権威と権力に関する考察[前編]
もう随分前に亡くなった僕の親父は、全共闘崩れのバリバリの左派で、なかなかの曲者でした。小学生の頃の僕には、親父の言うことの多くはさっぱり理解できませんでしたが、どこか妙な憧れと尊敬を抱いていたのを覚えています。
その親父が口癖のように繰り返していた言葉があります。
「三権分立は司法・立法・行政なんかじゃない。権力・権威・金力だ!」
そして決まって、「それがきちんと独立して機能しないと社会は良くならない」と、酔っ払うたびに熱弁していました。
ちょうど小学校の社会の授業で三権分立を習いたての頃だったと思います。何を言っているのかまったく分かりませんでしたが、この「親父流三権分立」だけは、なぜか鮮明に記憶に残っています。
その忘れかけていた記憶を呼び起こしてくれたのが、なだいなだ著『権威と権力』でした。ページをめくるうちに、40年越しの謎にようやく答えを与えてくれるような感覚を覚えたのです。
本稿ではこの本を手がかりに、権威と権力の構造を考察し、最終的にそれがビジネスやブランドの構造にどうつながっていくのかを探ってみたいと思います。
「きかせる力」と「きく力」
なだいなだは『権威と権力』のなかで、両者をこう定義しています。
権力とは「いうことをきかせる原理」であり、
権威とは「いうことをきく原理」である。
権力は比較的想像しやすいです。警察や軍事力、あるいは会社の上司の命令など、外から強制されて動かされる経験は誰しもが持っています。
命令や規則、そしてその後ろ盾となる武力や資本といった暴力装置によって、従わざるを得ない状況をつくり出すのが権力の原理です。
一方で、権威となると少しイメージがつかみにくなります。なぜなら権威は、誰かに押し付けられるものではなく、自分の内側から「従いたい」と思わせる力だからです。
では、人はなぜ「ききたい」と思うのでしょうか。ここで重要になってくるのが不安と依存という概念です。
原始社会であれば
いつ干ばつが終わるのか?
人は死後どこへ行くのか?
現代であれば
何を食べるのが健康に良いのか?
何が得で、何が損なのか?
自分だけの知識や経験では判断しきれない問いを前に、僕たちは不安を抱えます。
人類は今も昔も、途方もなく複雑な世界に直面し、大きな不安の中で生きています。その不安を和らげるために、人は「何かに身を委ねたい」と願います。その根源的な欲求に支えられて、権威という存在は形づくられてきたのです。
歴史にみる権力と権威
歴史を振り返ると、権力と権威は最初から分かれていたわけではありません。むしろ古代国家では、宗教的な権威と政治的な権力は一体となって存在していました。いわゆる祭政一致の形です。
「政治」という言葉を「政(まつりごと)」と書くのもその名残でしょう。祭祀と統治が一体であり、王や皇帝は神の代理人として「まつりごと」を司りました。人びとはそれを神の言葉として受け入れ、不安を和らげ、支配を納得していたのです。
しかし時代が下るにつれて、権力と権威は必ずしも同じ場所には収まらなくなります。権力だけでは続かず、権威を欠いた体制は不安定になります。ここに両者の補完関係が見えてくるのです。以下ではいくつかの歴史的事例を紹介します。ここから先は書籍の内容というより、僕なりの解釈です。
モンゴル帝国 ― 権力は最大でも持続しない
1206年、チンギス=ハンが即位してモンゴル帝国が誕生しました。
そこからわずか21年後の1227年には、世界史上最大の陸続きの領土を築き上げています。騎馬民族の機動力を生かし、圧倒的な軍事力で周辺諸国をものすごいスピードで制圧していったのです。まさに「いうことをきかせる原理」の極致でした。
しかし、モンゴル民族には強固な宗教やそれに裏打ちされた文化的基盤が乏しく、「いうことをきく原理」を提供できませんでした。征服地の人びとに、統治の正当性を与える仕組みが欠けていたのです。
その結果、チンギス=ハンの死後、帝国は分裂していきます。
モンゴル帝国は「史上最大」をきわめて短期間で達成した一方で、権威の欠如ゆえに長期の安定国家にはなり得なかったのです。
ローマ帝国 ― 属人的な権力から普遍的な権威へ
ローマ帝国の皇帝は、強大な軍事力と富を背景に「いうことをきかせる原理」を体現していました。ただ、その皇帝は選挙によって選ばれていました。そうすると世襲による正統性がない分、後継者争いや暗殺、内乱が頻発しました。つまり皇帝権はあくまで属人的なものでしかなく、制度的に安定した基盤を持ち得なかったのです。
この弱点を補ったのがキリスト教でした。4世紀末、テオドシウス帝が国教としたことで、皇帝は「神が地上に遣わした支配者」と位置づけられるようになりました。それは単なる政治的な支配者から、「神に授けられた権威を帯びた存在」への変容を意味していたのです。
以後、皇帝は「神の秩序を守る者」として正統化され、その命令には宗教的裏付けが与えられました。命令に従うことは、単に皇帝個人への服従ではなく、「神の意志に従うこと」として人びとに受け入れられるようになったのです。
さらに中世に入ると、この構造は制度化され、皇帝の即位は教皇による戴冠という儀式を伴うようになりました。こうして皇帝権は完全に宗教的権威と結びつき、世俗の権力を超えた普遍性を得ていったのです。
日本 ― 天皇と将軍の二重構造
日本の歴史においても、権力と権威の関係は独特の形で現れています。
天皇は「神の子孫」としての権威を体現し、将軍は軍事的な権力を握りました。
将軍が政治を動かすときでさえ、その正統性は天皇の権威を通じて保証されていました。征夷大将軍という地位そのものが、天皇から委任される形をとっていたのです。
ここで重要なのは、権力を握った将軍にとって、天皇の権威を奪い取るメリットがなかったという点です。むしろ、一から新しい権威を作り上げるコストを考えれば、既存の権威から承認を得るほうがはるかに効率的でした。天皇という存在は、そのための最適な「後ろ盾」として機能したのです。
この仕組みによって、日本では権力と権威が分かれたまま共存し、そのことが徳川幕府の長期的な安定を支える要因の一つとなりました。
権力と権威の補完関係
三つの事例を並べてみると、権力と権威の関係がくっきりと浮かび上がってきます。
モンゴル帝国は「権力」だけに依拠し、持続することができませんでした。
ローマ帝国は「宗教」という普遍的な権威を取り込むことで、属人的だった権力を超えて安定を実現しました。
日本は「既存の権威を奪うより利用する方が効率的」という構造をつくり、天皇の権威を背景にすることで徳川体制の安定を支えました。
こうしてみると、国家統治という観点では、権威の中でも宗教が特に大きな役割を果たしてきたことがわかります。人びとが抱く根源的な不安──死後の行方や天災の意味──に答える力を宗教が持っていたからです。
もっとも、権威は宗教だけではありません。
近世以降、国家統治においては「民主主義」や「自由」といったイデオロギーがその役割を担ってきました。
学問の世界ではアカデミアが権威を持ち、その象徴のひとつがノーベル賞です。興味深いのは、アメリカ大統領のような世界一の権力者でさえ、この賞を欲しがるという事実です。
そこに「権力」と「権威」の違いと補完関係がはっきり表れています。
結局のところ、権力は即効性があるものの持続性を欠き、権威は時間をかけてしか育たない代わりに、いったん根づけば大きな持続性を発揮します。歴史の中で安定を実現した体制は、この両者をいかに組み合わせるかによって決まってきたといえるでしょう。
そしてこの構造は、過去の帝国や国家だけの話ではありません。
現代の私たちもまた、日常の中で「きかせる力」と「きく力」のはざまで生きています。特にビジネスやブランドの世界に目を向けると、その構造はますます鮮明に見えてきます。
後編では、歴史的に宗教やイデオロギーが果たしてきた「権威」の役割を、現代においてブランドがどのように担っているのかを考えていきたいと思います。
