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ブルーライトはいかにして悪者になったか? JINS PC誕生秘話[1話]

「ブルーライト」

その言葉を初めて耳にしたのは、アイウエアブランド「JINS」に転職してまだ1ヶ月も経たない、2010年の秋でした。

「最近、パソコンで目が疲れるんだよね。目が疲れないメガネ作ろう」

そう言い出したのは、裸眼視力1.5の社長でした。手がかりを求めて訪ねたのは、慶應義塾大学医学部 眼科教室。研究室で「ブルーライト」という専門用語が登場したとき、私は慣れない響きをメモに取りながら、何か大きな可能性に触れたような気がしました。

当時、ブルーライトという言葉は、ごく一部の眼科医の間でようやく認識され始めた段階で、研究もまだ限定的。一般には、ほとんど知られていませんでした。

会社に戻るなり、「ブルーライト」とググったのを、今でもよく覚えています。20ページ以上スクロールしても、出てくるのは懐かしい名曲「ブルーライト・ヨコハマ」ばかり。今となっては、当時のGoogle検索結果をキャプチャーしておかなかったことを、少し悔やんでいます。
それからわずか数年のうちに、「ブルーライト=悪」という“常識”が社会に急速に浸透していったからです。

この変化は、当時発売した「JINS PC」をきっかけにブルーライト市場が立ち上がったことを示すデータにも現れています。下のGoogleトレンドのグラフを見ると、2011年のJINS PC発売と合わせて、「ブルーライト」という言葉の検索量が急激に増え、今なお高い関心が続いていることがわかります。
単なる商品ヒットではなく、新しい市場が生まれる瞬間に立ち会っていたのだと、今振り返って実感します。

このnoteでは、全3話にわたり、JINS PC(現・JINS SCREEN)がどのように誕生し、「ブルーライト市場」と呼ばれるものが、どのようにして立ち上がっていったのか?そのプロセスをケーススタディとしてご紹介できればと思います。

当時の私は、まだ宗教や哲学といったものに対しては無知で、いまこのnoteで繰り返し語っているような「信仰の構造」についても、ほとんど意識していませんでした。それでも10年以上の時を経て、あらためて振り返ってみると、あのとき私たちがやろうとしていたことには、たしかに「人が信じたくなる構造」が、無意識のうちに組み込まれていたのだと思います。

今回は、そうした「後付けの解説」も交えながら、お話しできればと思います。


メガネの新市場をつくる

2001年にメガネ市場に参入したJINSは、2010年までに全国76店舗を展開し、売上100億円を達成しました。
旧態依然としたメガネ業界に、ユニクロ的なSPA(製造小売)の仕組みを導入し、メガネの価格破壊を起こした存在として注目を集めます。

しかしその成功は、業界全体の市場縮小をも招きました。競合も次々と低価格路線に転換し、約6000億円あったアイウエア市場は4000億円を切るまでに縮小。
国内の視力矯正メガネユーザーは約6000万人(国民の半数)、買い替えは平均3年に1度。2000年には3万円程度だった客単価も、2010年には2.5万円程度にまで下がっていました。

株式会社ジェイアイエヌ(現ジンズホールディングス) 2011年8月期決算説明会資料より

こうした構造的な限界に直面したとき、JINSが打ち出した戦略のひとつが、「メガネ=視力矯正」という前提からの脱却です。
「メガネ=目を守る」という新たな機能を加えることで、既存ユーザー以外の人々にも価値を提供できると考えました。視力に問題のない人も含めればターゲットは倍増し、一人あたりの購入本数も増えることで、潜在的には1兆円規模の市場があると見込んでいました。
可視光(眩しさ)、紫外線、花粉など様々な外的要因から目を守る機能性アイウエアの中で、最も可能性を感じていたのがブルーライトから目を守る「JINS PC」でした。当時、LEDディスプレイやスマホが生活に普及し、目の疲れが新しい社会課題として浮かび上がりつつある、という仮説を持っていたのです。


メガネを再発明する

メガネは13世紀末、イタリアで発明されて以来、800年以上ものあいだ「視力矯正」という単一の役割を担ってきました。
下の絵画は、イタリアの聖ニコロ・ドミニコ会修道院に残る14世紀のフレスコ画で、現存する最古の「眼鏡をかけた人物」を描いたものです。驚くべきことに、その形状は現代のメガネとほとんど変わりません。

Portrait of Hugh of Saint-Cher, 1352, Tommaso da Modena in the Chapter House of the Seminario attached to the in Treviso, north of Venice.

発明から800年、メガネは視力矯正という単一の機能と、カタチを提供し続けてきたということです。視力に問題がない人にとっては、メガネは無縁の道具のままでした。

実はこの絵画、当時の社内外のプレゼン資料で、社長や私が繰り返し使っていたビジュアルでもあります。
「800年間、メガネは変わっていない。今、そのメガネの歴史を変える」
この一枚の絵が、JINSの挑戦の象徴でした。

私たちが目指したのは、単なる新商品や一時的な市場拡大ではありません。
800年間続いてきたメガネの歴史そのものを動かすこと。
視力矯正だけの存在だったメガネを、“誰にでも価値を提供できる道具”へと進化させること、つまり「眼鏡を再発明する」ことが当時のJINSのチャレンジであり、ブルーライトカットメガネ「JINS PC」に込めた野心だったので
す。これが私にとって、ビジネスにおいて数百年という歴史を意識した最初の出来事だったかもしれません。


800年間続いたメガネの歴史を変える
次回は、いよいよブルーライトという言葉がどのように世の中ごと化して、ひとつの価値観として受け入れられていったのか?JINSの挑戦を振り返ります。商品を作りながら情報を作る、世の中がそれをどのように受け止めたのか?市場が形づくられていくプロセスを、できるだけ丁寧にたどってみたいと思います。

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