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谷崎潤一郎の『卍』をどう読むか⑤ 生きておられたら今年二十四

その写真には見覚えがある

 ただ心配になりましたのんは、わたしはそいでかめしませんけど、光子さんの方はどう思てなさるやら、さぞかしえらい係り合いになって迷惑してはるに違いない思いましたら、そいからはこう、学校の往き復りなぞに出遭うことありましても、何や気イさして、前みたいに顔しげしげと見守ること出来しませなんだ。そうかいうて、思い切りようこっちから話しかけて、あやまるいうようなことも、――それがかいってけったいなことになりますし、なおさら迷惑しなさるかも分れしませんのんで、そないする訳にもいけしません。そんでわたし光子さんに出遇いますと、出来るだけあやまる心持外に現わすようにして、小ちいそうになって、下向いて、こそこそ逃げるように傍通り抜けましたが、そないしながらも、先様怒ってはれへんやろか、どんな眼つきしてはるか、やっぱり気がかりやもんですから、擦れちがう拍子にそうッと顔色うかごうたりしました。ところが光子さんの様子前とちょっとも変ったようなとこのうて、別にこっちを不愉快に思てなさる風にも見えしません。(谷崎潤一郎『卍』)

 なるほど以前は柿内未亡人は徳光光子の「顔しげしげと見守る」ことをしていたわけだ。こうして語り手に不作為な自白させてしまうところは谷崎作品の器用なところである。しかし今更谷崎作品が器用だと褒めたところでつまらない。

 あ、そうそう、此処に写真持って来ましたよって、これ見て下さいませ。これは揃そろいの着物出来ましたとき二人で記念に撮とりましたのんで、新聞にも出たことある問題の写真やのんです。これでもお分りになるように、こうして並んでましたら、わたしが引き立て役勤めてる形で、光子さんは船場あたりの娘さんの中でもちょっと飛びきりの器量やのんです。(作者註、写真を見ると、お揃いの着物というのは如何にも上方好みのケバケバしい色彩のものらしい。柿内未亡人は束髪、光子は島田に結っているが、大阪風の町娘の姿のうちにも、その眼が非常に情熱的で、潤いに富んでいる。一と口にいえば、恋愛の天才家といったような気魄に充ちた、魅力のある眼つきである。たしかに美貌の持主には違いなく、自分は引き立て役だという未亡人の言は必ずしも謙遜ではないが、この点が果して楊柳観音の尊容に適するかどうかは疑問である。)先生はこんな顔だちどないお考えになりますか? 日本髪よう似合うてますやろ?――はあ、お母様日本髪好きやとかいうことで、ときどき結やはりまして、学校いもその頭で来やはりましてん。――何せそんな学校ですから、制服なんぞあれしませんし、日本髪の着流しでも何でもかめしませんのんですから、わたしなんか袴穿いて行いたことあれしませなんだ。光子さんも、たまに洋服着なさることありましてんけど、和服の時はいつでも着流しでしてん。(谷崎潤一郎『卍』)

 なるほど、徳光光子は船場の人なのか。夫の務めは今橋、学校は天王寺、船場はその間にある。

 それはそれとして、すでに何やらの事情で夫を亡くし、新聞沙汰の事件を起こしながら、この無邪気なはしゃぎっぷりは何なのだろう。それにこれではまるでアイドルのファンだ。それをなだめるかのように冷静さを装って嵌め込まれた作者註のいかにも白々しいこと。あるいはこれは私が言い続けた「信用できない谷崎潤一郎」そのものではないか。そして柿内未亡人の喜びようと言えば、これではまるで……と決めつけるのはまだ少し早すぎるだろう。

 この写真では髪のせえで私より三つぐらい若うに見えてますけど、ほんまは一つ歳下の二十三、――生きておられたら今年二十四ですねん。しかし光子さんの方が一、二寸せえ高いでしたし、それに綺麗きれいな人いうもんは、自分では器量鼻にかけへんつもりでも、やっぱり何とのう自信のある様子態度に現われるもんですやろか、それともこっちに引け目ありますとそない見えますのんですやろか、その後親しいになりましてからでも、歳からいうとわたしの方が姉さんでありながら、いつでも妹みたいな気イしてましてん。(谷崎潤一郎『卍』)

 え?

 生きておられたら今年二十四

 つまり夫も徳光光子ももう死んでいて、つまりアイドルが死んでいて、その写真を見せてちょっと飛びきりの器量やのんですと言っていたわけだ。日本髪よう似合うてますやろ? とも。これはどんな感情なのだ?

 初見では誰しもここで驚かざるを得ない。凡そ簡便な二字熟語でこの柿内未亡人の感情を言い表せる人はいないだろう。ここに多くの言葉が注ぎ込まれ、小説が生まれる。

で、その時分、――といいますのんは、話前に戻りまして、まだお互いにものもいわんといてました時分、前にいいましたようなけったいな噂立ちましたことは光子さんの耳いも這入ってえへんはずあれしませんのんに、光子さんの様子はちょっとも前と変れしませんねん。わたしの方では疾うから綺麗な人や思て、噂立ちません時分には、光子さんが通りなさると、それとのう傍い寄って行ったりしましてんけど、光子さんの方ではてんと私やかい眼中にないような塩梅で、すうッと通ってしまいはりますが、その通られた跡の空気までが綺麗なような気イするのんです。もしも光子さんが例の噂聞いてなさるとしたら、なんぼ何でも私いうもんに注意しなされへん訳あれしませんやろ。イヤな奴やっちゃ思われるか、気の毒や思いなさるか、何とか素振に見えそうなもんですのんに、さっぱりそういう風しなされへんもんですから、私の方も段々ずうずうしいになりまして、また傍い寄って顔のぞき込むようになりましてん。(谷崎潤一郎『卍』)

 既に二人も殺しておいて、「話前に戻りまして」もないものだ。そして語り手による不作為な自白は繰り返される。柿内未亡人本人は「けったいな噂」というものの「それとのう傍い寄って行ったりしましてん」「通られた跡の空気までが綺麗なような気イするのん」という様子を端から見ていれば、それはあからさま過ぎるのではないか。そのように廊下で待ち伏せをして見つめ、むしろ好意があることを気付いてもらいたいというような態度を示す女の子はきっと今でもいるのではなかろうか。少なくとも昭和の時代には普通にいた。校長先生に知られるまでの「けったいな噂」はむしろ柿内未亡人が不作為に拵えたものではなかっただろうか。

 すると或る日、お午の休みに休憩所でばったり出遭うと、いつでもすうッと澄まして通り過ぎてしまいなさるのんに、どういう訳やにッこりしなさって、眼エで笑いなさるのんです。そいで私思わずお時儀してしまいましたら、直ぐつかつかと寄って来られて、「わたし、あんたにこないだから大変失礼してました。どうぞ悪うに思わんといて頂戴」いいなさいますねん。「まあ何いいなさるのんです。わたしこそ詫まらないかなんだのんですが」いいますと、「あんた詫りなさることあれしませんわ。あんたは何も知りなされへんのんです。わたしたち陥れよとしてる者いますから、気イつけなさいや」いいなさいますねん。「へえ、――それは誰ですか」と尋たンねますと、「校長先生ですわ」といわれて、「此処では詳しい話出来しませんさかい何処ぞ外い行て、お昼御飯一緒に附き合うてもらわれしませんか? そしたらいろいろ、ゆっくり聞いてもらいますが」いいなさるもんですから、「何処いでも一緒にいきますわ」と、二人で天王寺公園の近所にあるレストランい行きました。そいから光子さん洋食べながら話して下さったのんですが、わたしたちの事について悪い噂いい触らしたのんは実は校長さんやいいなさいますねん。(谷崎潤一郎『卍』)

 なるほど校長先生か。谷崎は校長先生に仮託して、二人の女になぶられる様を期待しているのではあるまいか、と考えてみる。そうするとマゾヒストとしての谷崎潤一郎の面子が保たれる。と、思った途端にそういう話でも無くなる。

 なるほどそういわれて見ると、用もないのんに教室い這入はいって来て、みんなの前でわざと私に恥掻かすような事するいうのんが、だいぶんおかしい。悪意あってしたもんとしか思われへん。けどいったい何のために校長さんがそんな噂触れ廻るのんかといいますと、目的は光子さんにあるのんやそうで、何でも彼かでも光子さんの品行について悪い評判立ちさいしたらええのんやいうのんです。それがまたどういう訳やいいますと、その時分光子さんに結婚の話持ち上ってまして、先はMいう大阪でも有名なお金持の家の坊々で、光子さん自身は気イ進んでおられなかったそうやのんですが、お宅ではたいそうその縁談望んでおられたし、先方でも光子さん欲しがっておられた。ところが或る市会議員のお嬢さんで、やっぱりそのMさんへ縁談持ちかけてる人あって、光子さんの方と競争の形になってた。――光子さんは競争のつもりやのうても、市会議員の方では大敵が現われた思いましてんやろ。何しろMさんの坊々は光子さんの器量にあこがれてラブレター寄越したくらいやのんですから、それは大敵に違いあれしません。そいでその市会議員の方では八方い運動して、成ろうことなら光子さんにケチ附けよというのんで、もう今までにも随分いろいろと、光子さん外に男あるらしいとか、あることないこといい触らしてましたんやそうですが、まだそいだけでは飽き足らんと、とうど学校の方い手エ廻して、校長さん買収したのんですなあ。(谷崎潤一郎『卍』)

 なんだつまらない、金で動かされていたのか、と思うのは何故だろう。人はみな金が好きで金のために動く。みんなお金が好きだ。命より好きな人もいるだろう。大抵の人は金より価値のあるものを生涯見いだせないまま死んでいく。夏目漱石の作品を一つとして理解しないまま死んでいく。250円が惜しくて、私の本を買うことが出来ない。

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 ごく限られた人だけがその金の支配から自由になれる。金で動き金で動かされるのが圧倒的多くの人間だ。しかしある大金持ちが莫大な資産を殺人ゲームに使い、全く関係のない誰かを金で雇った殺し屋に殺させる推理小説が面白いだろうか。動機が金では落ちにもならない。

 あ、そうそう、そいからその前に、――話がほんまにこんがらがってますけど、――その前にその校長さんが、校舎の修繕するからいうのんで、光子さんのお父様に、お金千円一時融通してもらえまいかいうて来たことありますねんと。光子さんのお宅ではお金はたんとありまっさかい、千円ぐらい何でもなかったのんですやろけど、おおびらに寄附金募つのるのんなら聞えてるが、一時融通してくれというのんおかしい、それにあんだけの校舎が千円のお金で修繕出来でけるはずもないし、分らん話やいうようなことで、お父様は断わられたのんやそうですねん。光子さんの話やと、そんなこというてはお金のありそうな生徒の家頼み歩くのん校長さんの癖くせやそうで、借ったお金は一ぺんでも返したことあれしませんねんと。それも校舎の修繕に使うのんなら格別、校舎いうのん豚小屋みたいに汚のうてぼろぼろになったなり、荒れ放題にしたあるのんです。――はあ? いいえ、そのお金は自分の生活費に使つこてはりますねん。校長さんいいましても高等幇間みたいな人で、おまけに奥さんがやっぱりそこの学校の刺繍の先生してなさって、夫婦でお金持の生徒に取り入っては、日曜のたんびに遠足会やとか、そんなことばっかりしてはりますさかい、なかなか暮らし派手ですねん。(谷崎潤一郎『卍』)

 なるほど谷崎は一方で金の奴隷、金の亡者のようになった人間、校長先生夫婦を持って来たわけか。悲しい人生だ。暮らしは派手でも、それが果して幸せなことなのだろうか。高等幇間とはいうものの、少しも高等なところが見えない。そもそも他人を貶めて利益を得ようという根性が許せない。それを恥ずかしいと思わない羞恥心が許せないと変態作家は言いたいのだろうか。

 そいでお金貸したげたら、たいそう御機嫌ええのんやそうですけど、断ったら、陰い廻ってその生徒のことえらい悪ういやはりますねんと。つまり光子さんにはそういう恨うらみあるとこいさして、市会議員に頼まれたもんですから、どんな悪辣なことかてしかねへんのです。「ですからあんたわたし陥れるために利用しられなさったんやわ」と光子さんはいわれますねん。「まあ、そんな深い訳あったのんですか、そんな事とはちょっとも知りませなんだが、それにしてもあんたと私とは今日までお附き合いもしてませなんだのんに、あんまり出鱈目が過ぎるではあれしませんか。捏造する人も捏造する人なら、みんながそれ真に受けるいうのん不思議でなれしません」いいますと、「あんたはそれやから呑気や」いいなさって、「噂立ったもんやさかい、二人はわざと学校ではものいえへんのやと、みんなそないいうてますし、それどころか、こないだの日曜に二人大軌電車に乗って奈良い行くとこ見たいう人さいあるのんですね」いいなさるのんです。わたし呆れてしもて、「まあ、誰がそんなこといいますねんやろ」いいますと、「なんでも校長さんの奥様から出たらしいのんです。それはそれはあんたが考えてなさるより十倍も二十倍も陰険やのんですから、気イ附けなさいや」いう訳ですねん。(谷崎潤一郎『卍』)

 まさに陰険。しかしモノローグの語り手の言葉が世界の真実そのままではありえないように、ここでは徳光光子が齎した情報によって「校長先生夫婦」という共通の仮想敵が形成され、徳光光子と柿内未亡人の間に類似性の法則による親近感が生じつつあると見做すことができる。つまり徳光光子のトークは事実であれ、あるいは不作為であれ、柿内未亡人と親密さを増す効果を持っているという意味だ。この「校長先生夫婦」が金のために他人を陥れる陰険な人たち、最低な人間なのかどうか、私はまだ知らない。

 何故ならまだその続きを読んでいないからだ。


[余談]

 そういう人、普通にいるよね。ありもしない噂を流してしまう人。金のために他人を陥れる陰険な人たち。



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