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【問いの庭 解説note #008 】凪には、不完全さがいる:侘び寂びという視点で捉え直す。


【この記事について】

問いの庭(言葉とコトバ)第8回の視点を、文章として深掘りします。ラジオはこちら

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※ Spotify, Apple Podcast, Amazon Music でもエピソードをお楽しみいただけますが、同期が遅いため、このnote記事ではYouTubeのリンクを貼るようにしています。


【「問いの庭」とはどんな番組か】

正しい答えではなく、美しい問いに出会おう。
そのコンセプトでお届けしている番組です。

AI時代に本格的に入ってきた今、答えを知っていることにますます意味がなくなってきました。答えは調べたら出てくるからです。

そんな時代にますます大切になってくるのは、問いです。

問いが美しいと、私たちは軽くなります。
問題が問題ではなくなるからです。
それは身体や心にも大きく影響していく。

問いを深めていくことは、新しい時代の教育の形であり、セルフケアの方法でもある。そんな思いから、この番組を作りました。

この番組では毎回、一つの視点と一つの問いをお届けしています。

ここで出会った問いが、あなたの美しい問いへ繋がっていくことを願って。


【この記事が届くといいなと思っている人へ】

完璧にしようとして、疲れている人に、届けたいと思って書いています。

もっとうまくやれたはず。
まだ足りない。あの部分が気になる。
そういう声が頭の中で鳴り続けている人。

その声は、あなたを守ろうとしているのかもしれません。
でも同時に、あなたから何かを奪っているかもしれない。

今日の視点は、不完全なものの中にある美しさを照らすものになるかもしれません。


【視点:凪には、不完全さがいる】

前回の話から続けます

前回は、Beautiful Questionは作るものではないという話をしました。

問いを作ろうとするのをやめたとき、内側が静かになる。
凪の中に、問いは向こうからやってくる。

只管打坐—ただ座ること—という東洋の知見も紹介し
探さず、求めようとせず
整えることに意識を払うことの大切さを紹介しました。

そして最後にこんな問いを置きました。

あなたが問いを作ろうとするのをやめたとき、何が聞こえてきますか。

今日はその続きとして、もう一段の問いを深めます。

内側を整えるとき、完璧を目指す必要はあるのか。

大変な時ほど一発逆転満塁ホームランを打ちたくなってしまう私たちは、
大変な時ほど自分に完璧を求めてしまいがちです。

しかし、もしかすると、不完全なままでいいかもしれない。
今日はそんな話をしていきます。


完璧にしようとすることが、凪を遠ざける

前回、凪の中に美しい問いはやってくる、という話をしました。
では、凪を作ろうとするとき、完璧を目指す必要はあるのでしょうか。

むしろ逆かもしれません。
完璧を目指すことが、凪を遠ざけていることがあります。

瞑想がだいぶ一般的なものになってきました。
静かな時間を生活に蜘蛛混み始めている人も多いと思います。

そうやって凪を作ろうとする。

でも、そこで、こんなふうに思ったりしませんか?

「これは正しくできているのだろうか?」

こう思うと疑心暗鬼が止まらなくなりますよね。

 正しい瞑想の仕方で座らなければ。
 正しい呼吸をしなければ。
 正しい問いを立てなければ。

その「正しさ」への執着が、静けさを遠ざけていく。

「完璧にやらなければ」という思いが
逆に内側を騒がしていくんですね。

完璧主義を手放すことが
凪を迎える大切な一歩なのかもしれません。


侘び寂びとは何か

不完全なまま、静かでいい。
その感覚を日本語にすると、侘び寂びという言葉に近づきます。

皆さんは「侘び寂び(わびさび)」という言葉を知っていますか?
ほとんどの日本人が聞いたことがあると思います。
しかし、いざ説明しようとすると難しいですよね。

侘び(わび)
簡素さ・質素さ・不足の中にある豊かさ。
「足りないことが、美しい。」
「余白があることが、豊かだ。」
という感覚。

寂び(さび)
時間の経過・古さ・朽ちていくことの中にある美しさ。
「新しいものより、時間をかけて育ったものに価値を見出す。」
「完璧なものより、傷や歪みを持ったものに価値を見出す。」
という感覚。

この二つを合わせた「侘び寂び」は、英語にできない感覚です。
翻訳しようとすると何かが失われます。
「imperfect beauty」「rustic simplicity」
どれも近いようで、違う。

それはこの言葉が、概念ではなく身体的な感性を直接指しているからだと思います。侘び寂びは、頭で理解するものではなく、身体で感じるものです。だからこそ、日本人は言葉で「侘び寂び」を説明できないのかもしれません。


不完全さが美しい理由—無常観という背景

侘び寂びの底にあるのは
仏教の「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という世界観です。

すべては変わり、朽ちていく。
永遠に続くものはない。
その中にこそ、美しさがある。
そういう世界観です。

完璧なものは変わりません。
変わらないものは、ある意味で死んでいます。
不完全だから、変わり続けている。
変わり続けているから、生きている。

例えば

 古い茶碗のひびに美しさを見る。
 散りゆく桜に心が動く。
 朽ちた木の質感に手が止まる。

そういう感性が、侘び寂びです。


ちなみに私自身が完璧主義を手放していいと思えたのは
二度の強制終了がきっかけでした。

思い通りにならない身体と向き合う日々の中で、ずっと漠然と好きだった侘び寂びという言葉を、初めて本当の意味で思い出したんです。

完璧を目指してきた。
でも身体は完璧にならなかった。
そのとき、侘び寂びという言葉が杖になりました。

思い通りにならない自分の身体を、朽ちていく茶碗のひびのように愛でてみよう。不完全なまま、変わり続けていく自分を、美しいと思ってみよう。
そう思えたとき、少し息ができた気がしました。

100%を目指すことは、変化を止めようとすることかもしれない。
70%くらいのゆるさで、変わり続けていく。
そんな感覚の方が、私は私の問いを生きやすくなる。
そう思えるようになりました。


AIになくて、人間にあるもの

では、侘び寂びの対極にあるものは何でしょうか?
代表的なものがAIだと思います。

例えば、AIが生成する文章は完璧に近い。
でもそこに侘び寂びはない。

なぜなら侘び寂びは、欠けていること・朽ちていること・不完全であることを身体で感じ取る能力から生まれるからです。

AIには身体がない
だから侘び寂びを概念的に捉えることができても、感じることができない。

以前、AIに美しい問いを立てることはできない、という話をしました。
この文脈で、この視点を考えていくと、AIが美しい問いを立てられないのはAIに身体がないから、と言えるかもしれません。

不完全さに宿る美しさを愛して

そして身体というのは、完璧になり得ない。
身体は常に変化し続けています。
傷つき、朽ち、老いていく。
その不完全さの中にこそ、美しさが生まれる余地があります。

AIと戦おうとしない。
AIになろうとしない。

それは完璧になろうとすることを手放すことと同じ気がします。

AIを鏡にして、人間とは何かを考える。
AIを鏡にして、人間の可能性を問う。

その時、人間の不完全こそが、その問いの出発点になる。

AI時代にAIと共に生きるということは
人間自身が、「人間とは何か」を思い出し
人間らしさを取り戻していくプロセスのように思えます。

そしてそれは、不完全な自分を愛でられるようになること
大きなヒントがあるような気がするのです。

自身の中に静かな凪を見出していく過程は
自身の中の不完全さを愛でる過程と重なるところが多いのではないか?

不完全な私たちだからこそ、
美しい問いが生まれる余白があるのではないか?

今日のエピソードでは、そんなことを共有してみたかったのでした。



【今日の持ち歩ける問い】


あなたが不完全なものを、最後に愛でたのはいつですか?

凪の中で、迎えてあげてください。


▼ もっと深く

ここからは、この問いをさらに掘り下げたい方のために書いています。読み飛ばしても十分に楽しめます。

① 背景 侘び寂びの思想史・茶道・無常観

侘び寂びという美意識は、15〜16世紀の茶人・村田珠光千利休によって茶道の中に体系化されました。それまでの豪華絢爛な唐物趣味に対して、簡素で不完全な日本的な美を提示した。利休の「守・破・離」という思想も、完璧な型を超えた先に生まれる固有の美を指しています。(「守破離」の思想は、世阿弥が唱えたという説もあり。)

諸行無常という仏教の世界観は、7世紀に日本に伝わり、平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」に象徴されるように、日本人の美意識の底流になっていきました。完璧なものへの執着ではなく、変化と喪失の中に美を見出す感性。これが侘び寂びの思想的な背景です。

また「もののあわれ」という概念も侘び寂びと深く関係しています。本居宣長が論じたこの概念は、物事の移ろいやすさに触れたときに生まれる、切なくも美しい感情です。完璧ではないから、心が動く。

<参考文献>


『茶の本』岡倉天心著(岩波文庫)


侘び寂びの美学を西洋に向けて英語で書いた名著。日本語の感性を英語で説明しようとすると何が失われるか、を身をもって感じられる一冊。日本人としての美意識を言語化したい人に。写真付きもおすすめです(2冊目)


Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers Leonard Koren著(Stone Bridge Press)


<おすすめ!>侘び寂びという概念を英語圏に初めて体系的に紹介した、この分野のすべての原点となる一冊。著者のレナード・コーレンはアメリカ人の建築家・デザイン理論家でありながら、日本の美意識を深く探求し続けた人物です。この本が面白いのは、外側から侘び寂びを眺めた視点であるということ。日本人が「当たり前」として内側に持っているものを、異文化の目が照らし出すことで、逆に私たち自身が見えていなかったものが見えてくる。「日本語の感性を英語で説明しようとすると何かが失われる」という話を今回しましたが、それでもなお、この本はその失われた何かに誠実に向き合い続けています。薄くて小さい本ですが、何度でも手に取りたくなる一冊です。この本と偶然出会い、わびさびという日本人にとって近すぎるが故に遠い概念を見事に言語化されたこの本に感動を覚えた。その後の私の活動に多大なる影響を与えたバイブル的な一冊。デザイナー・アーティスト・詩人・哲学者、そして自分の中にある美意識を言葉にしたいすべての人に。


Wabi Sabi: Japanese Wisdom for a Perfectly Imperfect Life Beth Kempton著(HarperCollins)

コーレンの本が侘び寂びを「概念として解剖する」本だとすれば、こちらは侘び寂びを「日常に生きる」本です。著者のベス・ケンプトンはイギリス人でありながら日本語の修士号を持ち、茶道・書道・陶芸・花道など日本文化を身体で学び続けてきた人物。季節のリズムを大切にすること・失敗を捉え直すこと・老いを受け入れること——侘び寂びの思想を、暮らしの具体的な場面に丁寧に落とし込んでいます。「完璧でなくていい」という感覚を、頭ではなく生活の中で感じたい人に。コーレンの本と並べて読むと、同じ概念が哲学と実践の両側から照らされる体験ができます。


『かもめ食堂』群ようこ著(新潮文庫)


不完全さの中にある豊かさを、小説の形で静かに体験できる一冊。理論に疲れたとき、物語として侘び寂びを感じたい人に。フィンランドを舞台にした日本的な美意識の話。映画もおすすめ。



② 問いの連鎖 この問いはどこへ続くか

・あなたが「完璧にしなければ」と思っているものの中で、不完全なまま美しいものはありますか?

・朽ちていくものの中に、美しさを感じた経験はありますか?

・70%のまま手放すことが、あなたにとって難しいのはどの場面ですか?


③ 自分で深めるための問いかけ


今日、不完全なものに触れましたか。それはどんなものでしたか。

あなたの中の「完璧主義」は、あなたを守っていますか。それとも凪を遠ざけていますか。

ノートに書いてみてもいいし、ただ目を閉じて問いとともに座ってみてもいい。答えは出なくてもいいのです。

以上

【問いの庭 解説note #008
侘び寂びという美学:不完全なものを、最後に愛でたのはいつですか?

でした。

今回も読んでいただきありがとうございます。


次回は「庭の余白シリーズ」の第二弾です。

テーマは
「なぜ公孫樹はラジオを始めたのか?」
です。

お風呂で降りてきた「天啓」から始まったポッドキャスト
という話をしていこうと思います。
ラジオに込める思いなども共有できればいいな、なんて考えております。

次回もお楽しみに。

公孫樹


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