人ひとり個性的で面白い。特に最初の囚人がヤバい
あっしの恋人というのは、まっ白な肌着の一杯つまった洗濯籠でね、そいつにぞっこん惚れこんで、かたく抱きしめあったってわけでさ。あれで、お上の手で仲を裂かれなかったとしたら、あっしは今でもあれを抱いたままで、自分から手放すことは決してしなかったでしょうよ。 p.12
下着フェチの変態泥棒ってことでいいの?? それともまさかの洗濯籠フェチ??? だとしたらレベルが高すぎる
さっそく第2巻でもボコボコにされて身ぐるみ剥がされたけど、もともと今持ってた装備や品々だって道行く人から奪ったものだしな・・・
第23章
サンチョの驢馬が盗まれる挿話が第2版(同年出版)で追加され、矛盾点(驢馬が盗まれていない)は第3版で修正されているとかなんとか。で、それに後編のメタフィクションで言及するらしい。矛盾しているところについて後から言い訳できるのもメタフィクション続編の利点っちゃあ利点か。でも、あえて矛盾を作って修正して……といった、版を重ねる過程(物語が形作られる過程)を強調するためにやった可能性もあるのかな。
第24章(〜p.87)
第1巻で出てきた、高潔な美女に恋して死んだ男のように、美女にフラれて詩を詠んで狂った男がまた登場した。ここ寝取られ要素。
そして、サンチョの羊たちを川渡しする話と同様に、この男の話も最後まで語られない。物語が途中で終わること、読者の介入によって語りが中断されることを強調している?
したがって、彼が当初は自分の恋の情熱を抑制するために土地を離れたいというふりをしていたとするなら、今ではそうした恋を本物にしないために、つまり結婚の約束の履行を回避するために、本気で家を出ようとしていたのです。 p.79
語りがめっちゃわかりやすい。文学的な上手さじゃなくて、プレゼン・スピーチとして見習いたい上手さ。
ドン・キホーテは騎士道物語という言葉を耳にするがいなや、こう言った──
「あなたが身の上話の冒頭で、恋人のルシンダ殿が騎士道物語の愛読者だと一言おっしゃっていたら、ルシンダ殿の才知がいかに優れたものであるかを拙者が察知するのに、それ以外の賛辞を並べる必要はさらさらなかったでござろう。実際のところ、あのように興趣あふれる読み物がお好きでないとしたら、あなたが紹介なさったほど立派な御婦人であられるはずもないでしょうて。ですから、拙者に対しては、その御婦人の美しさ、徳性、聡明さを納得させるために、このうえ言葉を費やすには及びませんぞ。ただその趣味をおうかがいしただけで、その方がこの世で一番の美女にして才媛であると認定できますのでな。それにしても拙者は、あなたがその方に、『アマディス・デ・ガウラ』といっしょに、実によく書かれた『ドン・ルヘル・デ・グレシア』を届けてくださればよかったと思いますよ。(中略)それにしても、あなたの話の腰を折るようなことはしないと約束しておきながら、つい口を出してしまったことをお赦しくだされ。どうも拙者の習性で、騎士道だとか遍歴の騎士といった言葉を耳にすると、ちょうど太陽の光が大地を熱し、月光が大地に潤いを与えずにはおかないように、どうしても黙ってはいられなくなるのでござる。そういうわけですから、どうかお赦しのうえ、先を続けてくだされ、それが今のわれわれにとってはなにより重要なことゆえ。」 p.82
ここ草
相手の話に割り込む、典型的なオタク早口が発動してる。いわゆる「◯◯(自分の好きなコンテンツ)が好きな人は信頼できる」ってやつだ。しかもシームレスに同じジャンルの別の作品の布教をする。誰かさんを見ているようだ・・・
わたしもつい相手の話を遮って好きなことを語ってしまったら「どうも拙者の習性で、◯◯だとか◯◯といった言葉を耳にすると、ちょうど太陽の光が大地を熱し、月光が大地に潤いを与えずにはおかないように、どうしても黙ってはいられなくなるのでござる」と言い訳しようかな。
第25章
そして、無知で根性のひねくれた連中が、二人のこうした関係を邪推して、彼女がエリサバットの情婦だなどと考えたり、言いふらしたりするようになったというわけじゃ。 p.92
ここ悪い「"関係性"のオタク」への言及
とはいえ、彼らが実際にあった姿をそのまま描いたり記述したりしているわけではなく、後の世の人びとが美徳の亀鑑として仰ぐことができるように、かくあれかしと理想化しているのじゃ。 pp.96-97
騎士道物語で描かれている騎士たちの人生・武勲が「理想化」されたものであり、事実から脚色されていること、及びその脚色の意図までをもちゃんと認識している。……それなのになぜ、騎士道物語それ自体を虚構ではなく現実だと思い込めるのか? 脚色はされているが、彼らが実際に存在していたことは疑っておらず、しかも、騎士道物語の読者として、「理想化」されたものをそのままリアルに受け止めるべきだと信じているんだろうか。本当に「良い読者」だ、ドン・キホーテは。
「そう、そこが肝腎な点じゃ」と、ドン・キホーテが答えた。「そこにこそわしの営みの微妙なところがあるのよ。つまり、遍歴の騎士が理由あって狂気におちいったところで、ありがたみもなければ面白くもない。重要なのは原因もなく狂態を演ずることであり、わしの思い姫に、理由もなくこれだけのことをするなら、理由があったらどんなことになるだろうと思わせるところにあるのじゃ。 p.99
そもそも傍から見たらずっと狂気そのものであるドン・キホーテが、今から「狂気を演じ」ようとしている時点でおかしいのに、彼はこうして、自身がこれからやろうとしている営みについて客観的に分析できている。それがいっそうヤバくておもしろい
ドン・キホーテが山に篭もって「狂態を演じて」いるあいだに、故郷の村のドゥルシネーアに宛てた恋文をサンチョ・パンサが届けに行く。あの村まで戻るのか……
第26章
この詩を読んだ人たちは、ドゥルシネーアという名に必ず「トボーソ村の」が添えられているのを認めて、少なからず笑った。ドゥルシネーアと言うとき、そこに「トボーソ村の」とつけなければ詩の意味が通じなくなるとドン・キホーテが思ってのことに違いないと想像したからであるが、これは後になって騎士自身が告白したところによれば、事実そのとおりであった。 p.132
これはすでにこの『ドン・キホーテ(前篇)』が出版されて広く読まれる未来のことまでをすでに内包している、と捉えてよい? 「後になって騎士自身が告白したところによれば」と、ドン・キホーテの未来のことまでちゃっかり書いてるし。
おお! 故郷でドン・キホーテの蔵書を燃やしまくった司祭&床屋コンビが再登場!!
まだドン・キホーテを故郷に連れ返して治療することを諦めてないんだ。友達想いだな・・・
まさかのおじさんの女装コスプレは草
第27章(〜p.180)
おお! 寝取られたカルデニオも再登場して、あの話の続きを語ってくれるのか。
司祭&床屋がカルデニオに出会うという、主要キャラ不在でサブキャラ同士で作中物語が続く。でも横道に逸れてるとはあんまり感じない。そもそもドン・キホーテの遍歴の旅自体がいきあたりばったりだし……
これに対して司祭が、あなたの話を聞いていてうんざりするどころか、その脱線や細部がとても興味深い。それこそ話の本筋と同じほど傾聴に値するものだから、省略しないで話してもらいたいと応じた。 p.171
ここはまんま司祭=読者だ。ほんとそれ。むしろ脱線のほうがおもしろい。
カルデニオの詩歌から、幼馴染の恋人ルシンダは完全に寝取り男フェルナンドに絆されて心まで鞍替えしたものだと思っていたけど、そうでもないじゃん。誓いのキスの直前で失神するくらいには思い悩んでいるのに、そんな彼女を「裏切り」だと断定して嘆くカルデニオにはあまり同情する気も起きなくなってくる。
カルデニオはずっとルシンダを「わたしのもの」だとモノ扱いしていて、父権的で有害な男性性を明らかに表現している。
そもそもこの作品じたいが、「騎士」という、父権的な男性像=英雄への憧れに取り憑かれた男の物語であり、めちゃくちゃリベラルというか、ジェンダー的に読んでもすごく興味深い。
そして、自分勝手とはいえ、いちおうは相応の出来事があった上で狂態を演じているカルデニオに対して、そもそも一度もちゃんと会ったこともない近所の女性を勝手に「想い姫」認定して、彼女のつれなさを嘆き悲しんで狂態を演ずるドン・キホーテの異様さが際立つ。実際につき合いのある生身の女性を所有しようとする男性の有害さのうえに、虚構のなかでその有害さを再生産しようとする男の有害さをも描く。これはそのまんま、騎士道物語=あらゆるフィクションが描いてきた英雄譚が大衆に読まれることで、現実社会の父権的な構造を維持し、より強固にし、再生産してきた事実に対応する。
でもカルデニオの自暴自棄というか躁鬱な感じはちょっと共感しちゃう
これで第三部おわり。
第28章〜第31章(〜p.289)
例の寝取り男フェルナンドの被害者その2、素封家の娘ドロテーア登場。被害者の会結成してるやん
この作品に出てくるひとは、誰も彼も老若男女、身の上を話すのがうまくておもしろい。
なるほど、両親のわたくしに対する愛情の深さを考えますと、わたくしが大喜びで迎え入れられるのはまず間違いのないところですが、両親の目の前に以前とは異なるわたくしの姿をさらさねばならないと思うと、それだけでもう耐えがたい恥かしさを覚えます。ですから、両親がわたくしに期待してしかるべき純潔を失ったわたくしの顔を見ているのだと思いながら彼らの顔を見るくらいなら、それこそ永遠に彼らの前から姿を消したほうがましだと思うのです。 pp.215-216
奥深い「恥」の感情
ドロテーアも一行の仲間になった。単なる一期一会のキャラだと思っていたカルデニオやドロテーアの身の上話がこうしてつながって、ドン・キホーテ(を強制送還する)一行に次々と加わるの普通にアツい展開。ドラクエじゃん
するとドロテーアが、その助けを求める乙女の役なら床屋さんより自分のほうが上手に演ずることができるにちがいないし、おまけに自分は、その役を自然にみせるような衣装も持ちあわせている、だから、この目的を遂行するのに不可欠なその役回りをまかせてもらいたい、自分はこれまで騎士道物語をたくさん読んできたので、悲嘆にくれる乙女が遍歴の騎士に力添えを頼む際の言葉づかいを熟知しているから、と言った。 p.221
騎士道物語ファン多くない? ドン・キホーテを囲んで普通に読書会したほうがいいのでは。
でも、こうして他の(狂気に陥っていない)騎士道物語読者を出すことで、ドン・キホーテの狂気さが際立つ(普通に騎士道物語を楽しんで読んでいるだけではああはならない)。
そんなサンチョにもひとつだけ気がかりなことがあり、それは、あの王国が黒人の住む地にあるからには、主人や自分の臣下となる連中も必然的にすべて黒人になるという点であった。 p.232
時代的なナチュラル人種差別だ。16世紀はアメリカ大陸がコロンブスによって発見されて100年以上経った植民地時代か。奴隷解放宣言はまだ100年以上先。
自分たちの芝居がぼろを出しそうな危険にさらされているのを見てとった司祭は、間髪を入れずに髭に駆け寄り、それを拾いあげると、まだ横になって呻き声をあげ続けていたニコラス親方のところへ行った。そして床屋の頭を自分の胸もとに引き寄せると、何やら呪文を唱えながら、一気に髭をとりつけてしまった。 p.237
「間髪を入れずに髭に駆け寄り」、"髭" が代名詞ではなく髭そのもののパターンでこの文めっちゃおもろいな
司祭と床屋はすでにサンチョから、彼の主人がその栄光を高めるほどの成功を収めた漕刑囚解放の武勇伝を聞いていた。それゆえ司祭は、ことさらこの一件をもちだして、ドン・キホーテがいかなる反応を示し、なんと言うか、それを確かめてみようとしたのである。しかし、当の騎士は司祭の一語一語に顔色を変えたものの、自分があの善良な連中の解放者であるとは、さすがに言い出そうとしなかった。 p.243
へぇ〜〜 ここで言い出さずに気まずく感じるだけの分別はあるんだ〜〜
ドン・キホーテの狂人具合を少しずつ探っていく感じおもしろい
ドロテーアは聡明で、たいそうしゃれっ気のある娘だったし、しかもドン・キホーテがいささか頭のおかしい男であって、サンチョ・パンサ以外の人がみんなして彼のことをからかい、もてあそんでいるのをとっくに承知していたので、自分だけ遅れをとりたくないという気持から、騎士が激怒したのを見てとると、こう言った── pp.246-247
仲良しグループでそいつをいじっていないと疎外感を覚えるレベルのいじ(め)られキャラになってるじゃん・・・しかもついさっき出会った少女にまでいじられてる。
現実ではアウトだが、ドン・キホーテに関してはこうされるのも仕方ないほどに狂ってるからな・・・
「わたしもたぶんそんなところだろうと思いましてな」と、司祭が言った、「早速あんな助け船を出したんですが、あれでなんとか事なきを得ましたよ。それにしても、あの気の毒な郷士がどんな作り事や絵空事でも、その話の筋や言葉づかいが荒唐無稽な騎士道物語と似ているというだけで、やすやすと信じてしまうというのは、なんとも奇妙な、驚嘆すべきことではないでしょうか?」
「まったくですよ」と、カルデニオがひきとった。「実に稀な、前例のない事例ですから、よしんばこのような人物を虚構の中で考え出そう、でっちあげようとしたところで、これほど首尾よく作り出せるような、機知に富んだ才士が存在するものかどうか、ちょっとわかりませんね。」
「ところが、彼にはさらに奇妙なところがあるんですよ」と、司祭が言った。「なるほど、この純真な郷士は話が彼の狂気にかかわることに及ぶやいなや愚にもつかないことをまくしたてますが、いったん話題がほかのことになると、実に理路整然たる話しぶりで、彼があらゆることに対して明敏な、そして穏健な判断力の持主であることを見せつけるのです。ですから、その狂気を触発する騎士道にふれない限り、彼のことをすぐれて理性的な教養人と思わない人はいないでしょうよ。」 pp.263-264
司祭の言葉、ほんとそれな〜
カルデニオの意見は作者による自分褒めギャグとしても面白い。
第31章、前に木に縛られて鞭打たれているところを助けた少年アンドレスと再会して罵られる
さすがのドン・キホーテも、アンドレスの話にはすっかり恥じいってしまった。そして同行の者たちは、騎士の面目をこれ以上つぶさないようにというので、笑いをこらえるのに懸命であった。 p.289
恥の感情まだ残ってたんだ・・・・・・
自分が恥をかいたときにグループで自分以外の人たちが結託して笑いをこらえているのを想像すると冷や汗がでるけど。
第32章〜第34章(〜p.387) 第2巻おわり!!!
一行が例の宿屋に泊まり、騎士道物語好きな亭主が持っていた原稿『愚かな物好きの話』がガッツリ2章まるごと使って語られる。
これまでのカルデニオやドロテーアなどの身の上話は、あくまで「彼は次のように語り始めた──」みたいに、枠物語としての体裁があり、本筋から地続きで繋がっているが、この『愚かな物好きの話』は、そうした留保が一切なく、章の冒頭からいきなり始まる、という点で異質な章。(前章の最後が「小説はこんな具合に始まっています──」ではあるけど。)
『愚かな物好きの話』、独立した小説としてかなり面白い。
カルデニオのエピソードで「寝取られ」をやったうえで、今度は「寝取らせ」かよ・・・・・・pixivか何かの性癖博覧会ですか?
しかも、単なる寝取らせではなく、同性の親友間での協定であり、そこに実際の不倫要素が加わってめっちゃ良い三角関係の痴話になっている。アンジャッシュのコントを数段レベル上げしたかんじ。三角関係だけでなく、侍女の愛人との関係も絡んでくるのもお見事。
「俺の最愛の妻を寝取ってくれ。親友のお前しかお願いできる奴はいないんだ」と懇願するアンセルモに、いかにお前が愚かなことをしようとしているのか説得を試みるロターリオ、なんだかすごく身に覚えがあるな・・・ 身近な人が愚かな道にハマりかけているところを感情的なクソ長い文章で説き伏せようとして失敗したことが、ごく最近あったような・・・よく思い出せないが・・・・・
ってこれ、『愚かな物好きの話』終わらないで途中のまま3巻にいくんかーいww
めっちゃ続きが気になる引きじゃねーか!!!!!
2巻の感想
いや〜おもしろいな〜 ふつーに読みやすくてエンタメとしておもしろい。
20世紀以降のモダニズム〜ポストモダン小説の文学性云々のような面倒くささ、とっつきにくさは一切ないのが良い。
まず文章がすごく読みやすいんだよな〜〜 持って回った言い回しとか修辞とかが多用されているんだけど、それらが読む際の邪魔になるどころか、むしろ潤滑油として機能している。理想的な文章で、ふつーに参考になる。訳者の牛島信明さんの功績でもあるだろう。
3巻
2022/3/29~5/27
35章
36-38章
例の宿でまさかのドン・フェルナンド&ルシンダと再会、そしてトントン拍子に和解。
ドロテーアはドン・フェルナンドのことをまだ好きだったのかい。こんなクソ野郎を……
今度はモーロ人の美女が出てきた。絶世の美女多すぎ案件。この場に3人いるぞ。
39章~
ドン・フェルナンドの連れていた《捕虜》の男の身の上話。
ところが、サアベドラとかいう名のスペインの兵士だけは彼の虐待をまぬがれておりました。 p.106
アルジェの牢屋《浴場》で何度も脱走を企てるも一切罰を受けなかったサアべドラ、セルバンテスのことかいww ちゃっかり自分を登場させて「この人に起こったことはわたしの身の上話よりもずっと面白いけどいまは省くね」的なことをキャラに言わせるの草
でも1巻ですでにセルバンテスの著作が言及されていたよね。ドン・キホーテの蔵書を司祭たちが燃やすくだりで。
これまでにわたしも、暇をもてあました折の虚しい興味にかられて、印刷された物語のほとんどすべてを、出だしの部分だけは読んでみました。ところが、最後まで読み通せたような代物はひとつもありませんでした。 p.281
わかる~~
3巻の感想
1, 2巻に比べるとやや冗長で退屈だった。途中100ページくらいある《捕虜》のエピソードとか。「絶世の美女」が4, 5人も一堂に会するのも……。表紙裏に「実は何ひとつ非日常的なことは起こっていない」とあるが嘘だろう。生き別れの家族や想い人との運命の再会が立て続けに繰り広げられるのとか、ドン・キホーテだけでなく、この小説世界自体が喜劇的に狂っているように思えた。
終盤のいかにもクライマックス感を出すための「騎士道物語は有害か否か」論争は面白かった。
『後篇』からが本番だろうから、10年以内には読みたい。
~3年間が経過~
後篇
読んだ期間:2025/4/19~6/8(20日間)
1巻
2025/4/19〜5/6
5日間
4/19(土)
初っ端の「読者への序文」からおもしろい。ほんと語りが読みやすいな〜 いま読んでる夏目漱石よりもよほど読みやすい(牛島さんありがとう)
1614年に出版された贋作『ドン・キホーテ 続篇』への痛烈な皮肉。贋作をめためたに批判してほしいのだろうけどしません、という読者への宣言。ふざけたノリがとても良い。3年ぶりにセルバンテスの文章に戻ってきた。
訳注の、贋作の作者が20世紀後半に遂にほぼ特定されたというの興味深い。セルバンテスの兵隊仲間アベリャネーダ。昔から付き合いのある近しい人だっただけに、栄光に嫉妬しちゃったのかな…… 彼の自伝と比較して論証されたと。ちゃっかり自伝書いてるのおもろい。
執筆中の『ペルシーレス』にも言及がある。相当な自信作っぽい。『ガラテーア』の後篇も書く予定だったんだなぁ。
第1章
床屋と司祭のコンビなつかし〜
やっぱり騎士道パラノイアは治ってなかったドン・キホーテ。虚構と現実をごっちゃにするのを棚に上げれば、彼の言ってることは懐古厨の老害みたいなもん。
2章〜3章、これまでの冒険が出版されて人口に膾炙していると知らされるドン・キホーテ。はやくもメタフィクションの様相を呈している。
この小説内で彼は「有名な遍歴の騎士たちに憧れている狂人」だが、もはや現代では、もっとも有名な「遍歴の騎士」がドン・キホーテである、という倒錯があり、その端緒としてこの後篇がある。
また、作中でドン・キホーテ以外の人々は、彼を虚構と現実を区別できていない狂人だとして嘲笑するが、まさにその彼の奇行/紀行が「物語」としてまとめられて広く読まれることで、図らずもその読者たちだって虚実のあわいをふらついていることになる。こうしたメタ構造があまりにも肩肘張らずにサラッと語られていく読み心地が素晴らしい。
「またもや、言葉のとがめ屋さんが現われたのかね?」と、サンチョが言った。 p.65
これいいな 自分も誤用を指摘されたときに言おう
「とにかく、誰であれ他人様のことを話したり書いたりする者は、その話し方書き方に気をつけて、頭に浮かんだことを手あたりしだいに述べたてないようにしなけりゃいけねえ。」 p.67
耳が痛い
『ドン・キホーテ』という物語を書いて出版したシデ・ハメーテ・ベネンヘーリのことを、ドン・キホーテ本人たちは何も知らない(存在しないのだから当然)ので、自分が物語の主役でありながら、その物語のことを知らず、第三者のようにあれこれ意見するのがおもしろい。
前篇が物語を「読む」ことについての物語だったとすれば、後篇は物語を「書く」ことについての物語という側面もあるか。読者の物語から作者の物語へ。
p.67 「愚かな物好きの話」って挿話あったっけ。なぜ突然、本筋と関係ない挿話が差し込まれるのか。実際にうんざりするほど言われたのだろう。
他にも、作中の矛盾や回収されていない要素など、読者が気になることについて、続編というかたちで風刺的に応答する。
第5章、サンチョと妻テレサの議論・口論。サンチョとは思えないほど理知的な発言をしていることから、この章は偽作であると「翻訳者」は考えている、ということが本文の括弧内で捕捉される。小説内現実とテクストそのものの関係が入り組んでいる。
テレサ・パンサのエネルギッシュな発言良いな。前篇でもこんなに登場してたっけ?
p.90-91の領地を持たずに生まれて死ぬ人々についてのセリフ特にすき
p.118 サンチョの言い間違いシリーズ 「従順」を「じゅうじゅう」と言ってしまう。しかも主人ドン・キホーテは初めから分かっていたのにわざと泳がせていたのではと糾弾するサンチョ。それを軽く受け流す御主人。おもしろい
「すべて真理だな」と、ドン・キホーテが言った。「だが、お前の話はいったいどこへ行きつくのか、とんと見当がつかんぞ。」 p.120
p.123 「あてがい扶持」を不服としてどうしても定額の給与制を求めるなら、他の従士を連れていくと主人に言われて動揺するサンチョ。あなたそんなにドン・キホーテに惚れきって信用してたのか…… サンキホ尊い……
キホーテが家政婦はともかく姪と住んでるのってなんでだっけ。ふたりとも、もう主人に愛想を尽かしてもいいくらいなのに、必死に出立を止めようとするの優しいね
性格の悪い学士サンソンは、物語の続きを読むためにドン・キホーテたちを第三の遍歴へと向かわせたのかな。
第8章、隣町エル・トボーソへ、ドゥルシネーアに会うために向かうふたり。名声を求める欲の強大さについてドン・キホーテが語り、サンチョは至高の名声を得るには騎士より僧侶になって聖人列席を目指すべきではと提案する。まぁ道中の雑談か。騎士と宗教・カトリック思想の結びつきについても重要だろう。セルバンテスはカトリック信者だったのか。
4/20(日) p.145〜
第九章 ここでは、この章で明らかになることが語られる
草
章内容の説明の慣例を逆手に取ったトートロジーギャグ ほんとおもろい
あ、そうか。ドン・キホーテはまだドゥルシネーアに一度も会ったことないのか。サンチョを介してしかやり取りをしていない。サンチョでさえもほとんどドゥルシネーアに接触しておらず、主人の前では誤魔化してたんだっけか
本当の姿は登場せずに、ただ第三者の言葉のなかで憧れだけが膨らんでいく、騎士にとっての「ヒロイン」。まさに他者
……われわれはひとまず騎士をそこに残して、サンチョ・パンサについて行くことにしよう。 p.157
三人称の語り手が前景化して自由に焦点を移している。
10章 ていうかそもそもドゥルシネーアなんて実在しないのか。ドン・キホーテの妄想の中にしか。
悪い「魔法使い」のせいにすれば全て言い訳できる。サンチョ行動力あるなぁ
ドン・キホーテは目の前の事物をつねに都合良く見違えるわけではない。高貴な姫なんていないことをしっかり認識しておきながら、サンチョの口車に乗せられて、現実認識の「解釈」を歪める。今でいう陰謀論者や、統合失調症の患者? 素人がテキトーに持ち出すべきではない
11章、演劇の一座との邂逅だが、珍しくドン・キホーテ側がなにも悪くなく被害者であり、しかもサンチョの制止を主人が聞き入れて、乱闘を起こすことなく引き下がっている。こういうまともな振る舞いをする面がある分、余計に騎士妄想の狂気が際立つ。
12章、別の遍歴の騎士と従士のコンビに会う。通称《森の騎士》。遍歴の騎士ってマジで他にいたんだ…… 騎士道物語の中だけの存在じゃないの!? 会えてしまっていいのか? ドン・キホーテの狂気性が相対化されてしまうのでは
13章、《森の従士》とサンチョの従士トーク。サンチョは主人への巨大感情を見せるも、森の従士の語りに説得されて、はやく元の生活に戻ろうかなあともフラフラ思う。芯がないけどそれがサンチョ・パンサ。
「売女の子!」という掛け声が侮辱ではなく賞賛としても用いられることについて。またサンチョがあっさり騙されてるのかとも思ったけど、これは嘘ではなさそう。そういうスラングは往々にしてある。
サンチョが利き酒とかいう特殊スキルをいきなり披露。お前そんなん出来たのか
この2人の会話、『BLEACH』尸魂界篇の、一角と射場さんの酒飲み戦闘シーンを思い出して良い。主人同士が相見えているところで、従者同士がのんびりと酒を飲み交わしながら喋る場面。
4/21(月) p.219〜
14章、そういうことか〜〜! 森の騎士は、既に愁い顔の騎士ドン・キホーテを打ち倒してきたと本人の前で語る。後篇でドン・キホーテが出会う者たちは、彼らを物語で読んで知っている可能性があるのね。
すると、三頭の馬と灰毛驢馬は、もうとっくにたがいの体の嗅ぎ合いをすませて、仲よく一か所にかたまっていた。 p.225
ほっこり😌
なるほど〜〜 森の騎士の正体は学士サンソン・カラスコだったのか。それなら諸々の辻褄が合う。そんな説得的なところに着地するとは。
やっぱり本物の騎士なんていなかった。サンソンほんと性格悪いな……
《鏡の騎士》なのか《森の騎士》なのか。どちらの名も語り手は使っている
15章 あ、いちおう単なる悪戯ではなくて、ドン・キホーテを村に連れ戻すために学士は騎士に扮して一騎討ちを挑んだのね。
サンソンは、後篇の裏主人公みたいな扱いになるのかな。ドン・キホーテに復讐するために遍歴の騎士のフリをして、結果的に同じような狂った事をやることになる哀れなライバル役。
否でも応でも狂人だってやつと、自分からすき好んで狂人になるやつと、どっちがより狂ってるんでしょうかね? p.245
16章、通りかかった50代くらいの旅人の男の倅が詩を志していることについて、ドン・キホーテがあれこれアドバイスをする。人文学と詩について。ほんとめちゃくちゃまともなことも言えるんだよなこの人……
5/5(月) p.267 17章から
檻の中のライオンと対決しようとするも、出てこず不戦勝。運いいなこいつ。命拾いした
憂い顔の騎士からライオンの騎士へと自分で改名
ドン・ディエゴに狂人だと疑われるも、その弁舌でことごとく論破していくドン・キホーテ。
18章、ディエゴの息子の作った詩をベタ褒めするドン・キホーテ。注釈詩ってのがあるんだ。原詩の各行を末尾に使ってより膨らませる二次創作みたいなものか。
19章 前篇にもあったような、モブの幼馴染BSS/NTR挿話をまたやってる……
それにおいらは、女子(おなご)の「はい」と「いいえ」のあいだにゃ針の先さえ入れようとは思わねえ。狭くて狭くて、とても入りそうにねえからさ。 p.319
良さげな言い回しだが意味が微妙に掴めない……と思っていたら、直後に主人が「検閲」してこき下ろす。サンチョの学(のなさ)に対するキホーテの態度は、この後篇を貫くひとつの軸になりそう。
モブ学生ふたりがいきなり仲間割れして剣術で決闘をし出した。なんだこれ……
20章 カーニバルめいた結婚式
サンチョはとことん俗物として、金持ち側に付く
21章 バシリオ、やべーヤンデレ男かと思ったら策略だった。幼馴染大勝利でよかったね……?
22章
貞淑な妻について
「お前のところのテレサはそんなに悪い女なのか、サンチョ?」と、ドン・キホーテが訊いた。
「ひどく悪いってわけじゃねえけど」と、サンチョが答えた、「それほど善くもねえ。少なくともおいらが望むほどじゃねえな。」 p.371
ひどw
そんなこと言って〜ほんとは愛してるんでしょ〜?と弄りたくもなるが、マジで妻子を置いて意味わからん旅に出てる最中だからな……
制服の本やら、いろんな物ごとの起源を書いた本を著している「従兄」の人文学者。なかなかこいつも個性的。「いちばん最初に頭をかいた人間」はアダム。サンチョなかなか頭が回るなぁ
モンテシーノスの洞穴へ ファンタジーめいた展開
5/6(火) p.387〜
23章 なんだ、いつもの妄想だった。しかし、夢を見ているのか、目覚めている状態でいつもの妄想に囚われているのか分からないのが少し面白い。意図的に嘘をついているのではない、という信頼だけある。
洞穴のなかの非現実的な世界がある展開は、不思議の国のアリスの元ネタの可能性もあるか。アリスのパロディではなくて影響元のパターンはじめて触れたな……。
24章、えっ 今なんかすごい重要なことをさらっと言わなかった?? ドン・キホーテは臨終の際に、この洞穴の冒険がでっち上げだと認めた??
このように、余はこの冒険が真実であるとも、また偽りであるとも断定することなく書いているのであるから、よしんばこの話が偽作と思われようとも、それは余の責任ではない。それゆえ賢明なる読者よ、諸君は自分で好きなように判断していただきたい。余にはこれ以上どうすることもできないし、そうする義務もないのだから。もっとも、ドン・キホーテがいよいよ臨終というときになってこの冒険を取り消し、その際、自分が愛読した物語のなかに出てくるもろもろの冒険に合致するうえ、その場にふさわしい話のように思われたので、勝手に創りあげたのだと告白したというのは、たしかなことと思われているが。≫
余白にこのように記した作者は、こう続けている── p.413
なにを信じたらいいのかわけわからん
あと、そもそもこの小説の入れ子構造どうなってたんだっけ
翻訳者の男はこう述べている……と語り手が言っているので、
ドン・キホーテ←シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ(原作者)←翻訳者←語り手??
という多重構造になっている? この語り手の立ち位置はどうなっているんだ。(読了後追記:おそらく「翻訳者=語り手(セルバンテス)」という体)
これから従軍する青年に、武のすばらしさを説くドン・キホーテ。老いた黒人奴隷を「解放」と称して放り出すのは、飢えの奴隷にしているだけだ、という論はなかなかに卓見だ。
サンチョは、主人がそこをいつものように城だと思いこむことなく、あるがままの旅籠と見なしたのを知ると、さすがに少なからぬ喜びを覚えた。 p.425
表紙裏のそでに書かれてたの、これかぁ。最後の最後じゃん。しかも別にこっから先は妄想に囚われないわけじゃあないよね? かなり大嘘のあらすじ紹介ってことになる。
後篇1巻おわり
今のとこ…… 文章が読みやすいのは良いが、おはなしはまぁ特にめちゃ面白いわけではない。遍歴の旅に大きな目的やゴールがなく、行き当たりばったりだからなぁ。前篇にあった、見知らぬサブキャラの作中作的な挿話もあんまり無いし。
前篇が世に出て、道ゆく人が既読であるメタフィクション設定が全面に出てくるのかと思っていたけれど、そうでもない。ふつうに『ドン・キホーテ』を知らない人にも会う。
2巻
2025/5/6-17
9日間
第25章
p.14〜
旅籠で、隣村を襲撃しようとしている驢馬鳴き村の話を聞いていたところに、猿と人形使いのペドロ親方がやってきて、キャラと展開が渋滞している。あの猿は、喋る素振りだけしていて占いはペテンってことでいいのか。
p.33〜
26章 あーあ、人形劇の敵役を現実と思い込んでめちゃくちゃに壊してしまった。虚構と現実の区別がつかないことのもっとも分かりやすい実演だ。映画館でスクリーンに向かって攻撃するとか、テレビの中のひとを叩こうとして破壊するようなもん。風車を巨人に見間違えるような、別物だと思い込む系統はこれまであったけど、逆に作り物を「本物」だと見紛うのは初めてかな
この場においでの方々に、真実の偽りのないところを申し上げるが、拙者には今しがたここで起こったことがすべて、そっくりそのまま現実のこととして起こったように思われた。 p.47
あれっ!? ちゃんと正気を取り戻して反省できてるじゃん。やっぱり徐々に前篇とは認識が異なっていくのか
正気と狂気の狭間を行ったり来たりするのがかえってリアルだしスリリングだ。
こいつらめっちゃ金持ってるな……
27章 前篇の驢馬盗まれたくだりを書き忘れた件を印刷所のせいにしてて草
やっぱりあの猿占いはペテンだったか。それでも、騙すためにちゃんとその村の情報収集をしてるの偉い。
まさか前篇に出てきた人物だったとは思わなかったが、特にドン・キホーテにそれが明らかにされるわけでもなく、単に読者に対して開示されただけなのがまたなんとも、この時代の小説って感じがする。
それから、人形劇の舞台であったサラゴサに、実際に近づきつつある、というのがまた現実と虚構のオーバーラップとしてアツいな。
あ、驢馬鳴き村の件もちゃんと回収するのね
まるでトロンボーンのように、のべつ剣を抜いたりひっこめたりするとしたら、 p.63
この頃からトロンボーンってあったんだ
部外者ながら口を出し、サンチョが驢馬の鳴き真似をしたことでボコボコにされるふたり。酷い目に遭うのは後篇では初めてか。これは気の毒だが、侮辱されて怒っている他人にいきなり冷静になって相手を許せと言うほうが不躾ではある。
28章
「やれやれ」と、サンチョが言った、「お前様はたいそうな疑問を解いて、そいつを見事な言葉で説明してくれなさったよ! あきれて物も言えねえ! おいらの体の痛みの原因というのはそれほど謎めいていたのかね、わざわざ棒の当たったところが残らず痛むに違いねえって教えてもらわなきゃならねえほど? なるほど、おいらのくるぶしが痛むっていうなら、どうして痛むのか、その原因を考えたり推察したりってこともありそうな話よ。だけど、さんざん打ちのめされたところが痛むっていうのに、解き明かす疑問や謎がどこにあるんだね? まったくの話、旦那様、他人の痛みなんかさほど気にるならねえ、とはよく言ったもんだね。
アンチミステリ?
さあ、話すがよいぞ、わしの息子よ、お前の頭に浮かんだこと、口に出てきたことを好きなだけ話すのじゃ。 p.73
サンチョは従士を辞めようとするも、ドン・キホーテに逆ギレされ罵倒されまくって一転、謝る。力関係そんな感じなんだ。サンチョもっと頑張れよ〜 搾取され続けている。愚者だから……
29章、魔法の小舟の冒険、一章で終わる。
30章、『ドン・キホーテ』の愛読者である公爵夫妻に会う! ドン・キホーテのファンだから、彼が狂っているのを承知済みでそれに合わせようと歓待する。
好きな本の登場人物が目の前に現れたらそりゃ嬉しいよなぁ。アイドル(偶像)への推し活?みたいなものも射程に含んでいるように読める。
そういえば、これらの人々は『ドン・キホーテ』をフィクションだとして読んでいたのか、それともノンフィクションとして受容していたのか。どういう設定なのだろう。実際の当時の読者はさすがに虚構だと認識していただろうけど。
31章
ドン・キホーテにとってこうした歓迎はすべて驚嘆することばかりで、彼はその日はじめて、自分が空想上の騎士ではなく、正真正銘の遍歴の騎士であることを認め、確信するにいたった。 p.108
あーあ。こうして空想が現実を襲い、そのあわいにいた彼をも呑み込んでゆく……
サンチョ、老人に失礼すぎてわろた
「この、ろくでなし!」と、怒り心頭に発した老女がどなった。「あたしが年寄りか年寄りでないか、そんなことは神様がお決めになることで、お前さんなんかの知ったことじゃないよ、このニンニク食らいの田舎者め!」 p.112
そりゃこうなるわ。俺が決めることにしていたらサムライ8だった。
「旦那様」と、サンチョが答えた、「誰だって人は、どこにいようと、自分にとって大事なことを話さなけりゃならねえ。……」 p.113
名言めいた台詞を定期的に吐くサンチョ
城のみんなで盛大にドッキリを仕掛けているかんじだ。ただし、かけられている当人にはネタバレが行われず、当人がはじめから狂っているのでノリノリである類の。
p.115、寝台ある部屋でふたりきりでドン・キホーテがサンチョに服を脱がしてもらうとか、BL二次創作が始まるかと思った。
ところで、ドン・キホーテって、サンチョに対する認識だけは正確なのか。従士を偉大な者として思い込んだりは一切せず、立派な騎士たる自分の従者が愚か者であることを正常にまなざして叱責などしている。尊いかもしれん。
「いや、好きなだけ嘘をついたらよかろう」と、ドン・キホーテがひきとった、「拙者としては、お前の口を封じるようなことはせぬからな。……」 p.119
嘘をつくことを認めてくれるドン・キホーテ
「いえ、わたくしを喜ばせようという気持があるなら」と、公爵夫人が言った、「話を短く切りあげてはいけません。それどころか、この人の好きな話し方で話してもらいたい者ですわ。なんなら六日かかったってかまいやしません。そんなに長続きしたら、それこそわたくしがこれまで経験したことのない素晴らしい日々になるでしょうから。」 p.121
サンチョに激甘な夫人
p.124 『ドン・キホーテ』は伝記として流通してたのね。
せっかく気持よくもてなされていたドン・キホーテに冷や水を浴びせかける聖職者の男。
……あんたについて語られている、ああした一連のばかげた話は、いったい全体どこの世界のことなんです? p.126
現実では正論だが、殊この物語ではヒールでしかあり得ない。
32章 ドン・キホーテ、閣下の侍女たちからも揶揄われてて草
33章、公爵夫人がドン・キホーテから隠れてサンチョに「で、ほんとのところ、お前の主人ってどうなん?」と尋ね、サンチョは「狂人です。だけどおいらは運命を受け入れて彼について行きます」と答える。てぇてぇ
p.161-162 サンチョのでっち上げことわざラッシュやべ〜。ラブレーみがすごい
34章、サンチョに寄り添うふりをして、悪い魔法使いの実在を信じ込ませるなど、内心で馬鹿にし続ける夫人。この公爵夫妻なんなんだ
35章 騙されて3,300回の尻への鞭打ちを自分でさせられることになるサンチョ、さすがに可哀想だ…… 貴族による庶民への集団いじめ(詐欺&傷害)じゃん
さあ、お前のびくついた驢馬のようなその目を、夜空にきらめく星にもまごうあたしの瞳にお注ぎ。そうすれば、そこから糸を引くように、そして束をなしてあふれ出る涙が、あたしの両頬という美しい野に溝をつくり、畝をつくり、さらには道をつくって流れ落ちるのが見えるでしょうから。 p.198
すごい言い回し
というのも、二人にとってこれより大きな喜びをもたらしてくれる現実(ベーラス)はなかったからである。 p.207
財を成し贅沢な振る舞いが可能な公爵夫妻こそ、もっとも現実から虚構の世界へと逃避耽溺している。世知辛いことだ。
36章
悪魔メルリンとドゥルシネーア姫役は、執事と小姓がやってたのかよ
妻テレサに宛てたサンチョの手紙
さんざん鞭打ちをくらったけど、わしは驢馬から落ちることなく元気です。 p.211
これが書き出しの手紙かっこいいな
というわけで、とにかくお前は、このやり方で、さもなくばあのやり方で金持になり、幸せになるはずだよ。 p.213
この適当な感じすき
このお城より、一六一四年七月二十日。 p.213
どのお城だよ!というツッコミ待ち サンチョにとってはこれが自然
37〜40章、髭を生やされた老女トリファルディ伯爵夫人。これもまた公爵夫妻の悪戯。サンチョは老女をとにかく嫌っている。
何故か知らんが章分けが細かくなっている。
おお、令名赫々たる作者よ!……そなたたちが一人ひとり、また皆いっしょになって、この世に生を受ける者たち共通の慰めとも喜びともなるために、無限の世紀を生きながらえますように! p.248
なんだここ でも実現しているといっていい
41章 魔法の木馬に乗って空を飛ぶふたり。目隠ししてのVR体験アトラクションみたいなことしてる……
目隠しを外してても騙されたままのサンチョ
42章、島の領主になるための準備をさせられるサンチョに、ドン・キホーテが助言する。
え、マジで領主になるの? いつどうやって「なかったこと」になるのか。。
43章 ドン・キホーテの助言はまだ続く
なにしろ、おいらは本一冊分より多くの諺を知ってるもんだから、おいらが話そうとすると、そいつらが一緒になってどっと口もとに押し寄せて、押し合いへし合いしながら、自分が先に出ようと争うんです。そこでおいらの舌が、最初に出くわしたやつから順に、そいつがその場にぴったしであろうとなかろうとかまわずに放り出していくってわけですよ。 p.300
サンチョの諺キャラって前篇からあったっけ?? こんなに強調されてなかったような。
44章 またもや、冒頭で原作者シデ・ハメーテの思惑を「翻訳者」がいろいろ語る。前篇にあった、本筋と無関係な短編を後篇では排除している理由について。
サンチョまじで島へ旅立ったよ。
一方、夜中に自称14歳の侍女に求愛の歌を歌われてからかわれるも、ドン・キホーテはなんとか節操を保つ。えらい
45章、島じゃなくて村じゃん! バラトリア村の領主となったサンチョ。いきなり法廷編が始まる。〈ガルガンチュアとパンタグリュエル〉でも『やし酒飲み』でも『カラマーゾフの兄弟』でも『異邦人』でもあったように、法廷パートは文学にしばしば出てくるんだなぁ
うお〜 杖の中の借金、なぜかサンチョは見事に見抜いて解決した…… ミステリっぽいというか、伏線?回収の原始的な話で面白い。とんち・落語的でもあるか。
3番目の案件はレイプ冤罪で"恥知らずな女"が罰される、ミソジニストが喜びそうな話で後味が悪い。とはいえ、なんでサンチョはこんなに裁判で機知を発揮してるんだ。
46章 ドン・キホーテとサンチョの話を交互にやるんだ
ロマンセの詩を自分で作れて歌えるドン・キホーテ普通にかっこいい。「デル・トボーソ」と「消せようぞ」で押韻する邦訳もすごい
公爵夫妻はちゃんと反省して下さい。傷害沙汰になってるんだから。ドン・キホーテの周りの人々のほうが、彼の狂気を楽しみたくて、結果的により狂人らしい振る舞いをしてしまう倒錯がある。
47章 食事をお付きの医者にすべて取り上げられるサンチョ領主。ここの挿絵、今まででもっとも寄りの構図だな
48章 もっと顔面どアップのドン・キホーテ像だ……
だが、わしとしたことが何とばかげたことを想いわずらい、口にしておるのだろう、正気の沙汰とは思えんわい。 p.389
反省能力が
さあ、人間の喜びとは無縁の老女どもよ、消え失せろ! p.390
ひでぇ〜
この娘は日に日に海の泡のように美しく育っていきました。 p.396
素敵な比喩
ええっ 謎の侵入者につねられて次巻に持ち越すのか
49章 『ふたごチャレンジ!』のような、きょうだいでのジェンダー装チェンジ。このきょうだいだけ、公爵夫妻らの筋書きにないガチのイベント。「名探偵津田」の1の世界と2の世界みたくなってる。周りの世界そのものが狂ったふりをして、正気と狂気が反転する。といってもドン・キホーテやサンチョは嵌められていることにも気付いてないけど。
サンチョ、領主としてかなり強権を発揮している。何人か追い出してるし。。
あと2日で領主じゃなくなるのか! 主従どちらもかなり先が気になる引きだ。第3巻へつづく!
3巻
5/30(金)
50章 公爵夫人の「脚の排水口」ってなんのことだっけ おぼえてない
p.13 サンチョの娘14歳にもなってるのか……
サンチョの妻テレサと娘サンチーカの2人も、公爵夫人にまんまと騙されるのか。村の司祭や学士は流石にまだ疑っている。ただ、騙されるといっても、サンチョが公爵夫人の庇護のもとで領主になっていることは事実だしな…… 現実と虚構がもはや渾然一体となっているようだ。
51章
ゼノンのパラドックス的な事案を判事として解決する領主サンチョ。
ドン・キホーテからサンチョへの手紙
相変わらず、孔子の教えかってくらい至極真っ当な規範的なことを言っている。狂気と一見矛盾するようだが、むしろ虚構=理想を鵜呑みにして追い求めているがゆえ、という点でこれらは一貫しているのだろう。
小生は、現在の無為の生活を早々に切りあげる所存、なんとなれば、小生、かかる生活のために生まれたるにあらざるが故。 p.42
刺さるぜ
ドン・キホーテは公爵夫妻の庇護から抜け出て遍歴の旅を再会しようとしている。サンチョは領主のまま置いていくつもりなのね
この時代の領主って、三権分立とかがなく、警察なども含めた全ての国家権力を一身に担っているのか。そりゃ独裁者が現れまくるよなぁ
52章
公爵夫妻は、これもまた家臣たちがドン・キホーテにしかけようとしている悪ふざけのひとつであろうと思ったが、それにしても、ため息をつき、うめき、泣いている女の真に迫った様子を見るにつけ、だんだん確信がもてなくなり、とうとうどっちつかずの気持になってしまった。 p.51
壮大なドッキリ仕掛け人である公爵夫妻でさえ、その境界線が分からなくなり、虚実のあわいに翻弄されてて草 いい展開だなぁ
53章 1週間ほどでサンチョの領主生活は終わりを告げる。敵が攻め込んできた芝居をして、サンチョを自発的に領主の座から降りさせる作戦。ほんと性格が悪いわ〜 2枚の縦に挟まれて身動き取れなくなったサンチョの格好はコント的に笑えたけど……w
ピンチになったときにドン・キホーテに頼るのも信頼感があって良いし、何より灰色驢馬へのサンチョの献身的な愛にグッとくる。動物好きにおすすめの小説。
54章 公爵夫妻の城へ戻る道すがら、サンチョは住んでいた村の隣人・モリスコ(モーロ人)のリコーテに遭遇する。スペイン国王のモリスコ追放令によってドイツへ移住しようとしているリコーテは、村の近くに隠していた金を掘り出すのにサンチョを誘うも、断られる。章題通り、かなり独立した政治的意図が読み込めそうな章だ。
55章 運命的な(都合の良すぎる)再会。これでまた、視点が行ったり来たりすることなく物語がドン・キホーテ主従に焦点を合わせて進む。
56章 ドニャ・ロドリーゲスの娘を騙した男に扮した従僕とドン・キホーテの決闘。しかし、従僕が娘に惚れてしまい、不戦敗で結婚を受け入れてしまう。またもや公爵夫妻の計画外の出来事が起こったが、しかしドン・キホーテが「魔法使いの仕業」だと言い張ったことで丸く収まる。公爵たちはドン・キホーテを騙そうとしたのに、結果的には彼に助けられるかたちに。
57章 やっっっと公爵夫妻の城から出発した。長かった〜〜
そういや、ドゥルシネーア姫の魔法を解くためにサンチョの尻を2,000回だか打つ件はどうなったんだ。なぁなぁになって忘れられた?
58章 p.147 サンチョ、暗に主人が不細工だと、かなり酷いこと言ってない? それにドン・キホーテが特に怒らずに冷静に「心の美しさ」を持ち出して返すのがまた妙に可笑しい。
森でピクニック的なことをしている、『ドン・キホーテ』読者の一団に招かれる。
公爵夫妻編が長かったことの影響で、旅先で出会う人々や出来事をいちいち「これはドン・キホーテたちを揶揄おうとしている演技や作り物ではないか?」と疑ってしまう。当人たちは何も気付いていないので疑いもしないのだけれど。
牛追いの一団に踏みつけにされた主従。ドン・キホーテも失敗して羞恥を覚えるんだ……
「去年の雲ほども気にかからない」って言い回し良いな
59章
サンチョよ、わしは死にながら生きるために、そしてお前は食べながら死ぬために生まれてきたのじゃ。 p.165
馬に轢かれたのがそんなに餓死を望むほどに屈辱だったのか……
『贋作ドン・キホーテ』が作中に登場してる!! めちゃくちゃこき下ろしてるけれど、こうして正篇に出しちゃった時点で、ある意味で公式が認めちゃったということだから、贋作者は喜んでしまうのではないかなぁ
贋作の描写を真っ赤な嘘にしたい一心で、行き先がサラゴサからバルセローナへとあっさり変更された…… それほどドン・キホーテ本人にとっても贋作の存在は侮蔑的なものということか。
「いや、誰でも拙者を描写したいと思う者に書いてもらってかまわぬ」と、ドン・キホーテが言った、「ただ、誹謗中傷を旨としてもらっては困る。あまり悪口が過ぎると、つい堪忍袋も緒が切れますからな。」 p.180
2次創作に寛容だが一線は引く公式の注意書きみたいなセリフ
60章
死体がたくさんぶら下がる森怖すぎ
男装娘が出る率多くない? セルバンテスの嗜好なの??
おなじみの嫉妬による男女の悲劇エピソード。
実在した盗賊の首領ロケ・ギナールをそのまんま出演させる。強盗してるのに被害者から感謝されるように振る舞う知性とカリスマ性を持つ、なかなかにしたたかで怖い奴。
今度はこいつが公爵夫妻のように、バルセローナでドン・キホーテたちが弄られる下地を作るのか
61章
海!! バルセローナって沿岸都市なんだ
生まれて初めて海を見たドン・キホーテとサンチョ。p.218の情景描写が良い。この小説ではあんまりないから……
62章
さて彼は、ドン・キホーテを自分の家に迎えると、どうしたら相手を傷つけることなく、その狂気を世間に知らしめることができるだろうかと、頭をひねった。というのも、人に苦痛を与えるようであっては冗談とは言えないし、第三者に害を及ぼすような気晴らしは、気晴らしの名に値しないと思ったからである。 p.223
すばらしい心掛け
おい聞いてるか公爵夫妻!!!
と言いつつ、こっそり背中に紙を貼るという虐めじみたことをやってる……
すると、ドン・アントニオはドン・キホーテの手をとって、青銅の首から大理石のテーブル、そしてそれを支えている脚へと、全体をずうっと撫でまわしてから、こう言った── p.228
奥の密室に招き入れて「秘密」を明かそうとするこのくだり、露骨にホモセクシャリティの暗喩っぽく読めるのは気のせいか?
はやみねかおるが好きそうなからくりトリックの石膏像「魔法の首」
この時代は既に活字印刷があったんだ
ドン・キホーテたちがここまで作中世界で人気になったのは出版物のお陰なので、こうして印刷所を訪れることの意味は大きい。
翻訳の価値について語る
まーた贋作版を出しちゃってるよ。嬉しいだろうなー
というのも、虚構の物語は、それが真実に近ければ近いほど、あるいはそれに似ていれば似ているほど、楽しくもあれば優れてもいるものになるのであり、また真実の物語は、その真実の度合が高いほど、いっそう優れたものになるからでござる。」 p.252
ドン・キホーテの物語観
63章 ガレー船でモーロ人の海賊船を取り締まる。
男装美少女を何人登場させれば気が済むんだ。この時代、遍歴者に会うような女性は大概男装している等の事情はあるんだろうが。女装美青年まで出てきた。
モーロ人追放と宗教・人種差別の問題を再びガッツリ扱う。
あ~54章に出てきたモリスコ:リコーテの娘か! 前篇でもそうだったけど、運命的な再会の伏線回収を都合よく描くよなぁ。ドン・キホーテが妄想に陥っている以上に、この小説世界じたいがかなり虚構的=物語的。
64章 《銀月の騎士》との決闘。これ絶対……
カラスコ~~!! 鏡の騎士の顛末を完全に忘れている。もはや、カラスコが裏主人公では?
あと100ページ以上もあるのに、村に帰ることになってしまい大丈夫か
ドン・キホーテが正気になって世にもたらすであろう利益なんぞ、彼の狂気沙汰がわれわれに与える喜びに比べたら物の数ではないってことが、あなたにはお分かりにならないんですか? p.287
功利主義者だ
だが、拙者は惨めな身のほどをわきまえずに、何を言っているのだろう? 拙者は打倒された身ではないか? 負け犬ではないのか? 拙者はむこう一年のあいだ剣を手にすることのできぬ人間ではないのか? その拙者に何の約束ができるというのじゃ? 剣より糸巻き棒を手にするほうが似つかわしいというのに、何を偉そうな口をきいているのじゃ、このわしは?」 p.291
ドン・キホーテがネガティブホロウを喰らってしまったようだ。意外と撃たれ弱いな
65章
これを読む者には目に見え、人が読むのを聞く者にはその耳に入るであろうことどもを扱う章 p.297
ずっとスルーしちゃってるけど、「章題でトートロジカルな情報量0のことを言う」芸、ふつうに面白いんだよな。なにもその章の内容を説明していない。これも、それまでの騎士道小説を諷刺・パロディした結果だろう。
さあ、友のサンチョよ、歩みを進めるのじゃ。 p.300
これまで主従の関係だったのが、ドン・キホーテが騎士の名を剥奪されたことで、対等な「友」になるのアツい
66章 公爵夫妻の従僕トシーロスと再会。けっきょくロドリーゲスの娘と結婚できなかったんかい
67章
……サンチョよ、お前もお前の想いを寄せる女に好きな名前をつけるがよいぞ」
「おいらはね」と、サンチョが応じた。「《テレソーナ》ちゅう名前のほか、つけるつもりは毛頭ありませんや。これなら女房の太っているところにも、またテレサちゅうあいつの本名にもぴったしだからね。 p.316
サンチョしっかり妻のこと好きで良い
68章 まーた公爵夫妻かよ!! 諦めが悪いな~~ほんと。この物語のラスボスみたくなってないか??
69章 サンチョほんと可哀想……… あと老婆がマジで嫌いなんだな
70章
さらにシデ・ハメーテは、こう付け加えている──人を愚弄する者たちも愚弄される者たちと同じく狂気にとらわれていると思う、現に、公爵夫妻は一対のばか者をからかい、もてあそぶのにあれほどまでの熱意を示しているのであってみれば、彼ら自身、ばか者と思われるところからほんの指幅二つと離れてはいないのだ。 p.352
ほんそれ
地獄の入り口では悪魔たちがテニスをしているらしい。この時代すでにテニスってあるんだ。そういやガルパンでもテニス描写あったな
まーた贋作disりしてるよw
え、好きでもないドン・キホーテ爺さんに振られ続けることに我慢できなくなったアルティシドーラが、昨晩のことも恋慕もすべて芝居だったとバラしてしまった!……のに、なんかスルーされている。えぇ……
p.359 当時の詩人への風刺?
でもわしは、あいつのことをこの目の睫毛よりも愛してますけどね。」 p.361
サンチョの愛妻家っぷりよ。にしてもどういう言い回し??
71章 サンチョ意外と暗算はやいな
遂に鞭打ちするのか ……やはりズルしてるけど、そもそも騙されててしなくていい罰だし、ちょっとでも自分にやったのが偉い
彼は敗北を喫してからというもの、これから述べるように、万事においてよりまっとうな判断をするようになっていたのである。 p.372
だいぶ前から、旅籠を城とかに誤認しなくなっている。
72章 おいおい、今度は贋作で初登場した人物を出しちゃってるよ。。 それはもう、贋作も公式だと認めたようなものでは?
ていうか、贋作の主人公たる偽ドン・キホーテや偽サンチョも、作中世界に存在することになっているのか。
村長に自分たちが本物だと認めてもらうことにどんな意義があるのか。法的なお墨付きとは。
ドン・キホーテ様は他人に打ち負かされはしたものの、御自分には打ち勝って戻りなさったんだよ。旦那様の言いなさるには、おのれに勝つってのは、勝利のなかでも一番すごいんだそうだ。 p.388
なんか感動的だぞ……!?
帰ってきた〜〜!!
73章
ただいま〜 パンサ家は仲睦まじくて良いなぁ
ドン・キホーテもなんやかんやで自分を心配してくれる学士や床屋や祭司といった友人に囲まれてて幸せだ。
マジで1年間の牧人生活に付き合ってくれるのか。それは彼の狂気を余計に強めるだけのように思えるけど。だってそもそも1年間村から出てはいけないルール自体が騎士道に則った罰なのだから。
「どうしても適当なのが見つからなかったら、世間にごろごろしている印刷された書物のなかの牧女の名をつけるまでですよ。……なにしろ、こうした女性たちは市場で売られているんですから、我々もそれを自由に買って自分のものにすることができるんです。 p.396
言い方!!
そういや今さらながら、姪がいるってことはドン・キホーテにはきょうだいがいるってことだよな。その辺は前篇で語られていたっけ?
74章 ええーっ! 死んじゃうのかよ……
学士カラスコめっちゃ責任感じてないか? 自分が決闘で倒しちゃったから……
おかげで、わしは今や曇りのない理性を取りもどし、あのおぞましい騎士道物語を読みふけったがためにわしの頭にかかっていた、無知という黒々とした霧もすっかり晴れたのじゃ。それゆえ、今ではああした物語がいかに荒唐無稽で、まやかしに満ちていたかをはっきり認めることができる。 p.403
「狂気」からも醒めるのかよ。寂しくなるなあ
善人アロンソ・キハーノ。なんかそんな本名だったなぁ懐かしい!
「友のサンチョよ、どうか赦しておくれ。この世に遍歴の騎士がかつて存在し、今も存在するという、わしのおちいっていた考えにお前をおとしいれ、わしだけでなく、お前にまで狂人と思われるような振る舞いをさせて本当にすまなかった。」
「ああ、旦那様!」と、サンチョが泣きながら叫んだ、「どうか死なねえでくださいよ。それよりおいらの言うことを聞いて長生きしておくんなさい。いいかね、おいらの大事な旦那様、この世で人間のしでかす一番でかい狂気沙汰は、別にたいした理由もなければ誰に殺されるってわけでもねえのに、ただ悲しいとか侘しいとかいって死に急ぐことですよ。 p.407
泣ける・・・
騎士道のガチアンチになってるやん。姪の結婚相手は騎士道物語を知らない者であってほしいとか。
彼の死を見とどけた司祭は公証人に、世間でドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと呼びならわされていた善人アロンソ・キハーノは、天寿をまっとうしてみまかったということを、書きつけにして証明してもらいたい、と頼んだ。シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ以外の作者が不届きにもドン・キホーテをよみがえらせ、彼の武勇伝を果てしなく書き続ける可能性を排除したいからだ、というのがその理由であった。 p.412
なるほど! 贋作がもう二度と出回らないように、セルバンテスは主人公の死で物語を閉じたのか。じゃあ間接的に贋作がドン・キホーテを殺したってこと? 元々その予定だったのかな。
にしても、ドン・キホーテらにとってシデ・ハメーテ・ベネンヘーリの存在はどう理解してるの? 勝手に見知らぬモーロ人が自分たちのこれまでの旅をだいたい正確に書いて出版してるとか意味わかんなくない??
そして、高邁なシデ・ハメーテは、おのれのペンに向かってこう語りかけた── p.413
ハメーテが執筆に使ったペンの架空の語りが最後にくる。とにかく、贋作の存在が赦せない気持ちが伝わってくる。
……余は余で、おのれの書いたものが、当初のねらいどおりの成果を十全に収めえた最初の作家であることに満足し、それを誇りにすることができよう。というのも、余の願望は、騎士道物語に描かれた、でっちあげの支離滅裂な話を、世の人びとが嫌悪するようにしむける以外になかったのだから。 p.415
いやいや…… ハメーテがこの小説を書いた理由が、騎士道物語のネガティブキャンペーンだなんて最後の最後に言われても……。当然、セルバンテスとハメーテは異なるので、風刺諧謔が何重もの複雑な階層を成している。
終り
おわり!!!!!!
訳者あとがき
あー、前篇の序文で、アンチ騎士道物語という執筆目的を宣言しているのか。p.423
前篇から後篇になっての違いなど、要点が整理されていて助かる。牛島さんの翻訳ほんと読みやすかったです。ありがとうございました!!
後篇の感想まとめ
訳者あとがきにて、前篇と後篇で大きく様変わりしていることが解説されており、もちろんそれには同意するが、しかしわたしの主観的な読み味としては、そんなに前篇から異なってはいない。いずれも、同じくらい面白いし、同じくらい退屈だった。
まず、大前提として、前篇から引き続き、文章がとても読みやすいのがいい。訳者の貢献と原文の性質が半分半分だろうか。『ドン・キホーテ』が何よりもまず、途方もない「おしゃべり=語り」によって構成された小説であることを踏まえれば、この読みやすさは単なる一利点に留まらず、本書が世界文学上の最大の傑作という地位を与えられている根本的な要因とさえいえるだろう。セルバンテスほんと文章が上手いと思う。400年前に外国で書かれたとは思えないくらい。そこらへんの流行りの小説のほうが読みにくかったりするだろうから。作文がうまくなりたければ『ドン・キホーテ』を読むといいと思う。しらんけど
後篇で重要なのは、ドン・キホーテ主従を "騙す" 公爵夫妻や学士サンソン・カラスコやらの存在だろう。『前篇』を出版物として読んでいる登場人物が、ドン・キホーテらをからかうために、わざと騎士に扮装したり、悪魔や魔法などの非現実的な要素を現実に再現する。後篇の三分の一は、公爵夫妻のもとに主従が招待されて、ひたすら仕組まれたドッキリに巻き込まれて翻弄されるくだりである。笑えるものとして書いているのだろうが、正直、いくら『ドン・キホーテ』のファンだからといって、自分たちが笑って楽しむために彼らにいたずらをしかける公爵夫妻には良い印象が持てず、ふつうにいじめ・集団リンチの話を延々と読まされているような不快な気分に陥った。こいつらまじで性格が悪い。サンチョが島(という体の村)の領主になって人々のお悩みを次々に裁いていく領主編はけっこう面白かったけど。
このように、公爵編では、ドン・キホーテが前篇でひとりで勝手に暴走して夢想していた騎士道物語パロディという喜劇が、公爵夫妻という地位と権力と金がある奴らの手によって現実に創り出され、われらがドン・キホーテがそれに翻弄される。そのさまを読まされ続けるので、せっかくの尊い「妄想」が、金持ちの権力者によってこけにされて毀損されたように感じた。(というか、たぶんそういう意図で書いているのだろう)
たとえるなら、クラスの隅っこの根暗なオタクたちだけで愉しんでいた深夜アニメが、突如、クラスの人気者の陽キャたちにも流行り出して、俺らのモンをもともと恵まれた奴らに取られてオモチャにされたような、そんな気持ち……かな?
それから、後篇では「悪の魔法使い」という便利すぎる概念が登場する。これによって、ドン・キホーテの現実認識(etc. 愛しのドゥルシネーア姫)に矛盾が生じようとも、すべて「悪い魔法使いのせいだ」として納得できてしまい、もう何でもありやん……と感じた。(これもおそらく、そういう「台無し」にする意図で書かれているのだろう)
すなわち、前篇で構築したドン・キホーテの「狂気」を、この後篇では徹底的に虚仮にして毀損して脱臼させることで、最終的に、「騎士道物語」というフィクションの尊厳を失墜させているといえる。……そう考えると、前篇とはかなり違った小説に思えてくるなぁ。あんま読んでる最中はそう感じなかったけど。
前篇後篇の大きな違いとして盛んに言及されるのが、「前篇は途中で独立した短編っぽい章が挟まっているが、後篇はそういうのがなく一筋の物語である」という点だが、これもわたしはあんまり感じなかった。後篇だって、道中で出会う人々がいきなり長々と身の上話を始めることはよくあり、それは実質的に前篇の脇道と変わらないだろうと思う。ただ、『ドン・キホーテ』で面白いのはそういうモブのお喋り・脱線であるとわたしは思うので、後篇でもそういう読み味が失われていなかったことは良かった。
あと、後篇になって、サンチョがとにかく台詞に「諺」を引きまくる性質が追加されていたことには言及しておきたい。スペイン語のことわざなので、実在するものなのか否か判別は出来ないが、おそらく、架空のことわざっぽいフレーズをもサンチョは無数に喋っており、いわばこれは大喜利の一種なので、かなり楽しめた。よくそんな絶妙な馬鹿馬鹿しいラインの架空ことわざをでっち上げられるよな~~と感心もした。こうした過剰な多用・反復・羅列はラブレーっぽい。
後篇の途中から、執筆当時出回っていた『ドン・キホーテ』の続編の「贋作」への言及もかなりある。もちろん贋作を徹底的にコケにするかたちでの言及なのだが、それがかえって、正式な続編のなかで言及されている、ということで逆効果なのでは?半-公式化しちゃっているのでは?とも思えて面白かった。公式が二次創作にコメントするのは……色々と慎重に、ね!(こうした面でもなんて現代的な小説なんだ……)
全体を通して、サンチョがいっちゃん好きだな~ たぶん読者の多くがそうなんじゃないかと思う。人気投票したら多分1位。それくらい人間味があって親しみがもてる。意外といいこと言うシーンも多いし。主人ドン・キホーテとの、たまにケンカや仲違いもするけど主従の深い絆で結ばれているところがエモいし(サン×キホは大手CP)、相棒の灰毛驢馬を大切にするかんじもいい。あと村においてきた妻テレサ・パンサとの愛情深い関係も好き。
もちろん主人公ドン・キホーテも好き。ラストが哀しかったなぁ・・・
※このnoteは、以下のブログ記事を統合・編纂したものです
