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ロシア奏法(ロシアピアニズム)とアレクサンダー・テクニーク

こんばんは。クラビアーノです。

今回はロシア奏法とアレクサンダー・テクニーク(AT)は両立するのかという話をします。

クラビアーノはジェレミー・チャンスが代表を勤める大阪のBody Chanceで2年半ほどアレクサンダー・テクニークを習い、
ドイツ渡航後にサンクトペテルブルク流のロシア奏法の継承者でもあり、ヨーロッパATの指導者でもある、森朝先生にドイツと日本でピアニスト向けのアレクサンダー・テクニークの定期的なレッスンを受けていました。

まず、クラビアーノが習ったアレクサンダー・テクニークでは、身体への自己認識を高め、無駄な力みや過剰な動きを制御し、自分がしたい動きへと方向づけるという手法が採用されていました。
ジェレミー流でもヨーロッパ流でも、この根幹は守られていたように思います。

ただこれはロシア奏法という身体全身の動作を利用したピアノ演奏とは必ずしも相性がいいとは限らないのです。

というのも、ロシア奏法では、「より」鳴らす、あるいは「より」音楽的に表現するために、少し多めな動作を選びます。
あるいはフリエールがよくそうしていたように、脱力をするために手首から上方向に持ち上げたりもします。
このような一見無駄に見える動きが音楽的な表現をするための下準備をします。
ただATの先生たちが志向するような「ミニマリズム」的な考え方だと、音楽そのものの贅沢な表現は念頭に置かれませんから、よりシンプルな動作を提案されることもあります。
とはいえ基本的に現実的には高校生でもあった私は緊張の緩和以外に関してはあまり動作の変更はされず演奏様式を「すごい!」と褒めていただくことが多くて、嬉しかったのですが。
とはいえ、このような話をするには理由があります。
要するにAT的な身体的な分析の中に仮に音楽的な分析が入っていないのであれば、音楽のために特別仕込んでみた動作が、「無駄」と判定されてしまうのではないか。
あるいはATの営みは身体性への意識、つまりボディマッピングを媒介して、音楽的な没頭状態を解いてしまうことがあります。このような場合、音楽に身を捧げるという方向性と身体性に気を使うという方向性がバッティングしてしまうのではないか。
これはとても疑問視していたところです。

個人的な妥協案をここに書きます。
習慣化された好ましくない動作を気づき、それをよりエレガントな動きへと代替するためにATはとても役に立つように思います。
ですから音楽の練習の中で、何かうまくいかないという特に技術的なトラブルが発見されたときに、一度身体の動きを観察するためにATによるボディマッピングを行い、解剖学的な知識を用いて、音楽的な演奏上の「望み」が実現する限りにおいて、動作の変更を試してみるというように、ロシア奏法による演奏にATを導入してみてはどうでしょうか。

このようにできれば教師がいなくても練習の際に偏りのある動きや、違和感のある動きに気づくことができますし、自分からそれを変更してより良い代替案を採ることができます。

そして、音楽的なアイデアや音楽表現自体は担保できるような範囲で、動作の改善を行えば、本質的な話である演奏自体は過剰変更されずに済む、という話です。

この話はある程度ATとロシア奏法を学ばれた上で、その両立を考えるためにありますので、もし両方勉強している途上にありますと、例えばATのワークではロシア奏法で習ったことを改善され、ロシア奏法のレッスンではATで提案された無駄のない動きが否定され、と宙ぶらりんになることも想定できます。これは私の経験でもあります。

ただ、考え方を変えると、ATのワークではATの教師に提案された座り方や弾き方を試してみて、その良さを確認し、ロシア奏法ではロシア奏法の流儀に沿って弾いてみて、音楽的な充実を得る。
そして結果的にどのように自分の演奏を構築するかは自分の考えに基づいて決定する、という流れが推奨されます。

結局は演奏するのも生活していくのも自分なのですよね。鵜呑みにしかできない人に教えられることなどほとんどないのが常です。これは音楽でもATでも学問でも同じです。
ですから人からの教えは一つの選択肢に入れながら、自分でより良いものを作っていくという手法をお勧めいたします。

クラビアーノ音楽教室では様々な観点から進んで学ぶ生徒様を歓迎しております。
この記事を面白いと思った方はぜひ一度レッスンに足を運ばれてください。

レッスン依頼はklaviano.gakugeiあっとgmail.comまで。

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