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【問いの庭 解説note #005 】身体は許可を求めない:頭が忘れても、身体が覚えていることがある。


【この記事について】

問いの庭(言葉とコトバ)第5回の視点を、文章として深掘りします。ラジオはこちら

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※ Spotify, Apple Podcast, Amazon Music でもエピソードをお楽しみいただけますが、同期が遅いため、このnote記事ではYouTubeのリンクを貼るようにしています。


【「問いの庭」とはどんな番組か】


この番組は答えを渡す番組ではなく、問いをそっと置くような番組にできたらと思っています。

問うことで世界が変わって、身体も心も軽くなるような問い。
世界を新しく見ようと思わせてくれる問い。

そういう問いを、Beautiful Question—美しい問い—と呼んでいます。

正しい答えではなく、美しい問いに出会おう。

そういう想いで番組を始めました。

ここで出会った問いが、あなたの美しい問いへ繋がっていくことを願って。


【この記事が届くといいなと思っている人へ】


なんとなく身体が重い、という感覚を抱えている人に、届けたいと思って書いています。

理由はわからない。でも何かが引っかかっている。忘れたはずのことが、ふとした瞬間に戻ってくる。そういう経験をしたことがある人。

その重さは、弱さではないかもしれません。身体が何かを覚えていて、あなたに伝えようとしているのかもしれない。

今日の視点は、その「覚えている身体」を少し違う角度から見るものになるかもしれません。


【視点:身体は許可を求めない】


前回の話から続けます

前回は、呼吸が意識と身体の境界線にある、という話をしました。

呼吸をゆっくりにしていくことで、自律神経に腑に落ちた感覚を先取りしてもらう。言語OSのアップデートの入口に立つ、という話でした。

そして最後にこんな問いを置きました。「今この瞬間、あなたは呼吸を『している』ですか。それとも呼吸が『されている』ですか。」

今日はその続きとして、もう少し深い場所へ降りていきます。

身体は呼吸だけでなく、もっと古い記憶を抱えている、という話です。

頭は忘れても、身体は忘れない

子どもの頃に覚えた自転車の乗り方は、何年乗らなくても身体が覚えています。泳ぎ方も、箸の持ち方も、頭で思い出そうとしなくても身体が先に動く。

でも身体が覚えているのは、技術だけではありません。

何度も叱られた経験は、誰かに怒鳴られると反射的に身体が縮む癖として残ります。安心できる場所で過ごした記憶は、似た匂いや光の中で自然と肩が落ちる感覚として残ります。

頭はすっかり忘れていても、身体はずっと覚えている。

そして身体の記憶は、頭に許可を求めません。思い出そうと決める前に、もう反応しています。

身体は許可を求めない

特定の音楽を聴くと、理由もなく気持ちが沈む。誰かの声のトーンで、肩がすくむ。初めて来たはずの場所なのに、なぜか懐かしい感じがする。

これは頭が「反応しよう」と命じたわけではありません。

身体が先に動いている。意識が追いつく前に、すでに何かが起きている。

これが「身体は許可を求めない」という意味です。身体は常に、頭より一歩先にいます。

ちなみに神経科学者のアントニオ・ダマシオは、身体の反応が意思決定を先導しているという「ソマティック・マーカー仮説」を提唱しました。私たちが「自分で決めた」と感じる判断の多くは、実はその前に身体がすでに傾いている、というのです。「自由意志」の話はまた別の回に譲りますが、身体がいかに私たちの判断に先行しているか、その一端をこの仮説は教えてくれます。


身体記憶と言語OSの関係

言語OSは幼少期に形成される、という話を第2回でしました。

実はその言語OSの形成にも、身体記憶が深く関わっています。

繰り返された経験が身体に刻まれ、それが世界の見方の土台になっていく。

「こういう場面では縮む」
「こういう人は安全だ」
「こういうときは黙る」

こうした反応パターンが積み重なって、気づかないうちに言語OSの一部になっている。

だから言語OSを書き換えたいとき、頭だけに働きかけても限界があります。身体記憶にも、触れる必要がある。

頭で「変わらなければ」と何度思っても変われなかったのに、ある経験をきっかけに自然と変わり始めた。そういうことが起きるとしたら、それは身体記憶が動いたときかもしれません。

ちなみに、東洋ではこのことをずっと前から身体で知っていました。禅の「只管打坐(しかんたざ)」も、武道の「型」も、頭で理解するより先に身体を繰り返し動かすことで何かを書き換えていく実践です。前回のエピソードで出てきたメルロ=ポンティが1945年に言葉にしたことを、東洋はもっと前から身体でやっていた、という感じ、しませんか。

前回の記事でメルロ=ポンティについて解説しています。よかったらこちらもご覧ください。ちなみに今後も身体性という文脈ではメルロ=ポンティの知見がよく登場しますよ。


身体の声を聴き直すということ

では、身体記憶は変えられないのでしょうか。

変えることはできます。
ただし、頭だけでは難しい。

身体に直接働きかける経験が必要です。

動くこと。
触れること。
呼吸すること。
誰かと安全な場所にいること。

繰り返しの中で、身体が少しずつ新しい記憶を上書きしていく。

前回お話しした呼吸も、その一つです。

呼吸をゆっくりにすることは、身体に「今は安全だ」という新しい記憶を少しずつ刻んでいくことでもあります。頭でわかるより先に、身体から変えていく。言語OSのアップデートは、そういう場所から始まるのかもしれません。

AIには転んだ瞬間に手が出る身体がありません。
あなたの身体だけが知っていることが、確かにあります。

「変われない」と感じるとき、それは意志の問題ではなく、身体記憶がまだ書き換わっていないサインかもしれません。


【今日の持ち歩ける問い】


今日、身体があなたより先に知っていたことがありますか。

答えは見つからなくても大丈夫です。
ただ、持ち歩いてみてください。


▼ もっと深く

ここからは、この問いをさらに掘り下げたい方のために書いています。読み飛ばしても十分に楽しめます。

① 背景 身体記憶・ソマティック・マーカー・トラウマ研究

記憶には大きく二種類あります。

一つは「陳述記憶(declarative memory)」。出来事や知識を言語で説明できる記憶です。「あの日、あの場所で、こういうことがあった」と語れる記憶。

もう一つは「非陳述記憶(non-declarative memory)」。自転車の乗り方のように、言語で説明しにくい身体が覚えている記憶です。手続き記憶とも呼ばれます。

身体記憶の多くはこの非陳述記憶に属します。言語で取り出せないから、頭では「忘れた」と思っていても、身体は覚えたまま反応し続ける。

ダマシオのソマティック・マーカー仮説はこの延長にあります。過去の経験から生じた身体の感覚が「マーカー」として蓄積され、次の判断を無意識に誘導する。合理的な思考の前に、身体がすでに答えを持っている、という視点です。

ちなみに精神科医のベッセル・ヴァン・デア・コークは、トラウマ研究を通じて「身体は過去の出来事を細胞レベルで記憶している」ということを明らかにしました。トラウマは頭の中の出来事ではなく、身体に刻まれた出来事である、という視点は、身体記憶の理解を大きく広げました。

<参考文献>

『生存する脳:心と脳と身体の神秘』アントニオ・ダマシオ著(講談社)


身体の反応が意思決定に先行するという「ソマティック・マーカー仮説」の原典。「許可を求めない身体」の科学的な背景として。


『からだはトラウマを記録する』ベッセル・ヴァン・デア・コーク著(紀伊國屋書店)


身体が過去の経験を記憶し続けるという現代研究の代表作。身体記憶の具体的な証拠として。


『フォーカシング』ユージン・ジェンドリン著(福村出版)


身体の「感じ」に言葉を与えていくアプローチ。身体記憶への入口として実践的に使える一冊。


② 問いの連鎖 この問いはどこへ続くか


  • 頭では忘れたはずなのに、身体が覚えていると感じた経験はありますか。

  • あなたの身体が「安全だ」と感じるのは、どんな場所やどんな人のそばにいるときですか。

  • 身体の反応に、いつも従っていますか。それとも頭で上書きしようとすることが多いですか。


③ 自分で深めるための問いかけ

今日、身体が先に反応した瞬間を一つ思い出してみてください。それはどんな状況でしたか。

その反応は、いつ頃から始まったものだと思いますか。

今この瞬間、身体のどこかに何かが溜まっていると感じますか。
それに名前をつけるとしたら、何ですか。

ノートに書いてみてもいいし、ただ目を閉じて問いとともに座ってみてもいい。答えは出なくてもいいのです。


次回は「空間は内側にある」という話をします。

身体が過去を内側に蓄積しているとしたら、私たちが「外」だと思っている空間も、実は内側で体験されているのではないか。そんな問いを持って、またお会いしましょう。

今回も読んでいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。

公孫樹(ko_sonju)

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