見出し画像

芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか23 大切に読もう



間に合わなかったんじゃないのか

 が、その中でもさすがに摩利信乃法師は、徐ろに哮り立つ非人たちを宥めますと、例の怪しげな微笑を浮べながら、私どもの前へ進み出まして、天上皇帝の御威徳の難有い本末を懇々と説いて聴かせました。が、その間も私の気になって仕方がなかったのは、あの沙門の肩にかかっている、美しい薄色の袿の事でございます。元より薄色の袿と申しましても、世間に類いの多いものではございますが、もしやあれは中御門の姫君の御召し物ではございますまいか。万一そうだと致しましたら、姫君はもういつの間にか、あの沙門と御対面になったのでございましょうし、あるいはその上に摩利の教も、御帰依なすってしまわないとは限りません。こう思いますと私は、おちおち相手の申します事も、耳にはいらないくらいでございましたが、うっかりそんな素振りを見せましては、またどんな恐ろしい目に遇わされないものでもございますまい。しかも摩利信乃法師の容子では、私どももただ、神仏を蔑されるのが口惜いので、闇討をしかけたものだと思ったのでございましょう。幸い、堀川の若殿様に御仕え申している事なぞは、気のつかないように見えましたから、あの薄色の袿にも、なるべく眼をやらないようにして、河原の砂の上に坐ったまま、わざと神妙にあの沙門の申す事を聴いて居るらしく装いました。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 だから言わんこちゃない。「もしやあれは中御門の姫君の御召し物ではございますまいか。万一そうだと致しましたら、姫君はもういつの間にか、あの沙門と御対面になったのでございましょうし、あるいはその上に摩利の教も、御帰依なすってしまわないとは限りません」って、完全にそうやん。手遅れやん。あかんやん。

 なんで一週間も待った?

 なんでや?

 ずっと腹が痛かったか?

 それに「幸い、堀川の若殿様に御仕え申している事なぞは、気のつかないように見えましたから」ってそんなもんもうバレてんで。摩利信乃法師は菅原雅平なんやから。堀川の若殿様のお友達やったんから、話者の顔は割れとるで。解っとるけど惚けとんのやで。

 それにしてもあれやな。

 なんか若殿様の出番少なくないか。名無しの甥や話者の方が活躍しとるで。それでええんかいな。

 で菅原雅平くんはなんで中御門の姫君の御召し物ぱくっとんねん。女装趣味か? 助平か? ジェンダーの視点か? 階級闘争か?

 なんやねん?


強制加入じゃないんだ


 するとそれが先方には、いかにも殊勝げに見えたのでございましょう。一通り談義めいた事を説いて聴かせますと、摩利信乃法師は顔色を和らげながら、あの十文字の護符を私どもの上にさしかざして、
「その方どもの罪業は無知蒙昧の然らしめた所じゃによって、天上皇帝も格別の御宥免を賜わせらるるに相違あるまい。さればわしもこの上なお、叱り懲らそうとは思うて居ぬ。やがてはまた、今夜の闇討が縁となって、その方どもが摩利の御教えに帰依し奉る時も参るであろう。じゃによってその時が参るまでは、一先この場を退散致したが好い。」と、もの優しく申してくれました。もっともその時でさえ、非人たちは、今にも掴みかかりそうな、凄じい気色を見せて居りましたが、これもあの沙門の鶴の一声で、素直に私どもの帰る路を開いてくれたのでございます。
 そこで私と甥とは、太刀を鞘におさめる間も惜しいように、怱々四条河原から逃げ出しました。その時の私の心もちと申しましたら、嬉しいとも、悲しいとも、乃至はまた残念だとも、何ともお話しの致しようがございません。でございますから河原が遠くなって、ただ、あの芥火の赤く揺らめくまわりに、白癩どもが蟻のように集って、何やら怪しげな歌を唄って居りますのが、かすかに耳へはいりました時も、私どもは互の顔さえ見ずに、黙って吐息ばかりつきながら、歩いて行ったものでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 京極の左大弁も「悲しいとも、嬉しいともつかない御心もち」になっていた。あるいは人間の心と云うものが硝子張りであるかのように話者は語っていた。ここは「私の心もち」なので「嬉しいとも、悲しいとも、乃至はまた残念だとも、何ともお話しの致しようがございません」と云っても良かろう。しかし、

 こちらは京極の左大弁様で、何事かと胸を轟かせながら、慌てて御文を開けて見ますと、思いもよらず御姫様は、いかに左大弁様を思いわびてもとんとつれなく御もてなしになるから、所詮かなわぬ恋とあきらめて、尼法師の境涯にはいると云う事が、いかにももの哀れに書いてあるではございませんか。まさかそうまで御姫様が、思いつめていらっしゃろうとは、夢にも思召さなかったのでございますから、鴉の左大弁様は悲しいとも、嬉しいともつかない御心もちで、しばらくはただ、茫然と御文を前にひろげたまま、溜息をついていらっしゃいました

(芥川龍之介『邪宗門』)

 よく考えたら話者は見てもいないことを語っていないだろうか。そして勝手に手紙を読み、京極の左大弁の心もちの中に入り込んではいないだろうか。こんな話はそもそも京極の左大弁本人しか知り得ないことだ。しかし話者はその伝達不可能な京極の左大弁の行為の本質を捉えてしまっていないだろうか。

 またこの悪戯に書かれた仮構でしかない手紙の中に偶然顕れた「尼法師」の文字は最早不可避の暗示として現実を照射してはいまいか。

 さらに意味なく、或いは意味ありげに、「今にも掴みかかりそうな、凄じい気色を見せて居りました」非人たちや「蟻のように集って、何やら怪しげな歌を唄って居ります」白癩どもは、あくまでも摩利信乃法師の属性の一つでもあるかのように振舞おうとしている。話者は彼らに対する差別意識を隠そうともしない。彼らは複数で、四条河原の乞食にグループ分けされる群れで、あやしげなのである。そういうものを纏って今菅原雅平は摩利信乃法師たらんとしているのだ。

 魔異南無札の取得は任意だが保険証の廃止によって実質強制になる。「その方どもが摩利の御教えに帰依し奉る時も参るであろう」と摩利信乃法師は飽くまで余裕を見せる。そのくらいの余裕がないと国策も上手くはいくまい。


関わらないという選択肢はないものか

 それ以来私どもは、よるとさわると、額を鳩めて、摩利信乃法師と中御門の姫君とのいきさつを互に推量し合いながら、どうかしてあの天狗法師を遠ざけたいと、いろいろ評議を致しましたが、さて例の恐ろしい幻の事を思い出しますと、容易に名案も浮びません。もっとも甥の方は私より若いだけに、まだ執念深く初一念を捨てないで、場合によったら平太夫のしたように、辻冠者どもでも駆り集めたら、もう一度四条河原の小屋を劫そうくらいな考えがあるようでございました。所がその中に、思いもよらず、また私どもは摩利信乃法師の神変不思議な法力に、驚くような事が出来たのでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 この間堀川の若殿様の登場がないことから、摩利信乃法師のことにはもう関わらなくてもいいのではないかという感じが強くする。そもそも摩利信乃法師と中御門の姫君とがどうなろうと、それは堀川の若殿様の問題であり、甥や話者はただお節介を焼いているに過ぎないのだ。

 自分の力の及ぶことならまだしも、結局歯が立たなかったのだから、ここは堀川の若殿様に妙な形で害が及ぶリスクも考慮して、一旦手を引くべきではなかろうか。いやあくまでも反撃したいというのであれば、辻冠者を駆り集めるのはまだしも、「もう一度四条河原の小屋を劫そう」とは考えがなさすぎる。摩利信乃法師が十字の護符を振り回したら終わりなので、数を頼んでも仕方があるまい。

 一人でいるところをこっそり弓矢で射殺すくらいのことをしないと勝ち目はないのではなかろうか。

 いずれにしてもさっさとやらないと駄目だ。「考えている」時間が無駄だ。そんなことをしているから「驚くような事が出来」てしまっている。

 では「驚くような事」とは一体何なのか。それが何なのか、まだ誰も知らない。けれど次を読めば分かる。

それはどこの阿弥陀堂だ?

 それはもう秋風の立ち始めました頃、長尾の律師様が嵯峨に阿弥陀堂を御建てになって、その供養をなすった時の事でございます。その御堂も只今は焼けてございませんが、何しろ国々の良材を御集めになった上に、高名な匠たちばかり御召しになって、莫大な黄金も御かまいなく、御造りになったものでございますから、御規模こそさのみ大きくなくっても、その荘厳を極めて居りました事は、ほぼ御推察が参るでございましょう。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 いや分からない。
 
 分からないばかりではない。何やらややこしいことを仕掛けてきた。

 清凉寺の阿弥陀堂は、895年(寛平7年)の創建とされる。これは時代が違う。長尾の律師とは大阪府の「長尾の僧侶」がという程度の意味であろうか。

 これでもなさそうだ。

 これも違う。

 これはどうか?

 これは違う。

これも違う。

 これも違う。じゃあどれだ?

 華頂山知恩教院大谷寺、清浄華院、金戒光明寺……なんぼあんねん。


 この阿弥陀堂がどこなのか、まだ誰も知らない。何故ならまだこの続きを読んでいないからだ。いや多分最後まで読んでも解らないだろう。

 それにしても「その御堂も只今は焼けてございませんが」としてその語りの位置と語られる位置を時間的に大きく引き離して構えたことは注目に値するだろう。つまりその出来事の後、しかるべき時間を置いて、この物語は語られているということになる。京極の左大弁の心の中にまで入り込むあやかしの力を使う話者が、堀川の大殿様の死を、若殿様の死を、そして甥の死をも見届けて、ようやく今語っているのだ。

 この先にどんな出来事が待ち構えているのか、まだ誰も知らない。それは明日になれば解る。何故なら明日続きを読むからだ。



いいなと思ったら応援しよう!